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2006/11/30

ジャズ…時を越え黄金の海を揺蕩へり

 過日、4台の車を洗車する機会があった。
 日頃、運動とはまるで縁のない小生である。
 一台、洗車しただけでも結構な運動であり、草臥れてしまう。

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→ 都内某所にて。枯れ葉が風にゆらゆら揺れていた。「Autumn Leaves」など思い出しながら見ていた……。

The falling leaves
Drift by the window
The autumn leaves of red and gold.

 風に揺れ黄金(こがね)の日々刻む葉よ

 それが、ひょんなことから一気に4台も洗車したのだ。
 洗い終わると、下着は汗でビッショリ濡れていた。洗車というとホースで水をかける、雑巾を洗う、など水を使うので合羽を羽織って作業したので、仕事の負荷もあって余計に汗を掻くことになったのだろう。
 合羽を着たのは、実は思いがけず何台も洗車することになったので、仕事着そのままでやるしかなく、服が水に濡れないためだった。

 さて、4台を洗い終わって疲れきってしまったことは言うまでもない。
 自転車に跨り、颯爽と家路を辿ろうとしたのだが、さすがに漕ぐペダルが重く感じられる。
 あーあ、明日は、疲労困憊で起きられないだろうな。年を取ると疲労は遅れて症状として現れるし。
 その前に、今日は帰ってからも何もする気力がないだろうな……。

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2006/11/29

ハエさんの五月蝿かりしは遠き夢

 昨日のブログの末尾に、「昨日から車内で読み始めた灰谷 健次郎著『兎の眼』(角川書店)に話の小道具として扱われている「ハエ」の話をするつもりだったのだ」と書いている。
 またの機会に書くつもりでいたが、小生のこと、また今度と思っていると、いつになるか分からない。
 なので、鉄は熱いうちに叩けではないが(喩えの使い方が違うかも)、今日のテーマは「ハエ」。

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→ 都内某所の公園にて。少し、紅葉が始まっている…。でも、ちょっと、変。そもそも何の木なのか…。(正解は、頁の下を見てね。)

 この小説は、小生、読み始めたばかりなので、感想は書くとしても先のことになる。
 知っている人も多いだろうが、例えば、「兎の眼 解題  畠山兆子」が本書を知るに参考になるだろう。
 あまり先走っては、これから読もうという方には迷惑だろうから、「物語の舞台は、工業地帯の中にある小学校。地域でも学校でも差別されている塵芥処理場に住む子どもたち、その1人でハエ博士と呼ばれている1年生の鉄三と、新米教師の小谷先生、子どもたちに慕われる熱血教師の足立先生との交流を中心に物語は進む」という概要だけ、ここにメモしておく。

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2006/11/28

海亀やドジなカメとは君じゃなく!

悲しいってわけじゃない、ただ…」と題した記事にヨッピさんに戴いた『カメの日向ぼっこ』を載せたから、というわけでもないだろうが、昨夜半過ぎ、NHKラジオでカメの話を聴くことができた。
「ラジオ深夜便」の中の、「ないとエッセー」というコーナーでのこと。
 テーマは、以下のよう:

  「海亀にロマンを求めて~太平洋2万キロの旅」
             日本ウミガメ協議会会長…亀崎 直樹

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→ ヨッピさんに戴いた『カメの日向ぼっこ』に再登板してもらう!

 仕事中でもあり、ほとんどまともには聞けなかったが、 「海亀にロマンを求めて~太平洋2万キロの旅」というテーマにも示されているように、稀有壮大で、それでいてカメを愛する気持ちが溢れているのが感じられて、久しぶりにちょっとほのぼのした気がする。

 ……、それでも、丁度、仕事も佳境に入っているころなのに、それにしては聞き入っていたなと思ったら、そうだ、忘れ物があって、それを届けるため、肝心の夜中の時間帯に車を回送にしていたのだった。

 夜半過ぎの一時過ぎだったろうか、お客さんを下ろし都心方向へ向けて空車で走っていたら、後部座席から不穏な音が。

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2006/11/27

スクリャービン神秘の扉開けてみん

 過日、車中で何気なくラジオに耳を傾けていたら、ちょっと聴いたことがないような曲調のピアノ曲が聞こえてきた。小生のような音楽音痴には全く未知な雰囲気の曲。
 曲名は聞き逃したが、作曲したのはスクリャービンだという。
 名前だけは小生も聞いたことがある。でも、どんな人物かと問われても全く分からない。

 例によって「アレクサンドル・スクリャービン - Wikipedia」なる頁を覗いてみると、アレクサンドル・ニコラエヴィチ・スクリャービン(1872年1月6日 - 1915年4月27日)は、作曲家としてはもとより、ピアノ演奏家としても、さらに思想や人間的にも極めて興味深い人物だと分かる。
 もう、この頁を読むだけで、十分、楽しめてしまう。彼に付いては、小生如きが付け加える何もない。

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← 一夜を過ごした或る宿。

 ただ、個人的な興味から、「作曲家スクリャービンの誕生」なる項の、以下の一文だけはメモしておきたい:
「かろうじてオクターブをつかむことができたと言われるほど小さな手の持ち主だったにもかかわらず、学生時代の同級生ヨゼフ・レヴィーンらと、超絶技巧の難曲の制覇数をめぐって熾烈な競争を無理に続け、ついに右手首を故障するに至った。快復するまでの間に、左手を特訓するとともに、ピアニストとしての挫折感から作曲にも力を注ぐようになる。右手以上の運動量を要求され、広い音域を駆け巡ることから「左手のコサック」と呼ばれる独自のピアノ書法をそなえた、作曲家スクリャービンの誕生であった。」

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2006/11/26

掌編書いた&サンバ記事引越し

 掌編「今夜も兄ちゃんがやってくる」を書きました。ボクもの(やや幻想味があるかも)。

 無精庵徒然草に所収していた、サンバ関連記事の引越しがほぼ完了。
 → 「無精庵サンバ館
(書評エッセイの館だった、旧「無精庵万葉記」を改装したものです。書評エッセイは残してあります。なお、ホームページその他(メルマガなど)に掲載していたサンバ関連記事は、今冬のうちに、多分、来春までには再掲をしたいと考えております。)

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悲しいってわけじゃない、ただ…

 悲しいってわけじゃない、ただ…

 だだっ広い世界にポツンと一人、放り出されている。
 一人って、自分で言っているけど、自分が一人なのかさえも分からない。
 自分では自分の姿が見えないから。
 迷子になった心が疼いている、ただ、それだけのことなのかもしれない。
 誰かに触れたい。誰かに触れて欲しい。
 何の拘りもなく、ただ、触れ欲しい。触れてみたい。
 たった、それだけのことが、どうしようもなく難しい。

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→ ヨッピさんに戴いた『カメの日向ぼっこ』です。オイラがちっちゃなカエルなら、カメの甲羅で日向ぼっこするんだけど…。

 誰のせいでもなく、私は、やはり、独り、闇の中でポツンと、いる。
 通り過ぎた電信柱に貼られたチラシ、それとも白い壁にペイントされた落書き。
ガード下の薄暗い壁の剥がれ切れないでいる広告。
 私は、そういったものほどにさえ、確かに生きているとは感じられない。

 何を今更と、思う。

 生きていることに何の感懐も抱かずに来たことは、分かりきったことではなかったか。
 心が、分けのわからない淋しさに引き裂けんばかりだったとしても、それだって、やっぱり、今更、何を事々しく喋るんだって、言われかねない、自分に。
 引き千切れて、何処とも知れない遠い空に飛び去った心の欠片。
 闇の壁に頬を擦り切れるほどに押し付けて、そうして寂しさを誤魔化して、それでも、やりきれないものは、やりきれない。
 闇の底に、吐いて、吐いて、もう、吐くものは何もないほどに吐いてみても、胃の腑は裏返りさえしない。闇の穴を埋め尽くすには、俺程度の悲しみじゃ、足りないってこと。

 そう、世界は私には、あまりに茫漠としている。

 世界は決して混沌となど、していない。
 だって、道端の草も、何処かの庭先に零れて垂れる柿の木の枝も、遠くに見える団地のベランダに干された洗濯物も、それぞれに意味があることが理解できないことはないんだから。

 ただ、そうした意味の数々は、私には届かない、私に触れることはないってだけのこと。

 都会の雑踏を足早に歩く。私にはゆっくり歩くような心のゆとりなど、ないから。サッサと歩いて、その場を、行過ぎる。すぐそこにあるショーウインドーの中に飾り付けられた衣裳も、そこここにある居酒屋も、私には立ち入ることの永遠にない世界であることに気付きたくないから。
 まるで用事があって急いでいるような振りをして、行過ぎて、さて、部屋に帰って、私はしばし呆然とする。何の用もない部屋の片隅に蹲って、天井から吊り下がる照明の傘に積もった埃に、ふと、気が付く。今日の自分の発見は、それだけ。

 私がここにいることに気付く人は、誰もいない。もしかしたら窓の外のカーテン越しに揺れる影だけは、私に何事かを囁いてくれるかもしれない、なんて、思って、でも、カーテンを開ける勇気など、私にあるわけもない。
 窓の外の影が揺れるのは、私の心が揺れているから、ただ、それだけの、つまらないお話。そう、部屋の明かりを、未だ点けていなかったんだ。だから、外の空間が内より明るいって、それだけのこと。

 神様がいて、世界を眺めている、そんな気がすることが昔、あったような。

 でも、夜の町を歩けば、何処までもお月様がついてきてくれる、そのようには、私に寄り添ってはくれない。神様は、この世界のあらゆるものに対して平等に接しているんだ。
 神様から見たら、私は、地球の裏側の誰かと同じ一人の人間。遠い昔に死に果てた誰かと同じ人間。いつの日か生まれるかもしれない誰かと同じ人間。 

 それどころか、主を見失って町を彷徨う野良犬と比べたって、私が格別、偉いわけでも愚かなわけでもない。
 否、風に舞う木の葉と比べてさえ、私は見るべき何物でもない。
 それほどに神様の目は、地上を、世界をとことん平等に見つめている。私が私である必要など、何もないのだ。土や埃や風に成り果てたって、気付かないに違いない。

 ああ、私は触れたい。何か、生きるモノに。触れて欲しい、血汐の滾る何物かに。
 人間に触れたい、触れて欲しいなどと贅沢は言わないから。
 気が遠くなるほどに脳髄は動いてくれない。心が朽ち果てて、まるでそよとも風の吹かない夏の日の昼下がりのようだ。
 寂しさの果ての眩暈のする白い一日。
 気が狂わないでいるためには、悲しさを粉微塵に砕いてしまうしかない。それが叶わないなら、せめて凍てついた心を終日、爪で引っ掻いていよう。
 私が生きている実感とは、ガリガリというその感覚のこと。

 私とは、透明すぎる闇なんだ。

                                         (01/11/18作)

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2006/11/25

謎の一日…原爆は誰の手に

 23日の祭日は小生は仕事だった。生憎の冷たい雨の中、車中では次々に移り変わる風景とラジオだけが友達であり慰めである。
 が、ラジオから訃報が聞こえてくるとなると、慰めとは言っておられない。
 それは、『兎の眼』(角川書店)や『太陽の子』などで知られていた児童文学作家の灰谷 健次郎氏の逝去の報。

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← 灰谷 健次郎著『兎の眼』(角川書店)

 彼に付いての話題は、これらの本が話題になった頃から、随分と見聞きしていた。
 が、だからなのだろうか、彼の本を既に読んでしまったような、妙な満腹感・食傷の気味があって、手にする機を逸し、今日に至るまで読んでいない。
 なので、追悼の文を綴るのも憚られる。

 実は、『兎の眼』なる本は所蔵している。何ヶ月か前に拾ってきたのである。刊行された83年当時に誰かが買ったものと思われ、保存の方法に問題があったのか、埃はまだしも、紙魚が一杯。
 歳月が流れ、他の多くの本と一緒に捨てられてしまったのだろう。
 汚れがひどく、手に持つのも躊躇われるような状態の本。
 でも、本の中身に紙魚が影響を与えるわけもない。
 汚いからといって、捨てられもせず。

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2006/11/24

ティオムキンやロシア遥々懐かしき

 昨夜、暇の徒然に(仕事中だったのだが)ラジオ(NHK第1)を聴いていた。
(いきなり余談だが、「聞くと聴くどっちつかずで日々揺れし」なる記事で「聴く」と「聞く」との違いに拘ったが、今、気が付いたことがある。それは、ラジオからの放送を聴く場合は、それが運転中であり、まさしくナガラの聞き方に違いないのだが、「聞く」ではなく「聴く」という表現を選びたくなるということである。目は周囲を注意深く見張っている。五感の大半は聴覚も含め、安全に神経を研ぎ澄ませている。それでいて、耳から入る音楽は、あるいは話も、「聴いている」と書きたいのである)。

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→ 21日の昼間、青山三丁目交差点近くで。青空が鮮やかだったけど、画面では分からないね。

 それは、「五木寛之が語る日本人の愛唱歌」という番組だった。一応は仕事中なので、断片的に聞きかじるしかなかったが、それでも、興味深い話を聴くことが出来た。
 テーマは「“外国生まれの歌” 昭和30年代以降」で、出演者は「作家…五木 寛之/歌手…ペギー葉山/元テイチクエンタテインメント社長…飯田 久彦/【司会】須磨佳津江」の面々。
 番組はニュースを挟みつつ二時間半近くもあり、内容(テーマ)は上記だとしても、多彩に渡っていて、ホンの一部をもメモするのは難しい。

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2006/11/23

永沢光雄氏追悼:男女とは絡み絡まれ赤い闇

 あるブログ(「天にいたる波 永沢光雄」)を覗いたら、今日の記事の題名が「永沢光雄」となっている。
 おや、小生の敬愛する書き手・永沢光雄氏であり、永沢光雄氏というと、彼の出世作であり且つ小生も二度も既に読んだことのある本『AV女優』(文藝春秋)の題名をすぐにも思い浮かべてしまう。
 これは読まずには居られない。
 ブログの内容に付いては、リンク先へ飛んで確かめてもらいたい。

 ただ、彼・永沢光雄氏が11月の1日に亡くなっておられたという厳粛なる事実だけは記しておく。
 以下、彼に関連する…というより、小生らしく彼の周辺を巡るような一文を綴る。

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← 永沢光雄著『AV女優』(文藝春秋)。文庫本版があるが、小生は単行本で出た直後に買った。『AV女優 (2)』(文芸春秋)も買ってすぐに読んだ。

 ネット検索すると、「MovieWalker編集長ブログ 【追悼】永沢光雄「AV女優」「声をなくして」なる頁が見つかった。
(この記事をショパンのCDを聞きながら書いている…。)

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2006/11/22

聞くと聴くどっちつかずで日々揺れし

 黒田 恭一著『はじめてのクラシック』(講談社現代新書〈874〉)を今日、読了した。
 昭和六二年に刊行されたもの。最近、自宅でも音楽付いている小生、聴いたかどうかは別にしてクラシックに関心を持ち始めた中学生の頃の気分(初心と言えるのかどうか、あやういけれど)に立ち返って、というわけではないが、車中で先週来、読んできていた。
 別に小生如きが感想を綴ることもない。

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← 武満徹著『音、沈黙と測りあえるほどに』(1971 新潮社)

 ただ、本書を読んでいて、どうしても気になることがあった。
 あまりに瑣末なことなので、気になっていたし、本書を読了する直前までずっと気障りでもあったけれど、まあ、「はじめてのクラシック」という書名だし、初心者、それも若年層の読者をも意識してのことかなと思っていた。

 それは、「きかれる」とか、「きく」という言葉がずっと一貫して「きく」という平仮名で通されていること。
 初心者、あるいは初学者が読むことを意識してのことなのだろうか…。

「クラシック音楽をきく」という場合、大抵の書き手は、あるいは本(文章)では、例外なく(とまで言うと過度かもしれないが)「聴く」という表記を選ぶ。
 なのに、本書では、たとえば「ききて」という場合でも平仮名で「ききて」なのである。
 常識から考えても、「聞き手」か「聴き手」という表記を選ぶものではなかろうか!

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2006/11/21

週末は音と本とに三昧だ

羮や懲り膾吹く我ありて」に書いたように、月曜日の休みはまったりのんびり過ごした。
 昨日、冷たい雨の中、一時間以上も傘も差さずに(カメラ撮影に傘が邪魔だったから)応援と撮影のため立ち尽くしていたので、その疲労を回復させること、万が一にも風邪を引いたりしないよう、用心に用心を重ねたのだ。
 
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→ 『ブラジル風バッハ/中丸三千繪&ベルリンフィル12人のチェリストたち』(中丸 三千繪、東芝EMI クラシック)。惜しいけど、返却。二十回は聴いたっけ。ボサノバなのかクラシックなのか、ジャズなのか分からない、不思議な世界だった。

 それにしても、日曜日来の雨と寒さは身に堪える。部屋の中に居ても、凍えるような気がする。
 まだ、11月下旬にも入っていないから、暖房を入れるのも早すぎる気がする。
 今、暖房を使ったら、これ以上、寒くなったとき、対処の取りようがなくなってしまう。
 なので、部屋の中では、ひたすら重ね着。それでも、足りないなら、タオルケットを羽織って耐える。

 午後になって雨が上がってきた。薄っすらとだが青空もベランダの窓越しに見える。
 今日は、図書館へ行こう。返却する本などがあるし。

 でも、その前に食事だ。
 冷蔵庫の中を覗く。何もない。

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2006/11/20

羮に懲り膾吹く我のあり

 昨日は、氷雨の中、自転車を駆って東京国際女子マラソンに観戦に行き、しかも、長文のレポートも書いて、小生にしては稼動し過ぎたので、今日はひたすら聖安息日を地で行く生活。
 ここに書くのも、肩から力を抜いた雑文。
 ブログも、緩急自在で行かなくっちゃね。

 というわけでメニューは、「秋菜に塩!」や「灰汁のある人となるには影薄し」に続く「ビタミンな話の食べ物ことわざ辞典」もの。
 案の定、シリーズ化(?)しそう。

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→ 16日(木)、青山墓地でトイレ休憩。快晴で快便だった。森(墓地)越しに六本木ヒルズを遠望。

 今回は、「ビタミンな話の食べ物ことわざ辞典」の「(あ行):朝の果物は金」の番だ。
朝に果物を食べると糖分やビタミンの補給にもなり大変効果があるという意味」だというが、その理屈が分からない。

 ネット検索したら、「朝の果物は金、夜は鉛 今日の健康ひとことり - goo ヘルスケア」という頁をヒット。

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2006/11/19

06東京国際女子マラソン…やるだけのことはやったのだ!

 春ならば花散らしの雨とでも呼ぶような、冷たい雨の中、東京国際女子マラソン観戦に行ってきた。
 昨年も観戦に行き、レポートを書いている。
 そう、昨年は、バイクを駆って行ったのだった:
東京国際女子マラソン…感動のラストシーン

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→ いよいよ先頭がやってくる。なんだか、ドキドキする。

 見られたら分かるように、ちゃんと小生がアトランタオリンピック以来、ファンになっている高橋尚子選手の雄姿を画像に収めることができたのだった。
 晴れていたということもあり、初めてのマラソン観戦を最後の選手が通り過ぎるまで続けていた。

 さて、今年は上記したように霙(みぞれ)になってもおかしくないような冷たい雨が降っていた。
 天気が(マラソン選手にとってもやや辛い)雨模様になることは前日から予想されていた。
 小生、土曜日が仕事ということもあって、観戦は迷っていた。晴れていたら行くかも…、でも高橋選手が出場するし…、雨だったら小生、(観戦を)棄権かな、なんて思っていた。

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2006/11/18

プルースト…明日の記憶文字にせし

 今日、11月18日は『失われた時を求めて』の作家・マルセル・プルーストの亡くなった日である(1871年7月10日 - 1922年11月18日)。
マルセル・プルースト - Wikipedia」によると、「プルーストはパリ郊外のオートゥィユにある母方の伯父の家で、医師の息子として生まれ」た。
「9歳のときに彼は喘息の発作を起こし死にかけた。彼は病弱で、光と雑音に対し時々神経過敏になった。そのため、後にオートゥールの大叔父の家の印象と交じり合って架空の村コンブレーのモデルとなる、イリエの村でしばしば長期の休暇を過ごした」という。
 また、「青春期は社交界のサロンに出入りし、交遊を広げた。この時期のプルーストは、小説を書こうとして果たせず、スノッブ(俗物)そして審美家として名声を博していた。サロンでの経験や見聞が『失われた時を求めて』の重要なモチーフになった」とか。


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→ プルースト著『抄訳版 失われた時を求めて』(鈴木 道彦訳、集英社文庫)

失われた時を求めて - Wikipedia」によると、『失われた時を求めて』は、「第一次世界大戦前後の都市が繁栄した時期・ベル・エポックの世相風俗を描くとともに、社交界の人々の俗物根性(スノビズム)を徹底的に描いた作品でもある」という。
 いつもながら素朴な小生は、プルーストが「ベル・エポックの世相風俗を描く」までならともかく、何ゆえ、「社交界の人々の俗物根性(スノビズム)を徹底的に描」く必要があったのかということに疑問を抱く。
 彼なら、もっと他に描くべき世界がありえたのではないのか。
 彼の俗世間での知見が基本的に社交界や「海岸の療養地、カブール」しかなかったから?

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2006/11/17

タクシー無線のデジタル化へ

 今朝は、会社で明集(仕事が明けて朝から行なわれる集会。それとも夜が明けてだから明集なのか?)があった。
 テーマは、年末に向けての注意事項の銘記と、もう一つは(これが今日のメインだったが)、 「タクシー無線のデジタル化」の話。
 年末に向けての注意事項は、たとえば、例年のことだが、偽札が出回りやすい、タクシー強盗が出るかも、タクシー(ドライバー)にイチャモンをつける悪質な客が多くなってくる…などなど。
 イチャモンとは、お客さんが乗ってドアを閉めた際に、足が挟まった、コートの裾が挟まった、挟まったコートのポケットには高級な(!)眼鏡が入っていて、眼鏡にひびが入った、行く先へのコース選択が気に喰わないetc.である。
 
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→ 「パナソニックの電話受付システム」のモニター画面。

 明集は、昨日からの営業が終わって業務報告を終え(多分7時前)、少々の仮眠を取った8時から始まった。
 上記したように、メインのテーマは「タクシー無線のデジタル化に向けて」のその概要。
 話は、弊社のタクシー部門の課長Y氏がされた。
 さすが、営業で営業先の各社(顧客)へ回っておられるだけに、話がうまいし言語明瞭。声も大きい。
 概して、タクシー運転手も営業所の(少なくとも)所長も、声が大きい(のは何故なのだろう。仕事柄?)。

 徹夜仕事のあとだけに、仮眠も数十分だったし(内緒だが、仕事の最中に合計すると3時間ほど寝ている…寝てしまった!)、頭が動いていたのかどうか危うく、話がデジタル無線全般に渡っていて、そつなく纏める自信がまるでない(しっかり聴いていても、話の大半を聞き逃してしまうのは、受験生時代の自分を振り返ってみれば明瞭なのだ?!)。

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2006/11/16

リベルダージ、新年会を開催!

 リベルダージ、2007年1月14日(日)に新年会を開催!
 今なら、参加し出演(有料)もできる! かも。

●お知らせ!(06/12/06 追記)
 サンバ関連記事はエッセイ・レポートも含め全て、「無精庵サンバ館」へ引っ越しました。あるいは引っ越す予定です。
 本「無精庵徒然草」からの転居は終えています(一部、残したままのレポートもあります)。
 今後、「無精庵越中節」に掲載してた昨年以前の記事類も追々「無精庵サンバ館」に纏めていく予定。
 さらに、従前、ホームページである「kunimi Yaichi's ROOM」に載せ、サイトの容量などの都合で削除せざるをえなかった記事類も、「無精庵サンバ館」に再掲していくつもり。
 予定(希望的観測も含め)では、来年のサンバシーズンまでには本格的に名前のとおりの「無精庵サンバ館」とするつもりでいます。
 サイトへのアクセスが多ければ、サイト主も張り切ってそうした作業を行なえるというもの。
 応援、お願いします。

 

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秋の月…天頂の恵みし光湯浴みする

 某コミュニティ([mixi] )で「月」のトピック(コミュニティ)があり、その中の数あるスレッドの中に「月に祈る」という題のスレッドがあった。
 まあ、半分、仲間内のコミュニティなので詳しいことは書けない。

 そのスレッドに、小生、例によって即興で以下の句を呈しておいた:

天頂の恵みし光湯浴みする

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→ 14日、銀座4丁目の交差点で信号待ち。空が真っ蒼だった!

 句といっても、俳句とも呼べず、川柳というには軽妙さに欠ける。
 意味は、天にあって煌々と照るお月さんの光を、それこそ湯浴みするがごとくにたっぷり浴びる、という他愛もないモノ。

 月を巡っては小生は数々のエッセイを綴ってきた。
 以下、ホームページに載っている中から幾つか示しておく:

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2006/11/15

デイヴィー、メアリー・シェリーを感電させる?!

 車中では黒田恭一著『はじめてのクラシック』(講談社現代新書〈874〉)を読み始めた。
 この頃、図書館から本と共にジャンルを問わず音楽CDを借りてくる習慣が付いてしまった(付くと予感できたので控えていた。音楽は車中の楽しみに取っておきたかったのだ。自宅では書くことと読むこと、寝ることに専念したかったし)。
 大概、CDは2枚、借りてくる。一枚はクラシックで一枚はフォルクローレやボサノバなど、他の分野となっている(そう決めているわけじゃないのだが)。

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← 「テレ朝チャンネル|怪物くん」(原作、藤子不二雄A)

 で、気分はクラシック音楽に親しみ始めた若い頃のワクワク感でちょっと昂揚気味。
 読みやすそうだし、黒田恭一氏の名前、そして同氏の解説はラジオでうかがう機会が多いこともあってだろう、図書館で音楽書のコーナーを物色していたら目に飛び込んできた。
 内容は今更なのかもしれないが、ま、クラシック音楽の世界へ入るいろんな道の一つを辿ってみるのも楽しからずや、である。
 そういえば、火曜日は「NHK-FM ミュージックプラザ 1部 -クラシック-」で、久しぶりにショパン作曲の「幻想ポロネーズ 作品61」(ピアノ:マウリツィオ・ポリーニ)などを聴いたっけ。この曲を聴きながら夢の世界へ、だったのだ。

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2006/11/14

灰汁のある人となるには影薄し

 月曜は、テレビ(NHK)でチャップリンの特集があった。
プレミアム10「チャップリン 世紀を超える」と題されていて、内容は下記:

チャップリンの笑いに迫る貴重な資料がロンドンに保管されている。400巻に上る『チャップリンのNGフィルム』。フィルムは、生みの苦しみにもがく天才喜劇王の試行錯誤を克明に記録していた。さらに番組では、映画「独裁者」の台本の撮影に世界で初めて成功。ヒトラーに映画で敢然と立ち向かったチャップリンの心の内を描きだす。「国境を越え時代を超える笑い」を追い求めた喜劇王チャップリンの心の真実に迫る。

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→ ライムライト(1952・米)

 実は、日曜日の夜から読み始めた本、オリヴァー・サックス著『タングステンおじさん』(斉藤隆央訳、早川書房)の、月曜に読んだ文中で「ライムライト」なる言葉が登場していた。
「ライム(石灰)」なる化学物質の説明の際、チャップリンの「ライムライト」のあのライムであるというくだりがあったのである。

 そんなこともあって、今回のブログは「ライムライト」ならぬ「ライム(ライト)」をテーマにしようと思っていた。
 要するに、「タイトルのライムライトとは電球が普及する以前に舞台照明に用いられた照明器具で、名声の代名詞でもある」ということ、ライムとは石灰だということ、そしてそうした灯りが照らし出す世界をあれこれ描いてみたいと思ったのだ。
 でも、これは、いずれ、チャップリンの映画「ライムライト」を見てから改めて試みようと思い直した。

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2006/11/13

サイト引越し(模様替え)のお知らせ

「無精庵万葉記」(書評エッセイの館)は、「無精庵サンバ館」に模様替えしました(古い書評感想文は残してあります)。
 まさに、サンバエッセイ&レポート、サンバ情報のサイトに特化します。
 これまで書き溜めたサンバ関連記事を徐々に「無精庵サンバ館」に移行していきます。
 既に一部、引越し済みです。

富山とオートバイとタクシーとサンバと音楽エッセイの館」である「無精庵越中節」内のサンバ関連記事も追々引越しする予定です。
 さらにホームページなどに公表し、その後、内容的に古くなるなど、不都合があって削除してしまった記事も、折を見て掲載していくつもり。

 尚、この際に改めて書き添えておくと、小生は、あくまでサンバ(チーム)の一介のファンとしてエッセイを書いたりレポートを公表したりしています。
 つまり、音楽にしろサンバのダンスにしろ、あるいはブラジル文化(ブラジル語)などのサンバの専門家ではなく、あくまで素人の立場で書いております。
 素人であり無知なのは一読すれば分かるでしょうが、敢えて言うと、主にストリート(商店街)でそのパフォーマンスが繰り広げられるサンバを、その沿道から観客として眺め声援しカメラ小僧する立場からの感懐などを書いてきたし書いていくつもりだということ。
 無論、素人だからって、いい加減なことを書くつもりはない。
 ただ、素人のフレッシュな目と、且つある種、過剰な期待の念をも篭めて書いていくつもり。
 これからも、よろしく!

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週末まったり日記(ロクタル管篇)

 土曜の荒れ模様の天気とは一変して、日曜は風が強かったものの、まずまずの空。
 日中は閉じ篭って、「秋菜に塩!」と題した駄文を綴った以外は、読書と居眠りに終始。

 こんな日に閉じ篭りは勿体無い?

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← 柴田翔著『されど われらが日々──』(文春文庫)……。本書を掲げる理由は下記する。

 でも、晴れた外をベランダ越しに眺めつつ、戯文を綴るなんて、考えようによっては贅沢かも。
 ちょっと、無理がある? 
 夕方、すっかり日が落ちた頃になって外出。
 といっても、向う先は、返却する本やCDをバッグに詰め込んで図書館へ。

 先週までと同じような格好で自転車を駆り、出かけたら、風の冷たいこと。
 擦れ違う人も、ジャケットなど羽織っている。
 ほんの一週間で、まるで違う外気温になっている。
 そういえば、日曜には東京でも木枯し一号が吹いたとか。

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2006/11/12

秋菜に塩!

 何か美味しい食べ物はないかと、ネットの海をサーフィン。
 溺れる心配がないから安心して何処までも漂流していけるのが嬉しい…。
 って、とっくに溺れてるって?
 ま、そうかもしれない。
 少なくとも貧乏人には安上がりな遊びだし。
 だからって、ネットに関わっている人がみんな、貧乏ってわけじゃない!

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→ 「物置でカラバッジオ作品発見(時事通信)」 
「エリザベス英女王が所有し、模写と信じられて物置に放置されていた絵画が、イタリアの画家カラバッジオの「聖ペテロと聖アンデレ」と判明。112億円以上の価値があるという(10日)【AFP=時事】 (2006年11月11日 18時30分)」だとか。
 カラヴァッジョについては、断然、ここ!

 勿論、ネットの世界だって、真面目な世界に徹底できるのはいうまでもない。
 小生、駄洒落・戯作・哲学・宗教・科学と、あらゆる可能性を探ってみたいのだ。

 美味しい食べ物を求めて、と思ったけれど、薀蓄が好きな小生、つい道が逸れて「食べ物ことわざ辞典」などを覗いてしまう。
 だって、本当に美味しい店なんか発見した日にゃ、行きたくなっちゃう。
 それは困る。軍資金がないからネットをやっているってのが我輩なのだ!
 
 威張ってどうするって?
 威張ってるんじゃない、開き直っているだけ。

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2006/11/11

虫の息…長き夜を渡りし至福かみ締める

 昨日、金曜日は営業の日。今朝、未明まで仕事。営業しつつも音楽三昧、つまりはラジオ三昧だったのは常と同じ。
会計検査院は10日、国や政府出資法人などの平成17年度決算の検査報告をまとめ、安倍晋三首相に提出した。税金の無駄遣いや不正な経理、国費の執行状況などに関する指摘は総額452億円。このうち137億円は帳簿の正確性を問うもので、事実上の無駄遣いや不正の指摘は昨年より63億円多い277億円だった。件数は昨年よりも約90件多い473件で過去最悪となった」といったニュースに呆れ、今日が例のある児童生徒(?)の自殺予告の11月11日なのだなとか、フリーエージェント宣言のこととか、万波医師らが病気の方の腎移植を行なった事件(事例)とか、77年10月に鳥取県内で失跡した松本京子さんを拉致認定へ(不審な男2人と海岸の方向へ向かったとの知人証言も)とか、あれこれ聴いてあれこれ思っていた。

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→ 11月10日、夜。日比谷公園脇で仮眠。夜空には既に雲がかかり始めていて、月も靄越しで影が薄かった。

 小生、思うに、公正取引委員会や証券取引等監視委員会、また会計検査院などは人数を増やし、機能を強化すべきだと思う。税金の無駄遣いがこの十倍は発見されるに違いない!
 万波医師らが病気の方の腎移植を行なった事例については、腎臓学会が同医師に対しルール破りだと指弾するだけではなく、腎臓の提供が日本では極端に少ないことの問題提起をもっと積極的に社会に訴えかけるべきだと思うし、それ以上に、現に今、腎臓の障害で苦しい思いをしている人には、たとえ応急措置であり、タブーに抵触するような措置であっても、一定のルールのもと、今回の事例を敷衍したらいいと思う。
 医者は患者の病気を治すべき、直せないなら、せめて、症状の緩和を実現すべきだと思うのだ。
 いじめ被害者からの自殺予告の手紙が昨日までに新たに複数、当局に届いているとか。 

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2006/11/10

ロビンソン漂流記…この話侮り難き思い知る

 5日の日曜日に入手した浅草サンバカーニヴァルのDVDとCD(いずれも美麗なケース入り!)のうち、今日は、CD(写真集)をスライドショー形式で眺めた。さすがに専門家が撮っただけあって、表情がいい。また、メンバーを満遍なく撮ろうとしている意図が伺えた。
 なんと、DVDにもだが、CDにも小生の雄姿(?!)が写っている。
 今なら、買えるかも。

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← クレヨンしんちゃん 伝説をよぶ 踊れ!アミーゴ! (配給:東宝)
 余談だが、昨年までのマツケンサンバブームにあやかろうというのか、「クレヨンしんちゃん 伝説をよぶ 踊れ!アミーゴ!」なる映画がこの春に公開されていて、そのDVDは近々発売されるという情報をゲットした。
「待望のシリーズ14弾!今年はサンバでカーニバルだゾ!!」だって!

 火曜日は、鶴岡真弓/鎌田東二編著の『ケルトと日本』(角川選書)を、木曜日は西田治文著『植物のたどってきた道』(日本放送出版協会)をそれぞれ読了した。
 前者は、「蛍光で浮ぶケルトと縄文か」で間接的にだが、触れている。

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2006/11/09

寒ブリかズワイガニか白エビか

 昨夜、車中でラジオから富山の話題が聞こえてきた。
 せっかくなので、若干のことをメモしておく。

 NHKラジオ「ラジオ深夜便」での話で、「日本列島くらしのたより 「富山県高岡市」」と題されていたようだ。
 話では、高岡でも伏木の海沿い(近辺)にお住まいの方のように思われた。
 一つは「冬の雷」という北陸(富山)特有の海の嵐に関係していた。
 何処の海でも冬に海が荒れたら(時化になったら)、冬の嵐であり冬の雷も起きようというもの。
 なのに、何故、富山ではこの現象がラジオその他で採り上げられるかというと、ブリと関係するからである。

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← そろそろ夜が明けようという頃、帰宅の途上、環七を越える陸橋を通りかかったら、朝焼けが…。携帯のカメラなので、画像が少々ぼやけているのが残念。あと、十数分もしたら、水星が太陽面を通過する現象が見られるのだな、なんて思いながらしばし自転車を漕ぐ足を止めて感傷に耽った。この現象の詳細は、「2006年11月9日 水星太陽面通過:国立天文台」参照。

 そう、富山では冬の雷のことを別名、「ブリ起こし」とも称される。何故なら、冬の雷自体は、富山のみならず北陸地方に見られる現象なのである。富山は、富山の冬の名物、ブリ漁に関係するので、別名があるというわけである。

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2006/11/08

週初め週末気分そのままに

週末あれこれ日記(写真持参篇)」で書いているように、5日の日曜日にスタジオに行ったのは、撮り溜めてきた写真を関係者に提供するためであったが、他にも目的があった。
 出来上がった浅草サンバカーニヴァルのDVDとCD(いずれも美麗なケース入り!)を入手するためでもあったのである。
(無論、音とダンスをも楽しみたいという目論見もあったが。)

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→ 6日の日中、皇居のお堀の傍を通りかかった。信号待ちの最中にパチリ。ややどんよりした空。予報では夜には雨だったはずなのだが、実際に降ったのは、翌7日の未明だった。

 そのDVDを7日の夜になって、ようやく見ることができた。とりあえずは、我がチームの分だけ(優勝したバルバロスなどの映像も収録されている)。
 既に書いてあるように、小生、浅草サンバカーニヴァルに付いては、スタッフとして参加させてもらったので、写真はほとんど撮っていない(パレード前のアレゴリアなどを少々だけ)。

 浅草に付いては、以下を参照:
浅草・我がチームは3位! (浅草へ)
浅草・我がチームは3位! (オフ会へ)

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2006/11/07

週末あれこれ日記(写真持参篇)

 早いもので、今年も立冬の候を迎えてしまった。
 早い。早すぎる。小生の足を以てしても追いつけない早さだ。
 念のために説明しておくと、「立冬(りっとう)は二十四節気の1つ。11月7日ごろ。および、この日から小雪までの期間」だという(「立冬 - Wikipedia」からの受け売りである。人は、これを転記とも言うが…)。
 季節の変わり目を思い知らせるようとでもいうのか、折からの強風が列島に吹き荒れている。北陸でも標高の高いところは雪になるかも、なんて昨日の天気予報で言っていた。

 ちょっと昨年の記事を覗いてみたら、「満腹の立冬」などといった訳の分からない題名の季語随筆を綴っている。
 どうして、「立冬」と「満腹」とが一緒に題名に登場するのかと、ズラズラ読んでいったら、なんのことはない内容だった。
 なんだか、同じことを今日もやっちゃいそう!

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2006/11/06

蛍光で浮ぶケルトと縄文か

 日曜日はまたまたスタジオへ行ってきた。いうまでもなく我がサンバエスコーラ・リベルダージ(G.R.E.S.LIBERDADE)の練習拠点である。
 といっても、心を入れ替え初心に帰って練習しに行った…のではなく、これまで撮り溜めた写真を被写体となってくれた方々に貰っていただくために行ったのである。
 去年までの三年分の写真をまとめて持って行ったのだが、手に提げたバッグの重いこと。

 スタジオの受付脇で写真を並べつつ見返してみたのだが、僅か数年でも、チーム全体もだが、チームの面々個々の方の変化に感懐を覚えていた。
 と言いつつ、自身こそ一番、齢(よわい)を覚えているのだが。

 この辺りのことも含め、週末ジタバタ日記を書こうと思った…が、メモしておきたいことがあるので、火曜日辺り、時間が取れたら書くことにする。

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→ 11月3日(金)、渋谷にあるNHKの傍を通りかかったら、凄い人だかり。見ると、不思議な生き物が愛嬌を振りまいている!

 あるいは遅まきながらなのかもしれないが、相変わらずケルト文化への関心が沸き立ったままである。現に今も、「古(いにしえ)の先の先にも人のあり」にて書名だけ紹介しているが、ボブ・カラン著/アンドルー・ウィットソン絵『ケルトの精霊物語』(萩野 弘巳訳、青土社)や鶴岡真弓/鎌田東二編著の『ケルトと日本』(角川選書)などを読み続けている。

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2006/11/05

白川静…日本語は仮名しき漢字の迷宮か

 11月一日(ついたち)、車中でラジオ三昧していたら、不意に白川静氏が亡くなられました、というニュースが飛び込んできた!
10月30日午前3時45分、多臓器不全のため」で、96歳だったという。
 小生如きに漢字研究の第一人者、中国文学者である白川静氏に付いて特別の個人的感懐があるはずもない。
(「Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - <訃報>白川静さん96歳=漢字研究の第一人者、中国文学者」参照。)
 それでも、漢字、仮名、表記、柿本人麻呂と、日本語表現の淵源への関心は少しは抱いてきた。
 そうした関心の赴くところ、柿本人麻呂は別格として、漢字に拘り続けた白川静氏に至るのは当然のことだったろう。

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→ 11月3日、夜半過ぎ、都内某所の公園脇にて。車内から撮ったもの。あと数日(6日の夜か)で満月となる

松岡正剛の千夜千冊『漢字の世界』1・2白川静」なる頁が漢字に付いて、そして白川静氏の業容を知るに素晴らしい。
 特に「第1には、神の杖が文字以前の動向を祓って、これを漢字にするにあたっては一線一画の組み立てに意味の巫祝を装わせたと見ている。これがすばらしい。漢字はその一字ずつ、一画ずつが神の依代づくりのプロセスであって、憑坐(よりまし)なのだ」以下、白川氏の思想をまとめた項だけでも、読んで欲しい。

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掌編を書きました

 オレもの系掌編を書きました:
悪夢ですらなかった!

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2006/11/04

アントニオ・カルロス・ジョビンから西条八十の周辺

 昨日、祝日(金)は仕事だった。日中はそこそこに忙しかったものの、夜に入って暇になり、夜半を越すと、もう身を(車を?)持て余すほどに暇になってしまった。
 本は、室内灯を灯しても薄暗い車内では読むのが辛い。
 となると、頼りになるのはラジオであり音楽である。

 昨日も、幅広いジャンルの音楽を聴いたが、中でも印象に残ったのは、何故かNHKラジオ深夜便の「ロマンチックコンサート」で聴いた「アントニオ・カルロス・ジョビン&リュシェンヌ・ドリール」だった。

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→ アントニオ・カルロス・ジョビン『イネーヂト』(キング)。「ジョビン自身が最も気に入っている作品だと語った名盤。“未発表”という名の傑作」で「1995年に限定盤2枚組として発売されたものを1枚に再編集した作品」だとか。

 特にアントニオ・カルロス・ジョビンが何処か懐かしいような、でも新鮮でもあるような、不思議な感懐を抱きながら聴いていた。
 あるいは、彼の歌とは自覚しないで折に触れて聴いたことがあったからだろうか。

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2006/11/03

グラミン銀行…ユヌスさん銀行の任呼び覚ます!

 車中では、お客さんが乗っていない間は孤独だ。だから音楽だけが友達……なんて書くと、小生の場合は嘘に近い。大体、自宅でも一人きりだし、会話なんてものは成立しない。
 だから、たとえ「どうぞ」でも「忘れ物、ありませんか」でも「ありがとうございました」といった一言だけでも声を発するのは仕事中だけ。
 また、多少なりとも会話があるのも、車中だけ。

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→ 『コンドルは飛んで行く~クリスティーナとウーゴ・ベスト・セレクション』(ユニバーサルインターナショナル)

 その意味で、音楽は常に小生のパートナーであり、唯一のパートナーでもある。
 1日の仕事でも、演歌からピアノの演奏、クラシックから若者の間で(のみ)流行っている曲まで、それこそありとあらゆるジャンルの音楽を聴く。

 無論、実車中はラジオはオフにするか、天気予報・交通情報が流れている場合は、ボリュームを下げて聞く。
 ただ、タクシーは、実車の割合は、20(21)時間の拘束時間のうち、半分以下である。半分(50%)という実車率になったら、営業成績は会社でトップクラスなのは間違いない。

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2006/11/02

スティーヴンスン…松蔭の面影つまる宝島

 拉致問題を政府自民党がNHKに放送を命令するんだって。「菅義偉総務相は24日午前の閣議後の記者会見で、放送法に基づきNHKの短波ラジオ国際放送で拉致問題を重点的に取り上げるようNHKに命令することを、来月8日の電波監理審議会に諮問すると表明した」って。
 建前は、「拉致問題解決に向けて「特定失踪(しっそう)者問題調査会」(荒木和博代表)が北朝鮮向けに流している短波ラジオ放送「しおかぜ」への支援に関して行う措置。「しおかぜ」は昨年10月から、ニュースや家族の手紙、メッセージなどを北朝鮮に向けて流している。放送は海外の電波配信会社に委託しているが、放送委託料などの費用はカンパ。また北朝鮮側が妨害電波を流しており、周波数の変更などを余儀なくされている」というのだけど、変!
 拉致問題の大切さ痛切さは分かる。
 だからといって、事情があろうと、「短波ラジオ国際放送で拉致問題を重点的に取り上げるようNHKに命令する」ってのは、行き過ぎじゃなかろうか。
 あくまで拉致問題を取り上げる時間枠を設けるように指導するだけで、番組内容には干渉しない、だから表現の自由に抵触しないというけれど、そんな理屈が成り立つものか!
 だったら、週に一日は自民党の宣伝をするように命令する。週に二日は政府の広報の番組をやる。残りの四日は与党の面々を紹介する番組を流す。番組内容には干渉しないから表現の自由に抵触していない、ってことになるんじゃないの。
 現政権のタカ派ぶり、人権や表現の自由への無理解ぶりが早くも露骨な形で表面化したってことか。
 怖いねー。

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→ よしだみどり/著『烈々たる日本人 日本より先に書かれた謎の吉田松陰伝 イギリスの文豪スティーヴンスンがなぜ』(祥伝社)

 昨日の仕事は、日中は忙しく、夜半を回ってからは、思いっきり暇となった。一粒で二度美味しいじゃなく、一日で暇と繁忙をめりはりよく体験したわけである。
 さて、昨夜、スティーヴンソンの名がラジオから流れてきた。

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2006/11/01

索引…ソロモンの指環なくとも指絡め

 いつだったか、pfaelzerweinさんのサイト毎月末に索引の頁を設けられているのを見て、そうだ、小生も整理のためにも索引を作ろう、真似しちゃおうと思い立って始めた索引作り。
 ただ、pfaelzerweinさんのサイトでは月末だが、小生は翌月初めにしているのが、ちょっとだけオリジナル?!
 我ながら、こうして纏め、総覧してみると、少しは頑張ったかなと思ったりもする。何の役にも立っていない、という意味で徒労だという見方もありえるけど。

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→ 31日の夜、自宅のベランダから外を見上げたら、くっきりと月影が。一昨日が半月だったようだ。

 ま、何かのためにやっているのではなく、興の赴くまま、あちらへこちらへと日々、ふらついている。
 腰が定まらない?
 かもしれない。
 でも、敢えて関心を分散させ、前に扱った話題は避けるか、そうでなく再度、採り上げるなら、何か新しいメモすべき情報があった場合に限るようにしている。
 自分が知らないことだからこそ、敢えてネットなどの力を借りて日々、調べ書き綴っているのである。

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