有峰慕情
過日、届いていたが、他の郵便物や読み残しの新聞・雑誌・パンフレット類の山に埋もれて、いつしか届いていたこと自体、忘れかけていた冊子を今日、やっと手にしてみた。
このところ、サンバのこと、自転車(通勤での疲労)のことなどで忙しく(あるいはロッキングチェアーで沈没状態で、日曜日は天気もいいし、自転車で近所を散策しようと思っていたが、とんでもなかった!)、先回しになっていたものを、この土曜そして日曜で幾分、片付けることができた。
そうしたら机の上に山積みになっていた書類の中から冊子が現れたというわけである。
それは、郷土の冊子である『富山県人』で、毎月、届いている。
寝る前などに、パラパラと捲るのに、ちょうどいい。
が、夕方だったか、就寝時間が待ちきれずに開封し捲ってみたら、個人的な興味もあり気を引く記事があった。
それは、「有峰街道廃道へ 県境の山道、通行なく」という見出しで、「北日本新聞 バックナンバー」から関連記事の一部を引用してみる:
「富山市有峰(大山)と飛騨地方をつなぐ大多和(おおたわ)道路の私道部分(全長9キロ)が、悪路のためほとんど使われておらず今季限りで通行禁止となる。県内最奥にあった有峰村の人や物が行き交い、伊勢代参などの慣習に使われた歴史があり、廃道を惜しむ声も聞かれる。有峰森林文化村は9月、古道を歩くイベントを開く」
「廃止されるのは、県境の大多和峠-飛騨市佐古間」というが、例えば、「大多和峠」という頁がこの峠について詳しい(地図も載っている)。
「大多和とは「大きくたわんだ地」ということで、この土地が近くにそびえたつ横岳の中腹あたりにあり、大きくたわんだ土地だったことからの呼び名が村名となり、現在も大字として残っているのである」という記述が、小生の語源話好みもあって関心を呼んだ。
「峠と旅」なるサイトの「大多和峠」という頁は、写真が豊富で内容も豊かである。
何処までも続くような峠道の写真を観ていると、時代劇を撮影するのに、こんな場所がいいのではなどと思ったりする。ま、実際上は交通が不便だから無理だろうけれど。
「個人的な興味もあり気を引く」と上で書いた。有峰街道に限らず峠道にはいろいろ思い出がある。が、有峰湖の周辺を含め有峰街道の一部くらいは歩いたことがあるが、大多和峠までは車も含め、通ったことはないはずである。
実のところ、有峰湖周辺の峠道をバスで二度ほど通ったことがある、あるいは徒歩で歩いたことがあったというだけのことである。
けれど、それが初恋の相手と二人で、なので有峰という地名や道路名を目にすると、どんな話題や記事であれ、読み過ごすわけにはいかないのだ。
遠い昔、高校二年の時、多分、秋の頃のある祭日だったと思うが、何故か有峰湖へ一緒に行こうという話になった。どうして有峰湖だったのだろう。デートなら、他にもいろいろあったはずなのに。
小生が誘ったのか、相手が場所を仄めかしたのか、それすら覚えていない(当時の日記も二十歳の時に全て焼却したし)。
有峰湖までは最寄の鉄道の駅からも、ずっと遠い(記憶では当時は十キロほどはあった)。交通機関としては本数が少ないがバスを利用するしかない。
なのに、記憶からはバスに一緒に乗った時間がすっぽり消え去っている。
二人で砂利道をテクテク歩いたことしか覚えていないのだ。
まさに峠道で片側は急斜面で岩がところどころで剥き出しになっている。バスどころか普通車だって擦れ違うのは、どちらかが道の端っこギリギリに寄せて止まらないと不可能な道。
その道をほんの一歩、踏み外すと崖を真っ逆様に遥か眼下の川か石で一杯の河原まで一気に転げ落ちるしかない。
峠の道の何処かが、最近の雨のせいか、車どころか人さえ、通れなくなっている。斜面の岩や土砂が道路を塞いでいたのだ。
あるいは、だから、バスの運行は取りやめになっていたのかもしれない。
それとも、途中まではバスは走ってくれたのか。
なんとなく、共に学生服姿の二人(学校の規則で、外出の際は学生服着用が義務付けられていた)を運転手はどう思っているんだろう、なんて思っていたような微かな記憶もあるのだが…。
が、二人は、どうしても有峰湖へ行きたかったのだ。
だから、最寄の駅で降りてからは、あるいはバスを降りてからは、気持ちは一つで、とにかく有峰湖へ。
十キロもの道…。
砂利道が岩などで塞がれているし、斜面からはいつ岩が落ちてくるか分からないような状況だった。
が、幸いというか、その峠道のさらに斜面側に人が二人ほど並んでならなんとか歩ける程度の細い、天井の低いコンクリートで固められた崖崩れの際の緊急の避難通路のような道があった。
ちょっと通路の中を覗いてみる。
薄暗い道だった。
片側は斜面だが、片側にはコンクリートの壁に透き間があり、そこから外光がやっと入るだけ。
その光があるお蔭で、避難路(勝手に命名しておく)には灯りの類いが一切ないにも関わらず、目を凝らせば手探りしなくても歩けるかも、と思えたのだった。
薄暗い、かび臭いコンクリートの通路の壁からは水が染み出していて濡れているのが分かる。天井からも水滴が落ちてくる。
水滴がポタリポタリというより、雨滴が雨ほどに落ちている。どうしたものか。
通路の外の峠道は岩や土砂で埋まっているし、崖が今にも崩れそうな気配。
仕方なく、二人して暗い通路を行くことにした。
いざ隧道に入ろうとすると、彼女は、さすが女性である、小さなバッグから折畳みの傘を取り出した。目にも眩しいピンク色の傘。
でも、小生は、それを目で制して、彼女の肩を抱き寄せた。
通路は狭いし天井も低い。雨滴は少なからず落ちているが、雨というわけじゃない。
そんな判断を口にしたのか、それとも、目で彼女が傘を取り出す仕草を制したのか、覚えていない。
彼女の肩を抱き寄せ、薄暗い隧道(ずいどう)を歩いた。
彼女の肩を抱いた瞬間、彼女の体が一瞬、強張ったのを感じた。でも、すぐに解けて、成り行きに任せる感じになった。間近にあるはずの、息遣いだって感じられるはずの彼女の顔を覗き込む勇気は、小生にはなかった。だから、彼女の表情までは分からない。
覗いても長い髪と隧道の暗さで分からなかったろう。
長い隧道だったのか、それとも、その崖崩れした数十メートルの部分だけの短い区間だったのか、これも記憶の彼方である。
仮に隧道がずっと続いていたとしても、コンクリートの壁からは峠の砂利道が歩いても無事そうなのは分かってしまう。
そのまま彼女を抱き寄せながら歩き続けたかったけれど、それほどに図々しくはなれなかった。
隧道を出て、彼女の肩を放す。
彼女は、小さく、「ありがとう」と言った。
「ありがとう」の言葉が水臭く感じられたのは、小生が若かったからだろうか。
そうして気がつくと、有峰湖なのだった。
湖畔に二人して立つ。
崖下の湖から冷たい風が吹き上げてくる。彼女の髪が揺れ、彼女の頬が冷気で火照っている。
何故か小生は、彼女を斜め後ろから眺めている。見惚れていた?
そうかもしれない。
さて、である。小生の情けないところなのだが、その後、二人はどうなったのか。どうやって麓(ふもと)の駅まで戻ったのか、まるで覚えていないのである。
(彼女の肩を抱き寄せた時、彼女の体が強張ったのには、もっと別の理由がある…のだが、これはまた別の機会に。)
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コメント
創作ではないかと思いましたね。いやー、青春の味ですな。学生服とセーラー服。間道の暗闇は期待させてくれました。でも、肩を抱くだけの行為も良く理解出来ます。水臭い「ありがとう」の言葉も良いですな。
あとは有頂天で何も覚えていない?
投稿: pfaelzerwein | 2006/09/11 04:01
コメントの付けにくい小文でしょうね。
我ながら、もどかしい。
ま、ここには書きにくい事情もあって(書くとなると、数枚分じゃ済まず、多分、少なくとも中篇並みの分量になるので)、当分、別の機会も来そうにない。
投稿: やいっち | 2006/09/11 09:12
しめしめ、pfaelzerweinさん以外、誰も気付かれないままに、この記事は記事群の中に埋没だ。
投稿: やいっち | 2006/09/12 13:08