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2006/10/27

ケルトとはウロボロスの輪の積み重ね?

 この頃、ようやく自転車通勤に慣れてきたような気がする(期待を篭めて!)。往路、会社に辿り着いたころには疲れきって、一休みする必要があったし、帰路も、家に辿り着くと、倒れるようにロッキングチェアーに体を沈めてしまう、なんてこともなくなった。
 自転車を駆っての町並みを眺める時間が楽しいし、心地いい。

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→ 「ダロウの書」。装飾頭文字(イニシャル)(:University of California, San Diegoが印象的)。
 
 さて、昨日も車中での待機中に鶴岡 真弓著『ケルト美術への招待』 (ちくま新書)を読んでいた…と書きたいところだが、決して忙しいわけではないが、かといって暇というほどでもなく、待機する空車の列に付くと、本の頁を開く間もなく、前車が少しずつ移動していく。
 夜は、日中の営業回数が多かったせいもあって(お蔭様でほとんどが短距離!)か、疲労が蓄積し丑三つ時を過ぎる頃、ちょっと休憩のつもりがグッスリ寝込んでしまって、なんと、二時間も車中で寝てしまった。
 目覚めた頃には、仕事のタイミングを逸してしまっていた!
 
 というわけで(なのかどうか)、昨日もほとんど本を読めなかった。十頁も読めていない。
 最近は、こんな日が増えている。景気が良くなっている徴候?
 でも、売り上げは低迷したままだ!

 それでも、昨日は、上掲書で『ケルズの書』、『ダロウの書』、『リンデスファーン福音書』といったケルト臭がプンプン匂ってくる凄い書物の存在を知った。
 といっても、その中身ではなく、表紙の装飾文様などが凄いのである。

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← 装飾写本「ダロウの書」の渦巻文様!

『ダロウの書』その他は、「装飾写本 - Wikipedia」によると、「装飾写本(そうしょくしゃほん、illuminated manuscript) は多くの場合宗教的なテクスト写本に装飾頭文字(イニシャル)や装飾的な縁取り、装飾頁(カーペット頁)などの華麗な飾りを付けたものである。代表的なスクリプトとしては中世のケルト教会修道僧によって作成されたケルト装飾写本がある」ということで、要は聖書の写本なのだが、その表紙にケルトの華麗な飾り模様や縁取り、装飾頭文字が施されているもの。

 写本一般については、「中世ヨーロッパ彩飾写本図鑑」が充実している。
 ここでは、その中の「中世ヨーロッパ彩飾写本図鑑」、さらにその中の「ヨーロッパ彩色写本図鑑 ケルト篇」を参照させてもらう(ほかの頁も見応えがある)。

ダロウの書」なる頁を覗くと、興味深いコメントを読むことが出来る。『ケルト美術への招待』でも紹介されていたが、エピソードが面白い!

 ダロウの修道院で制作されたこの本は、そのまま修道院内に保管されていましたが、16世紀になりとつぜん紛失しました。
 どこでどうしたものか、一人の農民がこの本を手にいれます。
 彼はこの本が聖書であることはわかったので、牛が病気になると本の上から水をそそぎ、その水を牛にかけ病気が治るようおまじないに使っていました。

 が、小生が驚倒したのは、上に画像を示したが、装飾写本「ダロウの書」の渦巻文様。

 装飾写本「ダロウの書」の動物文様も凄い。

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→ 装飾写本「ダロウの書」の動物文様!

 もっと大きな画像でこれらの文様を眺めると、眩暈してしまいそう。

 順番が違うかもしれないが、「ケルズの書」扉絵のページの文字なのか文様なのか…。そもそもどちらかに決め付けようとすること自体が無意味だと、嘲笑われてしまいそう。

 本書鶴岡 真弓著『ケルト美術への招待』 (ちくま新書)にはもっと興味深い画像が載っているが、ネットで見つけることができなかった。
 文字と文様との入り組んだ目くるめく世界を「ケルズの書」扉絵にて、ほんの少しは垣間見てもらえただろうか。
 そもそも、自然との対比で人間が個的に屹立しているのではなく、人間もあくまで自然の一部なのであり、万有が織り成す複雑怪奇な迷宮の、その装飾のひと筋なのである。ギリシャ文化が人間賛歌の文化であり、人間像が倦まず弛まず作り続けられた、その意味でギリシャ・ローマ文化が常識的な意味で西欧文化の(一つの)淵源であるとしたら、文化潮流の川床には見え隠れしつつ、自然と人間を截然と分離することを論外とする文化・宗教・思想が連綿と続いてきた、その典型の一つがケルト文化だと言えるようだ。

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← 「ケルズの書」扉絵のページ!

妖精のルーツ・ケルトの文化(ケルトの信仰)」という、これまた興味深い頁が見つかった。
 その冒頭に、「古代ケルト人は自然の中に神々を見出し、彼らの力を恐れてドルイド(=druid/神官)と呼ばれる予言者を通じて、数々の供物や生け贄を捧げた。と同時に牛や豚などの家畜、知恵の源泉とされた鮭、唾液に治癒力がそなわっていると考えられた犬なども特別な魔力を持つとされて、信仰の対象となった」とある。
 さらに、「そうしてドルイドは宗教儀式を取り仕切り、供犠をとり行い、神託の解釈を行った。彼らによれば、物質や霊魂は不滅で、人間の魂は転生にゆだねられていると教えた。そうした信仰によって、人々は死への恐怖を乗り越えることができたのである」ともある。
 前段を読む限り、日本など、森羅万象に神々を見る文化と一脈を通じる部分も看取できなくはないが、もっと(別の意味と方向で)徹底している(この点は、別に機会に対比してみたい。気が向いたら、試みる)。

 この圧倒する自然にギリシャ的に打ち勝っていくのではなく、自然への平伏というのか、融合というのか、その以前に不分離的状態を保ちたいと願い祈る文化がケルト文化とも言えそうだ。
 そしてこのことが、上で示した画像群へ繋がるわけである。
 どんな細部にも、その小さな窓を覗き込むと、そこには際限のない深さと多様性がある。尽きることのない迷宮と迷路。

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→ 『ケルト事典』(マイヤー,ベルンハルト【著】〈Maier,Bernhard〉・鶴岡 真弓【監修】・平島 直一郎【訳】、創元社)。小生が今、欲しい本。

 ここにきて、やはり、オランダの画家マウリッツ・エッシャーのことを思い起こさないわけにはいかない。

「エッシャーは建築不可能な構造物や、無限を有限のなかに閉じ込めたもの、平面を次々と変化するパターンで埋め尽くしたもの、など非常に独創的な作品を作り上げた」というが、あるいはエッシャーの精神にケルト文化が噴出したということはないのだろうか。
 オランダ生れのエッシャー。ヨーロッパ大陸の辺縁の地にケルト人は追いやられていったというが、何処か遠い先祖にケルトの血が混じった…、あるいは影響されたということはないのだろうか。

 が、「DUBLIN, TRINITY COLLEGE MS A」に掲載されている画像群を見ると、特に装飾写本「ダロウの書」の渦巻文様の画像などを見ると、エッシャーの諸作品より凄みを感じる。
 もっと鮮明な画像を示したいのだが……。

Ms01686

← 「ケルズの書」より「キリストの頭文字」。「この歴史的な書物は8世紀後半からアイオナ島で制作が始まりましたが、数年後に島がバイキングに襲撃されました。修道士たちは書きかけのこの本を持って命からがら逃げのび、たどりついたのがケルズの修道院だったの」だとか。

 ところで、自分でも分からないのだが、何ゆえ、エッシャーやケルト文化に興味が湧いてならないのだろう。
 ただ、拙稿「ウロボロス…土喰らうその土さえも命なる」でのウロボロスなどと絡ませると、何かが見えてくるような予感がなきにしもあらずなのだが。
 ま、慌てることもない。ボチボチ、ヨタヨタ、探求していこう。楽しみだ!


 エッシャーについては、拙稿「ケルト…エッシャー…少年マガジン」参照。
 現代においても、ケルトアートは生きている。今、生み出されつつあるのだ(やや凄みに欠けるが):
CELTIC ART OF COURTNEY DAVIS

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コメント

「ケルト事典」は私も持っています。
私がエンヤの誕生日説についての考察の参考にした文献の1つです。
(この本の「時間」の項参照)
また、神話や伝説についても色々と解説しています。
また、例えば、Ulsterのケルト名がUlad,Ulaid等や、「里子」の項で、ケルト文化には、子供を他所へ預けて養育する習慣があること(エンヤが寄宿学校へ行ったのも恐らくこれ)等、興味深いことが掲載されています。

投稿: WildChild | 2006/11/08 20:25

WildChild さん、コメント、ありがとう。
「ケルト事典」を持っておられるというのは、さすがですね。羨ましくも思います。
ケルトについては、鶴岡真弓氏の本などをボチボチ読んでいますが、その世界の奥の深さ広さに驚いています。
相当に心して探求しないといけないみたい。

投稿: やいっち | 2006/11/09 07:00

TB有り難うございました。ダロウの書もそうですが、ケルズの書の美しさには、本当に息をのむばかりですね。一度、是非本物を見てみたいと心から思いました。手彩色写本全般に興味がありますが、ケルトの美的感覚には強く惹かれます♪

投稿: alice-room | 2006/11/28 00:24

alice-room さん、来訪、コメント、ありがとう。
TBだけして失礼しました。
ダ・ヴィンチ・コードその他、折々覗かせてもらってます。
昨年来のケルトへの関心で、あれこれ読んでいます。関心の重なる部分があって心強い思いです。
ケルトへの関心の過程で、鶴岡 真弓氏という研究者(書き手)を見つけたのが収穫だったと思っています。
そういえば、鶴岡 真弓氏はダ・ヴィンチの中にもケルト的なものを読んでいますね。ダ・ヴィンチにまさにケルト的な組紐文様風な絵があることを知り、びっくり。
ケルトもダ・ヴィンチも奥が深いですね。

投稿: やいっち | 2006/11/28 09:50

時々、当ブログをご覧頂いているとのこと、どうも有り難うございます。おっしゃる通りダ・ヴィンチ・コード自体は小説ですが、そこの背後にあるものや、キリスト教の中にあるケルト的な要素なども実に興味深いですね(笑顔)。鶴岡氏の本もいろいろありますが、読んでみると初めて知ることや学ばされることがたくさんありますね、ホント。知れば知るほど、本当に奥深いなあ~と同感です。

投稿: alice-room | 2006/11/30 19:20

alice-room さん、来訪、コメント、ありがとう。

ダ・ヴィンチもそうだけど、ケルト文化も何もかも、奥が深い。
ってことは書くネタに困らないってことでしょうが、ま、ゆっくりじっくり楽しんで探求していくのがいいのかもね。

今日のalice-room さんの記事はステンドグラスの話でしたね。偶然でしょうか、今、読んでいる鶴岡氏の本、ちょうどゴシック(教会など)やステンドグラスの話の部分でした。
安っぽいものは見たことがあるけど、本格的なステンドグラスのある建物、見てみたいものです。

投稿: やいっち | 2006/11/30 21:48

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