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2006/09/27

クールベや始原の旅のあたたかき

 外は凄い雨。時折、雷鳴も。
 昨日の仕事も、夜に入って風雨となり、ちょっとトイレに立ち寄っただけで、びしょ濡れになる。
 まあ、傘を差せばちょっとは違うのだろうが、仕事中に傘は持ち込まない。代わりに、朝刊を使う。読み終えた新聞を傘というか帽子というか合羽の代わりとばかりに、頭から被せて、雨の中、トイレへ、コンビニへ。
 でも、雨だけだとなんとかなっても、風が吹いていると新聞の傘も無用の長物になりかねない。
 尤も、風雨だと傘だって同じだろうが。

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→ エンヤ『シェパード・ムーン』(WEAミュージック)

 問題は自転車での通勤である。朝は、家を出た直後に降り始めたが、すぐに上がってくれて、会社へは濡れずに済んだ。
 但し、体はやはりびしょ濡れ。
 そう、小生には過激な坂道走行で汗が噴き出してきて、会社へ着くころにはアンダーシャツは汗ビッショリなのだ。
 それでも、雨が降らなかっただけ、まし。
 一日の仕事が終わり、朝、会社へ車を向ける。ああ、雨の中、自転車で帰宅するのは嫌だなと思っていたら、幸い、上がってくれ、晴れた朝の道を、快適に走行して帰ったのだった。ラッキー!
 一週間ほど帰省してきて、先週末は久しぶりに図書館へ。
 横川善正著『ティールームの誕生―「美覚」のデザイナーたち』(平凡社選書←「柳の図柄(ウイロウ・パターン)のこと」で若干、紹介済み)や渡辺正雄著の『文化としての近代科学―歴史的・学際的視点から』(講談社学術文庫←「ケプラーの夢(ソムニウム)」にて本書を参照しての雑文を書いている)の二冊と、これはCDだが、三村奈々恵さんの『ユニヴァース』 (ソニーミュージックエンタテインメント)を返却。
 代わりに、車内で読むための文庫本ということで、久世 光彦著『夢あたたかき―向田邦子との二十年』(講談社文庫)を、CDを物色していて、珍しく且つ運よく書架にあったエンヤの『シェパード・ムーン』(WEAミュージック)を借りることが出来た。

 田舎で衝動買いした若林美智子さんのCD『風の盆恋歌』や、まだ借り出し中のアルビノーニのアダージョの入っている『バロックフェスティヴァル バロック名曲集』などととっかえひっかえ聴いて楽しんでいる。

 久世 光彦著の『夢あたたかき―向田邦子との二十年』(講談社文庫)は、故・久世 光彦氏の向田邦子に捧げたオマージュといった本で、『触れもせで  向田邦子との二十年』(講談社文庫)に続くもののようだ。
 実はつい最近、あるブログの記事(「秘めたる想い」)で向田邦子さんのことが話題に取り上げられていた のを読んだばかりだったこともあってだろう、図書館でかなり古びている本書の背表紙のタイトル「夢あたたかき―向田邦子との二十年」が著者名の久世 光彦氏と併せ、本書のほうから小生の目に飛び込んできたのだろうと勝手に思っている。

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← 久世 光彦著『夢あたたかき―向田邦子との二十年』(講談社文庫)

世界の名著 59 マリノフスキー/レヴィ=ストロース』(泉 靖一編、中央公論社:刊行当時)所収)の中のレヴィ=ストロース『悲しき熱帯』を読了(←「鯨面文身(いれずみ)は人間の証?」でこの著作のある部分を取っ掛かりに小文を書いている)し、 マリノフスキーの『西太平洋の遠洋航海者』を読み始めた。『悲しき熱帯』を読み終えたら返却するつもりだったけれど、小生の性分で、本は読み始めたら最初から最後まで読み通さないと手放せない(!)ので、久しぶりだし、文化人類学の古典中の古典でありフィールドワークの書であるマリノフスキーの著作に目を通すことにしたのだ。

 自宅では、帰省の際、ラッキーな事情で買うことができた、キャサリン・ブラックリッジ著『ヴァギナ 女性器の文化史』(藤田 真利子 訳、河出書房新社)も、ゆっくり読んでいる。豊富な図版を見るのが楽しい。古代より、ヴァギナを象(かたど)り、あるいは強調した石の像や彫刻が数知れず作られ、生殖というより豊穣の祈りの対象として崇められてきたのだとか。
 日本では、よく(?)男根(ファロス)や玉(文字通り!)が神社の珍宝として祭ってあって、信者や参拝者もその珍宝を目当てに来たりするが、その女性版が昔は相当程度、世界各地に、そして日本にもあったということか。

 本書『ヴァギナ 女性器の文化史』を読んでいたら、女性の局部の写真が載っていた。もち、ヘアーもリアルに。
 が、よく見ると、ギュスターブ・クールベの絵で『世界の起源』 という作品なのだった。
ギュスターヴ・クールベ - Wikipedia」参照。

 上掲の画像についてのコメントが載っていることもあり、「京都精華大学 「文化表現論II」(2005) 第4回講義録 講第4回 現代美術の見方(10/20) 講師:井上雅人」を覗かせてもらう。
 当該の箇所のみ転記させてもらうと、「これはクールベの『世界の起源』。教科書にも出てきますけれども、写実的に世の中にあるものをそのままに描こうという姿勢が、ついにここまできてしまって、ある種のどん詰まりですよね。こういうことになってしまったというのが19世紀の美術ですね」とある。
 さらに、「そういうふうに、もう徹底的に写実的である。しかも、ないものを描くのではなくて、あるものをあるがままに描いていくというような姿勢が19世紀は徹底するんですけれども、20世紀に入ると、それに対して反動が起こっていく」と話が続いていく。

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→ ギュスターブ・クールベ『世界の起源(L'Origine du monde)』 (画像は、「imageL'Origine du monde.jpeg - Wikimedia Commons」より。)
 
 この講義によると、クールベの『世界の起源』について、やや否定的な評価となっている。無論、絵の出来不出来について否定的なのではなく、画家が写実的に描こうとすると、こういった類いの絵に至ってしまうということ、なのだろう。

 その意味で、話の文脈が違うのだが、しかし、少なくとも古代においては、多分、地域的に限定されるだろうし、時期においても限定的なのかもしれないのだが、女性の陰部(ああ、この表現自体が後ろ向きであり否定的であり、表立っては語れない、まして画像にしろオープンにするわけには(アップするわけには)いかないという、社会的規範と禁忌の色が濃く塗された言葉だ)への賛仰の念、豊かさと実りへの祈念といった思いなど、近代においては既に遥かに遠い過去のものになっていて、そういった女性の(男性のモノも若干)秘部(局部)は秘められ隠され臭いものであるかのように蓋がされるべきものとなっていることが思い知らされる。

 いずれにしても、徹底した資本主義の現代においては、人間の肉体のどんな細部(局部)も経済取引の対象となる。日本など、エステの極を行っていて、垢か脂分かのように邪魔者扱いされ、腕の産毛も腋毛も忌み嫌われる(もっと正確には、関係業界がそのように宣伝し煽るわけである。モードが二年前に企画されたものがその年、<流行>するように、モードとは風俗上の箍なのだろう)。肉体が殺がれて行くように、局所のヘアーも、ドンドン刈り込まれて、その存在も風前の灯状態なのか。
 ヌードを描くにしても、卑猥と芸術の境目が不分明以上に禁忌の在りようも揺れ動いている。
 それでも、クールベが上掲の作品を『世界の起源』と題したのは、彼なりの考えがあってのことだろう。
 この辺り、もっと探求する余地がありそうである。

 それにしても、小生、卑猥な気持ちということになると、たとえばクールベの作品の中からでは、『画家のアトリエ』(1854-55 オルセー美術館)に止めをさす。
「画中に描かれた人物たちは、全員が何らかの「寓意」を表しているとされ、おおむね画面の向かって右半分はクールベのレアリスム絵画を理解し支持する人々のグループであり、画面左側の人々は、クールベの芸術を理解しない不幸で悲惨な人々だと理解されている」というのだが、まあ、そうなのだろうけれど、門外漢で無責任な立場の小生がこの絵を垣間見ると、何故かやたらとムラムラしてきてしまうのである。
 なぜだろう?!

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← 『画家のアトリエ』(1854-55 オルセー美術館)

 と思っていたら、雨の音がしない。見ると、さっきまでの雷雨が嘘のように晴れ間さえも。
 早速、部屋の中に干していた洗濯物をベランダへ。これもラッキーだな。部屋干しは匂いが出たりして困るからね。

 最後の最後に余談。クールベというと、小生の駄洒落を思い出してしまったので、当該の部分を転記しておく(「やじきた問答(2)」より):
 

この野郎! なんてマネ、シャガール、思いシーレ、ムンクあるか、ほらミロ、ミレーってんだ。おいマティス、マセッティ云ってるんだ。糞! ゴッホ、ゴッホ。このクールベ野郎。何を! 俺の顔が鶴瓶に似てるからって、クールベたぁなんだ! ジョット位、名前をモジリアニしたからって、何だい。おめぇは性格がクレーんだよ。クラインで悪かったな。そっちこそ誰のゴヤ、分からんじゃねえか。あんた、ダリってか。ルソー、ムーア付く野郎だ。写楽せえ。ホントにおめえはタンギーな奴だ。こうなりゃ今夜はブレイクうだ。おお、前にデルボー。何だと、マイヨールだと! おめぇは芋銭だよ。もう、キリコがねえな。おめえの糞は、お、臭い! おめえ、俺をシャメールなよ。それはモロー、ロダンだ。ホントにお前はゴーギャンな奴だ。おめえこそ、ルドンな奴だ。くそ、アングルが悪い、コローびそうダ、ヴィンチだ。お、ユトリロがなくなって来たね。だから、汚ねぇはやめておこうぜ。

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コメント

「何故かやたらとムラムラ」の真意は別として、どうもこの絵は羞恥とか性道徳観の本質を描いているようです。それをまた絵として鑑賞するのは、それはまた覗きの本質ですね。

「人間の肉体のどんな細部(局部)も経済取引の対象」になるのは「羞恥と性道徳観」なる故にというのは研究者でない我々でも想像がつきます。

それを仮に外してしまって自覚させるのが荒木さんなどの芸術なのでしょう。マンハイムの常設展示には出産シーンから局部までの巨大絵画が幾つかありますが、クールベの芸術ほどに本質を提示しないです。

商業化と軽性犯罪の問題がなぜ日本に特有の問題となっているのか、先日の質問にも因んでフェティシズムの文化として興味あります。例えば日本のシャーマニズムから神道のアニミズムは、ここに明確な今日的様相を現しているのですね。

投稿: pfaelzerwein | 2006/09/27 17:20

学生時代だったか、友人が彼の友人が通っているという絵画教室に立ち寄るというので、小生、外で待っていた。
彼の友人が通うその絵画教室ではヌードモデルを前に勉強しているという。
その教室のある建物の前で、小生、ああ、あの中でヌードモデルが衆目を浴びて立っている…とムラムラしつつ茫漠たる思いを御しかねていたっけ。

20世紀も後半になると、性に関する大胆な表現はあれこれあるけれど、クールベの描くような状況設定ほどには覗きの感覚を煽ることはない。
今のAVはえげつない描写になっている。それはそれで(どうでも)いいけど、学生時代やサラリーマン時代に映画館で観たロマンポルノやピンク映画のほうが扇情的で印象が時間を経ても鮮明だ。

児童ポルノとかは先進国だけじゃなく実際には水面下で深刻なのでしょうが、先進国はそれが水面上に浮上する機会が多いのでしょう。

何処かの新総理は、伝統を大切にとか、美しい日本と言っているようだけど、明治以前は中学生以下の子どもらを妾にするが当たり前だったりする。児童ポルノどころじゃなかったわけだ。
今は、表向きは妾とかを持たないけど、お金持ちがおカネ目当ての女性を抱える傾向にあるのは、昔も今も変わらないのかな。

日本のアニミズムは、根強いようですね。森羅万象に神を見る…ってことは、ある面においては、何もかもが性的だってことでもある。
汎神論ならぬ汎性的ってわけです。
物質的想像力の駆使が期待される場面かも。


投稿: やいっち | 2006/09/27 21:28

『世界の起源』この作品は展示目的ではなく、世俗的で性的なイコン(像)を集めることに関心のあったトルコの外交官カーリル・ベイに頼まれ制作されたものらしいですね。まぁエロ本書いてよ・・と言われ書いたようなものです

投稿: ICE | 2009/04/25 00:46

ICE さん

西欧では(欧米に限らないのでしょうが)、特に写真や映画などが未だなかった時代、金持の依頼で女性のヌード(これも、描かれるのは女性とは限らない。ミケランジェロみたいに、男性のヌード画やヌード彫刻も)の絵を描くことが間々(しばしば)あったようです。

「世界の起源」のモデルは、かのホイッスラーの恋人だったとか。
この絵を描いたことで、ホイッスラーとは喧嘩、仲違い。
ホイッスラーは恋人とも別れた。

「「世界の起源」の注文は、オスマン帝国の外交官カーリル・ベイ(Khalil-Bey)によるものだと考えられてい」て、「彼の個人的なエロティック絵画のコレクションに加えるための絵を注文した」とか。

一時は、精神分析学者のジャック・ラカンも所蔵していたようです。
夜な夜な楽しんでいたのでしょうか。

この絵は、「写実性と赤裸々なエロチシズム」とで未だに価値を有している。
えげつないだけの絵なら、この絵の前後にもあるでしょうが、画家の偽善や建前をぶち破るという気迫が、リアルに留まらないエロティシズムにつながっているようです。
下手なエロ画は、すぐ見飽きるけど、この絵は見るほど、魅入られますね。
想像以上の秘密があるように感じられます。

投稿: やいっち | 2009/04/25 09:57

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