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2006/11/05

白川静…日本語は仮名しき漢字の迷宮か

 11月一日(ついたち)、車中でラジオ三昧していたら、不意に白川静氏が亡くなられました、というニュースが飛び込んできた!
10月30日午前3時45分、多臓器不全のため」で、96歳だったという。
 小生如きに漢字研究の第一人者、中国文学者である白川静氏に付いて特別の個人的感懐があるはずもない。
(「Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - <訃報>白川静さん96歳=漢字研究の第一人者、中国文学者」参照。)
 それでも、漢字、仮名、表記、柿本人麻呂と、日本語表現の淵源への関心は少しは抱いてきた。
 そうした関心の赴くところ、柿本人麻呂は別格として、漢字に拘り続けた白川静氏に至るのは当然のことだったろう。

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→ 11月3日、夜半過ぎ、都内某所の公園脇にて。車内から撮ったもの。あと数日(6日の夜か)で満月となる

松岡正剛の千夜千冊『漢字の世界』1・2白川静」なる頁が漢字に付いて、そして白川静氏の業容を知るに素晴らしい。
 特に「第1には、神の杖が文字以前の動向を祓って、これを漢字にするにあたっては一線一画の組み立てに意味の巫祝を装わせたと見ている。これがすばらしい。漢字はその一字ずつ、一画ずつが神の依代づくりのプロセスであって、憑坐(よりまし)なのだ」以下、白川氏の思想をまとめた項だけでも、読んで欲しい。

 小生は版画(銅版画)が好きなのだが、何ゆえすきなのか自分でも分からない。
 ただ、そこには漢字に共通するとまでは言わないものの、木か青銅器か石か岩壁か亀の甲か骨か、それとも肌なのかは別にして、一つの線を刻む営為の一回性を感じてならないからのようだとは思える。

 一旦、何かのモノに刻み付けたなら、それは決して消えるものではない。上書きや上塗りなど許されない。
 漢字は、そうした一回性というドラマ(やや軽薄な性格付けになってしまうけれど)そのものであり、ドラマの歴史・堆積・結晶なのだと思っている。
 漢字は表意文字であり、それはまた究極の版画であり、究極の絵なのである。
 しかも、表意と抽象とが相俟っての、つまり自然と人為とが作用しあっての究極の英知なのだと思う。

 一方、日本語というのは、恐らくは縄文文化以来の日本の風土があってこその独自のものだ。
 徹底して自然へ、風へ、水へ、草木へ、神々の座である森羅万象へ還元せんという、これまた不可思議な、しかし中国に淵源する精神に蔦のように絡み付き羽交い絞めし、やがては黴と苔とに解消していくようなある種の魔的な土壌・風土が、そこはかとなく、しかし厳然としてある。

 やがて、それが定めであったかのように仮名文字表記が生み出されていく。

 一切の知的なもの人為的なもの、男性的なもの、政治的なものを水の中に浸し、黴付かせ、折り曲げ、捻じ曲げ、撓め、宥め、賺し、緩め、絡み付き、やがて女性化していく。
 漢字を仮名文字の川に流し込んでいこうとする。

 そして漢字と仮名との組み合わせという独自の文化が誕生する。
 漢字と仮名との織り成す日本語の世界。
 中国という乾いた論理の世界と日本という湿った情緒の世界との合体。
 日本とは仮名しき迷宮世界なのだ。

 白川静氏にはまことに申し訳ないけれど、漢字に拘りつつも仮名があったこその日本語という面にも、もう少し目を向けて欲しかったなんて、生意気なことを思っていたものだった。

 さて、以下に小生の白川静氏についての旧稿を転載しておく(リンクのみ一部、貼り替えている)。
 合掌!


1.白川静『初期万葉論』雑感

 白川静という名前を目にした方は多いと思われる。
 彼の業績の一端として、「白川静著作集(全12巻) 」のタイトルを見るだけでも、その業容の凄さが分かろうというもの。

 ま、簡単に説明すると、「白川氏は中国の甲骨文字を研究し、独自の文字学を打ち立てた巨人。『字統』『字訓』『字通』の三部作を完成した文化功労者。」ということになるだろうか。
 1910年に生まれ、1943年に立命館大学法文学部文学科卒業。彼は31歳にして夜間大学に通った挙げ句の卒業なのである。研究にひたすら専心した独立独歩の方である。
 とはいいながら、小生は彼の研究の一端どころか、著書の一冊さえ今まで読んだことがない。今回、たまたま書店で平積みの『初期万葉論』(中公文庫刊)に目が行き、パラパラ捲ってみたら、万葉論であると同時に、それ以上に柿本人麻呂論の書であることに気がつき、即座に購入を決めたのだ。
 そう、白川静は万葉集の研究者でもある。しかも中国古来よりの漢詩を自家薬籠中のものとした上での研究がなされている。
 小生は、細々ながら柿本人麻呂論に類するものを読んできた。梅原猛の『水底の歌』(新潮文庫刊)が皮切りになった。この本以後、小生は梅原猛の諸著を渉猟するようにもなったものだ。「隠された十字架」(新潮文庫)、「神々の流竄」(集英社文庫)、「聖徳太子」(集英社文庫)、etc.エッセイ集も含めると20冊ほど書棚の方々に散在している。
 同時に「水底の歌」により柿本人麻呂への関心が呼び覚まされ、吉村貞司「柿本人麻呂」や、古田武彦「人麻呂の運命」など、雑多な人麻呂関連の本を読んできたのである。
 正直なところ、『万葉集』を『古事記』などと併せ、多少なりとも読むようになったのは、柿本人麻呂への関心の結果だったと言って過言ではない。
 あるいは正確に言うと、柿本人麻呂の作とされる長歌や短歌の類いの、類を見ない文業に圧倒されたということである。
 ここでは改めて柿本人麻呂の作品の紹介をするつもりはないので、関心のある方は以下のサイトなどを御覧戴きたい:
柿本人麻呂(柿本人麿) 千人万首 注釈無し

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← 白川静著『初期万葉論』(中公文庫刊)

 実際、柿本人麻呂の歌はずば抜けている。万葉集の中でも、以後の旅人、憶良、家持との比較の上で屹立しているだけではなく、以後の『古今集』や『新古今集』、西行らの大きな流れを見ても、全く異質な世界を現出していると感じる。
 幸か不幸か、柿本人麻呂の世界に掴まった小生は、以後の歌の勉強も鑑賞もほとんど手付かずのままである。
 さて、柿本の歌の世界の異質さを、例えば柿本の死の悲劇性に見出したり、そのほか、いろいろ忖度はできないことはない。しかし、どうも、それではあまりに通俗的過ぎる気がしてならない。
 何が柿本をかのように謎めかせているのか。
 上掲のサイトで柿本の歌をどれでも詠まれる(朗詠される)と感じるだろうが、何か言霊という言葉をつい使いたくなってしまうのである。
 それは、彼が未だ本邦において、言葉で自国の文化や世界を表現する方法や規範が確立されていない中で、彼(ないしは彼の柿本衆と呼ばれる一群の人々)が中国の『詩経』や、それ以後の文学を学び吸収して独自の言語表現世界を構築しようと、想像を絶する努力を傾注したのだろうし、また柿本人麻呂という空前絶後の天才があったればこそ、それも可能だったのだろう。
 それまでの本邦に話し言葉はあったに違いない。あるいは記録などのため、中国語(や朝鮮語)に頼る表記も断片的には(そして散発的には)あったのに違いない。しかし、中国文化の既に数千年に渡る文化の蓄積の前には、独自の表記も美意識も表現する見込みなど考えられなかったのではないかと思う。
 実際、本書(『初期万葉論』)の中でも、『詩経』などに始まる漢文や漢詩の一千年の文化世界を、天武天皇の下、一気に吸収し消化し、しかも本邦独自の世界に咀嚼せんとした苦労が語られている。
 その中で、柿本人麻呂が、一際燦然とした輝きを放って屹立しているのだ。歌や詩に素養も感性もない小生でも感じざるを得ないほどに凄みを感じさせるものがある。
 柿本人麻呂が表現した世界と類似したような表現方法は、山部赤人を始め、多くの歌人が採っているし、それなりに表現もされている。柿本が構築した長歌も、以後の長歌は長歌にあらずなのである。長歌は人麻呂の死と共に死んだのだ。
 柿本の歌世界は、モノそのものが立つような、表現だと白川は言う。つまり、叙景であれ抒情であれ、そのように解釈されがちな場合でも、柿本の歌は、まさに古代的であり呪術的であると白川は言うのである。
 その挽歌に代表される柿本世界が、人麻呂の死後、僅か二十数年の間に憶良や家持らのような相聞的な叙情性に一気に傾斜していく。これ以後の歌は、まさに、いかにも『古今集』や『新古今集』に繋がっていきそうな、虚構性や叙情性のある叙景的世界に変貌・変質していくのだ。
 それはまた、天武天皇が壬申の乱を制して、律令制を導入しようとし、やがて律令制が確立していくことと平行しているかのような、歌世界の変貌でもあるようだ。
 挽歌は人麻呂と共に死んだのである。
                              (02/10/20 記)


2.白川静『後期万葉論』雑感

 白川静氏については、既に『初期万葉論』(中公文庫刊)についての感想を書いた際、大体のことを書いている。
 ある意味で、彼の本業である「『字統』『字訓』『字通』の三部作」の中身に触れていないので、何も語っていないに等しいが、小生の限界を超える以上は仕方がない。誰かが彼の仕事の凄さを説明するという役目を果たしてくれるだろう。
 さて、小生は、白川氏の『初期万葉論』を読んだのは、その目的の大半が柿本人麻呂への関心に契機があったと書いた。
 それゆえ、『後期万葉論』となると、もう、柿本人麻呂から離れるのだから、関心をもてないだろうと思っていた。
 ところが、本書もやはり実際に柿本人麻呂への言及がある以上に、彼の不在以後の万葉集が、いかに寂しいものかを明確に浮き彫りにすることで、逆にまた柿本人麻呂の凄さが際立つ結果となっているのである。
 それが白川氏の意図だと言うわけではないのだけれど。
 言うまでもなく、今日伝わる形での『万葉集』は、大伴家持の手になるものである。彼は小生の郷里である富山(の主に高岡)に深く関係する人物ということで、それなりに贔屓にしている。富山の風物を歌にしてくれているので、富山が古くより文学的土壌を持つ機縁にもなってくれた人物なのだ。
 だから、小生に彼への感情移入があっても仕方がない。
 けれど、覚束ないなりに歌を玩味すると、やはり柿本人麻呂の凄みばかりに関心が向いてしまうのは仕方ないのだろう。また、彼に比べると、大伴家持の歌の才はかなり見劣りがする。
 特にそれは長歌で顕著に感じられる。柿本人麻呂の神の領域に厳しく面前し、その垂直の高みから歌い上げる長歌は、それを口にして歌うと、言霊という、仰々しくて小生は嫌いな言葉・表現を使わざるを得なくなってしまう。そんな呪力のようなものを柿本人麻呂の歌世界には篭っていて、小生のような鈍感なものをも厳粛な気分にさせるのだ。
 それに引き替え大伴家持の長歌の平板さ。

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→ 白川静著『後期万葉論』(中公文庫刊)

 が、一家の頭目として政治の煩わしさに関わらねばならない労苦もあったのだろう、それゆえ、歌の感性があったにしても、世俗の厳しさと実務の煩瑣に神経が磨り減らされてしまったのだろうと、それでも贔屓目に小生は同情するのだ。 彼が生涯のうちに作った約470首の歌のうち、その半数近くは富山でのものである。鄙の地への左遷に近い境遇にあって、数多くの歌を作ったのも、その頃は彼は未だ若かったからなのだろう。
 やや年を重ねると、(少なくとも記録に残る形での)作歌は乏しくなる。
 それでも、白鳥の歌とでも言うのか、詩想が涸れるのことに本能的な危機感を覚えたかのように、誰もが名歌だという歌を奏でた。鶯かひばりが喉から血を噴きつつも歌うような思いだったのかどうかは分からないが:

 春の野に霞たなびきうら悲しこの夕影に鶯(うぐいす)鳴くも
 我がやどのいささ群竹吹く風の音のかそけきこの夕(ゆふべ)かも
 うらうらに照れる春日にひばりあがり情(こころ)悲しも独りし思へば

  俗に言う「春愁三首」の歌である。
 例えばこのうちの「うらうらに…」の歌については、白川氏も絶賛している:
「雲の中に姿を没して、身を顫(ふる)はせて啼くものは、彼自身の姿ではないか。それは狂おしいほどの、自己投棄の歌ではないか。これほど没入的に、自己表象をなしとげた歌は、中国にも容易に見当たらないように思う。」
 大伴家持については、彼を絶賛する評論家・学者の言葉を集めたサイトがある:
「大伴家持の世界」の中の、「大伴家持頌」である。

 さて、本書は別に大伴家持論の書ではない。彼が『万葉集』を編集したし、自らが重要な歌人として関わっているから言及の対象になっているだけである。むしろ、表記法を含めた、歌の成り立ちの秘密に迫ろうとした書なのだ。
 やはり大本は中国の宮中にあると白川氏は見る。宮中での宴席などで歌人が漢詩を朗々と歌う、その風習が日本に伝わっていると考える。だからこそ、歌なのだ。
 本書で強調されている見方を示唆深いと思う人も多いのではないか。あるサイトの説明を借りよう:
「白川氏は、「大化前から地方族長が宮廷儀礼の場で、忠誠誓約の意味をもって、詩歌や風俗歌を奏する伝統」(土橋寛「万葉集の文学と歴史」)があった、という論を引用した上で、「中国でも『詩経』などが宮廷で演奏されることがあった」という説を展開しておられる。」
 これは、「長沼節夫のチョーさん通信」というサイトの中の、「57577のミッシング・リンク」からの引用である。

 何故に、「57577」なのかを不思議に思った経験を誰しも持ったことがあるのではなかろうか。神話の上では、須佐之男命が、「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を」と歌ったのが短歌第一号だとされるという。
 この須佐之男命というのは、「水野佑氏の『古代の出雲』によると、「新羅系帰化人が斎き祭った神」なのである」と「金達寿著『古代朝鮮と日本文化』」の感想文の中で述べたとおりである。
 表現方法の上では、中国の文化を背負った朝鮮渡来の人々の手になるのだろう。ただ、そこに古来からの日本的な語調や抑揚や発声法の類いが何処まで基盤としてあるのか、それは依然として謎のままなのである。

                                (03/04/15記)

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私の住む茨城県は北海道と並ぶ農業王国である。小学生の頃から畑を走り回っていたこともあって、土への愛着は深い。そんなこともあって、将来、障害児の長男と一緒に土イジリができる農業ビジネスへ参入できればと夢を見ている。... [続きを読む]

受信: 2006/11/17 11:39

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