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2006/09/19

路傍の草、子規忌を想う

 田舎で家事三昧である。
 というと、やや大袈裟か。
 今の所、従前通り、食事の準備と片付け、買い物がほとんど。草むしりとか部屋の掃除、庭木の剪定、家庭内の雑事……などなど、やるべきことは山ほどあるが、ちょっと手が出ない。

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→ 17日、夕方、富山駅に着き、今からライトレールに乗るところ。手振れして、駅に近付きつつあるライトレールの雄姿がまるでぼやけてしまった。

 食事となると、両親と小生自身の食事の準備もあれこれあるが、食事の最中がまた大変で、居間を兼ねている茶の間が食事の部屋でもあるのだが、その茶の間(和室風)と台所とを何度も往復する。
 往復するだけなら、どうってことはないのだが、茶の間は座卓となっているので、食事も椅子ではなく座布団を敷いた状態。つまり、食事する時はお尻を畳にどっかりと下ろして。
 が、醤油など調味料を持ってくるのを忘れてたら、立ち上がって台所へ。茶の間へ戻って、どっかり、腰を下ろす。
 そのうち、たっぷりと作った味噌汁のお代わりとなると、また、重い重い腰を上げて台所へ。
 朝食、昼食、夕食と、そんな繰り返し。合間にはお八つも。
 日頃、怠惰と怠慢を決め込んだ生活を送っている小生。こんなところで、ツケが回ってくるわけで、日に三度の食事の準備・世話・片付けで、もうへとへとになってしまう。
 食事の合間の時間はというと、家の雑用を引き受けるどころか、奥の小生の居室で読書…さえもできずに、敷きっ放しの布団にゴロンとなって、居眠り三昧である。

 情けないこと、この上ない。

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← 18日夕方、買い物の帰り、夕焼けが素晴らしかったので、思わず自転車を止め、パチリ!

 ただ、この和室風の茶の間と台所との往復、つまりは、ちょっとしたスクワットというか屈伸運動を何十回と為すわけで、四日も経験すると、小生のぷっくりとしたお腹に、ほんの少し、ほんの面影程度の割れ目ができる…ような気がする。
 でも、東京に戻ると、二日もしないうちに、出来かかった腹筋の谷間は、見る影もなく綺麗さっぱり消え去る。
 …どころか、以前にも増して、立派なお腹に逆戻りである。

 そうそう、買い物は自転車! 
 ママチャリなのでタイヤも大きく、ゆったりと走れるのが嬉しい。鬼門の坂道もないし。
 ただ、台風(13号)の余波の風があって、店への往路は順風で、帰路は逆風と極端に違う走行だったのが大変だったような楽しかったような。
 思えば、ここ数年の、田舎での自転車による買い物が小生に自転車に乗る感覚の楽しさを思い出させたのだった。

 こんなつまらぬことを書いた上で、子規(忌)の話題に移るというのは、恐縮するというより、彼我の違いが極端過ぎて、後ろめたいほどである。
 でも、これが現実なのだから、仕方がない!

 今日、9月19日は、「子規忌」の日である。

9月19日 今日は何の日~毎日が記念日~」によると、「俳人・歌人の正岡子規の1902(明治35)年の忌日」であり、「辞世の句に糸瓜を詠んだことから糸瓜(へちま)忌、獺祭書屋主人という別号を使っていたので獺祭(だっさい)忌とも呼ばれる」という。
 そこで、「子規忌」をキーワードにググってみたら、2万4千件ほど関連サイトがヒットする中、小生のサイトが上位に来ている!

 どうして小生のサイトが浮上するのか、不思議に思い、「無精庵徒然草 草の花…子規忌」なる頁を覗いてみると、まずもって日付が変。「2005/09/20」となっている。要するに、翌日になって気がついた次第だったのだ。
 それも、秋9月の季語に「草の花」があったので、季語随筆的な雑文を気の向くままに綴っている最中に、あるサイトを覗いたら、「「草の花(くさのはな)」の項に、「子規は病室から見える庭の草花を愛し」というくだりがある」ことを知り、その流れで、そういえば、前日は子規の忌日だったと気付いたのだった。
 だからというわけではないが、「子規忌」についても、「子規」についても、ほとんど触れていない。

 そんな文章が「子規忌」で検索して、そうして覗いた挙句、こんな貧相な内容の文章が上位とは?! と驚かれるに違いない(そこまで読む人は、まずいないと思うけれど。実際、子規は小生にはあまりに巨大な存在で、「鶏頭となるも」といった駄文に近い文の中で、さっと触れているだけである。正確に言うと、さっと触れて、ささっと逃げ去ってしまっていたというべきか。「「鶏頭」に二の句がつけず牛後かな」なる句を置き土産に!)

 何かしら「子規忌」について書きたい。とはいっても、小生に子規に付いて語るべき薀蓄があるわけもない。以下、若干の雑学的情報を順不同でメモしておく。

 小生は、その日記の末尾に以下のような句を載せている:

 草の花誰が見ずとも咲く命
 生きているただそれだけと草の花
 名はあれど咲かなければ草の花
 風に揺れ光浴びてる草の花

 子規の忌日を忘れない人は少なからずいる。そんな子規は、草ではなく、花なのだろうか。
 小生に限らず、名の無い人間は亡くなったなら、もうその年の内に誰からも忘れ去られていく。花が涸れるのを誰かしらが看取り、その命の儚さを愛おしむ、せめて自分だけは忘れないで居ようと思ったりもする。
 でも、路傍の草が涸れても誰が惜しむだろうか。誰が心を寄せるだろうか。そこに涸れた草があることすら気付かれず、踏みつけにされ、あるいは風に行方を任されてしまう。
 それどころか、雑草などと呼ばれて、草むしりの対象になる。綺麗な花。花の咲く草、選ばれた花、区切られた一角の中に守られて咲く花の傍らで、それともその陰で、邪魔な草、みすぼらしくて目障りな雑草ということで、毟られ刈られ、時には除草剤など撒かれて、命を全うすることも許されない。

 数少ない選ばれた花を目立たせ、引き立て、すくすくと育てさせ、品種改良だって飽くことなくされる花々。
雑草は、その周辺の黒子であり、でも、やはり邪魔者なのだろう…か。

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→ お馴染み、紫苑さんにいただいた「薔薇ミルバ」です。画像掲示板の投稿「938」を御覧ください。

 何も、報われるために生きている、日々努めているというわけではないが、報われないことが定めと承知しつつ日陰の身で生きていくというのも辛いものがある。

 子規がベースボールを「野球」と訳したとされることがあるが、俗説のようである。彼の本名が升(のぼる)であり(もともとは、「常規(つねのり)」だったようだ)、野球が好きだったこともあって、「野球(の・ボール→のぼる)」といった表記も使ったりした、というのが真相のようである。

 子規が「曼珠沙華」という題名の小説を書いたことがあることは、知る人ぞ知るであろう。
 では、子規が小説の中で扱われている作品で有名なものというと?

 これも、少なからぬ人が知っているのだろうが、司馬遼太郎著の「坂の上の雲」である。
 というか、司馬遼太郎の小説(作品)は人気があるし、中でもこの小説は広く読まれているから、そうした方には、「坂の上の雲」の中に子規が登場する、しかも、主人公のうちの一人・秋山真之の幼馴染という役どころだということ、さらに当然のように、夏目漱石も登場していることは、常識に類することなのだろう。

 この周辺の話に付いては、「正岡子規と司馬遼太郎、そして「坂の上の雲、NHK大河ドラマ」というサイトが非常に参考になる。
 このサイトに拠ると、正岡子規は、「松山に生まれ日本新聞社に入り、俳諧を研究、後に日清戦争にも従軍する」という。「日清戦争からの帰路に吐血」というが、従軍の最中に罹患したのだろうか。

 冒頭で「別号」のことに触れているが、「優嵐歳時記【獺祭忌】」によると、獺祭書屋主人や子規(ホトトギスの異名)という雅号のほか、「竹の里人・
香雲・地風升・越智処之助などの別名も用い」たのだとか。
 
 糸瓜咲て痰のつまりし仏哉   子規

 これは、子規の辞世の句。亡くなる十数時間前に作ったもの(「糸瓜咲いて痰のつまりし佛かな」という表記もある)。

 以下は、小生の駄句:

 子規とても草葉の露と草の花
 大輪の花も切られりゃ首実検(←生け花のことを想って)

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コメント

おはようございます!

今日は「子規忌」だったのですね。
あまり、そういうことは気にしないのですが・・・
子規が好きな関係者は、お祈り(?)もしくは追悼するのでか?

雑草や路傍の草に関する考え方に同感です。

お腹の筋肉が減退しませんように・・・
それでは、また!

投稿: elma | 2006/09/19 05:43

たとえば、「子規忌ヘチマ供養」なんてのがあって、季節の風物詩にもなっているようです:
http://www.haginotera.or.jp/hechimakuyo.html
まあ、心ある人がそれぞれの思いを篭めて供養をすればいいのだと思います。
小生は、このようにブログであれこれ書き綴りつつ彼を偲ぶことで自分なりの供養をしていると思っているわけです。

雑草。そうはいっても、雑草って結構、逞しい。踏まれても、毟られても、生き延びるのだし。
小生は雑草にさえ、叶わないのかもしれない。

 手にとるなやはり野におけ蓮華草   滝瓢水

を気取るのも難しい。

お腹のリバウンド…。今年は自転車通勤で回避したいと思っているのですが。

ところで、生け花ってどう思われますか。


投稿: やいっち | 2006/09/19 09:31

>ところで、生け花ってどう思われますか。

「生け花」は昔、習っていたことがあるのですが・・・今は、否定派です。人工の美なので、おもしろくないと思っています。

断然、土に根ざした花がいいですね。しかし、原則的にとしかいいようがありません。というのは、病気見舞いには、鉢植えのものは贈れませんので・・・。そういう時にはかわいいフラワーアレンジメントのプレゼントをしますが・・・

やいっちさんのおっしゃるように、「やはり、野におけ蓮華草」ですね。

私は今、誰にも見向きもされないような山野草に興味と愛着をもっています。写真もそういうものを中心に撮っていきたいですね・・・。腕の方は、これから磨くつもり・・・。

それでは、また!

投稿: elma | 2006/09/19 12:36

わっ、早いレス! 嬉しい!

生け花には生け花のよさがあるのでしょうけど、飾るためだけのために、生きている植物を茎などからバッサリするというのには、抵抗がある。
それだったら、造花で出来のいいものが一杯あるから、それらをうまくアレンジすればいいと思う。
ただ、確かにお見舞いとかだと、やむをえないかもね。
それに、人間のエゴということもある。美への欲求は、生き物の命をも奪い去ってしまうということかも。
美は乱調にあり、美はエゴの極でもあり、美は倫理・道徳を越える隠れ蓑だったりもする。

elma さんの着眼される世界、これからも楽しみにしています。小生は、どうも、植物をうまく撮れない。勉強と努力不足のようです。
だから、なおのこと、elma さん初め、皆さんに期待!

さて、今日は(富山は)涼しいし、これから草むしりだ。
ああ、言行の不一致を自らやるわけです! これも人間さまのエゴって奴ですな。

投稿: やいっち | 2006/09/19 13:48

こんばんは、やいっちさん!

すごく嬉しくなって、コメント返しをさせていただきます。やいっちさんは、地方の出身者らしく、温かみがありますね。コメントがそれを物語っています。ありがとうございます。すごく、嬉しいです。
My love to you!

同士で行きましょう!「雑草文化、バンザイ!」
ちょっと、エキサイティングな「おババ」でありますが・・・。(笑)やいっちさんより、3個上ヨ!

投稿: elma | 2006/09/20 00:00

elma さん、またまたコメント、ありがとう。
雑草であり、文章ばかりの地味なサイトへ来てくれるだけでも嬉しいのに、コメントを貰うと舞い上がっちゃうね。
とにかく雑草らしく、コツコツ、ボチボチ、ブログ、続けていくつもりです。
どうぞ、よろしく!

それにしても、小生の年、どうして分かったんだろう…って、自分で書いたっけね。

投稿: やいっち | 2006/09/20 01:51

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