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2006/10/09

週末ジタバタ日記(前篇…パレード前日)

 この土日月は多くの人にとっては三連休らしいが、小生のような稼業の者には、曜日など関係がなく、決まった日に仕事、決まった日に休日で、この週末は土日が休みで月曜日の振り替え休日は仕事である。
 土日が連休じゃないか、となるが、金曜日が営業日でその日の午前から仕事が始まって、終わるのは土曜日の朝。帰宅したら七時前後となる。以下、クダクダと書くが、土曜日は疲労困憊で終日、寝たきり状態となってしまうのである。
 特に金曜日が忙しいと、その傾向は強まる。
 さすがに三連休の前という事情もあってか、それとも秋の嵐のような風雨のためなのか、今年一番の忙しさだった。息継ぐ間もなく、次から次へとお客さんが乗ってくる。

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→ マリンバ-ヴィブラフォン奏者の三村奈々恵さんのCD『プラーナ』(鷲見音右衛門文広/神坂享輔 :Adapter、ソニーミュージックエンタテインメント)

 嬉しい悲鳴である。小生が今の仕事に携わった95年末から橋本(龍太郎)不況に突入した97年8月以前の時期を思わせる繁忙ぶりだった。
 尿意を催しても我慢、お腹が空いても我慢、まして休みたくても今日ばかりは我慢で、何処かの裏通りの人影のないところを走る機会に、人目のないのを確認して空車の表示を回送に変える。表通りや人の目のあるところで下手に変えると、見ようによっては乗車拒否とも受けとめられかねない。
 空車の車を何処から見ているか知れたものではなく、何処かの柱の陰で風雨を避けながらも、空車の来るのを待っているやもしれないわけである。回送に変更するにも戦々恐々というわけである。
 それでも、体力の無い小生、昼の最中に、夜の八時頃に、そして、さすがに人影の疎らになった丑三つ時の3回、休憩・仮眠を取った。但し、最初の2回はいつもより短め。
 休まないで仕事をすると、風雨の中の営業であるし、注意力が散漫にならないとも限らない。安全と無事が何より優先する。

 というわけで、朝の七時頃に帰宅した時には(言うまでもなく自転車での帰路)、体よりも神経が磨り減ったようで、クタクタになっていた。疲れ過ぎて、すぐには眠れないほどに。
 そもそも睡眠障害がある身なので、眠ってもぐっすりは眠れない。疲れ切っているのだけれど、二時間あまりで目覚めてしまい、しばらくは目を閉じベッドでそのまま横になっていたのだけれど、睡魔が襲って来ず、ベッドを離れ、仕方なく起き上がってしまった。
 ベッドでは眠れなくても、小生にはロッキングチェアーという強い味方がある。しかも、本も。
 そう、本を数頁も読み始めると、何処からともなく睡魔がスイマセンの一言もなく、ドアをノックもせず裏の勝手口から忍び込んでくる。

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← 『ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記―1930‐1932/1936‐1937』(イルゼ・ゾマヴィラ編、鬼界 彰夫訳、講談社)

 実際、土曜日はほとんど終日、ウトウトの連続だった。仮眠・惰眠の合間を縫って、「佐伯祐三…ユトリロのパリを愛してパリに果つ」は書き上げたものの、夕方までまたダウン。
 夕方、図書館で予約していた本が届いていたことや、他に野暮用があって、大好きなロッキングチェアーを離れ、愛車の真っ赤なポルシェならぬ自転車を駆って市街地へ。
 用事を済ませ、図書館で一服。

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→ 折口 信夫著『死者の書・身毒丸』(中央公論新社、文庫本)

 久世 光彦著『夢あたたかき―向田邦子との二十年』(講談社文庫)やエンヤのCD『シェパード・ムーン』(WEAミュージック)などを返却。
 代わりに、『ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記―1930‐1932/1936‐1937』(イルゼ・ゾマヴィラ編、鬼界 彰夫訳、講談社)、折口 信夫著の『死者の書・身毒丸』(中央公論新社、文庫本)、マリンバ-ヴィブラフォン奏者の三村奈々恵さんのCD『プラーナ』(鷲見音右衛門文広/神坂享輔 :Adapter、ソニーミュージックエンタテインメント) などを借りてきた。

『ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記』は、「死後42年たって新発見された幻の日記。『論考』から『探究』へ―大哲学者が書き残した、自らの思考の大転換、宗教的体験、そして苛烈な内面の劇!真の信仰を希求する魂の記録」というもので、貧乏していなかったら、即座に購入していたはずの本である。
 今、ガリレオの本を読んでいるのだが、その本を差し置いて、既に昨夜から読み始めてしまった。

 小生はヴィトゲンシュタインを学びたくて、あるいは原書で読みたくて哲学科を選んだといっても過言ではない。実際、大学で何をしていたかは大概のことは記憶の彼方だけれど、『論理哲学論考』の原書『Tractatus Logico-philosophicus』を読めただけで、学生した甲斐があったと思っている。
『Tractatus Logico-philosophicus』は、小生には宝石の書に感じられている。

 折口 信夫著の『死者の書』は、過日、単行本で読んだばかりなのだが、図書館に立ち寄って書架を巡っていたら(実は、小野 不由美さんの『十二国記』を物色していたのだった。生憎、他の本が数冊あったが、目当ての本はなかった)、同じ書架にあったこの文庫本が目に付いたというわけである。
 ま、再読ということもあるので、車中で折々開くことにするつもり。

 さて、真っ赤で小柄な愛車をゆっくり走らせて途中、コンビニで夕食などを買って帰宅。
 日記を書いたり片付けものなどを済ませ、さて少しは本を読もうかと手にしたのだけれど、呆気なく寝入ってしまって、気がついたらまた二時間ほど経っている。
 シャワーを浴びる。少しは体がシャキッとするかと思いきや、まるでダメ。エンヤやショパンなどのCDをぼんやり聴いているうちに夜半を回って、さて、8日分のブログを書こうかと思ったのだが、やはり体がウンと言ってくれない。
 これじゃ、ダメだと諦め、日曜日は休日だし、慌てることはないと、土曜日から通算して何度目になるか自分でも分からない居眠りにロッキングチェアーで陥っていった。
 目が覚めたのは未明と呼ぶのも早い…あるいは4時前だったろうか。
 ゴミなど階下の所定の場所に置いてきて、外の空気を吸ってみる。月影を探したけれど、建物が建て込んでいる区域なので、道路に出ない限り月が出ていても見えない。
 部屋に戻り、気を取り直し、ブログ作成に着手。
 などと書いてみるが、実際は大概、パソコンに向ってから何を書くか決める。何にするか、なけなしの頭を悩ます。困ったときはネット散策。
 幾つのサイトを巡ったろうか、そのうち、つい先日、あるサイトでウロボロスというシンボルに関連する記事と絵を描いていたのを思い出した。
 そうだ。ウロボロスについて何かメモしよう。十数年の昔、この歴史上の観念でありシンボルであるウロボロスをある短編の中に(効果的に?)使ったこともあったっけ……。
 でも、そのときはあまりウロボロスのことは調べていなかったはずだ。うろ覚えのままに、単にある種のイメージを喚起する力のある土俗性に満ちた、その言葉の魔力に頼っていたに過ぎなかったのだ。

 さて、「ウロボロス」をキーワードにネット検索。めぼしいサイトをピックアップする。何十というサイトを片っ端から見て周り読み流していく。この作業は最低でも一時間は掛かるし、実際に文章を作成し始めても、サイトからサイトへとリンクを伝って飛んで行ったりして、際限のないネットの連鎖に終焉の切っ掛けを見失う場合があったりする。
 逆に、あるサイトに出会ってしまって愕然として、せっかくのデータ類もフイになることもある。
 それは、一つのサイトで完璧なほどに言い尽くされていて、小生に付け入る余地がない場合である。もう、そのサイトをどうぞ御覧くださいの一言でチョンとなる場合が往々にしてあるのだ。
 となると、何をテーマに書くからを含め、もう、最初から全てをやり直しである。

 幸い、自分に何かを付け加える手ごまがあったわけではないのだが、ウロボロスについては最悪の事態を迎えることはなく、なんとか朝の八時過ぎには大よそのことを書き上げることが出来た。参考文献や参考画像もアップ。画像は大事だ。アクセスする人の大半(全てとは思いたくないが)は、文章などすっ飛ばして、画像だけを見ることが圧倒的だろうことは容易に想像できる(自分だって初めて訪れるサイト、それも文章が多めのサイトだと、そうなりがちな一人なのである)。

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← 8日(日)に所沢で催された「所沢まつり」会場で最初に撮った光景。祭りの山車である。

 書き上げ、ミラーサイトも含めアップし終えたのは八時半頃だったろうか。
 ありがたくも戴くコメントへのレスも大事。レスについては手を抜かない。小生のブログのような基本的に文章しかない地味なサイトだと、リピーターは少ない(と思われる)。固定のファンがいるわけでもない(と思われる)。そんな中、敢えてコメントを書いてくれる人は貴重な存在なのだ。
 ある意味、コメントがほとんど唯一の励ましなのである。他に読まれているという徴候は、アクセス数くらいしかないのだし。
 運動会で、マラソンなどで走っている。段々、競技場を離れ、何処かの森の中のコースを走っている。沿道に観客などがいるはずもない。道は間違っていないだろうか。間違えずに走ったとしても、そもそも自分が走り終えて競技場に帰ったときには運動会が終わっていて、観客も係員も競争する相手も、それこそ人っ子一人いないことだって、現実の長距離走にはありえる。心は孤独な長距離走者なのである。
 そんな時、走っている本人の胸中にも、そもそもマラソンにも関係ないことであっても、声援があったら、それだけで頑張れる。エネルギーが湧く。声を出すことの大切さをつくづくと思う。

 日曜日はサンバパレードがあった。ダンサーらは頻りに笑顔を振りまき声を発し、拍手し、観客やパレードの雰囲気を盛り上げようとする。小生など、大概は黙ってカメラ小僧するだけだったのだけど、段々、時折だけど手を振り、奇声を発してみたりする。それが応援になるかどうかは分からないけれど、そうすることの大切さを分からないわけではないのだ。

 さて、ブログを書き終え、コメントへのレスを書き、サイト巡りを終えると、日曜日の九時前になっていた。
 やばい! もう寝ないと。ベッドに潜り込もうとする。今日、日曜日は所沢で我がチームのパレードがあるのだ。
 体が許せば、午後の2時からの会議にも出たいと思っていた。が、正午前後には起きられない。
 そう、ベッドに移る気力さえも萎えている。情けない限りである。ロッキングチェアーから体を動かせない。
 まだ、金曜日の営業の疲れが抜けきれていないのだ。
 とうとう、午後になってもロッキングチェアーで寝入ることに。うつらうつらを幾度、繰り返したことか。チャイムが鳴った。小荷物が届いたのだ。

 変な夢を見ていた。
 バイクで(所沢へ)向うのだが、どんなに走っても現地に近づかない。そのうち、商店街の人混みに遭遇。その中を何故か走る羽目に。どことなく最近、自転車で商店街をも走りぬける機会が増えているので、その時のぶつかるのを避ける感じを連想していた(ような)。
 ああ、もうダメだ。着けない。引き返そう。これだけ頑張ったのだ。それでも現地に辿り着けなかった以上は仕方がないじゃないか。それに、誰も自分が来ることを期待しているわけじゃないのだし……。
 夢で覚えているのはそこまでで、突然、ブチンと現実の事態に断ち切られたというわけである。

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→ 「所沢まつり」でのサンバパレードが終わって、帰宅の途に。パレードコースも閑散。上空を見上げると満月が(実際は土曜日が満月だったようだが)。小生の腕前では満月など満足に撮れないことは分かっているのだけれど、それでも敢えてパチリ。下界の喧騒をお月さんはどう思って見ていたのだろう。いろんなドラマがパレードの中にあったことをお月さんは知っているのだろうか。

 それでも、日曜日の午後の二時過ぎ頃に目覚めた時には、なんとなく気だるさの感覚が薄れている気がする。少しは疲れが抜けたのかもしれない。
 やっとガリレオの本を読んでも内容を理解できる。
 エンヤを聞いたりして、片付け物などをしているうちに午後の四時を回った。パレードは夕方の7時前である。
 6時半までに行くとしたら、4時半には出ないといけない。
 慌ててデジカメを用意し、着替える。サンバのパレードというと熱気ムンムンだが、さすがに10月の上旬である。しかも、場所は所沢。時間は夜。上着は長袖がいいと、土壇場になって気づいて、探すが、見つからない。そのうち、ダンボールの中に何年か前、クリーニングに出し、戻ってきたまま放っておいたシャツを発見。
 やっと外出へ。
 さて、パレードのことは、火曜日か水曜日に書く。そう、月曜日は営業なのである。稼ぎの悪い小生、休むわけには行かないのだ。

 パレードの様子を写した画像群も後で。小生、夜の撮影は苦手。撮った写真の半分は削除の憂き目に。たまに鮮明でも後姿や頭の羽根だけだったり。
 それでも、少しは撮れているようだ。

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コメント

再びお邪魔します。
僕も以前、運転の仕事をしていました。タンクローリーだったのですが、キツかったですねぇ。大型だったので止める場所が限られており、トイレや休憩が予定通りにできないこともしばしばでした。
一度だけ、危うく居眠り運転をしそうになりましたヨ。
どうぞ毎日の運転、お気をつけて。

投稿: リベラ33 | 2006/10/09 08:09

タンクローリーですか。大きいですね。小生、バスやトラックやトレーラーなどの大型車を運転する人は凄いと思う。
配送の時間もあるし、きついのでしょう。休憩も思い通りに出来ない…。
とにかく安全・的確その範囲で迅速(理想は快適も、だけど)がモットーで頑張ります。
コメント、ありがとう。

投稿: やいっち | 2006/10/09 09:24

またまたお邪魔します。
ヴィトゲンシュタイン氏のご兄弟は高名なピアニストでした。しかし戦争で右手を失ってしまい、そんな彼の為に書かれたのがラヴェルの左手の為の協奏曲、というのはご存知のことですね。
僕はこの二人の名前はそれぞれ知っていたのですが、実の兄弟と知った時には大変驚きました。。。

投稿: リベラ33 | 2006/10/09 11:00

ヴィットゲンシュタインの生家(後年、本人の建てたものでない方)について、また改めてそのサロンの雰囲気に興味を持ちました。

最近気がついたのは、ユダヤ人はプロテスタント共同体では少数派としてお互いに影響を与え、カトリック共同体では同化していることでしょうか。

ヴィーンなどではカトリックに改宗したユダヤ人が主体で、よって上のようなサロンはある種の非宗教的なユダヤ人共同体の趣もあったのでしょう。

景気拡大の記事を見て、TAXIの様子を知るとなるほどと思います。

投稿: pfaelzerwein | 2006/10/09 16:04

リベラ33さん、来訪、コメント、ありがとう。
ヴィトゲンシュタインについては、高校時代に出会ってからは、訳書も解説書も手当たり次第に読んだものです。
ヴィトゲンシュタインは小生の中ではヒーローなのです(ミーハー!)。

彼(と彼の兄)の父は富豪で芸術家のパトロンをしていた。それに兄がピアニスト(芸術家)ということもあって、音楽家や画家などが父の家に集まった。
兄のためには、ラヴェルのほか、シュトラウス、プロコフィエフ、ブリテン、ヒンデミットなどが作曲しているようです:
http://www.age.ne.jp/x/mika22/remarks/parergon.htm

投稿: やいっち | 2006/10/10 03:10

ユダヤ人というと、サルトルの『ユダヤ人』もあるけど、アーサー・ケストラーの『ユダヤ人とは誰か』がぴか一。でも、小生、読んで逆に頭が混乱したという記憶がある:
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0946.html
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0842.html

「スピノザという異端の思想家を通じて マラーノの系譜を辿ることにある」という、イルミヤフ・ヨベル著の『スピノザ 異端の系譜』を読んだことがある。
「マラーノとは、「強制的にキリスト教へ改宗させられたスペインおよびポルトガルの旧ユダヤ教徒」のことである。そうしたマラーノたちの多くは隠れユダヤ教徒として生きることを余儀なくされたのだった」
ところで、隠れユダヤ教徒は、仲間同士であっても自らの出自を明らかにするとは限らないのではないかと思うのですが。いつ、国の方針が変わってユダヤ人が炙り出されるか分からないわけだし。

「ゲーテやヘーゲル、ハイネ、マルクス、ニーチェ、フロイト及びアインシュタインに至る思想家たちが、どこか本質的なところで自らをスピノザ主義者と見なしていた」と上掲書にはあったけど、となると、サロンはこの世には仮初のものしかなく、本当のサロンは、永遠に見果てぬ何処かに蜃気楼のように見え隠れする、そんなものだったのではないかと思えるのです。


タクシーのほう、回数は増えているけど、売り上げは底這いしています。

投稿: やいっち | 2006/10/10 03:38

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