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2006/11/30

ジャズ…時を越え黄金の海を揺蕩へり

 過日、4台の車を洗車する機会があった。
 日頃、運動とはまるで縁のない小生である。
 一台、洗車しただけでも結構な運動であり、草臥れてしまう。

061129kareha

→ 都内某所にて。枯れ葉が風にゆらゆら揺れていた。「Autumn Leaves」など思い出しながら見ていた……。

The falling leaves
Drift by the window
The autumn leaves of red and gold.

 風に揺れ黄金(こがね)の日々刻む葉よ

 それが、ひょんなことから一気に4台も洗車したのだ。
 洗い終わると、下着は汗でビッショリ濡れていた。洗車というとホースで水をかける、雑巾を洗う、など水を使うので合羽を羽織って作業したので、仕事の負荷もあって余計に汗を掻くことになったのだろう。
 合羽を着たのは、実は思いがけず何台も洗車することになったので、仕事着そのままでやるしかなく、服が水に濡れないためだった。

 さて、4台を洗い終わって疲れきってしまったことは言うまでもない。
 自転車に跨り、颯爽と家路を辿ろうとしたのだが、さすがに漕ぐペダルが重く感じられる。
 あーあ、明日は、疲労困憊で起きられないだろうな。年を取ると疲労は遅れて症状として現れるし。
 その前に、今日は帰ってからも何もする気力がないだろうな……。

 けれど、確かに疲れていたのは確かで、いつも以上に帰途の道が遠く感じられたのも事実なのだが、働いた(肉体労働をした)という爽快感もあるし(他の理由もあるのだが)、それ以上に実は<嬉しい誤算>があったのだ。

 それは、帰宅して一眠りして起きたら、それほど体に堪えたという感じがないってこと。
 さらに、心配していたことでもあるが、翌朝、疲労などで筋肉痛になっていて、最悪、起き上がれないってことさえも危惧していたのだった。
 それが、ほとんど通常通りの憂さで起きれた(肉体的事情があるので、常に起きるときにはとてつもない疲労感と脱力感があるのだ)。やや体が重いかなという程度(あるいは、洗車の疲労はもっと後日になって現れるという最悪の事態も考えられないではないのだが)。

 もっと言うと、8月の下旬前後から自転車通勤に切り替えたのだが、その後の二ヶ月ほどは、通勤が憂かった。体がしんどかった。大袈裟かもしれないが、小生の体はそれほどに鈍っていたのである。
 それでも、先月末か今月(11月)初め頃には、もしかして自転車通勤に慣れたのかな、という手応えがあった。 自転車で帰れるのが楽しみになっている自分がいる!
 
 そう、4台の洗車をしての疲労感は、自転車通勤を始めた当初頃の疲労感ほどではなかったのである。
 それだけ、実質毎日の自転車漕ぎが体を鍛えてくれていたってことなのだろう。
 とにかく、自転車通勤に慣れるのに予想通り三ヶ月を要したということでもある。
 気持ち(自分でそのように感じているだけかもしれないが)、太ももが以前のより太くなったような気がする。
 体重は、どうだろう。
 体重計がないので(会社の浴室にあるが、大抵、人が入浴中なので入室できない)、体重が変わったかどうかは分からない。
 ジョギングなどの運動を始めると、当初は脂肪分が筋肉に変わる時期があって、逆に体重が増えることもあるというし、まあ、体重は年明けの健康診断の時の楽しみ(多分、楽しみのはずだ!)ということにしておこう。

 まあ、そんな<嬉しい誤算>があったのだった。

 さて、昨夜は車中での楽しみの一つのラジオ(音楽)で久しぶりの<体験>があった(もう一つの車中の楽しみである読書のほうでは、今週から読み始めた灰谷 健次郎著『兎の眼』(角川書店)がいよいよ話が佳境に入ってきた。このことは別の機会に書くかもしれない)。

 それは、ジャズ
 昨夜は、久々にビル・エヴァンスのピアノを堪能することができたのだ。
 番組の名は、「ラジオ深夜便(NHK-FM、NHKラジオ第1) - 偶数週月曜日午前2時台(日曜深夜)のロマンチックコンサート『エンジョイ・ジャズ』にて(アンカー:明石勇) 」だった。
 営業がこの日に相当する時は、極力聴くようにしている。
(他に、ラジオでは、「ときめきジャズ喫茶(NHKラジオ第1)」が楽しみ。以前は、というより、つい最近までは、「俳優・藤岡琢也と写真家・浅井慎平が隔週でマスターを勤め」ていたのだが、ご存知のように、藤岡琢也さんが亡くなられたので、今は、林家正蔵(落語家)さんが引き継いでいて、浅井慎平さんと隔週でマスターを務めている。)

 いつだったか、MJQ(モダン・ジャズ・カルテット。別名(?)、ミルト・ジャクソン・カルテット?)を正味50分弱ほど聴く機会があって、惚れ直したというか、おお、図書館で借りてくる候補が増えたと思ったものだ。
 学生時代、あまりLPレコードなどは買わないほうで、ジャズは友人宅などで聴くだけだったが、唯一、ジャズで持っていたのはサッチモ(ルイ・アームストロング)だった。
『この素晴らしき世界(What a Wonderful World)』やトランペット!
(あとで思い出したけど、マイルス・デイヴィスのも何か持っていた。)

 ジャズ好きの片鱗は、妙なところで知れる。テレビドラマは基本的に見ない。まして、NHK・朝の連続テレビ小説は、「まんさくの花」(昭和55年?)を最後に見ていない。
 が、ヒロインがジャズピアニストを目指すという内容の「純情きらり」だけは、田舎で家事の真似事をする機会があって、その折に、父母と共に見ていたっけ。

 ビル・エヴァンス(ピアノ)集で聴いたのは、「マイ・フーリッシュ・ハート、ビューティフル・ラブ、いつか王子様が」だったろうか。
 普段だと、ロマンチックコンサートの放送される深夜の2時台の後半くらいかは仮眠タイムに入るはずだが、夜半に入る前の夜に仮眠を取るはずが、必要以上に寝てしまい(2時間近く! ……あるいは、ここで過日の洗車の疲労が出てきたのか?)、丑三つ時前後の仮眠はパスすることにしたのである。
 なので、客待ちをしながらじっくり聴けたのだった(つまり、お客さんを乗せる機会に恵まれなかったってこと!)。

 このところ図書館からピアノ関係のCDを借りる機会が増えていて、最近でもショパン、今はスクリャービンで、音楽ジャンルは違うが、今度はビル・エヴァンスというわけだ。

 今も、スクリャービンのピアノ曲を聴きながら、書いているのだが、なんとなくスクリャービンの音楽にはジャズ的な色彩…大袈裟ならば匂いを感じてしまう。そういえば、ジャズ音楽の成立にも西欧の音楽(理論)などの影響が預かって大きいこと、ジャズ音楽草創期に、スクリャービンらロシアの風も幾分かは吹いていたわけで、遥かに遠いロシア大陸の香りがジャズにも漂っていたって、まるで見当違いってことはないのではないか、なんて妄想を抱いたり。
 調べてみたら、「スイス時代のスクリャービンにピアノを学んだカナダ人女性は、シカゴで音楽教師として立ち、結果的にジャズ・ピアニストの育成に貢献したとされる」だって。

 そうか、スクリャービンにジャズを、それとも、ジャズの中にスクリャービンの遠い響きを感じ取っても、まるで見当違いということもなかったわけである!

 不思議な音楽用語に現代音楽という名称がある。用語なのか俗称なのか知らないが、ジャズを聴いていると、20世紀前後に生まれた、それなりに歴史を刻んでいる音楽ではあるが、古い録音のものを聴いていても、まさしく現代音楽という感じがしてならない。
 時代を超えているような、不思議な感覚に恵まれるのだ。
 まさか、酒や麻薬や金や女、そして死の匂いのせいではあるまが。

19世紀末から20世紀初頭、北米大陸の黒人達が歌う労働歌やブルース等と白人の音楽文化とが混在したアメリカ・ニューオーリンズを起源とする。西洋音楽の技術と理論を元とし、アフリカ系アメリカ人との文明交流が深く関わる」とある。
 古くて新しい音楽。アフリカとアメリカが出会って生まれた音楽。あるいはアメリカという風土でアフリカやヨーロッパやその他、中南米などの文化や生活や音楽がミックスし、あるいはフュージョンして生まれた音楽、ジャズ。

 サンバ、ボサノバ、クラシック、歌謡曲、ジャズ…。音楽の世界は広がる一方だ。


[最初、表題を「時を越え黄金の時を奏でけり」としていたが、「時」という字が二箇所あるのが嫌なので、「時を越え黄金(こがね)の海を揺蕩(たゆた)へり」に変えたのでした。(執筆当日、追記)]

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