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2006/11/24

ティオムキンやロシア遥々懐かしき

 昨夜、暇の徒然に(仕事中だったのだが)ラジオ(NHK第1)を聴いていた。
(いきなり余談だが、「聞くと聴くどっちつかずで日々揺れし」なる記事で「聴く」と「聞く」との違いに拘ったが、今、気が付いたことがある。それは、ラジオからの放送を聴く場合は、それが運転中であり、まさしくナガラの聞き方に違いないのだが、「聞く」ではなく「聴く」という表現を選びたくなるということである。目は周囲を注意深く見張っている。五感の大半は聴覚も含め、安全に神経を研ぎ澄ませている。それでいて、耳から入る音楽は、あるいは話も、「聴いている」と書きたいのである)。

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→ 21日の昼間、青山三丁目交差点近くで。青空が鮮やかだったけど、画面では分からないね。

 それは、「五木寛之が語る日本人の愛唱歌」という番組だった。一応は仕事中なので、断片的に聞きかじるしかなかったが、それでも、興味深い話を聴くことが出来た。
 テーマは「“外国生まれの歌” 昭和30年代以降」で、出演者は「作家…五木 寛之/歌手…ペギー葉山/元テイチクエンタテインメント社長…飯田 久彦/【司会】須磨佳津江」の面々。
 番組はニュースを挟みつつ二時間半近くもあり、内容(テーマ)は上記だとしても、多彩に渡っていて、ホンの一部をもメモするのは難しい。

 昭和30年代というのは、小生が物心付き始め、ラジオからの音楽に、さらにはテレビの音楽番組に夢中になった頃に当たる。
 当時は、ドラマも多かったが、音楽番組が全盛となり始めた頃で、何と言っても「シャボン玉ホリデー」を筆頭に挙げないといけない。

 ラジオを除くと、小生の音楽の原点は「シャボン玉ホリデー」(三人娘やハナ肇とクレージー・キャッツ、ザ・ピーナッツ!)にあったといっても過言ではないような気がする。

 ところで、話の中で世界の音楽はそれぞれに影響し合っているという話が五木寛之氏の口からあった。
(ちなみに、本稿の内容とは直接関係ないが、小生には、「五木寛之著『風の王国』」という書評風エッセイがある。)

 正確な話は小生のことだから覚えていない。
 ただ、アメリカ人の音楽の根底にあるカントリーミュージックの(少なくとも)一部はロシアからの音楽家によって齎されたものだという話が興味を惹いたのである。
 アメリカの音楽シーンは多彩だが、中でもカントリーミュージックは表向きは持ち上げられたり、逆に今更…とばかりに敬遠されたりするが(それは、日本の演歌も同様だろう。なんといっても演歌は強い。歌の上手い人が多い。発声が段違い!)、日頃、他の音楽ジャンルにのめり込んでいる人も、一皮向けば、案外とカントリーミュージックが心の琴線に食い込んでいたりする。
 そのカントリーミュージックの、少なくとも一部はロシア人の音楽家(作曲家)の手になる曲の数々の影響を強く受けている、というのである。

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← 21日の夜、東京タワーの袂(たもと)を通りかかった。
 
 肝心な部分は聞き逃した(か、聴き忘れてしまった)が、どうやら、ディミトリ・ティオムキンのことを指しているらしい(ポチョムキンのチョムキン、といった紹介の仕方だったから…。あるいは、元々の名前がポチョムキンだったのだが、アメリカ国籍を取得する段階で「ポ」を取り、「ティオムキン」に改名したのか…)。

ディミトリ・ティオムキン - Wikipedia」によると、「ディミトリー・ティオムキン (Dimitri Tiomkin 、1895年5月10日-1979年11月11日)は、映画音楽の作曲家で指揮者。マックス・スタイナー、 ミクロス・ロージャ、フランツ・ワックスマンとならぶハリウッド映画の作曲家」で、「ウクライナのクレメンチュクで生まれ、ロシアのサンクトペテルブルク音楽院で教育を受ける。1925年にアメリカに移住し、1937年に市民権を取得する」とある。
 彼のアメリカに渡ってからのプロフィールはある程度、詳しいのだが、ロシアでの前半の(特に音楽シーンでの)人生がよく分からない。「東欧の音楽の影響を受けていたが」とあるだけである。
 
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→ 21日の夜、六本木ヒルズのケヤキ坂下交差点近辺で。青色のイルミネーションが今年の流行のようだ。綺麗。でも、夏ならいいけど、冬だと寒々しいような。

 彼が映画音楽を担当した題名リストを眺めるだけでも壮観である。
 が、「彼の代表作といえばアカデミー賞の作曲賞・主題歌賞を受賞したフレッド・ジンネマン監督の『真昼の決闘』(1952年)であろう。またジョン・ウェイン主演の『紅の翼』(1954年)で再びアカデミー作曲賞を受賞した」のだった。
 さらに、「『ジャイアンツ』(1956年)、『友情ある説得』(1956年)、『OK牧場の決闘』(1957年)、『リオ・ブラボー』(1959年)、『アラモ』(1960年)、『非情の町』(1961年)『北京の55日』(1963年)、『ローマ帝国の滅亡』(1964年)」といった西部劇、あるいは西部の石油に絡むドラマの音楽を担当したのだった。
「映画のみならず『ローハイド』(1959年)のようなテレビ番組でも印象的なテーマ音楽を残している」というから驚きだ。
 要するに、映画ファンとは到底言えない小生でさえも、彼の映画音楽は相当程度に耳にしているわけである。

 ディミトリ・ティオムキンの曲は、「マックス・スタイナーミクロス・ロージャフランツ・ワックスマン」らの音楽とは明らかに傾向が違う。

 敢えて分類するなら、カントリーミュージックなのかもしれないが、彼が勉強したクラシックの色彩があるのは別にして、ロシア音楽の匂いが何処かしら漂っている。
 ロシアの音楽といっても幅が広いが、何処か哀愁というか大陸的な叙情が濃厚な気がする(小生の印象に過ぎないかもしれないが)。
 カントリーミュージック特有の、底抜けに明るいような音楽の、焚き火の明かりにも照らしきれない反面の翳りのような部分が変に魅力的だったりする。

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← 21日の夜半過ぎ。都内某所の公園脇。23日は、雨で撮影は失敗したので、21日の分を披露したのです。

 カントリー(&ウエスタン)というと、後の時代に、エンニオ・モリコーネが登場して、やや若い世代の人には、彼の映画音楽の雰囲気が圧倒的にイメージされやすい。
 所謂、スパゲティ・ウエスタンである。
 小生にしても、小学生の頃の映画(西部劇に限っておくと)は、映画館で観るものも、テレビで観るものも、ディミトリ・ティオムキンの音楽の雰囲気だったものが、そういった土壌に、次第に、知らず知らずのうちにエンニオ・モリコーネなどの音楽がふんわりと堆積していったような気がする。

 ネット検索したら、ディミトリ・ティオムキンについて教えてくれるサイト(ブログ)があった:
DRACの末裔による徒然の日々ディミトリー・ティオムキン

 ここに示されたプロフィールを転記したいが、そうもいかないだろう。
「ガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」などに傾倒」とか、「1938 44歳   ヘンリー・ハサウェイ監督の『北海の子 (Spawn of the North) 』 (1938)では、アラスカの舞台を表すのにロシアのポルカやインディアンの音楽を取り入れる。プロコフィエフが注目し、影響を受け『アレクサンドル・ネフスキー』 (エイゼンシテイン監督) で参考にした」など、興味深い履歴(エピソード)の数々。

 アメリカの(西部劇などの)映画音楽が日本の人々にもすんなり受け入れられたのも、作曲者がクラシックなどの素養がしっかりあると同時に、(ポルカなどの)ロシア音楽の色彩があって、親しみやすかったという側面があるのかもしれない。

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コメント

国見様
TBいただきましてありがとうございます。お礼がスッカリ遅れてしまいました。ブログの名前といい中身といいシンクロするところがかなりあるようにお見受けしました。「サンカ」「古代史」「音楽」などの話、興味深く読ませていただきました。小生の義父は富山の福野出身で、絵の勉強に京都に出てきた人でした。時々お邪魔いたしますのでよろしくオン願いいたします。
sawyer

投稿: sawyer | 2006/12/03 18:41

sawyerさん、来訪、コメント、ありがとう。
TBだけしてメッセージをせず、失礼しました。
いつも、書くほうに忙しく、書き終えるとホッとするばかり。
あれこれ書き散らしています。関心が重なる部分があれば嬉しく思います。
互いに刺激し合ってブログを続けられたらと思います。
富山に縁があるとのこと、奇遇ですね。
折々、思い出すことがあったら、また、来訪、コメントなどお願いします。

投稿: やいっち | 2006/12/03 19:59

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