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2006/09/26

三木清…非業なる最期も知らず恋路かな

今日は何の日」というサイトを覗いていたら、今日9月26日は、「ワープロの日」だという。
 何故に今日がワープロの日なのかというと、「1978(昭和53)年、東芝が世界初の日本語ワープロを発売した。値段は630万円だった」とか。
 日付はともかく、「東芝が世界初の日本語ワープロを発売した」こと、「値段は630万円だった」ことなどは、テレビで折々特集などで紹介されたりするので、知る人も多いだろう。
 小生が初めて自前のワープロを持ったのは、1989年1月15日(当時は成人の日で祭日だった)。この休日を利用して以前から欲しいと思っていたワープロを求めて秋葉原へ向ったのだった。
 友人たちがその数年前から仕事で使っていたので、その姿を見て単純に格好いいと思った小生、欲しくて堪らなくなったのだ。

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→ PJ-100(ソニー) 「日本の歴史的コンピュータ」より。懐かしい!

 それに会社で孤立を深めていた小生は、個人的にも曲がり角にあった。詳しくはスペースの都合もあり書かないが、自分は何のために生きていると問い詰めていって、書くこと、文章表現に全ての情熱を注ぐことと思った。
 けれど、生来の不器用で、文章を書くと、すぐに腕が上がってしまう。
 鉛筆は夢中になるとすぐに芯が折れる。ボールペンは、さすがに切っ先が折れることはないが、力の加減をせずに書くものだから、少し長い文章を書くと、すぐに腕が上がってしまうのだ。
 その辛さを大学の卒論を書いた際(最初に出した卒論は不採用になった!)に、何度も書き直したりして、散々味わった。

 それ以来、極端から極端に走ってしまって、日記などを書く際には、やたらとペン先から力を抜いてしまって、只さえ下手糞な字がミミズも真っ蒼なほどに曲がりくねった、後で自分でもほとんど解読不能な文字しか書けないようになってしまった。
(日記をわざと汚い文字で書くのは他にも理由があって、人に読まれたくないから。学生時代以降、部屋に溜まった本などをダンボールに詰めて田舎に送っていた。その際、透き間に日記も詰めていた。それが田舎でダンボールを開梱し、本を棚に並べてくれていた。…日記も!)
 さらさらと書くのはいいが、文字がどれもくっついてしまって、速記のような横文字のような、訳のわからない汚れが紙面を埋めていくわけである。
 その後、あれこれあって自信喪失状態の小生、日記だけは細々と続けていたものの、創作にしろ駄文にしろ、ほとんど文章を書くことを放棄してしまっていた。
 それが、精神的に肉体的に追い詰められ、自分は何に生きる証しを求めるかとギリギリ追い詰めていって、書くことしかないと悟ったわけである。
 そこまではいいが、書くことに熱中するとすぐに腕が上がるという恐怖感のようなものがある。
 それに、熱中して書くと、書いた文字が後で読み直そうとしても、自分でもまるで判読不能な、誰も解読に成功していない謎の古代文字になってしまう。
 書くことで腕が上がるとか、読めるような文字にするといった余計なストレスを覚えたくない!
 そこへワープロの出現だった。ワープロの存在は知っていた。けれど、機械にまるで弱い小生、自分で扱えるかどうか不安でもあった。新しいもの(特にメカ的なもの)は苦手なのに好きな小生、興味は抱いていたのである。
 それが、友人たちが仕事で使っているのを間近で見て、自分でも使えるかもと感じたのである。
 秋葉原で、どんな機種を選べばいいか分からないままに選んだのは、皮肉にもソニーのワープロだった。
 皮肉というのは、ご存知のように、ソニーはワープロ市場からその後、さっさと撤退してしまうからであり、小生が買ったワープロはソニーの(ほとんど)最後の機種だったかもしれない。
 説明書を片手に、最初は恐々使っていたワープロだが、すぐに慣れた。
 実を言うと、小生は会社では、輸出の事務などをやっていて、英文タイプを日常的に使っていた。なので、キーボードアレルギーとは無縁だった。
 むしろ、キーボード部分があることで、最初からワープロに親しみを覚えたほどだ。
 とにかく、ワープロとしての特別なキーボード操作が多少はあるとしても、いざ文章を書くという意味では、タイプライターの延長に過ぎないのだった。

 小生が買ったソニーのワープロは先進的な機構があって、ワープロ本体とプリンターとが分離できる。だから、ワープロだけを持ち運ぶことができる。ワープロからプリンターを取ると、結構、コンパクトになる。
 それ以上に小生が惚れ込んだのは(といっても、当時はワープロはソニーのワープロしか知らないも同然だったのだが)、印刷された活字の字体だった。まるで楷書の文字で、自分の創作した文章を印刷してみると、なんだか、まるでちゃんとした中身が詰まっているような雰囲気を醸し出してくれる。
 小生、貧乏だし、ケチなので、使ったインクリボンも巻き戻して使うのが常だった。
 つまり、一度、プリントしたインクリボンを巻き戻して再利用するわけである。
 すると、当然ながら、プリントすると、活字は部分的に細かく白抜きされたような状態になるが、実はそれがよかった。
 何が良かったかというと、上記したようにソニーの印刷の活字は小説などに相応しいものだったのだが、それが再利用のインクリボンの故に、多少掠れた文字として印刷されることにより、活字が一層、味わい深いものになるのだ。
 まるで、筆で書いたような文字。墨の掠れの効果さえ感じられるような文字が並んでいくのだ。


 ワープロを所有し活用したことで、文字を書く際のストレスからは一切、開放された。ワープロのモニター画面を見ているだけで、あとは書くことに精神を集中させる。
 特にワープロを使い始めた当初は、基本的に創作にのみ打ち込んでいた。一人きりでの残業の日の続いていた会社からは、早くて十時過ぎ、大抵は夜半前後に帰宅する。
 それから一時間弱だけ仮眠を取ってから、起きてワープロに向かい、ひたすら創作に励む。創作の切っ掛けがつかめない時は、その頃、関心を持ち始めていたポロックやフォートリエ、デュビュッフェ、ヴォルス、そしてムンクなどの絵(画集)を見て、想を得て、毎夜、原稿用紙一枚分ほどの虚構文を書く。
 常識的な文章など書くつもりはなかった。文法的なことなど度外視。ただただフォートリエやデュビュッフェのアンフォルメル、ポロックの抽象表現主義的な世界に見合うような文章にすればいいのだった。

 その後、友人の勉強会の手伝いで一層、私生活は忙しくなり、睡眠時間は日に二時間か三時間という日が続いた。会社で眩暈を起こしてしまうこともしばしばだった。
 でも、小生はひたすら書くことに執心した。
(こうして書いた文章の断片を後につなぎ合わせて、小説(短編)に仕立てた。また、幾つかの短編を集めて自費出版にもこぎつけた。全く、売れなかった。)
 
 ワープロを自分も使いこなせるという自身が生まれた小生、一月に買ったソニーのワープロに不満を覚え始めた。なんといっても、処理速度が遅い。自分の創作する文章が画面に表示されるのが遅い。印刷も遅い。
 なんと、四月には新規にワープロを買った。キャノンのもので、値段は25万円。デスクトップ。15型のテレビほどの大きさ。小生の一か月分の給料まるまるである。
(ちなみに、そのワープロは今も処分に困っていて、机の前にデーンと居座っている。愛着のあったソニーのワープロは知人にあげてしまった。今も惜しいと思っている。他のなら、惜しくはないのだが、ソニーのは、活字が素晴らしかっただけに未練たっぷりなのだ。他の会社の活字は、まさに活字で味わいがない。無論、インクリボンはずっと再利用していたが…。)
 自分なりに毎日、何かしら書くことというノルマを果たせるという見通しも持った。創作するのは楽しい。虚構文だけじゃなく、エッセイやコラムも書く。時間がない中を掻き削るようにして時間を作って、ついには命を削ってまで書く日々に生きがいを覚えたりしていた。
 こうなったら、ワープロも当時の自分が買える最高機種を所有しようと思ったのだ。決意の現れ、というわけである。

 その一年後くらいには、ノート型のワープロで値段も十万円台でキャノンのワープロより遥かに高性能の機種がドンドン、登場し、小生、歯軋りする思いをさせられた。あと、せめて半年、我慢していたら、ノートブックタイプのワープロをもっと安い値段で買えたのに…、悔しい!

 その後、富士通を経て(これは田舎に置いてある)、最後は東芝のワープロを愛用した。今も残ってる。
 東芝のワープロを使っている頃、パソコンも徐々に素人も(文章を書く必要のある、何らかの業種の専門職だが、コンピューターに関してはプロ並みというわけではないような人も)使いこなせる、値段的にもリーズナブルになってきていた。
 会社で使って気に入ったこともあり、95年末だったか、96年にアップル社のマック(ノートブック)を通販で買った。
 が、これは、最初から不良品で、キーボードのキーのうち、幾つかが接触不良なのか、キーを打っても画面に表示されないか、何度か強めに押さないと表示されないのだった。
 好きなマックなのに、不良品だなんて。ガッカリしてしまった。
 そんなこともあって、パソコンは二年ほど封印。
 が、とうとう我慢がならなくなった。パソコンが欲しくてならなくなった。
 友人がパソコンを使いこなしている(ように見えた)こともあり、所有欲がムラムラと湧いてしまったのだ。
 東芝のワープロが気に入っていたこともあり、パソコンも東芝のダイナブック。
 それが99年の11月だった。

 段々、ワープロから離れていくので、ワープロを巡る思い出話はここまで。

 さて、「今日は何の日」に戻る。
 今日9月26日は、哲学者の三木清の忌日だという。知られているように、1945年、戦争も終わっていた9月に多くの知人に入獄の事実も知られないままに、「治安維持法違反で入獄中に病死」。
 ここでは、三木清の紹介はしない。
 例えば、「三木清 - Wikipedia」、あるいは、京都大学に敬意を表して、「京都大学大学院文学研究科日本哲学史研究室」の「三木 清」の頁など参照するのがいいだろう。
「西田幾多郎の『善の研究』に強い感銘を受け、京大で哲学を学ぶことを決心する」というが、小生は、高校時代、西田幾多郎より三木清の書に親しんでいた。
 あるいは、センチな気分で思い入れしていたのかもしれない。

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← 三木清著『人生論ノート』(新潮文庫)

 三木清について、まともに採り上げたことはない。ただ、半年ほど前、「読書拾遺…市川浩・坂部恵・三木清」の中で、以下のように書いている:

(前略)特に三木清の本は懐かしい。『パスカルにおける人間の研究』や『人生論ノート』『語られざる哲学』などもいいのだが、講談社文庫から71年に出た『哲学と人生』は今から振り返ると青春の書だったような気がする。500頁を越える大部の本だったのだが、硬軟取り混ぜての本で、難解な部分、三木の凄まじい覚悟を感じさせる文章などがあって、齧り付くようにして読んでいた。ま、ちょうど失恋の時期と重なっていたこともあって、自分なりに懸命だったのだと思う。キルケゴールの訳者でもある桝田啓三郎の解説も印象的だったような気がするが、獄中で書いた遺作「親鸞」に宗教的な理解よりもセンチな思い入れをしていたようだった…。

『哲学と人生』(講談社文庫刊)は、もう、絶版のようだ。分厚い本で、この本を持ち歩いていたことが高校時代にあった。失恋し傷心のままに雪の中、隣町の何処かをうろついていたことがあったっけ。
 今は三木清は読まれているのだろうか。彼の哲学はもう、あるいは古い部分もあるのかもしれないが、「三木自身が好んで用いた表現を借りれば、ロゴス的なものとパトス的なものをめぐる問い」は今も有効なのではなかろうか。
 論理的な把握からはこぼれ落ちるパトス的なものを、いかにしてロゴス的なものに至らしめるのか、三木が生涯問い続けたのはこの問題であったということが出来るであろう。パトス的なものといっても、三木においてそれは単に個人の内面性にとどまるものではない。それは存在そのものの非合理性を意味している。また、ロゴス的なものといっても、それは対象的論理を指しているのではなく、存在の非合理性が合理性へともたらされる構造性、いわば存在の自己表現のあり方を意味している。パトス的な深淵に沈潜して言説を放棄するのではなく、あくまでもそれにロゴス的な表現を与えようとしたところに三木の哲学の魅力があると言ってよいだろう。(「三木 清」の「思想」項より)

 僭越ながら、小生が特にサラリーマン時代の最後の数年、必死になって表現しようとしていたものも、背景には「ロゴス的なものとパトス的なものをめぐる問い」が少しはあったと思っているのである。
 現実を前にして絶句する。花、風、土、石、生き物、感じ、湖面の細波、情…。蠢き揺らめいて止まぬもの。文章になど、どう頑張って収められるはずがない。
 だけど、だからといって、無言を通すのが立派というものではないだろう。
 敢えて口にする。敢えて表現する。敢えて生きる。それが人間という生き物の課題のような気がする。

 さて、その三木清だが、非業の最期を遂げる:

 1945年6月12日、治安維持法の容疑者をかくまったという嫌疑により検挙・拘留される。戦争終結後の1945年9月26日、豊多摩拘置所で疥癬(カイセン)の悪化により獄死。享年48歳。この三木の非業の死をきっかけとしてGHQは治安維持法を撤廃したとされている。残された遺稿は『親鸞』であった。

 このブログのため、ネット検索をしていて気付いたのだが、三木清のお墓は、「東京・中野区上高田・正見寺」にあるとか。
 東京・中野区上高田というと、小生が上京して最初に住んだ地ではないか。そんなことにも気付かないまま、その近辺でノウノウと暮らしていた?!
 いやいや、その頃も、失恋の真っ最中だったっけ。
 ああ、情けなや!

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コメント

花、風、土、石、生き物、感じ、湖面の細波、情…。

この無生物・生物の混合した列挙ですが、意識されたものなのかどうか?と言いますのは、所謂ロボットの擬人化などの現象に興味を持っておりますので、是非話題にして頂きたいです。

三木清死亡の正確な年月日を十分に知りませんでした。

投稿: pfaelzerwein | 2006/09/26 05:03

>花、風、土、石、生き物、感じ、湖面の細波、情…。

これらは、小生なりに意識的に、あるいは思わず知らずだけれど、自分の感覚からして極自然に出てきた事物群です。
虚構作品を意識しているかも。多分、問題意識が微妙に重なっているようなずれているような。

>ロボットの擬人化などの現象

なるほど。思い入れもあるし、身体としての精神の問題もあるし、興味深いですね。
まずは話題を提供して欲しいな。

投稿: やいっち | 2006/09/26 09:23

こんにちは!

やいっちさんも、かなり早い時期から、文明の利器を使っていらしたんですね。私も・・・。

昭和53年の東芝のワープロが出る以前は、IBMのタイプライターにカセットテープで、入力した文字を保存できるようなものがあったのです。タイピング作業はとてもたいへんでしたから重宝しました。その頃、私も貿易事務をやっていて、Documentation用のInvoiceやShippinng Documentsを作っていました。英文速記などもやっていましたね。

その後、一台1000万もするアメリカ製英文ワープロを使うことになりましたが、便利になったなと感動していました。

「三木清」の人生論ノートは、学生時代に読んだと思うのですが、全然覚えていません。西洋文化(哲学・思想)専攻だったのですが、あまり、哲学的なことには向いていない自分を発見しました・・・

投稿: elma | 2006/09/26 12:40

 ワープロ、懐かしいですね。
 私の父が新しいもの好きだったので、結構早くから私の家にはワープロがありました。
 一代目はどんなのか忘れたのですが、2代目はPanasonicの黒くて大きいやつ。
 今改めて考えてみると、結構な額したんでしょうね。

 おかげで10歳の頃からキーボードに慣れ親しんでいた私は、高校の時に自分のお金で買ったワープロにて、タッチタイピングを取得し、専門学校のときでは、クラス一番のパンチャーでした(笑)。

 それが昂じて、今は、パソコンに携わる仕事をしている・・・・・と、考えたら、私の今の状態って、小さい頃からちゃんと布石があったんだなぁなんて、関係ないことまで考えてしまいましたよ。

投稿: RKROOM | 2006/09/26 23:24

elmaさん、「IBMのタイプライターにカセットテープで、入力した文字を保存できるようなものがあった」なんて、びっくり。
「一台1000万もするアメリカ製英文ワープロ」があったこと、それを使ったということも、びっくり。
貿易事務をやっていたことも、奇遇でびっくり。
インボイス、デクラ、ライセンス、輸出証明書、輸出検査、どの言葉も懐かしい。
但し、小生より先輩です。小生は56年から輸出代行業の会社に。しかも、実際にタイプを打つようになったのは80年代の終わり頃から。ホント、elmaさんは大先輩です。

小生も哲学は(今も!)下手の横好きです。大学の成績も、他の学科は体育も含め(!)全部、「優」だったのに、肝心の哲学は「可」でした!

投稿: やいっち | 2006/09/27 07:36

RKROOM さん、今となってはワープロは懐かしいですよね。RKROOM さんも思い入れがあるのですね…と気軽に書こうと思ったら、とんでもない。ちょっと格の違う経験と思い出を持っておられる。
「10歳の頃からキーボードに慣れ親しんでいた」というのは、日本人では少ないのではないでしょうか。
小生は二十歳過ぎにピアノのキーに触れたのが最初……ってのは、話が違うね。

英文タイプに慣れていたので、キーアレルギーがなく、ブラインドタッチができるので、文章をワープロ(パソコン)で書く際も、いざ、書くことに集中すると、キーボードを意識しなくて済むのが助かるし、打つ際も姿勢を良いように保つ習慣が身に付いているので、腕も肩も痛くならないのが嬉しい。

「パソコンに携わる仕事をしている」、「私の今の状態って、小さい頃からちゃんと布石があったんだなぁなんて」……。
うーん、小生は、全く脈絡のない人生です。経験の蓄積が出来ない奴なのです。
と思うと、RKROOMさんを見る目が尊敬の目に。

それにしても、15型テレビほどの大きさのあるデスクトップタイプのワープロ、どうしたものか、悩んでいます。捨てるしかないのかな。勿体無い!

投稿: やいっち | 2006/09/27 07:46

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