デイヴィー、メアリー・シェリーを感電させる?!
車中では黒田恭一著『はじめてのクラシック』(講談社現代新書〈874〉)を読み始めた。
この頃、図書館から本と共にジャンルを問わず音楽CDを借りてくる習慣が付いてしまった(付くと予感できたので控えていた。音楽は車中の楽しみに取っておきたかったのだ。自宅では書くことと読むこと、寝ることに専念したかったし)。
大概、CDは2枚、借りてくる。一枚はクラシックで一枚はフォルクローレやボサノバなど、他の分野となっている(そう決めているわけじゃないのだが)。
← 「テレ朝チャンネル|怪物くん」(原作、藤子不二雄A)
で、気分はクラシック音楽に親しみ始めた若い頃のワクワク感でちょっと昂揚気味。
読みやすそうだし、黒田恭一氏の名前、そして同氏の解説はラジオでうかがう機会が多いこともあってだろう、図書館で音楽書のコーナーを物色していたら目に飛び込んできた。
内容は今更なのかもしれないが、ま、クラシック音楽の世界へ入るいろんな道の一つを辿ってみるのも楽しからずや、である。
そういえば、火曜日は「NHK-FM ミュージックプラザ 1部 -クラシック-」で、久しぶりにショパン作曲の「幻想ポロネーズ 作品61」(ピアノ:マウリツィオ・ポリーニ)などを聴いたっけ。この曲を聴きながら夢の世界へ、だったのだ。
先週、中途まで読んできた、内井 惣七 著の『空間の謎・時間の謎―宇宙の始まりに迫る物理学と哲学』(中公新書)は、車中で気軽に読むには内容がやや手ごわいので、自宅で続きを読むことに。
やはり、ガリレオ、ニュートン、デカルト、ライプニッツ辺りの探求が面白い。
自宅では週初めより、オリヴァー・サックス著『タングステンおじさん―化学と過ごした私の少年時代』(斉藤隆央訳、早川書房)を読み始めている。
再読。あと一年ほど置いてから再読のつもりだったが、秋が深まると何故か灯火親しみつつ、じっくり読みたくなる本なのである。
本書『タングステンおじさん』はひたすら楽しみのために読んでいるのだが、せっかくなので感想文というわけではなく、本書の中で知ったことをあくまで興味本位的にメモしておく。
本書の中で、筆者が若い頃、化学(実験)に熱中し、その過程で出会ったり知った歴史上の、しかし、ヨーロッパの人にとっては(そして特に彼にとっては)実際の血縁があるかどうかは別にして、実感の上では血の繋がった祖父や父の人柄に触れるようにして語っている。
実際、彼の父や祖父か、あるいはその縁戚の誰かが交流があったりする。
我々日本人にはせいぜい化学(科学)の歴史の本に登場する人物であっても、欧米の人にはその人が生まれ歩き働き研究に没頭した場所や通りや建物が何処かしこにあるわけである。
同時に(ここでは深入りしないけれど)、「化学」の前史として錬金術の長い長い歴史があって、それは祖父か曽祖父の世代にはさすがに離れつつあったとしても、常識と雰囲気として濃厚に漂っていたのである。
その錬金術から化学を分離・自立させるには多くの方の関わりがあった。
→ サー・ハンフリー・デービー(デイヴィー)
そんな人物の一人にハンフリー・デイヴィー(Sir Humphry Davy、1778年12月17日 - 1829年5月29日)がいる。
「もともとは薬局の使用人であったが、薬局に備え付けの本で独学で化学を学ぶ。1798年、ベドーズ気体研究所に招かれる。ここで笑気ガスの研究を行い、有名になる。また、彼の最大の功績はファラデーを見出したことであると言われている。」とか、「1807年に、ボルタ電池を用いてさまざまな物質の電気分解を行い、カリウム、ナトリウムを発見、翌1808年、カルシウム、ストロンチウム、バリウム、マグネシウムを発見した。6つの元素を発見した化学者は、デービーただ一人である。また、塩素の命名を行った。」などを銘記しておいてもいいかも。
(ちょっと気になるのは、「彼の最大の功績はファラデーを見出したことであると言われている」というくだり。これでは他人が、後世の歴史の中でそう言われて来るようになったかのようだ。そうではなく、ハンフリー・デイヴィー本人が語っていることであって、彼がファラデーをそれほどに称揚しているのだということと同時に彼の率直な人間性をも物語っているのだろうという点を見逃したくない。当然、前提として自分の業績への自負心もあっただろうし。)
あるいは、「アーク灯の公開実験に成功したことでも知られる」人物である。
関心のある方は、「ファラデー『ロウソクの科学』 第 3 章 燃焼の産物――水の性質――化合物――水素」へどうぞ。
さて、本書の中に以下の記述がある:
デイヴィーは、公開実験が大好きだった。彼の有名な講義――あるいは実演講義と呼ぶべきもの――は、面白く、印象的で、ときに文字どおりの爆発も起こした。講義の内容は、実験の詳しい説明から宇宙や生命についての思索にまで及び、それをだれにも真似のできない巧みな話術と豊かな表現力でを駆使して語った。たちまち彼は、イギリスで最も名声と実力のある講演者となり、講義のたびに、たくさんの聴衆が集まって通りをふさいでしまうほどだった。当時やはり偉大な講演者だった詩人のコールリッジまでもが聴講しにきて、化学の知識をノートに書き留めたばかりか、それにより「比喩のストックを増やした」らしい。
(この記述のあとにはさらに、「一九世紀の初頭には、まだ文芸と化学のあだいに文化的な結びつきがあった――まもなく両者の感性に乖離が見られだすのだが。」などと続くのだが、話が飛びすぎるので止めておく。)
転記した文中に「講義のたびに、たくさんの聴衆が集まって通りをふさいでしまうほどだった」とあるが、その一人にメアリー・シェリーがいたわけである。
以下、上に転記した記述に付された注記を本書より転記する:
メアリー・シェリーは、子どものころ、デイヴィーの王立研究所就任記念講演を聴いて心を奪われた。それから何年もあと、彼女は小説『フランケンシュタイン』のなかで、ヴァルトマン教授による化学の講義の内容を、デイヴィーがガルヴァーニ電気(直流電流)について話したことをもとに、かなり綿密にこしらえている。デイヴィーはそのときこう語っていた。「新しい力が発見された。この力により人は、これまでは動物の器官でしか起こせなかった現象を、死せるもの(デッド・マター:ここでは無機物の意味だが、文字どおりのヒントになったのではないか)の組み合わせで起こせるようになった」
「メアリー・シェリー - Wikipedia」を覗いてみる。
「メアリ・シェリー(Mary Shelley, Mary Wollstonecraft Godwin Shelley, 1797年8月30日 - 1851年2月1日)は、イギリスの小説家、ホラー作家。ゴシック小説『フランケンシュタイン』で名を残したが、SFの先駆者と呼ばれたり、あるいは創始者と見なす者も少なくない」という。最近は分からないが、一昔以前だと、大抵は映画「フランケンシュタイン」を見たことがあるのではなかろうか。
あるいは、ある年代以上のSF好き、ホラー好きだったら、小説も読んだという人も多いかもしれない。
同じ頁の『フランケンシュタイン』なる項を読む。
「1816年5月、メアリは詩人パーシー・シェリーと駆け落ちし、バイロンやバイロンの友人のジョン・ポリドリ(John William Polidori)らと、スイスジュネーヴ近郊のレマン湖畔(ジュネーヴ湖畔)のディオダティ荘に滞在していた。天候不順で長く降り続く雨のため屋内に閉じこめられていた際、バイロンが一人一作ずつ小説を書いてみようと提案。バイロンが断片を書き、これに触発されてポリドリがのちに書き上げた小説が『吸血鬼』で、これはバイロン作と宣伝されたため、話題を呼び好評を博することになる。メアリは、その時に得た着想で一年かけて書き上げ、1818年3月11日に匿名で出版された作品が、小説『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメシュース』(Frankenstein: or The Modern Prometheus)である」というくだりだけでも、ドラマチックだし、訳もなくワクワクさせられる。
「天候不順で長く降り続く雨のため屋内に閉じこめられていた際」に、「一人一作ずつ小説を書いてみよう」と提案し、実行されるなんて、最高のエンターテイメントだ。
それにしても、小説『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメシュース』のテーマを示すのだろう「現代のプロメシュース」が意味深だ。
プロメテウスというのは(「プロメテウス - Wikipedia」によると)、「神々の姿に似せて創造された人類に、「火」を伝えたとされる」「ギリシア神話に登場する神」で、「その行いに怒ったゼウスにより、カウカソス山の山頂に張り付けにされ、生きながらにして毎日肝臓をハゲタカについばまれる責め苦を強いられた。プロメテウスは不死であるため、彼の肝臓は夜中に再生した」という神。
少しだけ小説「フランケンシュタイン」に触れてみる。
「フランケンシュタイン - Wikipedia」によると、「電気刺激により人造人間に生命を与えるというアイデアは、筋肉が電気刺激により痙攣すること発見したルイジ・ガルヴァーニの実験(1791年)から得たと言われている」とある。
この点に付いては、もっと正確には、「メアリー・シェリーは、子どものころ、デイヴィーの王立研究所就任記念講演を聴いて心を奪われ」、「デイヴィーがガルヴァーニ電気(直流電流)について話したことをもとに」、「小説『フランケンシュタイン』のなかで、ヴァルトマン教授による化学の講義の内容を、かなり綿密にこしらえている」と理解すべきなのかもしれない。
「フランケンシュタイン」というと、あれこれの小説や啓蒙書も興味深いが、ガキの頃、漫画の本で、あるいはテレビで見たアニメの藤子不二雄Aによる『怪物くん』を思い出してしまう。
「怪物くん - Wikipedia」によると、「怪物ランドから人間界へやって来た不思議な少年、怪物くんとそのお供のドラキュラ、オオカミ男、フランケンが、様々な怪物達と出会い騒動を引き起こすというギャグ漫画」というものだが、小生は身につまされる思いで読んだり観たりしていたのものだ。
小生にとっては、決して、他人事・絵空事じゃなかったのだ!
(ところで、表題の「デイヴィー、メアリー・シェリーを感電させる?!」だけど、「デイヴィー、メアリー・シェリーを感動させる?!」に変更したほうがいいだろうか?)
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