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2006/10/16

週末ジタバタ日記(フレッツ光へ!)

 以下は、昨日の日記から(の抜粋)。舌足らずな記述(表現)なのは、メモ書きだからということもある:

200610151603325_1

← 龍子記念館に行って来たとき、去り際に撮ったもの。

 今日、日曜日は自転車で散歩。ついでに足を伸ばして龍子記念館へ行ってきた。

 いつだったか散歩の途次、建物の外観は見たし、写真にも収めたことがある。
 その日は、休館日だったので、入館しなかった。来た時間も遅かったし。

 入館し、受付を覗くと誰もいない……。声を掛けると女性の姿が。
 その受付の女性が美人だった。

 最初、展示室内に入ったとき、入場者は小生の他に一人しかおらず、閑散。
 のんびりできていいなと思っていたら、十分もしないうちに数組の方が次々と入館。
 それでも、ゆっくり見て回れた。
 大きな建物ではないので、展示物は一通り見て回っても、すぐに最後になってしまう。
18051
 小生が驚いたのは、本格的な作品より他のこと。
 まず、絵画の色素材の多さ。青や緑)系統に限っても、緑青から群青、藍色など何十種類も。
 それと、彼が十二歳から十四歳の頃に学校で描いた作品の見事さ。
 その旨が断ってなかったら大人になってからの作品と言われても、疑わなかったに違いない。筆の冴えは幼少のころからだったのだ。
 細い線も見事なら暈しの表現も見事。
 今の小生が十年訓練しても、川端龍子の少年時代の域にだって到底、達しない!
 (転記終わり)

 川端龍子については、「川端龍子の世界へ」で多少のことを書いたことがある。
 今度、彼の作品を見ての感想は機会を設けて改めて書くことがあるだろう。上掲のポスターに使われている絵などは馥郁とした感があって気に入った。
 それ以上に、この絵に纏わるエピソードが面白い(これも後日)。
[ネット検索していたら、「川端龍子記念館:マルメロふらフラ散歩」なる頁に遭遇。小生が見逃した龍子記念館の中のアトリエや庭などの画像も載っていて親切。]

 龍子記念館に寄った後は、そのまま図書館へ行くつもりだったが、荷物が増えてしまったので、一旦、自宅へ帰った。
 荷物といっても、実は他の美術館などでの展覧会のチラシなどである。カタログを買いたかったが、本の購入は当面、止めているので図録も断念。

 図書館へは、借りていたCDや本を返却。
 マリンバ-ヴィブラフォン奏者の三村奈々恵さんのCD『プラーナ』(鷲見音右衛門文広/神坂享輔 :Adapter、ソニーミュージックエンタテインメント) やEnya (エンヤ)のCD『A Day Without Rain』(WEA from US, Import)などを返却したのだが、惜しい。機会があったらまた借りる!
 本は、三木清の『人生論ノート』(新潮文庫)と折口 信夫著『死者の書・身毒丸』(中央公論新社、文庫本)とガリレオの本(世界の名著所収)である。
 最後のガリレオの本は、途中なので、再度、借りた(この本の感想は、後日)。

 三木清の本は、高校時代に読み浸ったもので、当時、失恋した頃だったし、センチな気分で思い入れたっぷりに読んでいたことが妙に思い出されたのだった。大部の『読書と人生』(講談社文庫)にも挑戦したっけ。

 折口 信夫の『死者の書』その他にはガッカリした。数ヶ月前にも彼の同書を単行本のもので読んで、まるで印象が残らなかったので、実は今度こそ、彼の世界に浸れるかもと期待していたのだった。
 そう、そのときは、「死者の書」がつまらなかったので、ブログ「「口ぶえ」と折口信夫の性愛」にもあるように、「口ぶえ」なる短編に焦点を合わせて感想を綴ったのだった。
 捲土重来だったのだが、改めて全く面白くなかった。というより、肌合がまるで合わないことを痛感した。
 解説の川村二郎氏は、「死者の書」を絶賛していただけに、自分の読解力が足りないのかもしれないが(川村二郎氏の評論は小生が二十歳前後の頃、朝日新聞の書評欄を欠かさず読んでいて、その頃からのファンなのである)、しかし、つまらないものはつまらない。
 下手すると、訳の分からない感想を書いてしまいそうなので(同性愛のことなど)、すごすご折口ワールドからは撤退。
 あとは、歌人として折口 信夫つまり釈超空に望み(?)をかけるしかない。
 尚、小生には、ブログ「岡野 弘彦著『折口信夫伝』」なる記事もある。但し、この頃は、「死者の書」を全く読んでいない!

 さて借りたものは、ガリレオの本の再借り出しのほか、やや同氏のホントしては古いが鶴岡 真弓著『ケルト美術への招待』 (ちくま新書) 、これは出たばかりの『こころにしみるなつかしい日本の風景―近代の浮世絵師・高橋松亭の世界』(清水 久男:編集、国書刊行会)、CDは、シェール(Cher:「オール・タイム・ベスト・オブ・シェール」)とフェリックス・メンデルスゾーン作曲の「ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 作品64」(指揮:ハイティンク(ベルナルト)、演奏::シェリング(ヘンリック), アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団)である。

 鶴岡 真弓著『ケルト美術への招待』は、エンヤとも関わりのあるケルト文化への関心もあって借りたもので、車中の友として選んだ。

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← フェリックス・メンデルスゾーン

こころにしみるなつかしい日本の風景―近代の浮世絵師・高橋松亭の世界』は、川端龍子のカタログを買えなかったこともあり、彼の図録を探していたら、その近くの書架で偶然、見つけたもの。
 川端龍子の図録は差し置き、『近代の浮世絵師・高橋松亭の世界』を借りてしまった。
 
 小生、「こころにしみるなつかしい日本の風景」というキャッチコピーにすこぶる弱い。浮世絵も、江戸時代のものは勿論だが、幕末から明治、あるいは大正からさらに昭和の初期にかけての、今は失われた日本の風景への郷愁の念が強いみたいなのである。
 小生の生家は、富山駅から歩いても十数分の距離にあるが、生まれ育った頃は、町と呼称されてはいたけれど、ほとんど農村だった。田圃が至る所に広がっていて、各所に農家が数件固まるようにして散在していた。
 農家といっても、既に専業農家は少なく(あるいは皆無だったか)、我が家も含めほとんどが兼業農家だったけれど。
 家の前にも広々と田圃が広がっていたし、舗装されていない細い農道が生活道路でもあった。荷車を引いて各所にある田圃へ向い、庭には野菜類が育ち、ニワトリ小屋があり、馬小屋もあった(小生が物心付く直前に馬はなくなった)。
 そう、肥溜めも健在だった! ポットントイレなのは当たり前である。自前の肥料で自分たちを肥やしていたのだ!

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→ 歌川広重「蒲原夜之雪」 -高橋工房-

 それ以上に我が家の居間(兼茶の間)には襖や壁に浮世絵が貼ってあった。無論、本物ではなかったのだろうが、鈴木晴信、歌麿、広重などの版画(複製)が無造作に貼ってあって、写楽の絵も印象に残っているが、やはり歌川広重の「蒲原夜之雪」なる作品はなんといっても小生の原風景のようにして記憶に刻まれている。
 広重への思い入れについては、別の機会に書くこともあるだろう。
 ただ、広重に傾倒した挙句、十数年前だったか、「東海道五十三次」を新たに刷るということで(保永堂版の復刻)、大枚をはたいて買ったものだった。その頃は、無理すればこうしたものも買えたのだ…。

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← 『こころにしみるなつかしい日本の風景―近代の浮世絵師・高橋松亭の世界』(清水 久男:編集、国書刊行会)

こころにしみるなつかしい日本の風景―近代の浮世絵師・高橋松亭の世界』(清水 久男:編集、国書刊行会)だが、「郷愁を誘う江戸時代の日本各地の風景を、繊細な色彩と情緒あふれる筆致とで味わい深く描き、日本のみならず海外でも高い人気を博す、高橋松亭の浮世絵版画約120点を初めてまとめた、オールカラーの画集」ということで、じっくり眺めるつもりが我慢ができず、昨夜はずっとこの画集に眺め入っていた。

 小生、高橋松亭(1871~1945)なる人物は全くの初耳の人である。あるいは他の場所で見ていたかもしれないが、全く記憶にはない。こんな素晴らしい浮世絵師がいたこと、今となってはそれほど高名でないことに驚きの念を覚える。

 どうぞ、「高橋松亭(弘明)作品より」や「高橋 松亭」などを御覧ください。

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→ 「郷土博物館・特別展「高橋松亭・版画の世界」のチラシ。昨年のもの。もう、終わっている…。失敗した。近所でやっていたのに。このチラシは、「春夏秋冬 摺師の仕事」で発見!

 あああ、時間切れだ。「お知らせ2件」でもお知らせしたように、「ココログフリーメンテナンス実施のお知らせ:2006年10月17日(火)16:00-2006年10月19日(木)16:00」とのことなので、コメント、トラックバックはできないし、記事の更新もできない。
 まして、今日16日に行なわれた「フレッツADSL」から「@nifty光 with フレッツ」への工事の苦労話も書く暇がない(まだ、不完全!)。
 続きは、別サイトの日記欄に書くつもり(但し、ブログの更新はミラーサイトで行なう)。
 では!

[やばい! 勘違いしていた。メンテナンスは、明日17日の16時、つまり午後の四時からだった。今日の午後の四時からじゃなかったのね。ブログの管理人である小生自身が勘違いしていたんじゃ、話にならないね。もっと、じっくり記事を書けばよかった!(当日、夕方追記)]

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