宮沢賢治…若き日も春と修羅との旅にあり
「宮沢賢治の童話と詩 森羅情報サービス」の中の、「Kenji Review 400 「秋田街道」「ポラーノの広場のうた」」を読んでいた(以前も書いたが、「まぐまぐ」から配信しているメールマガジン「宮沢賢治 Kenji Review」に登録し購読している)。
その中で、「秋田街道」や「美しいこころの人たち-河本緑石と宮沢賢治」などの小文が紹介されていた。
普段なら、読むだけに留め、賢治の世界の一端に触れてお終いのはずだった。
ただ、たまたまネットサーフィンしていたら、某ブログで、鉱物(石英、水晶)のことが話題になっている。
小生、つい、コメントを寄せたりして。そう、その直前に読んだ賢治と鉱石のことなど思い浮かべながら。
→ オリヴァー・サックス著『タングステンおじさん―化学と過ごした私の少年時代』(斉藤 隆央訳、早川書房刊)
同時に、小生、ふと、そういえば、小生の好きな書き手に(神経科の石…じゃない、医師なのだが)オリヴァー・サックスがいて、彼には彼が子供の頃、金属や化学好きだったことなどを書いた『タングステンおじさん―化学と過ごした私の少年時代』(斉藤 隆央訳、早川書房刊)なる本のあることを思い出したのだった。
本書『タングステンおじさん―化学と過ごした私の少年時代』に付いては、以前、簡単な感想文を書いたことがある:
「レイチェル…島尾敏雄…デュ・モーリア」
が、ここでは、本書の内容紹介から、次の一文を転記しておくに留める:
「「タングステンこそ理想的な金属だ」と、その根拠を力説してくれたおじ、遍在する数の法則を語るおば、真摯に働く医師の両親、発狂してしまった兄。強烈な個性がぶつかりあう大家族にあって少年サックスが魅せられたのは、科学のなかでも、とりわけ不思議と驚異に満ちた化学の分野だった。手製の電池で点けた電球、自然を統べる秘密を元素の周期表に見いだしたときの興奮、原子が持つ複雑な構造ゆえの美しさなど、まさに目を見張るような毎日がそこには開けていた…だが、化学の魅力は、実験で見られる物質の激しい変化だけではない。キュリー夫妻ら、研究に生涯を捧げた人々の波瀾万丈のドラマもまた、彼にとってまばゆいばかりの光芒を放っていたのだ。敬慕の念とともに先人の業績を知るにつれ、世界の輝きはいっそう増してゆく。豊饒なる記憶を通じ、科学者としての原点と、「センス・オブ・ワンダー」の素晴らしさをあますところなく伝える珠玉のエッセイ」。
少年時代に多少なりとも似たような経験を持った人なら、読まずには居られないだろうし、とっくに蔵書の一冊に加えていることだろう。
鉱物とか鉱石とか、あるいはもっと一般的には石への関心というのは(嗜好と言い換えるべきか)、男性の場合、少年時代などに一時期は抱いたことがある人が珍しくはないのでは。
ただ、持続するかどうかとなると、別の話になる。
小生にしても、中学生になる前に手出しすることはなくなっていったような。
どうして、ガキの頃、あれほど魅入られたのか、もう、思い出せない。
鉱石の仲間というわけではないが、石ということなら、化石への嗜好だけは続いているけれど。
さて、鉱石(鉱物)、オリヴァー・サックス(但し、『タングステンおじさん―化学と過ごした私の少年時代』の!)、宮沢賢治と揃うと、若干でもメモしておかないと気がすまない。
← 宮沢賢治『春と修羅』(日本図書センター )
「雫石町ホームページ しずくいし」(「秋田街道、青春夜行」)に戻る。
「雫石町ホームページ しずくいし」の中の、「秋田街道、青春夜行」なる項が(鉱物との関わりという賢治への、ここでの小生の関心事上)興味深い:
高等農林3年の夏、賢治は文学愛好の仲間と同人誌「アザリア」を発刊する。作品の合評会の後興奮冷めやらぬ賢治は、仲間3人と深夜秋田街道(現、国道46号)を歩き出す。
この若さゆえさすらいの旅は、賢治と雫石のかかわりと決定的なものにした。賢治の処女詩集は「春と修羅」。その冒頭を飾るのは街道筋に望む。七つ森を詠んだ「屈折率」である。雫石の情景が、いかに賢治の心に焼きついていたか。そんな思い強く感じられるできごとである。
文中、七つ森を詠んだ「屈折率」という作品が登場する。
「宮沢賢治の童話と詩 森羅情報サービス」の中の「屈折率」(「心象スケッチ 春と修羅」参照)から、その詩を転記させてもらう(「脚夫〔きょくふ〕」のルビはこれでいいのか?)。
屈折率七つ森のこっちのひとつが
水の中よりもっと明るく
そしてたいへん巨きいのに
わたくしはでこぼこ凍ったみちをふみ
このでこぼこの雪をふみ
向ふの縮れた亜鉛〔あえん〕の雲へ
陰気な郵便脚夫〔きょくふ〕のやうに
(またアラッディン、洋燈〔ラムプ〕とり)
急がなければならないのか
「亜鉛〔あえん〕の雲」!
小生のような凡人だと、鉛色の空(とか雲)といった比喩表現までは思い浮かぶが、何故に「亜鉛の雲」なのだろう。
「鉛」と「亜鉛」とでは、金属(鉱物)として、外見がどのように違うのだろう。
鉱物の手触りや色合いに知悉していないと、咄嗟には思い浮かばない表現ではある。
でも、そんなことが問題なのではない!
何か茫漠としたような、前途遼遠たることに初めから溜め息付いているような、不思議な感じが漂う。
亜鉛の雲へ向わなくたって、足下の、あるいは頭上の森や土や空や川を仔細に眺め入るなら、それでもう、謎と夢と不思議とが無尽蔵に埋まっている、沈黙の声を発しているではないか。
青春の旅路に出ようという矢先に、賢治の感性は既に不可思議の領野は遠きに求めなくとも、足下にこそあると強く嗅ぎ取っていたのではなかろうか。
けれど若く滾る血は前へ前へと急きたてる。
足枷を嵌められつつ前進する?!
これって、ある意味、天才的な感性の悲劇?
→ 「いろいろな鉱物」(「鉱物 - Wikipedia」より)
「宮沢賢治学会イーハトーブセンター」の中の、「宮沢賢治学会・セミナー報告集 1991年冬季セミナー報告(要旨)」なる頁の冒頭に、「屈折率」についての分析(要旨)が載っている。
「「詩人としてよりはサイエンチストとして認めていただきたい。」という宮沢賢治の述懐には、『春と修羅』第一集は「サイエンス(仏教の「智」までも包含する広義のサイエンス)レポート」として書いたといいう自負があったのではないかと思います。本講では、そういう観点からいくつかの作品を取り上げて読んでみたいと思います」として、以下のように説明されている:
「冒頭の 「屈折率」 は、心の屈折率でもあるのでしょうが、賢治はこの七つ森付近の光景を、<屈折計>の視野とオーバーラップさせて見たのではないでしょうか。テキストの図は、賢治が座右の書とした片山正夫の『化学本論』からコピーした<プルフリッヒの屈折計>です。この計器は、プリズムを通過する光線の屈折によって、上方が暗く、下方が明るい、その境界の角度を測って屈折率を出すのですが、ちょうど下が水の中よりもっと明るい真白な雪の原、上が亜鉛色の雲という、冬の七つ森あたりで時に見られるのと同じような視野を示すのです」
この辺りは、七つ森付近の実際の光景や<屈折計>などを手に確かめないと、なんとも言えないが、興味深い話なので、メモしておく。
賢治作品の中の鉱物(鉱石)というと、例に挙げるのも迷うほどにある。
例えば、同じく「心象スケッチ 春と修羅」から、「真空溶媒」なんて詩はどうだろう(但し、長い詩なので、一部だけ!):
真空溶媒融銅はまだ眩〔くら〕めかず
白いハロウも燃えたたず
地平線ばかり明るくなったり陰〔かげ〕ったり
はんぶん溶けたり澱んだり
しきりにさっきからゆれてゐる
おれはあたらしくてパリパリの
銀杏〔いてふ〕なみきをくぐってゆく
その一本の水平なえだに
りっぱな硝子のわかものが
もうたいてい三角にかはって
そらをすきとほしてぶらさがってゐる
けれどもこれはもちろん
そんなにふしぎなことでもない
おれはやっぱり口笛をふいて
大またにあるいてゆくだけだ
いてふの葉ならみんな青い
冴えかへってふるえてゐる
いまやそこらはalcohol瓶のなかのけしき
白い輝雲〔きうん〕のあちこちが切れて
あの永久の海蒼〔かいさう〕がのぞきでてゐる
それから新鮮なそらの海鼠〔なまこ〕の匂
ところがおれはあんまりステッキをふりすぎた
こんなににはかに木がなくなって
眩ゆい芝生〔しばふ〕がいっぱいいっぱいにひらけるのは
さうとも 銀杏並樹〔いてふなみき〕なら
もう二哩もうしろになり
野の緑青〔ろくせう〕の縞のなかで
あさの練兵をやってゐる
うらうら湧きあがる昧爽〔まいさう〕のよろこび
氷ひばりも啼いてゐる
そのすきとほったきれいななみは
そらのぜんたいにさへ
かなりの影〔えい〕きやうをあたへるのだ
すなはち雲がだんだんあをい虚空に融けて
たうたういまは
ころころまるめられたパラフヰンの團子〔だんご〕になって
ぽっかりぽっかりしづかにうかぶ
地平線はしきりにゆすれ
むかふを鼻のあかい灰いろの紳士が
うまぐらゐあるまつ白な犬をつれて
あるいてゐることはじつに明らかだ
読むだに、いい意味で酩酊しそうな詩である。
どうして、このような透明感溢れる詩が生まれるのか。
自然の不可思議を思うことの好きな小生だが、賢治の不可思議は自然そのもののように思えてならない。
鉱物(鉱石)好きな方のサイトは、「Mineral Union/鉱物同盟」など、ネット上で数知れず見つかる。
小生のような初級者には、「バーチャル未来科学館 地球が産んだ宝物 鉱物・岩石・鉱石:初級」なる部屋がいいかな。
そもそも、「鉱物」と「鉱石」の異同から勉強したほうがいいだろうし。
ここでは、「鉱物 たちの 庭 ★鉱物と鉱石と宝石と結晶と…★」なるサイトを紹介しておく。
このサイト内を巡るだけでも、相当な遠路の、でも楽しい旅になるはずである。
個人的には、「石のしずく target window mineral essay」という頁が好きである。
それとも、「ひと休み」がいいかな。
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コメント
賢治は、万能の人でしたね。今回は地質学者としての面相を捉えたのですね。
東北の土地改良に勤め、よりよい生産ができるようにしたみたい・・・。
砕石工場で、賢治の姿が見られたようです。「イーハトーブ」の幸せのために、生涯をかけて学ばれたようです。すばらしい!このような生き方をしてみたいです…。一番好きなのは「永訣の朝」という詩ですが・・・。「雨にも負けず」も好きですが。
投稿: elma | 2006/10/22 18:42
僕は、“青ぞらのはてのはて”。
ところで、玄米4合は食いすぎですねえ。旧軍標準では1食は米2合だから、まだ控えめな量だったのかな。
投稿: 青梗菜 | 2006/10/23 00:58
elmaさん、コメント、ありがとう。
賢治は、心底、地元のため、人の暮らしが少しでもよくなるためと努めたのですね。
「雨にも負けず」なんて、他の人が詠うと、臭くなるけど、賢治だからこそ、ひたすら真率だと感じる。
「永訣の朝」、いいですね。
わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
で始まる詩も好きだし。
イーハトーブの風景地は、2005年3月2日にたる「国の名勝」に指定されたとか:
http://www.juno.dti.ne.jp/~hanasato/ihatov.html
柳田 國男の『遠野物語』も岩手(遠野)だし、岩手の地を一ヶ月ほどかけてゆっくり歩き回りたいという夢が小生にはあるけど、叶いそうにない。
投稿: やいっち | 2006/10/23 07:22
青梗菜さん、コメント、ありがとう。
さすが選ぶ作品が違うね。
「青ぞらのはてのはて」
http://why.kenji.ne.jp/sonota1/n1074aozora.html
米というと、小生、35歳までは、夕食だけで米2合を毎日、食べていた。しかも、ボリューム満点の肉野菜炒めなどのオカズも併せて。
玄米4合なんて、軍隊ということを思うと、それほどとは思えない。
尤も、そんなたっぷりの食料が与えられたのかと感激する。
投稿: やいっち | 2006/10/23 07:26