鯨面文身(いれずみ)は人間の証?
『魏志倭人伝』を読むと、「男子無大小,皆面黥面文身」とある。訳すと、「男子は老若と問わず、皆顔体にいれずみがある」となる。男子は「鯨面文身(いれずみ)」していたというのである。
あるいは、「以*朱丹塗其身體,如中國用粉也」とも。訳すと、「朱丹(赤い染料)を体に塗っているのは、中国で粉(おしろい)を用いるのに似ている」ということらしい。
(この辺り、「魏志倭人伝を読み解す」を参照させてもらっている。余談だが、「倭地温暖,冬夏食生菜,皆徒跣」つまり、訳すと、「倭の地は温暖で、夏冬問わず生野菜を食し、皆はだしで生活する」という風俗からして、素直に考えると、邪馬台国が奈良(大和)の何処かというのは、全くの論外となるはずなのだが。せめて九州、あるいは沖縄とか奄美とか…。やがて卑弥呼が奈良の地へ向かい、祭祀者として君臨し、その何処か(箸墓古墳?)に葬られたのだとしても。)
「縄文式土器 - Wikipedia」を覗く。火焔土器は別格としても、後の弥生式土器に比べると、実用性は勿論、追求されたのだろうが、同時に土器の表面や縁取りなどを観ても、文様・装飾で埋め尽くされている。
縄文時代の人は化粧をしたのだろうか。顔に刺青など施したのだろうか。体に色など塗ったのだろうか。
小生は、縄文人は恐らくは体(顔)に何らかの装飾を施したのではないかと想像している。弥生式土器の、あの、のっぺらぼうとは大違いの縄文式土器を見ると、そう思いたくなってしまう。
「入れ墨 - Wikipedia」にもあるように、『日本書紀』の記事中にも、入墨についての記事がある。武内宿禰の東国からの帰還報告として、蝦夷の男女が文身していたとある(景行27年2月条)」ことからして、縄文人は刺青していたと推測させられてしまう。)
装飾というと、古墳の内部の壁も、全ての古墳がそうだったかどうかは分からないが、かなりの古墳には、装飾や文様が何らかのモチーフの下に描かれていたという。
「装飾古墳の文様」や「装飾古墳データベース」(写真が見事!)など参照。
そういえば、日本でも有数の装飾古墳として知られる王塚古墳では、近く一般公開されるとか。→「王塚装飾古墳館」
ここなど、テレビなどマスコミでもっと宣伝してもいいのでは。
広く一般に知られるに値する古墳だと思う。
文様とか装飾というのは、一体、どういう目的や意図があって描かれたり刻まれたり、時にはある一定の空間(壁だったり入り口や縁だったり、顔や体だったり)を記号風な文様などで埋め尽くしたりするのだろうか。
こういった素朴な疑問には、あるいは日頃、化粧やファッションに喧しい女性こそが答えるに相応しいのか。
仮面も含め化粧についての簡単な祖述を「鏡に向かいて化粧する」などで試みたことがある。
あるいは、一層思弁的には「初化粧」にて。
記号風の文様というと、誰しも思い浮かべるのは、その名もアラベスク文様だろう。
ここでは深入りはできない。例えば、「写真でイスラーム イスラームの工芸」なる頁を見るのがいいだろう。画像が素晴らしい。細部まで注意を喚起させてくれる。
「リスの毛で描くミニアチュール」なる頁など、必見かも。
「アラベスク - Wikipedia」をちらっと覗いてみよう。
ここでは、もち、「アラベスクは、「アラビアの」の意」である。
以下の説明は必要にして十分なのかもしれない:
「アラベスクは、モスクの壁面装飾に通常見られるイスラム美術の一様式で、幾何学的文様(しばしば植物や動物の形をもととする)を反復して作られている。幾何学的文様の選択と整形・配列の方法は、イスラム的世界観に基づいている。 ムスリムにとって、これらの文様は、可視的物質世界を超えて広がる無限のパターンを構成している。イスラム世界の多くの人々にとって、これらの文様はまさに無限の(したがって遍在する)、唯一神アラーの創造のありのままを象徴するのである。さらに言うなら、イスラムのアラベスク芸術家は、キリスト教美術の主要な技法であるイコンを用いずに、明確な精神性を表現しているとも言えよう。」
が、何事にも素人たることを自負しモットーともしている小生には、この説明、ややもどかしい面も。
要は宗教的な理由から偶像崇拝を禁止されているイスラム世界にあって(その極端な例の一つがタリバンだろうが)、「キリスト教美術の主要な技法であるイコン」を回避し、しかも世界を意味あるものとして描きつくし埋め尽くすには、「幾何学的文様の選択と整形・配列」に可能性の限りを求めるしかなかったということなのだろう。
但し、装飾や文様は、決して宗教的禁忌の故に発達したものばかりではない。むしろ世界観の発露として素直に表現の営為として発達した類いもあるのではと思われる。
但し、その場合でも、宗教的世界観とは決して切り離せない思考法・発想法・感受性の在り方は見て取れるようだ。
さて、こんなことを書いてきたのも、今、ポチポチと読み続けている、レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』(『世界の名著 59 マリノフスキー/レヴィ=ストロース』(中央公論社:刊行当時)所収)で気になる叙述に出会ったからである。
ブラジルで原住民(禁止用語かもしれないが、原文の表記のままに「原住民」を使う)に出会った宣教師は、顔面に装飾模様を描く様に驚いた。神の似姿であるべき人間の顔や体にそんな模様を描いていいものかと、宣教師は思う。
が、原住民は、そんな宣教師が愚かに思えてならない。彼ら原住民には、体に絵を描かないなんて、ありえないことなのだ。
そう、彼らには、「人間であるためには、絵を描いているべきであった。自然の状態のままでいる者は、禽獣(きんじゅう)と区別がつかないではないか。」!
あるいは、「堕胎や嬰児殺しの慣習と同様、ムバヤ族は彼らの顔を塗り飾ることによって、自然にたいする一つの恐怖を表しているのである。この原住民の芸術は、神がわれわれを初めにつくりたもうた材料であるという粘土への最高の侮蔑を表明している。この意味で、原住民の芸術は罪と境を接している。」ともレヴィ=ストロースは書いている。
他の場所では、レヴィ=ストロースは次のように書いている:
「私たちは、すでに部分的にはこの問いに答えておいた。というより、原住民が私たちのために答えておいてくれたのである。顔の装飾はまず、個人に人間であることの尊厳を与える。それは、自然から文化への移行を、「愚かな」動物から文明化された人間への移行をつかさどる。」
(以下、さらに、「次に、カーストによって様式も構成も異なるこの塗飾は、複合された社会における身分の序列を表現している。このようにして顔面塗飾は、ある社会的機能をもっているのである。」と、レヴィ=ストロースの分析が深まっていくのだが、それはまた別の機会に。)
都会に住む人間。装飾や文様や記号に満ちている。看板や宣伝も含めると想像以上に装飾や文様に日々接していると言えるのかもしれない。
が、それらに宗教的意味合いを感じることはあまりない。むしろ、脱宗教的、少なくとも宗教的観念臭は脱臭され漂白されているとも言えるかもしれない。
では、われわれは無宗教的なのか。
恐らくはそうではないだろう。そもそも都会とは、人間の構成物そのものである。ビルや橋や道路や車の一切がそうだし、衣服も、極端に清潔な体も。あるいは蚊やカラスやハトも、自然の存在であると同時に人間環境に適応した人為の世界の象徴の一面を持つと言える可能性がないとは言い切れないだろう。
臍(へそ)や鼻にピアスする若者。(宣教師と原住民の話を援用するなら)彼らピアス族にとって、都会や都会に住む普通の人間というのは、最早、自然物(野蛮で無邪気な輩(やから))に過ぎないのかもしれない。ピアスし、刺青を我が身に施すことで初めて自分たちが人間であることを確認している、否、宣言している、俺たち(私たち)こそが人間なんだというメッセージを発しているのかもしれない。
それとも、体を弄らないと人間であることを確認できないほどに、人は追い詰められているということ?
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コメント
TB読ませていただきました。ミニアチュールの記事を紹介していただいたようでありがとうございます。
文様について多方面から考察されていて興味深かったです。何で、刺青や顔面装飾をする人々が古代やあるいは現代の諸部族にいるんだろうとは思っても、それ以上考えたことはありませんでした。
人間ってそもそもそういう欲求があるものなんですね。関連サイト・・・古墳の文様なども始めてみてこんなに整理されたサイトがあるのかと驚きました。
投稿: miriyun | 2006/09/17 06:00
miriyun さん、コメントありがとう。
トラバだけして挨拶もせず、失礼しました。
貴サイトの記事、参考になったし、訪れて楽しく且つ興味深いサイトだと思いました。
化粧、装飾、文様、記号。考えると興味深い世界です。
だからといって、化粧しようとはなかなか思えないけれど。
投稿: やいっち | 2006/09/17 06:44