« 作曲家・市川昭介氏 死去…演歌とは顔で笑って茨道 | トップページ | 佐伯祐三…ユトリロのパリを愛してパリに果つ »

2006/10/06

飛越地震…「地震」は遭っても「なゐ」とはこれ如何

 小冊子「富山県人」が過日、届いた。
 富山関係の情報がいろいろ載っていて、懐かしかったり、こんなこともあったのか、この人が富山に関係する人だったのか、など、毎月、読むのが楽しみである。
 せっかくなので、久しぶりに富山関連情報を。でも、別頁の地震情報は広く一般にも関心を持たれていい情報をも提供できていると思う。

2005年05月の索引…富山情報…浅野総一郎」の中で、「浅野総一郎の青春を描く映画の撮影が始まった」と伝えていたが、その映画の上映が「ラゾーナ川崎プラザ」にて始まっている。「延長も決まった」という情報を出演している歌手の仲代奈緒さんのブログ「仲代奈緒 オフィシャル・ブログ」で得た(仲代奈緒さんのオフィシャルサイトは「Nao Nakadai Official web site n++」):
九転十起の男 -浅野総一郎の青春- - シネマトゥデイ
 なお、この映画が上映されているのは「ラゾーナ川崎プラザ」内にあるシネコン「109シネマズ川崎」で、そのこけら落としとして上映されているものだとか(「映画:浅野総一郎描いた「九転十起の男」、26日に川崎のシネコンで上映 /神奈川:MSN毎日インタラクティブ」参照)。

T00049312

← 「九転十起の男 -浅野総一郎の青春- - シネマトゥデイ」(監督:市川徹  原作:新田純子) 浅野総一郎役の網本圭吾さん。他に、寺田農、仲代奈緒、武蔵拳、六平直政、高瀬秀司、堀田眞三、伊藤裕子らが出演

 その他、「世界3大バイオリン一同に こしのくに音楽祭(立山町・富山市)」など、メモしておきたいことがいろいろあるが、今日は、「特集 市民も進める黒部市のまちづくり  富山平野守る大事業 常願寺川砂防100周年」に焦点を合わせてみる。
(ちなみに、世界3大バイオリンとは、「バロン・ヴィッタ」「ストラディヴァリ」そして「ニコロ・アマティ」のこと。この音楽祭が富山は立山で開催されるのは、ヴァイオリニストの故シモン・ゴールドベルク氏が「1993年7月19日立山山麓で84年の生涯を閉じ」たことに機縁しているようだ。)

 常願寺川砂防事業というのは、1858年の「「安政の大地震」で、源流にたまった土砂が土石流となって下流に流れ、降雨のたびに富山平野に大災害を起こしたのが発端」という。

「安政の大地震」というと、一般には安政2年10月2日(1855年11月11日)に江戸などを襲った地震を言うようだ。実際、歴史という観点からするとこの安政年間は事件・異変が非常に多かった(安政の大獄、大地震、大洪水、コレラ、麻疹の流行……)。人心が乱れるのも無理からぬものがあった。

 が、ここで言う「安政の大地震」とは、「安政5年に飛越地方を襲った直下型地震」を指し、「常願寺川の源流部・鳶山を大崩壊させ」たのだった。よって飛越地震と呼称されることも多い(以下、「ロンドンで考える「日本の砂防」~松本砂防・立山砂防管内を見学して~ エッセイスト(当センター理事)山田 美也子」を参照する。)
「4.1億㎏の土砂が崩れ落ち、大土石流となって常願寺川下流を襲い、富山平野に押し寄せて多くの人命を奪ったのです。立山カルデラには現在なお約2億㎏の土砂が堆積していて、常願寺川へ流出し続けているそうです。源流と河口の標高差が約3000mもある急流河川の、この『暴れ川』では、安政の大地震の後、洪水・土砂災害が年ごとに激しくなっていきました」という。

「地震から2か月後に起きた2回目の決壊は、真川の堰が崩れたもので、大規模な土石流が発生して常願寺川の下流域を襲い、堤防を破壊したうえ、大洪水となって富山平野を洗い、多数の民家を押し流しました。このとき、洪水とともに運ばれてきた巨大な岩塊は、今も富山平野の各所に点在していて、「安政の大転石」と呼ばれています」など、以下の頁は非常に興味深い:
絵図から情報を汲む 第4回  飛越地震と大鳶崩れ (元NHK解説委員 伊藤和明)
 この頁には、「立山大鳶山抜図」が掲げられている。

Itofig1

→ 「立山大鳶山抜図」 リンク先へ飛ぶと拡大した図を見ることが出来る。

 ちなみに、「地震による斜面災害のひとつとして、山津波の可能性も考えなければなりません。山津波は斜面が崩壊することによって河川が堰き止められて湖ができることにより発生します。水がたまり続けてある限界を超えると堰が耐えられなくなり、堰き止められた水や土砂が一気に下流を襲います。もちろん地震以外の大雨などによる斜面の崩壊でも引き起こされます」ということで、飛越地震による大崩壊に起因する斜面災害も山津波の代表的な事例なのである(「山津波」より)。

 が「安政5年に飛越地方を襲った直下型地震」を指し、「常願寺川の源流部・鳶山を大崩壊させ」たのだった(以下、「ロンドンで考える「日本の砂防」~松本砂防・立山砂防管内を見学して~ エッセイスト(当センター理事)山田 美也子」が詳しいし新しいので、この頁を参照するのが至当だろう。
 なんといっても、150年前の地震の傷跡が今も生々しい、その画像を見ることが出来る! 是非、覗いてみて欲しい(「メディア砂防」)。

 さて、「安政5年に飛越地方を襲った直下型地震は、常願寺川の源流部・鳶山を大崩壊させ」、結果として常願寺川は、日本でも有数の暴れ川と化したのだった。崩壊の規模のあまりの大きさと土砂の多さに、「明治39年に富山県が砂防事業に着手しますが限界があり、大正15年に国の直轄砂防事業となりました。基本は『立山カルデラ内の膨大な不安定な土砂を移動させないこと』」という。

 以前にも書いたが、「常願寺川改修計画のため明治24年、オランダ人技師ヨハニス・デ・レイケが調査に訪れ、合口常西用水や霞堤づくり、河口での白岩川との合流を計画した」という(小冊子「富山県人」より)。
 そもそも富山には明治維新の廃藩置県では石川県の一部だったのだが、「度重なる災害に悩まされ、治水事業予算獲得のため分県し、明治16年富山県が誕生した」といった経緯(いきさつ)がある!

「資材を運ぶためのトロッコを敷設し、カルデラ出口では世界最大規模の砂防工事、白岩砂防堰堤をコンクリートで築いた。昭和14年完成。この砂防ダムは高さ108㍍の日本一を誇り、平成11年には国の登録有形文化財に登録された」という(「富山県人」より)。
 さらに、「現在までに、カルデラ内では堰堤110基、床固め89基を整備するなど、さまざまな工法を組み合わせて、富山平野への土砂災害を食い止めている。砂防工事は今後も続く」とか(同上より)。
常願寺川の砂防事業は今年100周年を迎え」たが、まだまだ続いていくというわけである。

白岩砂防ダム」の勇壮な姿を。
 あるいは、「白岩砂防ダムリニューアル工事」の様子を見る。

「「常願寺川砂防100周年の集い」(主催:富山県、国土交通省立山砂防事務所)が8月25日(金)、富山市の富山国際会議場で開かれ、北側一雄国土交通省大臣、石井隆一富山県知事、地域住民の皆さんなど約800名が出席して開催されました」という(「「常願寺川砂防100周年の集い」が開催されました」参照)。
「「立山砂防の歌」の斉唱」があったとか!

第二部では、砂防事業を紹介した映像「崩れ~大地のいとなみと私たち~」が上映され、ナレーションを務めた富山県出身の俳優 室井滋さん、作家・幸田文氏の孫で作家 青木奈緒さんのインタビューがありました。このなかで室井さんは、「ナレーションを担当するまで、常願寺川が暴れ川だと知らなかった。富山は住みよい町で全国的に有名だが、過去に大きい土砂災害があったことを初めて知った。」と語られました」など、小生は、へえーそうだったのか、である。

 これは関連する別の記事だが、「「立山砂防女性サロンの会」総会、青木奈緒氏による特別講演が開催されました」とか。こういう会もあるってことに小生は驚いた。この会でも、「富山県出身の女優「室井滋さん」がナレーションを務め、安政の大地震による鳶崩れについてCGを駆使して再現した「崩れ」の映像を会場で放映しました」とのこと。

 関連する記事は、既にこれまで書いてきた:
飛越地震があったとか
稲作…自然…櫛
「地震」は「なゐ」という

|

« 作曲家・市川昭介氏 死去…演歌とは顔で笑って茨道 | トップページ | 佐伯祐三…ユトリロのパリを愛してパリに果つ »

映画・テレビ」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

近代・現代史」カテゴリの記事

富山情報」カテゴリの記事

コメント

突然お邪魔してすみません。
浅野、の関係者です。
映画は放映ではなくて「上映」です。
放映はテレビ用語です。
失礼いたしました。

投稿: koei | 2006/10/07 11:38

ご指摘、ありがとうございます。
訂正しました。
「上映」とは、「映画をスクリーンに映して人々に見せること」であり、「放映」とは、「テレビで放送すること。特に、劇場用映画をテレビ放送すること」だとか。
よって現在は絶賛上映中ということ。
何年か経って、この映画がテレビでも放映されるかもね。

投稿: やいっち | 2006/10/07 12:14

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 飛越地震…「地震」は遭っても「なゐ」とはこれ如何:

« 作曲家・市川昭介氏 死去…演歌とは顔で笑って茨道 | トップページ | 佐伯祐三…ユトリロのパリを愛してパリに果つ »