スティーヴンスン…松蔭の面影つまる宝島
拉致問題を政府自民党がNHKに放送を命令するんだって。「菅義偉総務相は24日午前の閣議後の記者会見で、放送法に基づきNHKの短波ラジオ国際放送で拉致問題を重点的に取り上げるようNHKに命令することを、来月8日の電波監理審議会に諮問すると表明した」って。
建前は、「拉致問題解決に向けて「特定失踪(しっそう)者問題調査会」(荒木和博代表)が北朝鮮向けに流している短波ラジオ放送「しおかぜ」への支援に関して行う措置。「しおかぜ」は昨年10月から、ニュースや家族の手紙、メッセージなどを北朝鮮に向けて流している。放送は海外の電波配信会社に委託しているが、放送委託料などの費用はカンパ。また北朝鮮側が妨害電波を流しており、周波数の変更などを余儀なくされている」というのだけど、変!
拉致問題の大切さ痛切さは分かる。
だからといって、事情があろうと、「短波ラジオ国際放送で拉致問題を重点的に取り上げるようNHKに命令する」ってのは、行き過ぎじゃなかろうか。
あくまで拉致問題を取り上げる時間枠を設けるように指導するだけで、番組内容には干渉しない、だから表現の自由に抵触しないというけれど、そんな理屈が成り立つものか!
だったら、週に一日は自民党の宣伝をするように命令する。週に二日は政府の広報の番組をやる。残りの四日は与党の面々を紹介する番組を流す。番組内容には干渉しないから表現の自由に抵触していない、ってことになるんじゃないの。
現政権のタカ派ぶり、人権や表現の自由への無理解ぶりが早くも露骨な形で表面化したってことか。
怖いねー。
→ よしだみどり/著『烈々たる日本人 日本より先に書かれた謎の吉田松陰伝 イギリスの文豪スティーヴンスンがなぜ』(祥伝社)
昨日の仕事は、日中は忙しく、夜半を回ってからは、思いっきり暇となった。一粒で二度美味しいじゃなく、一日で暇と繁忙をめりはりよく体験したわけである。
さて、昨夜、スティーヴンソンの名がラジオから流れてきた。
スティーヴンソンという名を聞くと、大概の人は(小生も!)、あ、あの『宝島』のスティーヴンソンか、と懐かしく思われるのではなかろうか。
それとも、『ジキル博士とハイド氏』のほうを真っ先に思い出す人も多いかもしれない。
このどちらを最初に思い浮かべるかで、その人の性格がちょっと垣間見られる…なんて、話をしようというのではない。
話を先に進める前に、もう少し、スティーヴンソンについて説明を加えておくと(例によって「ロバート・ルイス・スティーヴンソン - Wikipedia」を参照させてもらう)、「ロバート・ルイス・スティーヴンソン(Robert Louis Balfour Stevenson、1850年11月13日 - 1894年12月3日)はイギリススコットランドのエディンバラ生まれの小説家、冒険小説作家、詩人、エッセイストである。弁護士の資格も持っていた」という。
さらに、「父トーマス、祖父ロバートは共に灯台建設を専門とする建築技術者だった。母がマーガレット・バルフォア。彼もエディンバラ大学の土木工学科に入学するが、のち法科に転科、弁護士になる」とか、「生まれつき病弱で、各地を転地療養しながら作品を創作した」などとある。
小生、ご他聞に漏れず、ガキの頃は、スティーヴンソンの『宝島』も『ジキル博士とハイド氏』も読んだことがある。
ただ、記憶が曖昧で、当時、読んでいたのは子供向けに編集されたものなのか、大人版がそのまま子どもにも読まされていたのか、あるいは、そもそも最初からスティーヴンソンが子どもが読むことを念頭に書いていたのか、まるで見当が付かない。
というより、何十年も隔てての印象に過ぎないのだが、『宝島』も『ジキル博士とハイド氏』も共に同じ作家の作品だったことに、妙な感懐を覚えてしまう。
両者はまるで違う作品という印象が残っているからなのだろう。片や冒険小説(という印象)、片はゴシック的な怪奇な小説。
それを同じ作家が書いていたとは今更ながら不思議(なのかどうかすら、判然としない)。
無論、彼が、「1889年以降、ポール・ゴーギャンも愛したタヒチのサモア島に住み、そこで亡くなるまで過ごした」なんてことは知る由もない。
ところで、突然、ロバート・ルイス・スティーヴンソンの名を持ち出したのは、実は昨夜、ラジオで彼の話題を聞くことができたからである。
しかも、話が吉田松陰と関係するとなると、耳を欹(そばだ)てるしかない。
一体、両者に何の関係が。
以下、話題はこの方面に向う。
よって、今回は、スティーヴンソンの小説の中身には直接、触れないつもりである。
関心が呼び覚まされた方は、たとえば、これまた例によってだが、「松岡正剛の千夜千冊『ジーキル博士とハイド氏』ロバート・スティーブンソン」など参照願いたい。
「幼年のころから肺疾患に悩み、ちょっと外出するだけで気管支炎になる体質だったのだが、そのために自宅に籠もっているときに乳母から優しくされ、聖書やスコットランドの物語を聞かせられた」と聞くと、ふと、マルセル・プルーストなど連想するが、ここでは深入りしない。
また、『ジーキル博士とハイド氏』はスティーブンソンがある夜に見た夢を小説化したものだ云々といったエピソードなども読み飛ばしていく。
← スティーブンスン 著(山元 護久 著)『宝島』(池田 龍雄、世界文化社)
スティーブンソンの小説家としての卓抜さを語って秀逸なサイトが見つかった。
「『子どもが扉をあけるとき・文学論』(松田司郎:著 五柳書院 1985)」なる頁の中の、「6 魅力ある悪漢像――スティーブンスンの作品を通して」である。
多少、記述が重なるが、「R・L・スティーブンスン(1850-94)は不思議な人物である。生来極めて病弱のため燈台建築技師や弁護士の道を中途断念し、保養のため好ましい気候を求めて旅をつづけ、十歳も年上の二人の子持ちのアメリカ女性に出会って激しい恋をし、両親の反対や病苦や貧困をのりこえ、アメリカに追って結婚、やがて悪化する胸の病にせまられて一家でサモア島に渡り、土地の人々に惜しまれて四十四歳の生涯を閉じたという」というのは、彼に関心を抱くに十分なような気がする。
「ビロードのジャケツにくるんだ華奢な身体や柔らかく長い髪、細面長の端正な顔からではなく、何かに憑かれたようなその燃える眼差しから受けるものである。若いころの写真よりも、死ぬ間際にサモアの土地の人と並んで撮った写真の眼の方に、一種すごさを感じるのは私だけだろうか」というが、その写真を見ることができないのが残念である。
「『宝島』には宝探しという誰しも憧憬する明確な単一の目的があったが、『さらわれたデービッド』は複数の目的によって成り立っている。遺産を取り返すという経済性、こうむった受難の返礼としての報復、氏素性を取りもどし人間の誇りを証明するという自己確認、エビニーザの奇怪なミステリーへの謎解き……これらはデービッドの受難劇が凄まじければ凄まじいほど、読者にその期待感を増加させるという相乗効果をよんで、児童文学に不可欠の娯楽性の強い読物になっている」などなど、この頁は読むだに興味深い。
この頁を見つけだしただけでも、ネット検索した甲斐があったというものである。
昨今の児童文学の実情には(も)、小生、まるで疎いのだが、人間の裏面も含め描かれ、情景を鮮やかに描くことで初めて、「子どもをも賢人をも共に喜ばせ、それ自体の力で、叙事詩の価値をつくるので」はなかろうか。
決して、綺麗ごとだけでは文学は(たとえ児童文学であっても)済まないのだと思う。
小生、スティーブンソンの世界へ改めて分け入りたくなった。
→ ロバート・ルイス・スティーヴンスン著『ジキル博士とハイド氏』(夏来 健次訳、創元推理文庫)
寄り道が過ぎた。
本題である。
ロバート・ルイス・スティーヴンソンと、「叔父の玉木文之進が開いていた私塾松下村塾を引き受けて主宰者となり、木戸孝允、高杉晋作を初め久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋、吉田稔麿、前原一誠等維新の指導者となる人材を教え」たという吉田松陰とには、どのような関係があるのか。
昨夜のラジオの話だと、「冒険小説『宝島』の作者・スティーブンソンは、松陰の弟子から聞いたエピソードなどをもとに、「YOSHIDA-TORAJIRO」という小論文を残している。ちなみにYOSHIDA-TORAJIROとは、吉田松陰の別名・吉田寅次郎のこと」なのである(メルマガの「日本一の経営者マガジン 『がんばれ社長!今日のポイント』 作者:経営コンサルタント 武沢 信行 2005年07月07日 「外国人が見た吉田松陰」」より。メルマガ登録は、「メールマガジン「大前研一《ニュースの視点》」:経営管理者育成プログラム」のようだ)
紹介されている、スティーブンソンが書いた小論文とは、英文だが、「YOSHIDA-TORAJIRO」で読める(「Roadside Library」所収)。
英文が全文、載っているということは、訳も全文、載せていいのだろうか。
吉田松陰という人物(人間性)の正鵠を射ているという一部の評価もあるようだが。
昨夜のラジオでも話があったと思うのだが、小生、肝心な点が不明のままである。
(どうやら、何回かに渡って話が続いているようだし、これでも小生、仕事中だったので、夜でもあり、逐一、メモするわけにもいかない。←話を中途半端にしか聞いていないことの言い訳!)
つまり、スティーヴンソンが松陰の弟子から話を聞いたとして、どうして小論文を書くほどに松蔭に関心を抱いたのか、その前に、そもそもスティーヴンソンがどうして松陰の弟子と出会うようになったのか。
ただ、上掲の「「外国人が見た吉田松陰」」には、「論文の結びにこうある」として、以下の一文が紹介されている:
一言つけ加えておかねばならない。これは英雄的な一個人の話であるとともに、ある英雄的な一国民の話だということを見損じないでほしいと願うからである。吉田のことを脳裏に刻み込むだけでは十分ではない。あの平侍のことも、日下部のことも、また、熱心さのあまり計画を漏らした長州の18歳の少年ノムラ(野村和作)のことも忘れてはならない。このような広大な志を抱いた人々と同時代に生きてきとことは、歓ばしいことである
スティーヴンソンが松陰について小論文を書いた理由は、この一文で尽きると思っていいのだろうか。
吉田松陰なる人物像を知るには、彼の唯一の恋人であったらしい、高須久子との関係、さらには、高須久子という人物を知るのがいいだろう。
それには、「吉田松陰の恋人は元杉原さん」が格好の頁である(ホームページは、「杉原姓物語」。富山の杉原地区も扱われていた!)。
どうやら、田中 彰著『松陰と女囚と明治維新』(NHKブックス)が詳しいようだ。
← 田中 彰著『松陰と女囚と明治維新』(NHKブックス)
夏の甲子園でハンカチ王子が話題になったから書くのではない(ことはない)が、この本がネタ元なのかどうか、この二人にはハンカチに絡むエピソードがあるようだ:
江戸に護送される段になり、久子は松陰先生にハンカチを送った。
松陰は、江戸に送られ、殺される身の上である。そこで松陰先生は久子に箱根山越すとき汗のいでやせん君を思ひてふき清めてん
という歌を送っている。ストレートだ。泣ける。
なんだか、これこそ例によって、まことに中途半端なメモに終わったが、ま、話の取っ掛かり程度にはなったと思う。追々、関連情報を得ることができたなら追記していく所存である。
ウーム。どうも気になる。
今日の話の切っ掛けとなる番組を調べておきたい。
どうやら、夜半近くから始まる「ラジオ深夜便」なる番組で、その中に、「ないとエッセー」というコーナーのよう。 そのテーマは以下のとおり:
「私が見つけた宝島の物語」
さしえ画家・作家…よしだみどり
あああ、この検索を最初にやるんだった。
すると、「読書日記 烈々たる日本人 よしだみどり 祥伝社」なる頁がすぐに見つかったではないか。
ちゃんと段取りを踏んで書き始めない結果がこのお粗末だ。
この頁を覗いて知ったことだが(実は、「よしだみどり」さんの本に紹介されているらしいのだが)、日本で、というより世界で最初に吉田松陰の伝記を書いたのは、「宝島」や「ジキルとハイド」を書いたR.L.スティーブンソン云々と書いてあるのだそうな。
以下、スティーブンソンや松蔭とのことなど当該の頁で読んでみてほしい。
そして、機会を設けて、「吉田松陰の死後まもなく、ある人が彼の伝記を書きはじめた。ところが高杉晋作がそれを見て、こんなものを先生の伝記とすることができるか、と破り捨ててしまった…。しかし、彼の生涯に感動したのは、日本人だけではなかったのである」という、冒頭に示した本を、さらには、スティーブンソンの書いた英文の伝記を読んでみる?!
吉田松陰の思想の先進性と功罪とは、今、いよいよ右傾化しつつある現今の日本にあって、改めて見直してみる必要を感じる。
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