オシアンの夢…目を閉じてこころ澄ませて聴くケルト
26日の営業中、ラジオからブラームスの曲が。夜の小憩タイムとなったので、裏通りに車を止め、仮眠を取る前に、ちょっとだけNHK-FMを選局。
すると、聞こえてきたのは、フルートの曲。どうやら、ブラームス作曲の「ソナタ 第2番 変ホ長調 作品120 第2」らしい。小生は初耳だろうか。学生時代の初め頃、ブラームスばかり聴いていた頃があった(時期によって次々と変わったっけ)。
そのイメージからすると、あの曲は(小生が勝手に作り上げていた)ブラームス像を覆すようなものだった。もう一度、聴いてみたい。
曲調が小生には目新しかったこともあるが、大概は十分も聴けば仮眠モードに入るはずが、なかなか寝入ることができない。あるいは、曲に心が踊らされた?
← 26日・夜。またまた東京タワー。もうすぐその座を墨田区・業平橋地区に建設予定の新東京タワーに譲る。新タワーは、地上610m! だとか。
とうとう、次の曲も聴いてしまった。
それは、フランク作曲(ゴールウェイ編曲)の「バイオリン・ソナタ イ長調(フルート版)」だった(はずだ)。
この曲を最後まで聴いたところで、とうとう仮眠を就ることは諦めて、車を走らせた。
走らせつつ、ライネッケ作曲の「フルート・ソナタ ホ短調 作品167“水の精”から 第2楽章」も聴いていたような。
思えば、これが失敗の元で、夜半を回って、いよいよ夜の仕事が本格化するところで、折り悪く疲れと眠気が襲ってきて、二時間以上もまとめて車中で寝入る結果を招いてしまったのだった。
(以上、記した曲(名)などは、多分だが、「ドイツ・シュヴェチンゲン宮殿ロココ劇場で収録」の、「エマニュエル・パユ演奏会」からのものだったようだ。「(フルート)エマニュエル・パユ / (ピアノ)エリック・ル・サージュ」)
曲を楽しんだのだから、ま、いっか。
残り少なくなったので、鶴岡 真弓著『ケルト美術への招待』 (ちくま新書)を自宅で読了。
新書だし頁数も限られているのだが、中身は濃厚だった。読み応えのある大部の本を読了した感じがある。世界の名著シリーズの中の「ガリレオ」をもう一ヶ月に渡って読み続けているのだが、こちらは550頁あるし、ガリレオの論考の凄みをじっくりたっぷり堪能している。
まるで分野の違う本だが、手応えという点では同等かもしれない。
→ オシアンの夢 The Songs of Ossian(Musee Ingres, Mountauban, France フランス、モントレーバン、アングル美術館。説明は下記する。)
さて、『ケルト美術への招待』からは紹介したい記事、メモしておきたい事項がありあまるほどあるのだが、キリがないので、ここでは最後の章「ケルティック・リヴァイヴァル」の中の「「オシアン」ブーム」を転記するに留めておく:
暗い土中から黄金のブローチや聖杯が発見され、あるいは修道院に保管されていた写本の外装の金具が始めて外されるように、本書でみてきた装飾美術に象徴されるケルト文化の輝きが、ヨーロッパ人の目の前に再び姿を現し始めるのは、いまから二〇〇年ほど前のことである。
一七六〇年代にスコットランドの文学者ジェイムズ・マクファーソン(一七三六-九六)の発表した古代ケルトの叙事詩「オシアン」三部作(『フィンガル』一七六二、『テモラ』一七六三、『オシアン』一七六五)が、その最初の契機の一つであった。
「オシアン」の古歌は、スコットランドの高地地方(ハイランド)のゲール語の語り手と、古写本から取材されたといわれる。紀元三世紀ごろのケルトの首領フィン率いる戦士たちの勲(いさお)しと、その衰亡を、息子である盲目のオシアンが竪琴を爪弾きながら歌う哀歌である。霧深い渓谷(グレン)を彷徨うケルトの英霊たちの永遠の生を歌い上げるその歌は、ゲーテをはじめ大陸の前(プレ)ロマン主義の詩人たちに衝撃を与えた。
ゲーテは自ら「オシアン」のドイツ語訳を試みたばかりでなく、『若きウェルテルの悩み』で恋人と最後の別れの場面で主人公にえんえんとその詩を朗読させ、人生への訣別と詩への憧れの渦巻く、自殺する青年の心中を明治させた。あるいは、新古典主義者の画家アングル(一七八〇-一八六七)がロマン主義的な傑作「オシアンの夢」(一八一三年、モントーバン、アングル美術館蔵)を描くことになったのは、叙事詩「オシアン」のヒロイズムに陶酔したナポレオンの注文に応えたものである。あるいはまた、イギリスの風景を愛したドイツ人の作曲家メンデルスゾーンは、スコットランドの西のスタッファ島にある、フィンが住むという伝説の洞窟まで旅し、管弦楽「フィンガルの洞窟」(一八三二年、ロンドン、コヴェントガーデンで初演)を作曲した。
このように、ヨーロッパ規模で旋風を巻き起こした「オシアン」の叙事詩は、「北方のホメロス」と讃えられた。その事実が象徴しているように、スコットランドの文学者による「オシアン」発掘は、ギリシア・ローマの古典文化に劣らない豊かな文化や芸術表現の伝統が北方ヨーロッパにあったことを、人々に再発見させる契機となったのである。
この転記文の前後には、ドルメン、メンヒル、ストーン・サークル、聖ブリギッドの泉、ドルイドなどの話題が載っているが、これはまた別の機会に紹介できればと思う(拙稿「初詣の代わりの巨石文化?」など、参照願えればと思う。)
← イアン・ドミニク画「オシアンの夢」。「スコットランドの氏族 - Wikipedia」より。
「オシアン」については、「妖精物語(オシーン)」なる頁が参考になる。
文中、「1960年に、スコットランド人の教師で後に国会議員に選出されたジェームズ・マクファーソン(1736-96)が、3世紀の詩人オシアンが語った物語として「ゲール語およびエルス語より訳された、古代詩の断章」を発表。62年にはフィン・マク・クールの冒険を描いた「フィンガル」、63年にも同じく英雄詩「テモラ」などを出版した。マクファーソンは、こうした物語詩の素材をすべてスコットランドの高地地方を旅しながら自分で採集したと主張したが、文学の専門家によってその真贋が問われ、彼の死後になって、これら三作品はアイルランドの俗謡の断片を拾って”でっちあげた”創作物語であったという結論が出された」とある。
(この偽作・偽書問題については、「オシァンを巡る様々な評価」が詳しい。)
ただ、そうした真贋問題は別にして、「オシアンの詩集は後世に多大な影響を与え、多くの著名人に愛された。ゲーテやブレイクが誉め讃え、ナポレオンはこのオシアンの詩集を愛読書と断言してセント=ヘレナにも携行した。そして、マクファーソンの本によって一般の人にも「ケルト文化」への興味が高まった点で、彼の功績は大きかったといえる。その後、文学界では正真正銘のケルトの作品を見つけようとする努力が倍加された」のも事実である。
少なくとも、ナポレオンやゲーテらは詩集としての「オシアン」に魅了されたのは否めない事実と言えよう。
「オシアン」については、「徒然なるまままに:オシアン - ロマン主義に多大な影響を与えた叙事詩 -」なる頁が分かりやすく展望・紹介してくれている。
その中に、ナポレオンがアングルに「オシアンの夢」を描かせたとして、続いて、「ナポレオンが英雄熱にうかされていなかったら、エジプト遠征も実現しなかったという想像する作家もいる」と書いてある。
たらればの話をしても意味がないが、なんだか、茫漠たる思いに駆られる。
そういえば、ケルトの古来よりの伝説の一つに「トリスタンとイゾルデ」があるが(ケビン・レイノルズ監督で映画化もされている)、これは、言うまでもなくワーグナーの作曲でも有名。
そのワーグナーのオペラに心酔したヒットラーが、あるいは「オシアン」熱に浮かされてヨーロッパ支配の夢を見てしまったのかどうかは、真相については藪の中の話なのかもしれない(学生時代、小生、一年近くワーグナーのレコードで昼に近い朝を迎えたことがあったっけ…)。
→ アングル「泉」(「インターネット美術館-アングル」より)
「スコットランドの氏族 - Wikipedia」なる項目を読んでいると、それだけでもあれこれ瞑想・妄想に駆られてしまうのだが、文中、「オシアンによる「再生」」という項があり、「18世紀中盤には氏族制度は過去のものとなり、スコットランドにも近代化の波が押し寄せるが、ひとりの詩作家によって劇的な変化がおこった。ジェームズ・マクファーソンの詩集「オシアン」がそれである。1760年に「オシアン」はハイランドに伝わるゲール語民間伝承を再構成して英訳出版したものであったが、その美しさは全ヨーロッパの知識人たちを驚愕させ、ロマン主義の浸透に火をつけた。スタール夫人やシャトーブリアンらは「オシアン」を絶賛し、ナポレオンは愛読書として携行した。未開で野蛮と思われたスコットランドに、ダンテにも劣らぬ崇高で美しい物語が存在したことは、ジャコバイトの敗北で打ちひしがれるスコットランド人たちに新たな誇りをもたらした」と書いてある。
叙事詩「オシアン」の影響下にあった人々を一部、列挙すると、ゲーテ、ブレイク、ナポレオン、ワーグナー、スタール夫人、シャトーブリアン、メンデルスゾーン、(アングル)などなど錚々たる面々が居並ぶ。
(偶然だろうが、この二週間、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を聴き浸っている。小生の部屋には、何度かの引越しにも関わらず、アングルの「泉」の布地の複製ポスターが貼ってある。1981年のアングル展で買ったものだ。四半世紀も貼りっ放しのポスターも珍しいだろう。)
ナポレオンやヒトラーらを駆り立てたもの。それはケルト文化、あるいはヨーロッパ文化の表層の流れを時に逆巻く波と嵐の只中へと変えてしまう自然。常には辺縁の地に追放され、闇の奥に拭い去り封じ込めたはずの自然そのものの逆襲なのではないか。
人間と自然とが截然と分けられるのではなく、人間も際限なく枝や蔦の絡まりあった、生物と無生物とが輪廻する自然の中に飲み込まれている織り込まれた文様の一筋に過ぎないのであって、つまりウロボロスの頭であり尻尾であり本体でもある自然が余所行きに澄まし込んだ人間中心文明への嘲笑、強烈なしっぺ返しなのではないか。
…そんな妄想に駆られたりもする。
でも、エンヤの音楽に聞き入ると、そんな安っぽい妄想より、もっと自然に対して謙虚であるべきなのだと思い直されてくる。
自然の声に耳を傾ける。沈黙の声。宇宙の無音の音。
今は、ただ、そんな音に耳を澄ましていればいいのかもしれない。
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コメント
おはようございます。
まず、おわびです。25日の夜にコメントをいただいていたのですね。今日28日、朝になって気づきました。
当日の投稿に対してしか、コメントを見ないものですから・・・ごめんなさい。
「トリスタンとイゾルデ」の映画みたいですね。私も1ヶ月以上前にチェックしておりました。
投稿: elma | 2006/10/28 06:13
ブラームスの曲はフルートでなくてクラリネットソナタと思われます。ヴィオラでも弾けるように指定されていますので聞き比べを丁度去年の今頃行いました。もし良かったらご覧下さい。
http://kniitsu.cocolog-nifty.com/zauber/2005/10/op1201_2_2a95.html#comments
シュヴェチンゲンは今年のプロですね。私が先ず家探しをした町でした。
投稿: pfaelzerwein | 2006/10/28 07:35
elma さん、こんにちは(いつでも、こんにちは、のやいっちです)。
ブログ(ネット)はマイペースが一番。
コメントもレスも義務じゃなく楽しく、負担にならないようにが、持続するには大切。
小生にしても、コメントを戴いても、仕事柄、まる一日以上、レスを付けられないことが往々にしてありますし。
過去記事でも、そのときは読み流しても、後で読み返したら気になったりすることが時にはある。
小生は人様のサイトを覗くと、過去の記事もザット読むのが癖。自分の関心事に触れる記事が当日ではなく、以前の記事の中にあることが
間々あるから。
「トリスタンとイゾルデ」の映画、小生も観たい。まず、無理だろうけど。自宅のテレビも映りが悪いので(テロップの文字がぼやけているほど)、映像美も映画の大事な要素であることを思うと、我が自宅のテレビでは本気になって映画は観る気がしない。
この頃は、人様のブログの感想で想像を逞しくしていたりする。
そうそう、昨夜もマグリットの特集がNHKテレビであったけど、小生、直前でオフにした。
だって、絵画作品が映っている(はずな)のに、見ても画像がぼやけているんじゃ、イライラするしね。
投稿: やいっち | 2006/10/28 10:47
pfaelzerwein さん、コメント、ありがとう。
ネット検索で小生が聴いたと思われるNHK-FMの番組表を探してみました(以下に当該部分を転記します):
http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/ch.cgi?area=001&date=2006-10-26&tz=night&ch=07
(ここより以下、転記)
07:30
ベストオブクラシック 詳細
- 室内楽週間 -(4)
▽エマニュエル・パユ演奏会
「3つのロマンス 作品94」 シューマン作曲
(11分30秒)
「ソナタ 第2番 変ホ長調 作品120 第2」ブラームス作曲
(21分00秒)
「フルート・ソナタ」 プーランク作曲
(11分59秒)
「バイオリン・ソナタ イ長調(フルート版)」
フランク作曲、ゴールウェイ編曲
(27分22秒)
「フルート・ソナタ ホ短調 作品167“水の精”から
第2楽章」ライネッケ作曲
(3分30秒)
(フルート)エマニュエル・パユ
(ピアノ)エリック・ル・サージュ
~ドイツ・シュヴェチンゲン宮殿ロココ劇場で収録~
<2006/6/7>
(南西ドイツ放送協会提供)
(転記終わり)
なるほど、小生、ブラームス作曲の「ソナタ 第2番 変ホ長調 作品120 第2」と、プーランク作曲の「フルート・ソナタ」とを続けて聴いたので、ごっちゃになって、ブラームス作曲のソナタもフルートだと思い込んでしまったのでしょうか。
とんでもない勘違い、聞き分けの悪い耳です。
せっかくなので調べてみたら、「ブラームスにフルートソナタは無い」というブログを見つけました:
http://brahmsop123.air-nifty.com/sonata/2006/09/post_8a2a.html
記事の内容が面白い。クラシックファンならではの楽しみ?
紹介していただいたサイト(TB分も含め)読ませていただきました:
http://kniitsu.cocolog-nifty.com/zauber/2005/10/op1201_2_2a95.html#comments
参考になったというより、まず、聞き比べは小生には機会がありそうにない。
でも、いずれ、聞き比べまでは無理としても、ブラームスのクラリネットソナタを聴くつもり。
>シュヴェチンゲンは今年のプロですね。私が先ず家探しをした町でした。
ネットを介してではあれ、ドイツに知り合いがいある…。ドイツが一層、近く感じられる。
投稿: やいっち | 2006/10/28 11:12
ご心配無く、耳は大丈夫です。同じコンサートであればフルート用に編曲したアレンジが演奏されています。つまりブラームスには作品120の二曲にはヴァイオリン用編曲が存在して、それを学校の発表会などではフルートで吹くようです。
フルートとクラリネットでは音域による落ち着きが大分違うので、相違は大きいでしょう。
投稿: pfaelzerwein | 2006/10/28 22:55
pfaelzerwein さん、コメント、ありがとう。
やはり、フルートで良かったのですね。フルートはエマニュエル・パユとあるのに変だなと思いつつも、仮眠を取る態勢で居たので聞き間違えたのかと思いました。
今日、土曜日、図書館へ行ったので、ブラームスのヴァイオリン以外の、クラリネットなどの協奏曲を探したけど、見つからず、CDの棚を物色していて、ふと、以前、ラヴェルの「ボレロ」をラジオで聞いて感激したことを思いだし、ラヴェルの「ボレロ」(やムソルグスキーの「展覧会の絵」など)のCDを借りてきました:
http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2005/11/post_7385.html
今もこれを聴いている。もう、4度めかな。これからこれを聴きながら、就寝です。
投稿: やいっち | 2006/10/29 00:29
こんにちは
引用いただき恐縮です。
楽しく読ませていただきました。
今後ともよろしくお願いします。
投稿: ak96 | 2006/10/30 23:41
ak96 さん、TBだけして失礼しました。
この話題に付いて、貴サイトの当該の頁を読むだけで要点が摑めてしまいそう。
「オシアン」は贋作なのだとしても、この叙事詩がある時期まで相当程度に影響を持ったという事実は重いような気がします。
しかも、見方によっては世界史(ヨーロッパ史)にも影響を与えた…あるいは、情熱や意思に裏打ちを与えていたとも言えるようで、世界史の舞台裏の深さを感じます。
逆TB、ありがとう。
投稿: やいっち | 2006/10/31 07:42