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2006/10/04

ビュッフェ…剥き出しの心が見るは心なり

 この記事は、「山川登美子…紅き花胸を焦がして命果つ」同様、既に廃盤となっているらしい、ヴィヴァルディ 『四季』(イ・ムジチ合奏団 バイオリン:カルミレッリ(ピーナ)  PHCP-9001 1993年5月26日発売 マーキュリー・ミュージックエンタテインメント)を聴きながら書いている。
 実際に買ったのは95年末か96年頃だったように思う。
 部屋の整理をしていて発見。他にも数枚、懐かしいCDたちと再会!
 たまには、部屋の掃除や片付けなどもするものだ。
 近く、今のADSLを「光」に変更する。ああ、また、部屋の大整理という大仕事が待っている!

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→ セリーヌ 著『夜の果てへの旅』(生田 耕作訳、中央公論新社)

今日は何の日~毎日が記念日~」を覗くのがこのところの習いみたいになっている。
 早速、「10月4日 今日は何の日~毎日が記念日~」を開いてみると、「古書の日」、「天使の日」、「いわしの日」、「陶器の日」などなど、いろいろある。
「天使の日」は、「婦人下着メーカーのトリンプインターナショナルジャパンが2000(平成12)年に、同社の製品「天使のブラ」の1000万枚販売達成を記念して制定」というが、小生は「「てん(10)し(4)」の語呂合せ」に絶句。負けた。小生にはちょっと思い浮かばない語呂合わせだ。

 こういう語呂合わせが許されるなら、たとえば、「10月4日」を「とうし」と読み、「とうし → とうひ」と転訛させて、「頭皮の日」としたらどうかと思ったりもする。
 尤も、「頭皮の日」で何を記念するのかは、自分でも分からない。あるいはウイッグ(カツラ)の日とするとか。

「いわしの日」も、「「い(1)わ(0)し(4)」の語呂合せ」というが、やや苦しくはないか。
「陶器の日」は、「古代日本で、陶器を「陶瓷」と言っていたことから、「とう(10)し(4)」の語呂合せ」というが、これは、素養がない限り、絶対に為しえない語呂合わせだろう。

陶瓷(とうし)」については、「日本の陶器 ~にっぽんのやきもの~」を覗くと、その「陶器の日の由来」の項に「奈良時代、平安時代になってわが国で初めて緑釉、二彩、三彩の釉(うわぐすり)をかけた陶器が焼かれた。当時これを陶瓷と呼び緑釉、三彩など釉瓷の製作、技法については正倉院文書の「造仏所作物帳」に、天平5年(733年)から1ヵ年にわたって行われた興福寺・西金堂の造営にかかる記録が残っているが、それに造瓷に関する部分がかなり詳しく載っている」などと記述されている。

 10月4日を忌日とする歴史上の有名人も少なからずいる。かのレンブラントをはじめ、マックス・プランク、ジャニス・ジョプリン(27歳でヘロインによるショック死!)、東海林太郎、高野素十、保田與重郎、グレン・グールド、ベルナール・ビュッフェ……。

 この中の誰をも採り上げてみたくなる。
 でも今日は、好きな画家であるベルナール・ビュッフェの世界に改めて親しんでみたい。
 まずは、「ビュフェ美術館」に足を運ぶのが順序だろうか。
ビュフェ美術館の軌跡」なる項の冒頭には、「ビュフェ美術館は、フランスの画家ベルナール・ビュフェ(1928-1999)の作品のみを収蔵する美術館として、1973年11月25日に開館しました。建築家の菊竹清訓氏による設計で自然と共存する美術館が誕生したのです。ビュフェの黒い線を連想させる中央部分の三角形の建物の白壁には、ビュフェのサインが描かれ、現代の美術館ならではデザインとなってます」とある。
 画像が載っている。一瞥の値打ちは十分にある。

ビュフェとその作品 現代具象絵画の巨匠、ビュフェ」という頁を覗くと、ビュフェの写真が載っている。
「ベルナール・ビュフェは1928年7月10日、パリに生まれ」、ナチス・ドイツからの解放の年、母を失い、「戦争と孤独と貧窮の中で画家を目指したビュフェ」などとある。
 さらに、「鋭角的なフォルムと強靱な描線、モノトーンに近い色彩による独自の画風を築き上げます。作品は苦悩と不安に満ち、それは第二次世界大戦の荒廃した時代を具現化したとされ、“時代の証人画家”と賞賛されました」とも。
 実際、彼の絵は、素人の目で一見するところ、画面を切り刻むようにザッと、呆気ないほど短時間の間に描かれているような感じを受けるのだが、同時に、どの作品にも彼の個性が強烈に刻み込まれている。

(「ビュッフェ(ベルナール・ビュッフェ Bernard Buffet) 作品 <株式会社シバヤマ>」や「ART GARAPHICS AOYAMA(Gallery)」なる頁がビュッフェの作品の数々を見るに便利である。但し、惜しむらくは、肝心の戦争当時や直後の当時の作品が見受けられない……。)

 実際、「私は絵を描くことしかしらない」という項の冒頭にあるように、「ビュフェは多作の画家」なのである。
 この項の最後にある言葉が印象的である:

 1996年5月、当美術館に版画館がオープンした際に来日。ビュフェの日本訪問の最後になりました。自身の美術館を最後に訪れたビュフェは、次のような言葉を残しています。
「素直な愛情をもって、絵と対話してほしい。絵画は、それについて話すものではなく、ただ感じとるものである。一つの絵画を判断するには、百分の一秒あれば足りるのです」。

 そう、ビュフェの作品は、町角のショーウインドーで、あるいは誰かの家の居間を通り過ぎた際に、ほんの一瞬、見ただけであっても、印象は鮮烈である。
 どんな離れた所から見ても、直ちにビュフェの作品だと分かる。
 もう、それだけでも凄いことだ。

ビュフェとその作品 現代具象絵画の巨匠、ビュフェ」には、上でも転記したように、「作品は苦悩と不安に満ち、それは第二次世界大戦の荒廃した時代を具現化したとされ、“時代の証人画家”と賞賛されました」とある。

 小生など、ナチス・ドイツ占領下のパリというと、ジャン・フォートリエを思い浮かべてしまう(文学だと、なんといっても、セリーヌ 著の『夜の果てへの旅』(生田 耕作訳、中央公論新社)である。小生は中央公論社の「世界の文学」版で読んだのだが、小生にとってはドストエフスキーの『罪と罰』と共に、青春の書である)。
 フォートリエは小生の気になる作家の一人で、「ディープスペース:フォートリエ!」なんて得体の知れない虚構作品を書いたことがあるほどである。

フォートリエ・学芸員の作品解説」によると、「実写的な絵を描いていたが、1928年から抽象的な作風に転じる。第二次世界大戦中は対独抵抗運動に参加し、ドイツ占領下のパリで1940年に〈人質〉の連作を制作する。念入りに厚く塗り重ねた絵の具の物質感と淡い色彩によって、既製の形に頼らず、非定形な形態の中から絵画のマチエールの自発的な働きを引き出すようなその作品群によって、1950年代の戦後ヨーロッパの抽象絵画の源流の一つ「アンフォルメル」の先駆者と見なされた。同時期のアメリカの抽象表現主義に与えた影響も少ない」などとある。

 あるいは、「『カラー版 20世紀の美術』(連載)「7 抽象表現主義からミニマル・アートへ」」なる頁がフォートリエに関連しての絵画の流れを知るに便利である。
「フォートリエの「人質」シリーズは、対独レジスタンス運動の体験に基づいていると言われる。例えば[人質の頭部 20番]では、私たちは、ひび割れた厚塗りの壁のようにぐじゃぐじゃに押しつぶされた顔を見つめることになる。実存主義哲学者ジャン=ポール・サルトルによって「極限状況」と言い表わされる、ぎりぎりの生存状態に置かれた人間の様相が非情にも凝視される」など、興味深い記述が続く。
「フォートリエは、不定形な形態へと人体を抽象化しながらも、あくまで人体へのこだわりを保とうとした。彼は、実存的な生に関わらない既成の具象絵画を退ける一方、物を見ることと現実に根差すことの大切さを充分に承知していた」というのである。

 片や「現代具象絵画の巨匠、ビュフェ」であり、片や「「アンフォルメル」の先駆者」フォートリエ。
 年齢も一世代以上も違うのだが、それでも、戦争が剥き出しにした現実をそれぞれの手法と感性で描き表現したということで、しかも、「物を見ることと現実に根差すことの大切さを充分に承知していた」点において、小生などは、何処か共通するものを感じたりするのである。

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コメント

ビュヒェというと今はなき小田急美術館で回顧展を観たことを思い出します。
独特の鋭い線描写は本当に一目見ただけでこの人の作品とわかりますね、内面に激しいものがあるのでしょうね。
世田谷美術館で週末から「ルソーの見た夢、ルソーに見る夢」が始まりますね、弥一さんご興味あるのではと。
東京新聞主催なので僕は招待券をもらっています、えへへ。

投稿: oki | 2006/10/04 12:45

ビュヒェは、ホント、個性的。鮮烈で尖がった詩情に溢れている。
ルソー、見たい! でも、無理だろうな。
仮に招待券があっても、交通費がない!
ルソー、夢想するばかりです。

投稿: やいっち | 2006/10/05 08:09

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