柳の図柄(ウイロウ・パターン)のこと
昨日の日記(月曜日の夜半過ぎに書いたもの)「路傍の草、子規忌を想う」の冒頭で、小生は以下のように書いている:
田舎で家事三昧である。
というと、やや大袈裟か。
今の所、従前通り、食事の準備と片付け、買い物がほとんど。草むしりとか部屋の掃除、庭木の剪定、家庭内の雑事……などなど、やるべきことは山ほどあるが、ちょっと手が出ない。
悔しいので、火曜日は、食事関連の雑事は勿論、買い物も午前と夕方に行って来たが、午後、草むしりをやった。何処か妖しい雲が垂れ込めていて、外でじっとしていると涼しいを通り越して、半袖だと寒いほどの天気だったことも、その気にさせてくれた。
→ 草むしりの成果の一部。この後、チューリップか何かを植えるらしい。土が中央部に盛ってあるので、土葬をイメージしたりして。
実際に草むしり(と若干の草刈)をやったのは、一時間半に過ぎないのだが、家の中の掃除(窓拭きとモップ掛け)、洗濯もあって、買出しから帰った夕方には、とうとうダウン。一時間ほど、寝てしまった。食事のこともあり、起き上がろうとしたら、体の節々が痛い!
幸い、夕食は、姪っ子が子どもを連れてやってきて、小生も含め一同の世話をしてくれたので、ちょっと楽をさせてもらった。
草むしり…。
「路傍の草、子規忌を想う」のコメント欄で、生け花談義をし、「やはり、野におけ蓮華草」などと分かったようなことを書いたりしているが、その実、田舎では庭の雑草をせっせと刈り取ったり、毟り取ったりしている。その言行の不一致をちらっと思う。
それにしても、小生、「やはり、野におけ蓮華草」という言葉には、ちょっと引っかかるものがある。機会があったら、その辺りのことも書いてみようかな。
さて、本文に移る前に我がチーム・リベルダージのパレード情報を。
9月24日(日):「新浦安パレード」
小生は以前、「シャラワジ風日記」といった雑文を書いたことがある。
「シャラワジ」とは、アンドルー・ロビンソン著『線文字Bを解読した男 マイケル・ヴェントリスの生涯』 (片山陽子訳、創元社)を読んでいる中で見出した言葉で、妙に耳に障ったので、ネット検索などしてみたが、これという的確な説明を見出せなかった。
僅かに、「モナドの方へ」にて、「シャラワジとはシノワズリーを支える美学のひとつで「均衡、シンメトリー、統一」からの逸脱*1を意味する言葉のこと。中国の庭園や建築、風景が西洋人の眼にはそういう風に見えたようだ」という説明を得ただけだった。
この「シャラワジ」については、未だに不分明なままである。
いつか、新規の情報を得たらa href="http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2005/11/post_5953.html">シャラワジ風日記」後日談を書きたいと思っている。
ところで、「シャラワジ」に関連して、「シノワズリー」という言葉が登場している。
この言葉については、「Fashion Blog シノワズリー [chinoiserie] フランス語」にて、一定の説明を後日、得ることができた。
つまり、「18世紀、ヨーロッパの貴族達のあいだで、中国風模様の描かれた美術品や装飾品が大流行しました。以来、シノワズリーは美術や装飾品の一様式として確立されています。しかし、西洋人にとって中国風とそれ以外の東アジア風(日本など)との明確な区別はつきにくいようで、中国風を中心としたオリエンタルな模様等全般をさしてつかわれる場合もあるようです。(資料:シノワ コレクションより)」というのである。
どうやら西欧の家具や洋食器に関心のある方なら、この言葉あるいは様式(趣味)の用語である「シノワズリー」に慣れ親しんでいるようである。
「洋食器コラム ■第6回 シノワズリー■」など覗かれると、「洋食器に興味のある方なら、「シノワズリー」という言葉をどこかで目にし、耳にしたことがきっとあるはずです。一般には、「中国趣味」と訳されています。食器の世界のみならず、18世紀のロココ芸術はなやかなりしころ、その様式の一翼を担い、家具や室内装飾さらには建築の分野にも深い影響を与えました。」など、以下、興味深いコラムを読むことが出来る。
さて、唐突に「シノワズリー」の話題を持ち出したのは、理由があって、帰省している小生が田舎でボチボチと読んでいる横川善正著『ティールームの誕生―「美覚」のデザイナーたち』(平凡社選書)の中で、幾度となくこの言葉「シノワズリー」に遭遇したからなのである。
せっかくなので、本書での記述の脈絡とは切り離した形となるが、「シノワズリー」についての説明の部分を転記しておきたい。
話の流れを略しては、以下の転記を味読するわけにはいかないかもしれないが、ま、今は、メモということで寛恕を願う:
ルネッサンス以降の英国において、失われた恋人や悲恋についての比喩として、柳に関する文学的表現がある程度定着していたと思われる。しかし、それがはっきりとしたシノワズリーあるいはジャポニスムとして一般化したのは、十八世紀後半にシュロプシャー州のカーフレーに住んでいた陶工(ポッター)トマス・ターナーによって考案された「柳の図柄(ウイロウ・パターン)」の原画によってであった。そのデザインは、中央に枝垂柳ではない中国風に図案化された楊柳があり、右手に中国様式の楼閣が配され、左手には太鼓橋とその橋を渡る三人の姿が描かれている。左上には鳩となった二人の恋人と、そして二人が恋の道ゆきで乗ったと思われる船が河に浮んでいる。
その主題となった中国の悲恋説話は、ある裕福な家の跡取り娘コーン・シーにその家の下男チャンが恋するところから始まる。よくある筋書だが、二人の恋は父親から反対され、娘は許婚の役人との結婚を余儀なくされる。しかし、婚礼の夜、あきらめきれない下男は船で恋人の監禁されている館に近づき、隙をみて娘を連れ出し、河を下り身を隠す。幸せな二人だけの日々は長く続かなかった。不幸にして、文才に恵まれた男の名声が国中に広まると、逃げられた妻を探していた役人の耳にそれが届いた。追っ手によって捕らえられた二人は殺され、一方、役人もまたやがて病死する。橋を渡る人物は、娘と下男と父親であり、それぞれ手に、処女の証となる糸巻棒、そうした女を迎えるだけの資格を示す宝石箱、そして怒りを表す鞭をもっている。 (引用終わり 本書p.170より)
結構、目にする機会の多い図柄の皿なのだが、ネットでは具体例を見つけることができなかった。
たとえば、「三越コミュニティブログ - 骨董屋の独り言 - 2005年05月04日の記事 感動の再会!二箱の『渡りの阿蘭陀スープ皿』」の中に、「イギリスダベンポート製のウイロウパターン、と言われる図柄のスープ皿」の画像を発見。
上に転記した文章と照らし合わせてみると、参考になるかも。
ただ、肝心の「橋を渡る人物は、娘と下男と父親であり、それぞれ手に、処女の証となる糸巻棒、そうした女を迎えるだけの資格を示す宝石箱、そして怒りを表す鞭をもっている」という部分については、示した画像では、ほとんど点々にしか見えないのが惜しい。
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コメント
ボーンチャイナとかの磁器への影響とかは良く知られていますが、柳も確かに屋号になるほどに英国では有名ですね。
実際に英国では川縁が柳の並木になっている所もありますしね。中国からのものなのかどうなんでしょう。
シャークスピアなどでは頻出している筈です。
投稿: pfaelzerwein | 2006/09/20 03:53
お疲れ様です。
でも帰れる故郷があるひとって、うらやましいな、やっぱ。
そういえば、ある富山県出身者の方が、「富山県人は慎重な性格なので、飲酒運転などしないので、代行運転システムが発達している」って書いてたけれど、やいっちゃん、ご感想を!
投稿: 志治美世子 | 2006/09/20 08:49
pfaelzerwein さん、さすが詳しい。
イギリスへはどのようにして伝わったのか、小生には分かりません。
このサイト「影への隠遁Blog Salix babylonica & Water lily」によると、枝垂れ柳は、「Salix babylonica 和名 sidareyanagi」で、「「Salix babylonica」は「サリックス・バビロニカ」と読み、サリックスは、ケルト語の「sal(近い)+ lis(水)」が語源といわれる。バビロンという以上、イラクのチグリス・ユーフラテス河畔が原産地なのか。」と書いてある(この語源にヒントが隠されているのか…?):
http://blog.7th-sense.sub.jp/?eid=275573
このサイトでは、「枝垂れ柳の原産地は中国で、奈良時代に日本に伝わった」とも書いてあるのだけど…。
シャークスピア作品での柳というと、「The Willow Tree 柳の木」」ということになるのか。
迂闊にも、「ハムレットとスミレとオフィーリアと」を書いたときには、柳の歌のことは、全く視野になかった:
http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2006/04/post_5273.html
ジョン・エヴァレット・ミレーの「オフィーリア」という作品を紹介したのに、頭上の柳に気を止めていない:
http://f.hatena.ne.jp/woolong/20050406235633
この絵は、尾崎紅葉の『金色夜叉』の感想文を書いた際にも紹介したっけ。
「The Willow Tree 柳の木」については、ここが参考になる:
http://www.alice-it.com/wonderouser%20land/willowtree.htm
いろいろ勉強になります。
投稿: やいっち | 2006/09/20 14:15
志治美世子さん、テニスなどのあとは、大仕事が待っている。大変ですね。
「富山人チェック!」というものがあります:
http://www.nnh.to/diary/2003/07/11.html#a01
「富山弁方言語録(笑)」など:
http://www.dd.iij4u.or.jp/~iino/Hogen.html
富山県人に限らず、地方の人間は酒好きが多い(というか、飲めるほうが大きな顔ができる、男らしいと思われる)。
よって、普段(日常)においては、他県の人に比べて大人しい(かも)しれないけれど、酒を飲むと、どうなることやら。
正月は、警察は取り締まりしないからなどと言って、大っぴらに酒飲み運転している輩も。
要するに、代行運転もあるようだけど、実際は、それを隠れ蓑にして(?)、酒飲み運転が横行しているのが実情。富山でも酔っ払い運転の取締りが連日、行なわれ、次々と発覚という惨状です。
問題は、不況が長引いて、タクシーを使う人が減っている、代行運転に払う金が惜しい、地方は、東京以上に繁華街と住宅街、商店街との格差などが激しく、大きなスーパーへは車を使ってしか行けない、等々という惨状があること。
バスはあっても、本数が少ない。電車も少ない。地下鉄など論外。深夜、使える交通機関というとタクシーを除くと、自分の車しかないという実情が問題なのだと思います。
車を持たない、運転できないお年寄りとかは、田舎じゃ、生きていくのが大変。
要は、地方では移動するシステムが崩壊寸前だということです。
あまりに車偏重社会になってしまっているのかも。
あるいは、だったら、車の有効利用を公私が共同して知恵を絞って、システム全体の問題として考えるべきだと思うのです。
投稿: やいっち | 2006/09/20 14:30
「オセロ」四幕三景のデズデモーナの「柳の歌」
DESDEMONA: [Singing]
The poor soul sat sighing by a sycamore tree,
Sing all a green willow: [40]
Her hand on her bosom, her head on her knee,
Sing willow, willow, willow:
作家が聞いた原曲らしき俗謡が下で聞けます。
http://cdsearch.britannica.com/shakespeare/article-248490
ヴェルディが「オテロ」としてオペラ化してこれの「柳の歌」も名曲です。
http://www.amazon.com/gp/music/clipserve/B000001GLM002017/0/ref=mu_sam_wma_002_017/002-3588823-0500029
柳はどうも乾燥地帯とそうでない所に育つ二種類が代表的なようです。ゴビ砂漠や北京、バビロンとかと、英国などの北方の土地に植生するもの。
投稿: pfaelzerwein | 2006/09/20 16:21
あはれ娘はシャモーアの蔭に、
歌へ、柳を、只青柳を!
胸にや手をあて、膝には頭《かしら》、
歌へ柳を、柳や柳!
(坪内逍遥訳)
俗謡のほう、聞かせてもらいました。さわりだけだったけど。
オセロー、芝居を生で見れたらいいでしょうね。
柳の木の伝播を通じての文化の伝播を探るのも面白そう。実地の形でテレビの特集が組めそう。
投稿: やいっち | 2006/09/20 20:08