« 06志村銀座パレードへ(2) | トップページ | カーニヴァルテーマ「太陽」(4) »

2006/09/07

持衰(じさい)のこと

 昨日から今朝にかけて、「秋篠宮家に新宮さまが誕生した」というニュースでラジオもテレビも、マスコミ全般が持ちきりだった。
 何処の誰であれ、子どもが生まれ母子共に健やかであることは目出度いことである。

 けれど、へそ曲がりな小生は、「秋篠宮家に新宮さまが誕生した」というニュースを聞きながら、ちょっと古代のことなど想っていた。
 古代には「持衰(じさい)」という存在があった。

4921132860091

→ 永井 俊哉 著『縦横無尽の知的冒険』(プレスプラン)

「持衰(じさい)」については、下記サイトが詳しい。
天皇のスケープゴート的起源」(ホームページは、「永井俊哉ドットコム」である。「縦横無尽の知的冒険」と題されたメールマガジンがお勧め。)
 このにおいて、永井俊哉氏は、「天皇の起源がスケープゴートだった」という論を展開されている。
 詳しくは、「天皇のスケープゴート的起源」なる頁を覗いて読んでみてほしい。
(但し、参照させてもらったが、以下で示す論旨については、責は小生にある。)

 例えば、「1. スケープゴート的起源の痕跡」において、「天皇がかつてスケープゴートであった痕跡の一つとして、天皇には姓がないという事実を指摘することができる。天皇には裕仁とか明仁といった名前しかない。明治以前では、貴族であれ武士であれ、姓があることは上流階級の特権であって、庶民には姓がなかった。それなのに、上流階級の頂点である天皇には、賤しい一般の庶民と同様に姓がないのである」と書かれている。

 あるいは同じ項に、「古代の天皇は、古代エジプトのファラオや中南米の王族と同様、太陽の子孫と信じられ、その血統を守るため近親相姦が繰り返されてきた。ところが日本を含めて世界中どこでも、近親相姦は汚らわしいタブーなのである。穢れと神聖さを兼ね備えていることは、スケープゴートの特徴である」ともある。
『古事記』などを読むと、こうした事例に数多く出会う。それどころか、血統を保つため親や兄弟だろうと暗殺をも厭わなかったことも、『記紀』の記述を信じるなら、我々は知らされるのである。
(このたびの「秋篠宮家に新宮さまが誕生した」という事実が、想像を超えて波紋を呼んでいるし、波は高まっていきそうだ。特に雅子さんの心中を思うと…。)

 また、同じ項に、「天皇にはこれ以外にも特異な点が多く見られる。日本の天皇は、世界の通常の君主や国王と異なって、政治的・軍事的カリスマ性よりも宗教的カリスマ性を多く持ち、主体的に政治的リーダーシップを取ることがない。天皇のこの特殊性はどこから来たのか」とある。


 次は、「2. 持衰としての天皇」の項である。いよいよ本論となる。
 そこには、「桓帝と霊帝の治世といえば、147年から189年の間である。158年に皆既日食が起きた後の内乱であったと考えられる。太陽を崇拝する民族にとって、太陽の死はこの世の終わりを意味する」とある。

(「カーニヴァルテーマ「太陽」(2)」の「太陽を崇めるアーラ」の項でも触れたことだが、「「太陽を神と崇める古代の人々は、突然欠ける(蝕まれる)太陽の姿に恐れおののきました。悪魔が太陽を食べてしまうと考えたところもあったようです。時の権力者達は、自分の力を誇示し国を治めるために、太陽や月の動きを詳しく観察して、暦を作ったり、日食や月食を予報させ」たのだった」。
 その太陽が日中、掻き消えた! どんな支配者であろうと、古代においては政治以上に祭祀の役割を重く担っている。その祭祀者にとって、大失態である。そんなことがあってはならないわけである。
 日食などについては、拙稿「「鳥」の声と虫の息」でも若干、扱っている。)

 その上で、「『魏志倭人伝』は、当時の倭には、持衰(じさい)と呼ばれるスケープゴートがいたことを教えてくれる」と続く。

『魏志倭人伝』(「倭人伝」は短い文章なので是非、一読を!)の当該部分を訳だけ転記させてもらう:
「渡海して中国に往来するときには、恒に一人には、頭を梳らず、虱を取り去らず、衣服は垢に汚れたままにし、肉を食べず婦人を近づけず、喪に服している人のようにさせる。これを名づけて持衰としている。もしも旅がうまく行けば、人々は彼に生口・財物を与え、もし途中で疾病があったり暴風などによる被害があれば、持衰を殺そうとする。その持衰が謹まなかったからだというわけである。」

 ここが肝要かと思われるが、「船を国に置き換えた時、国王は持衰に相当することがわかる」というわけである。
「「持衰」に相当すると思われる人物が描かれた絵画土器片が、奈良県の唐古鍵遺跡から見つかっている。その絵画土器片では、持衰は、左手に何かおそらく宗教的意味を持つと思われるものを手にして船尾で孤立している。年代は1世紀後半(弥生時代中期後半)と推定されるので、邪馬台国の時代より前である。」というのは、興味深い。


 さて、我々日本人は天皇を尊敬している。少なくとも尊敬しなければならない(らしい)。心中はともかく、口辺においては、歯の浮くような、普段は全く使ったことのないような、言い回しで天皇家のことは語らねばならない(らしい)。
 が、常識として察せられることだが、実際の事跡において偉業を為した人はともかく(オリンピックで唯一、金メダルを獲得した荒川静香選手とか)、家柄や血筋その他で生まれながら敬うべき対象となると、尊敬の念を篭めれば篭めるほど、その一方では暗い情念が澱のように沈んでいく(あるいは水底に静かにあったものが浮んでくる)。
 無闇に誰かしらを尊敬したなら、その裏返しの屈辱の念は他の誰かしらへ向けられる。新たに弱者や犠牲者を作り上げてでも、その対象に向けて鬱憤を発散させないと心的バランスが取れない。部落差別だったり、学歴の上下だったり、財産の多寡だったり、腕力の大小だったり、美醜(化粧の技術の上下)、身長の高低などでスケープゴートを懸命に探す。あるいは多くのタカ派のように中国や韓国・北朝鮮相手に憤懣の念を晴らしてみたり。

 さて、天皇制が古代から連綿と続いたかどうかは、小生には分からない。「天皇」という観念に固着したなら、あるいは七世紀後半くらいからは続いていたのかもしれない(原型は三世紀頃にあったようだが。但し、近年は、「天皇制」という表現が保守派を中心に忌避され「皇室制度と呼ぶ傾向にある」という。われわれも知らず知らずのうちに、その流れに呑み込まれている)。
 但し、儀式一杯の権威に満ちた近代の天皇制は、明治(維新)以降に始まっている。
尊皇攘夷論」の項にあるが、「江戸時代末になると尊皇攘夷論が興り、天皇は討幕運動の中心にまつりあげられた。尊王攘夷論は、天皇を中心とした政治体制を築き、対外的に独立を保とうという政治思想となり、幕末の政治状況を大きく揺るがせた」が、その際、「尊皇攘夷派の志士の一部は天皇を「玉」(ぎょく)と呼び、政権を取るために利用する道具だと認識していた」のだった。

 幕末において「幕府の存在に深く理解を示していた孝明天皇の崩御は、禁門の変で鳴りを潜めた勤王倒幕派の勢力復活と佐幕派の衰退を招き、幕末史の大きな転換点となった」のは周知の事実であろう。
 謎なのは、孝明天皇の崩御の死因なのだが、「孝明天皇 - Wikipedia」によると、「死因は疱瘡による病死と言われているが、突然の急死だったため、倒幕派に暗殺されたとの説もある。この説によれば、孝明天皇は保守的な人物で倒幕の意思が無かったため、倒幕派であった岩倉具視などからその存在を疎まれ暗殺されたのだという。毒殺説と刺殺説が有る」といった次第。
 
 天皇の存在は政治的な目論見を果たそうとする一部の者には徹底して道具だというわけである。必要なら都合のいい存在を作り出すことさえやってのけてしまう。
 
 しかし、ここでは、幕末から明治において近代の天皇制が可能だったのは、「日本において身分制度が確立された」江戸時代の意識が民衆のうちに抜けきっていなかったからではなかろうか、という点に注意を喚起しておきたい。
 士農工商(実質においての上下関係は、この順番だったかどうかは別として)や、「「穢多」「非人」などと呼ばれた最下層」がいることが当たり前の時代背景が前提で、だからこそ人間として別格の存在である天皇(近代天皇制)が虚構しえたのではなかろうか。

 昭和天皇は戦後、人間宣言をされた。それが、またぞろ、近年、「雅子さま」などと「さま」付けで呼ぶことをマスコミにおいて慣習となっている(強制されている)。雅子さんは、雅子さんでいいのではないか。
 天皇家の方々であろうと、病気もする、悩みもする、恋もする、恋の相手は<高貴な>相手とは限らないはずであろう。怒りもすれば泣きもする(はずである。泣く姿をマスコミには見せてくれないけれど)。
 天皇家であろうと、理想的な家族像を築き上げられるとは限らないのではないか。
 思いの丈をマスコミの前で述べてみたくなる時もあるはずである(皇太子の雅子さんを巡る発言「人格を否定する動き」や、日韓共催のワールドカップの時の天皇の「ゆかり発言=私自身としては,桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると,続日本紀に記されていることに,韓国とのゆかりを感じています」など。マスコミの前では語られなかったようだが、「だから 私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」といった昭和天皇の発言も、あるいは自由な発言の機会があったら、もっと早くに昭和天皇の真意が靖国神社側にも知られていたかもしれない)。

 が、それは叶わない。政治的な発言は許されていない。日本国民統合の象徴というなら、政治的発言も可能なはずではないか。国民は政治的発言をしないというのか。憲法に天皇は政治的発言をしてはならないと書いてあるというのか。

 時代は徹底して流動的だと感じる。天皇制の在り方も変わってもおかしくないのではないか。
 身分制度が当たり前の時代意識を前提の現今にまで続く天皇制は、幕末から明治維新当時においては余儀ない面もあったのだろう(たとえ、江戸時代のように多層的な身分制度ではなく、「君」と「民衆」の二つの身分に集約されたのだとしても)。

 が、今、天皇制という裏返しの「持衰(じさい)制度」があっていいものか疑問だと思う。
 人間にどのような形であっても身分差別(どう言い繕っても差別には違いないの)があっていいはずはないと信じる。
 日本国民統合の象徴というのなら、憲法においても、何も具体的に何処かの家族(一族)を念頭に置かなくても構わないのではないか。
 勇気ある保守思想家の方が、現代、そして将来を見据えた観点から、日本国民統合の象徴として、何か他の理念を、何処かの一家を犠牲に供しないような形で考え出すことはできないのだろうか。
 そんな勇気のある思想家はいないか。

 菊のカーテンの奥に厳かに…と思っても、そこにいるのは普通の、当たり前の人間以外の誰がいるわけではない。
 天皇への思い入れは結構かもしれない。が、それはあくまで幻想であり、幻想を特定の誰彼に仮託するのは何処かに無理を生じる。幻想はそれぞれの心の中に大切に抱いていればいいのではないか。生身の体と傷つく心を持つ人間しかこの世にはいないのだ。

|

« 06志村銀座パレードへ(2) | トップページ | カーニヴァルテーマ「太陽」(4) »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

近代・現代史」カテゴリの記事

コメント

萩尾望都の短編マンガに、祭りの後に目をつぶされて「忌むもの」として追放される王が出てくる話があったよ。このブログ読んでて思い出したんだけれど、タイトルが思い出せない。本棚にも見当たらない。
ところで彼女の「銀の三角」は読んだ?絶品!ただしたしかもう絶版だから、古本屋じゃないと入手は不可能だと思う。でも、また出たかな?

投稿: 志治美世子 | 2006/09/08 18:27

三十歳前後の頃に漫画離れした小生も、萩尾望都だけは、評判がいいので何か呼んだことがあったっけ。
でも、「銀の三角」はまだだと思う。今も売っているようですね。
女性の漫画家だと内田春菊が好き。

投稿: やいっち | 2006/09/09 08:17

「週刊朝日」に載っている話、宮家である秋篠宮家は本家である皇太子とはまったく違った処遇を受けていて、御料牧場のビン入り牛乳を60円払って飲んでいるそうな、同じ牛乳が愛子様には無料。
宮内庁病院が抱える雅子様は分娩費が無料だが、紀子様の愛育病院の入院費は私費から負担、皇族は健康保険がないから十割負担になる。
制度の矛盾はこんなところにも現れるわけですね。
しかも皇室典範は兄弟継承をほとんど想定していない、男子誕生で次の次の天皇を「皇太子家か秋篠宮家か」という非常に現実的な選択を迫られてしまうと週刊誌の記事は踏み込んでいます。

投稿: oki | 2006/09/10 22:34

男系か女系か、皇室典範の改正論議など、世情を騒がせているけれど、現代では菊のカーテンをどんなに張っても、皇室制度(天皇制)の維持は難しいと思われる。
健康な子どもが生まれて欲しいけれど、生まれながらに障害を持って生まれる人もいる。天皇家だけが例外というわけにはいかない。
皇室制度(天皇制)は静かに静かに縮小していくものと思われます。
大切なのは人間たる人々が健やかに暮らせること。ただそれだけだと思っています。

投稿: やいっち | 2006/09/11 01:13

私も昔は天皇家の自立のための皇居煎餅構想や天皇家に投票権をなどと、また裕仁天皇に親しかった親戚をも煙たく考えていましたが、今はほとんど愛しくも思います。冗談はさておき、男女の問題も明治の法律の弊害と言うか、天皇文化からするとかなり歪です。そうした矛盾が明治憲法そのものにあり、其処へと連なる江戸の学問にあると考えます。近世の見直しまで含めてポスト近代への脱皮して行くのが大切でしょう。

そこで絶対譲れないと言うか、エントロピーの法則のように働く掟があるように思われます。それは不可逆不可能な、封建制度であったり、女性機会不均等であったり、人種差別であったり、植民地主義であったりと、幸か不幸かで避ける事の出来ないグローバルな展開を阻害する特殊性です。現代の最大公約数的規範は譲れません。

カトリック教会でも、避妊反対でエイズ患者を増やした罪と女性聖職者の否定は権威失墜のきっかけとなりました。ただ、ヴァチカンは巨大権力と富を持っており、知的にも自己修正していく知恵が詰まっている。その点からすると日本の天皇制は存続が危ないですね。

投稿: pfaelzerwein | 2006/09/11 07:14

天皇制を維持することに汲々としている。権威を保ち、理想的な家族像を虚構しよう、マスコミもそれに協力して(雅子さま、紀子さま、などと呼称するなど)いるけれど、無理は無理。
国民の側も、成熟していくしかない。どうあれ差別の構造を保つかどうかという現実は変わらないのですし。
日本が開かれた国に脱皮するには、天皇制に代わるものを考えていかないと、日本は限り無く縮小再生産する衰退の道しかないのは明らかかと。

投稿: やいっち | 2006/09/11 09:16

僕は天皇制は日本人の気品とか優雅さとかの象徴として続いてほしいと思う。
ところで周知の事実として、天皇制が保たれてきたのは側室制度があったからだということがあります。
明治天皇も大正天皇も側室の子。
三笠宮様が旧皇族の皇室復帰とともに側室制度の回復を主張されたと一部報道にありましたが、これがなぜかマスコミで無視されているのはなぜなのでしょう。

投稿: oki | 2006/09/16 21:31

天皇制はともかく、人である方に過大な期待を寄せたり幻想を抱くのは無理があるというもの。
もう、そんなことを許す時代ではないと思います。
幻想は各人の心の中で抱き続ければいいのではないでしょうか。
但し、ある種の文化の継承は関係者の間で努められていくものと思います。

側室制度。本音はなかなか関係者は語らない。みんな、だんまり。
男系だろうと女系だろうと、過去の常識(側室、近親相姦)に復古するのでないかぎり、制度の維持は不可能になっていく。
天皇家も人間の家である限り、その例外ではないと思います。

投稿: やいっち | 2006/09/16 22:46

やいっちさんは、この話題には飽きたかもしれませんが、昨今のベネディクト16世の発言問題などを考えると、天皇問題も近代の超克に繋がりそうです。

一方の人々にとってはタブーであって、他方の人にとっては好ましくない話題である天皇問題は、日本国憲法に存在する以上盛んに議論されるべきと思います。

その中で、仰るように報道が敬称を付けなければいけない状況等は修正されていくべきでしょう。これは日本語の尊敬語を破棄する事になると思いますが、封建制度的な感覚や権威の政治的利用を避けるためには通らないといけない行程と考えます。これだけで社会は大分変わります。

今カトリックの権威に関する記事を書こうとしていますが、結局は秘儀によって(側室は無関係)辻褄の合う構造は変えようがありません。上記の裕仁天皇の夜伽(側室は無関係)に参加した親戚からの又聞きもこれに準じています。

つまりこうした秘儀を如何に権威とは無関係な所で、そうしたものに依存する大衆が自分のものと出来るか(カトリックのミサのように)ではないでしょうか?

ここから違う価値観が生まれてくる方が良いのでは思う今日この頃です。だからこそ理性が重要というのがベネディクト16世の発言でした。

宮内庁は男女問題は引き続き検討と言っているようですが。

投稿: pfaelzerwein | 2006/09/17 02:58

ベネディクト16世の発言は、今年初めのデンマークの新聞が掲載したムハンマドの風刺画が険悪な状況を生み出したことを思うと、あまりに無神経で配慮を欠いたものと言わざるを得ない。
これでは、近代の超克以前で、せっかくの高邁な考えが吹き飛んでしまう。もっと違う喩えがなかったものか、不思議。

天皇制については(特に自由な発言については)タブーが多すぎるし強すぎる。みんな避けてしまう。小生(のブログについて)もこの記事も恐らく一瞥して多くの方が敬遠されていくんだろうと推察している。君子、危うきに近寄らず、なのでしょう。
物言えば唇、寒し、です。
ああ、思えばも季節はもう秋ですね。

多くの人が腫れ物に対するように天皇の問題に対することで、天皇家の抱える問題が内向化してしまう。それをよいことに、一部のタカ派的な立場の言動が一層、力を持ってしまう。
タカ派の連中は(今の総理・総裁候補も含め)教育基本法の改正(?)が大事とか言っているけど、一般人の言論が一層、封殺されていく動きの一環なのではないかと危惧される。

一時、雅子さんの懐妊で不妊治療されたのではという話題が取り沙汰されたことがある。プレッシャーは相当なものがあったのだろう。女性には辛い体験だったはず。後遺症は心配ないのだろうか:
http://itaru-m.hp.infoseek.co.jp/m/26.htm

今回は紀子さんに男子が生まれたことで、問題は血筋の継承問題(皇室典範の改正問題)は先送りとなったけれど、いずれ時間の問題で同じような事態が来るのは必定。

紀子さんに男子が生まれたことで、最早、現皇太子は、そのお子さん(悠仁ちゃん、場合にっては、秋篠宮さんへの?)への中継ぎ扱いされつつある。世の中の眼は、先へ向うのが常だから。

そこにある雅子さん(当然、皇太子)の苦悩を、大衆の面前で今まさに苦悩の渦中にある雅子さんや皇太子、あるいは現天皇の苦衷を人々は囃し立てつつ、実質において見殺しにすることになる。

雅子さま、紀子さまと持ち上げる表現を平気でするマスコミや一般人の無神経さには絶望的なものがある。
鬼神を敬して之を遠ざく、が世人の世故に長けた知恵なのだろうか。

理性の問題。神、そして信仰の問題。日本は、実際には明治維新以降も精神の上では近代化を経験したかどうか、はなはだ疑問に思っている。だから、近代の超克なんて、日本にはまだまだ遠い先の話。まだ天皇という高貴な存在がありえると思っている。そこには生身の人間たちしかいないのに。
勝手な思い入れと幻想に浸っている段階。夢を見ているってことでしょう。
そのことがどれほどの悲惨な結果を生み、あるいは齎すか、想像だにしない。
秘儀を忖度するのは、理性の問題のシビアーさに気付くことも併せ、今の日本人には少なくとも百年は早いかも。
もっと言うと、<理性>なるものに向き合う時が来るのかどうかすら、基本的に疑問を持っている。湿気の多い国・日本。思考も湿度の低い国とは違ってくるのではと思う。もっと、じめっとした感性(と黴の生えがちな知性)を前提に考えないといけないのかもしれない。

投稿: やいっち | 2006/09/17 04:49

タブーの問題といえば天皇制のちょうど裏返しに同和問題があります。
どこかの県の教育長の自殺も実は同和がらみなのですがマスコミは絶対に触れませんね。
最近の「週刊現代」が面白い。
同和問題、JRと革マルの問題、電車で痴漢にあっても感じて濡れてしまう女の性の連載ーいろいろタブーに挑んでいます。
同和と天皇制はつながっているのでしょうね。

投稿: oki | 2006/09/19 09:58

「天皇制のちょうど裏返しに同和問題があ」るというのは、同和問題に(も)詳しくない小生には、今ひとつ、理解できない。
いずれにしろ、タブー視し、自由に語れない雰囲気は、特に天皇制に関しては、戦前の愚を繰り返す懸念を抱かせてしまう。
JRと革マルの問題や電車での痴漢の問題は、タブーなのかどうか。天皇制や同和問題とは次元が違うような気がする。

投稿: やいっち | 2006/09/19 11:33

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 持衰(じさい)のこと:

» 男子誕生って、そりゃ目出度くはあるけど、さ! [天にいたる波も一滴の露より成れリ]
日本のさる一族に、近来まれに見る男の子の赤ちゃんが誕生なさったのだと! そりゃ、目出度いわな。 だが、生まれたばっかりの赤んぼうを俎上にのせて、日本のあり方なんぞをあれこれと取り沙汰するのって、私はすっごくおかしいと思う。 少なくとも、ものすごく違和感がある。 もちろん、生まれたすべての赤ちゃんには健やかに育って欲しいと願っている。 身近に知っている子ならもちろん、風の便りに聞いたうわさでも、私のまるで知らな... [続きを読む]

受信: 2006/09/08 07:58

« 06志村銀座パレードへ(2) | トップページ | カーニヴァルテーマ「太陽」(4) »