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2006/10/07

佐伯祐三…ユトリロのパリを愛してパリに果つ

 サイト巡りをしていたら、何処かのサイトで佐伯祐三(1898年4月28日 - 1928年8月16日)の話題が出ていた。小生の好きな画家の一人。
 でも、小生如きに新たに語るべき材料もあるはずもない。
 が、佐伯祐三が渡仏する前のことだが、アトリエを中落合に設けたことを知って、ちょっとだけメモしておきたいと思ったのである。
 小生、上京した当初の三年は西落合近辺のアパート暮らしだったので、落合という名前を聞くと、それが野球の落合博満氏であっても、落合恵子さんであっても、耳がダンボになるのである。
ヴォルス…彷徨う線刻の美」参照。

Sionmanju1

→ 相変わらず行動的な紫苑さんに戴いた曼珠沙華の画像です。「プランターに植えていたものが咲いていた」のだとか。曼珠沙華の花言葉 「想うは、あなたひとり」だって!

佐伯は画家としての短い活動期間の大部分をパリで過ごし、フランスで客死した。作品はパリの街角、店先などを独特の荒々しいタッチで描いたものが多い」、そう、小生も思い込んでいただけに、中落合と関係すると聞いては、素通りはできない。
 佐伯祐三の作品は、小生のような絵にも疎い人間が見ても個性的あり、叙情性と独特の孤独感が漂っているのを感じる。

佐伯祐三 - Wikipedia」にも載っているが、佐伯祐三というと、「1924年のある時(初夏とされる)、佐伯はパリ郊外のオーヴェール・シュル・オワーズ(ゴッホの終焉の地として知られる)に、フォーヴィスムの画家モーリス・ド・ヴラマンクを訪ねた。佐伯は持参した自作『裸婦』を見せたところ、ヴラマンクに「このアカデミックめ!」と一蹴され、強いショックを受けたとされる。事実、この頃から佐伯の画風は変化し始める」というエピソードが欠かせないようだ。

 ただ、絵の影響や作風ということになると、フォーヴィスムの画家モーリス・ド・ヴラマンクよりはモーリス・ユトリロを誰しも(小生ですら)思い浮かべてしまう。
50年間にわたりモンマルトルを中心に、パリの詩情あふれる風景を描き続けた画家、モーリス・ユトリロは、少年時代アルコール中毒の治療のため、医師の勧めにより絵筆をとったことがこの道に入るきっかけとなった」というユトリロの作品については、例えば、「西山美術館 ユトリロ館」を覗いてみて欲しい。

 さて、冒頭に「サイト巡りをしていたら、何処かのサイトで佐伯祐三の話題が出ていた」と書いている。その話題とは、「佐伯祐三 - Wikipedia」の末尾に簡単に触れている「2度目の滞仏はそれから間もない1927年(昭和2年)8月からであり、佐伯はその後ふたたび日本の土を踏むことはなかった。佐伯は旺盛に制作を続けていたが、1928年3月頃より持病の結核が悪化したほか、精神面でも不安定となった。同年8月16日、入院中のセーヌ県立ヴィル・エヴラール精神病院で死去した」の、「精神面でも不安定となった」に関係する。

 改めて、「美の巨人たち モーリス・ユトリロ『ラパン・アジル』」を覗いてみて欲しい。
「当時の名だたる画家、ルノワールやロートレックがモデルとして使用するほどの美女」だった母への彼の痛切な思い。「現実の母は恋に忙しく、ユトリロに全く振り向きません。そんな少年の心の隙間を埋めたのがぶどう酒と絵で」、「17歳にしてアルコール依存症で入院したユトリロは、その対症療法として絵を描くことを薦められ」たのだった。
 が、ここには転記しないが、一層、残酷な現実がユトリロを見舞う。その結果、「精神病院に入退院を繰り返し、何度も警察の厄介になり、遂には刑務所にまで入れられ」るわけである。

 そんな人生までもが佐伯祐三の画風や精神に影響したのかどうか、結核に蝕まれ、統合失調症に苦しんだのだった。
 街中を歩く。居たたまれない気持ちだったのだろうか。町を放浪する。行くあてなどなく。見るのはどんよりとした空、寂しげな木立、石畳、土の道、民家の壁…。
 
 壁というと、小生は、ジャン ・ ミシェル ・ バスキアを連想してしまう。路上、野天の落書き野郎
 パスキアの手に掛かれば、モナリザだって、こうなる!

 街中でスプレーで描かれた落書きを見かける。人の家の壁だろうが、歩道橋の側面だろうが、地下道の壁面だろうが、とにかく目立つような適度に大きな面があったなら、迷惑など顧みず、スプレー塗料で、あっという間に書き上げ、逃げ去ってしまう。
 その魁(さきがけ?)がパスキアなのだろうか。
 でも、そんな下卑た連中の魁では決してない。パスキアは空前絶後の人だったのだし。
 持て余す魂。漂白する魂。壁にこすり付けられ傷ついた心。心とは壁の傷。磨り減り光沢も塗装も剥げ落ちた壁の染みにこそ親近感を抱く魂。紫外線に琴線を打ち砕かれて目は街中を泳いでいる。何処にも焦点が合わないのだ。
 小生は、都内などで見かけるスプレー塗料の汚し絵や記号を見ると、反吐が出る。そんなものより、苔生し風雨に剥げた板塀や古びたブロック塀のほうが遥かにましだ。あるいは掃き清められた何処かの有名なお寺の紋切り型の庭を見るくらいなら、蜘蛛の巣が這い、雑草と名のある花とが混在した、碌に掃除もされていない、主(住職?)の居ない、境内なのか駐車場なのか定かじゃないお寺のほうがよっぽどましだ。

 自然とは、人知の限り、人為の限りを尽くした自然らしさのことなのだろうか。
 なるほど、人の手だって自然の一部であることは否めない。それでも、人為の及ばない領域は断然、あると感じる。というより、闇の世界こそが圧倒的にある。その闇の海を、ささやかな灯りを手にしてやっとのこと人は泳いでいるのだ……という感覚を実感している人につい共感する自分が居る。

 話がまるで飛んでしまった。
 そう、街中の民家の壁が人生の壁そのものに感じられる人が確かにこの世に居る。壁一枚向こうには団欒がある?! が、いざ、自分が団欒の輪に加わろうとすると、引き潮の引いていくように和みの空気が萎えしぼんで行く。民家の窓が人の温もりへの窓であり通路であるはずが、その窓のガラスが切なる思いを跳ね返す冷たい壁、泥の壁よりもっと無機質で異次元であることを感じさせる窓に過ぎない、そう感じられてならない類いの人。
 庶民を愛するといいつつ、庶民性とは隔絶した魂を持て余す人。

 あるいは広告。
 広告とは一体、何だろう。人を誘っている? あるいは誘いに乗らない人を拒絶している? 広告ほどにアイロニーに満ちた媒体もないように思える。

 居場所を失った人。
 だからといって、今、ここに居るのも居たたまれない。だから、町を歩く。が、その町には壁が溢れている。
 だとしたら、一体、その人は何処へ向えばいいのだろう。

 ネット検索したら、「佐伯祐三 - 『梁塵秘抄』 または ”わしふぃーるど” - 楽天ブログ(Blog)」なるサイトを発見。ベースは、「『梁塵秘抄』 または ”わしふぃーるど” - 楽天ブログ(Blog)」のようだ。
[他に、本館として「幻泉館日録」があることに8日、気付いた。(06/10/08 記)]
 いや、もう、何も言わない(書かない)。この頁を見つけただけでも、ブログを書こうとした甲斐があったというもの!

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コメント

芸大美術館の「日曜美術館」の展覧会でも佐伯の絵画はありました、画家仲間が佐伯を評したのですが、佐伯の絵は暗いといわれるが、それは佐伯の性格からではなく、描く対象からきていると。
佐伯の作品はほとんどを秋から冬へのパリを描いていて、パリという町は夏と冬ではまったく印象が違うのだ、冬のパリを描いたから暗くなるのだと、まあいろいろな見方がありますね。

投稿: oki | 2006/10/07 22:37

ご来訪並びにカキコありがとうございました。TBさせていただきました。そらにしても2004年12月のブログだったので自分でもビックリしました。なんか懐かしい!正直、この頃はまだ著作権侵害して良いのだろうかなんてずいぶん迷ってました。今は・・・・どこから請求がくるのかしらんって思ってます。ま、各ブログはファンサイトの様なものなので笑って許して!

投稿: CAT-O | 2006/10/08 00:11

僭越ながら、無精庵徒然草をLINKさせていただきました。日々拝読させていただきたく思っております。どうぞよろしくお願いいたします。

投稿: CAT-O | 2006/10/08 00:21

oki さん、作品と作家(画家)とが相関するのは当然ですし、画家と描こうとする対象も相関するのは自然だと思えます。そもそも関心を引く対象を描くのだし。
そもそも関心のある対象のある地へ赴いたのは本人なのですしね。

CAT-O さん、記事をほぼ書き上げてから、貴サイト見つけました。貴ブログの記事を読めば、小生の記事など無用の長物ですね。

著作権を守るのは肝要だと思います。
同時に、ネットというのは、膨大な一面記事になっているとも思っています(パスワードがないと覗けない頁は別にして)。
記事において転記したりリンクしたりするのは、ある意味、その際限なく巨大な一面記事の特定の箇所にスポットライトを当てることに他ならない。
問題は、典拠(リンク)を明記すること。全文をそのまま転記しないこと、商売に結び付けないことなどでしょうか。

小生は転記を多用していますが、必ずリンク(典拠)先を示しており、小生の記事は要するに興味ある人、関心を呼び起された人がその関心に従って一層、深入りしていく契機になればと(も)思っています。
まあ、下手に自分の言葉に置き換えるより、先人の言葉を使わせてもらったほうが、読む方にも味わい深いしね。

LINK、ありがとうございます。ちょっと面映い。でも、嬉しいです。
こちらもリンクさせていただきました。

投稿: やいっち | 2006/10/08 09:17

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『巴里に死す』佐伯祐三併映は!『悲喜劇 佐伯祐三真贋事件』<郵便配達夫(1928)>パリのうらぶれた裏町を憑かれたように描き続け、結核とともに狂気の淵に立ち、わずか30歳の若さで逝った天性の画家・佐伯祐三。パリでヴラマンク、ユトリロらの野獣派の巨匠の影響を...... [続きを読む]

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