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2006/09/12

カーニヴァルテーマ「太陽」(6)

 今朝、このブログ「無精庵徒然草」を開いたら、驚くべきことに、全く意外な人のコメントが寄せられていた。
 マリンバ-ヴィブラフォン奏者の三村奈々恵さんである。「車中では音楽三昧?!」の中で彼女について触れたことがある。
 ラジオで彼女の演奏や話を聴く機会に恵まれての記事である。
 驚くべき……というのは、大袈裟すぎるのではないか、と思われるかもしれない。
 が、やはり、小生としては驚いている。

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→ 交差点で信号待ちしていたら、スポットライトの当った一際目立つ看板に気が奪われた。あれは、誰だ?

 驚いたわけとは……。

 先の日曜日、図書館へ行ってきた。
内田奈織…森口博子…原田悠里」の中で内田奈織さんに言及したこともあってか、図書館のパソコンで調べ物をしていたら、すぐ隣にあるCDコーナーのラックに並んでいるCD群の中から内田奈織さんのCDが目に飛び込んできた。
 早速、毎日、ハープ演奏を聴いている。

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← 目を凝らしてみると(というか、デジカメをズームさせてみたら)、YUKIちゃんじゃないか! って、知り合いじゃないんだけどね。「YUKIweb.net」が楽しそう!

 また、ヴィラ・ローボスのことを話題に採り上げたが、彼の曲(資料)は図書館では一切、見つからなかった。でも、寄せてもらったコメントで富田勲氏のCDの中にヴィラ・ローボス作曲の曲が入っていることを知り、図書館で探したところ、他の館にあるようで、予約してきた。

 代わりというわけではないが、何かCDを借りたくて物色していたら、「車中では音楽三昧?!」の中で採り上げたものの、まだ聴くに至っていないマリンバ奏者の三村奈々恵さんのCDがあるではないか!

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→ そう、これです、これ! 三村奈々恵『ユニヴァース』 (ソニーミュージックエンタテインメント)

 で、日曜日、二冊の本と一緒に、早速、借り出し、本は齧り始めたばかりだが、三村奈々恵さんのCDは早速、就寝前も含め何度となく聴き入ったのである。
 そうして、月曜日は出勤。仕事が終わって火曜日、つまり本日の朝、帰宅。寝入る前にパソコンを開いたら、三村奈々恵さん(本人だと思うのだけど)からのカキコがあった、というわけなのだ。
 驚くべき偶然! ではなかろうか。

三村奈々恵 (Nanae Mimura) オフィシャルサイト
NANAELOG:マリンバ-ヴィブラフォン奏者 三村奈々恵 ~Official Blog~ - livedoor Blog(ブログ)

 本稿は、「カーニヴァルテーマ「太陽」(5)」に続くもの。
また本稿は、我がサンバチーム(エスコーラ)・リベルダージ(G.R.E.S.LIBERDADE)の今年の浅草サンバカーニヴァルテーマ「太陽」を巡っての雑記であり、画像はいずれも、画像の使用を快諾してくれている「Charlie K's Photo & Text」(あるいは、「Charlie Kaw, Photos and Texts」)からのものである。
 なお、「カーニヴァルテーマ「太陽」(5)」でメモした用語解説については、この頁「サンバ(ブラジル)関連用語解説」に用語解説のみコピーした。当分、この頁がトップ頁となるはず。
 できれば楽器については、画像(もっと理想を言えば音も!)を載せたいのが、これからの課題だ。
カーニバルとブラジル um brasil」に期待!

 さて、今回は、やや趣向を変え、一層パワーアップして、引用・転記の嵐だ?!

歌手(弦)

 パレードの始まる前から、山車に乗ったプシャドール(メインの歌手)がサンバ・エンヘードを歌いだす。プシャドールには5,000人の歌声をバテリーア(太鼓隊)のセクションと合わせる責任がある。彼は同じ曲をほとんど2時間近くも歌い続けなければならない。しかも失敗は許されないのだ。メンバーたちはヂレットール・ヂ・アルモニーアに気合を入れられながらエンヘードを少しずつ歌い始める。(p.64)
(クリス・マッガワン/ヒカルド・ペサーニャ著『ブラジリアン・サウンド―サンバ、ボサノヴァ、MPB ブラジル音楽のすべて』(武者小路 実昭/雨海 弘美訳、シンコーミュージック)より)

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 エンヘードはすごく特殊な音楽で、あの打楽器の量はPAでほかの弦楽器やプシャドールの音を出すっていう前提なしには考えられない、超打楽器的な音楽(音楽的な打楽器?)だと思うんだな。
(略)
 音質の違いや叩き方の違いで出てくるニュアンスで、参加してる人によってグルーヴはどんどん変化していくし、その中で自分が思ってるグルーヴ感を作りたいなら、他の人とのコミュニケーションっていうか意志疎通が絶対に必要。それがないとサンバはつまらないと思う。

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 バテリアの人の話になっちゃうけど、一つの楽器の中でスルド同士で作るグルーヴにこだわってると、スルドとタンボリンで作るグルーヴもパッと見えると思うし、バテリアとダンサーの間のグルーヴも、パレードで演じる人とアレゴリアを押してる人も、究極は、エスコーラの人とそのパレードを見てる人の間のグルーヴの中でグチャグチャ一体になれたらいいなー。とそんなことを考えつつエンヘードを聞いているのでした。
(「G.R.E.S. LIBERDADE---爆発!行け!我らがリベルダージ--- 『エンヘードをどう聞くか』  石丸ケン 1999/12」より)


ポルタ・バンデイラとメストリ・サラ

 ふつうブラジル人なら誰でもサンバのステップを踏めるが、こみ入った特別なステップを踏める人はなかなかいない。それができる人はパシスタと呼ばれる。エスコーラの最も重要なパシスタはポルタ・バンデイラ(団旗を持って踊る女性)とメストリ・サラ(祭りの引き立て役の男性)だ。この二つのキャラクターは19世紀のソシエダージの時代に遡るきわめて古いものだ。ポルタ・バンデイラはエスコーラの旗を振りながら優雅に踊り、メストリ・サラは彼女のまわりをエスコートしながら力強く踊る。(p.62)
(クリス・マッガワン/ヒカルド・ペサーニャ著『ブラジリアン・サウンド―サンバ、ボサノヴァ、MPB ブラジル音楽のすべて』(武者小路 実昭/雨海 弘美訳、シンコーミュージック)より)
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 そんなサンバパレードのダンサーの中に、1つだけ「ペアが基本」のパートがある。ルイ王朝宮廷風の華麗な衣装で踊るペア、「ポルタ・バンデイラ」と「メストリ・サラ」である。
 女王のような衣装を付けた「ポルタ・バンデイラPorta Bandeira」は、直訳すると「旗手」である。バンデイラというのは旗のことだ。ブラジルでも(そしてそれを真似た日本でも)エスコーラ・ジ・サンバはそれぞれのシンボルとなる大きな旗を持っている。その旗「バンデイラ」はチームにとって非常に神聖なものと考えられている。それをパレードで奉じているのがポルタ・バンデイラだ。
 そしてポルタ・バンデイラと必ずペアになるのが男性の「メストリ・サラMestre Sala」である。この言葉は直訳すると「部屋の主人」、いきなりそう聞くとなんのことか分からないが、野外でやるパレードをホールで行う舞踏会になぞらえ、そのホールの主人役であるということになる。つまり、舞踏会の仕切りを司る役目なのだ。こちらもまた、女王姿のポルタに合わせて、フリルやレースのたくさんついた王朝宮廷風衣装に身を包む。彼らがそういう衣装を着るのは、貧しい黒人階級であっても、年に一度のカーニバルのときだけは王侯貴族のような心でいられるという気概を示したものだと聞いたことがある。

(「サンバでガンバ VOL.8|ネピア サンバの基礎知識 ポルタ」より)

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→ この不鮮明な画像は、小生の手になるモノ。今年の浅草で小生が撮った数少ない画像だ。

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 ポルタは大きな旗を翻しながら、回転を中心としたダンスをし、メストリ・サラはその周りを、さながら大輪の花の周りを回る蝶のごとくに軽やかに舞う。彼らは、チームの神聖なる旗を奉じながら、チームの精神を体現し、それを観客たちにアピールする役目がある。Vol.3で紹介したように、リオではひとつのチームが3000人から5000人を擁している。その中で、ポルタとメストレは、わずか数組でしかない。だが、カーニバルでの順位を決める採点の項目で、ポルタ&メストレは独立した項目になっている。チーム全体の評価をする項目と同じ比重がかかっているのだ。どれだけ重要な役であるか分かるだろう。多くの人はサンバと言えば、あの露出度の高い衣装のことばかりが頭に浮かぶだろうが、最も重要なダンサーといえば、実はほとんど肌の露出はない重厚な衣装を着たポルタ&メストレ、なのである。
(「サンバでガンバ VOL.8|ネピア サンバの基礎知識 ポルタ」より)


太陽を楽しむ(アーラ)

 ブラジルのカーニヴァルは、ニューオーリンズの「マルディグラ」やスペイン語圏の他の国々で行われるものと同様、四旬節の前に行われる祭りで、そもそも古代ギリシャやローマ人たちの行っていた前キリスト教的な祭りを起源とするものだ。紀元前6世紀ころ、ギリシャ人たちは、酒や自然の力の神様であるディオニソスを祝う春祭りを行っていた。この祭りでは人々が町を練り歩いて浮かれ騒ぎ、山車などが出ることもあった。この季節の祭りをローマ人たちは、奴隷と主人が服を着替えて立場を逆転し大騒ぎするサチュルナリアや、ディオニソス神のローマ版であるバッカスを祝う酒の祭りなどに発展させた。こうした祭りは、たいてい酒に酔って乱痴気騒ぎとなり、あらゆる権威は面目を失ない、社会秩序が逆転し、すべてが無礼講となった。(p.54)
(クリス・マッガワン/ヒカルド・ペサーニャ著『ブラジリアン・サウンド―サンバ、ボサノヴァ、MPB ブラジル音楽のすべて』(武者小路 実昭/雨海 弘美訳、シンコーミュージック)より)
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 おそらくカルナヴァルほどリオ市民によって愛され、生命づけられている民衆の祭典は他にあるまい。一年中せっせと稼いだ金の大半をはたいて、彼らをこのわずか数日の乱舞へと駆り立てるものは一体何なのだろうか。よく、カルナヴァルの歓喜は悲哀と憤怒の裏返しの表現だ、といわれる。特に日頃の社会不満や、過去に奴隷として虐げられた苦悩を歴史に刻んでいる下層の人々および民族にとっては。しかし、そうした人々の、うちに憤怒をたたえた深い悲しみはこの国文化の民族性と国民精神に宿る哀感でもあるようである。
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 ポルトガル人が遠く離れた故国への郷愁(サウダーデ)に満ちた歌をうたえば、原住民であるインディオは、白人に奪い去られたかれらの世界を嘆き、鉄鎖につながれ、奴隷船で大西洋を運ばれて来た黒人は失なった自由を悲嘆し、今も太鼓(タンボル)の音にアフリカの声を聞くのである、カリナヴァルはまさにこうした悲哀、苦悩、欲求不満を一気に噴出、爆発させた祭典なのかも知れない。
(「僕のブラジル雑学ノート リオのカルナヴァル」より)
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 ブラジルを代表するリオのカルナヴァルは、それがこの国の社会のさまざまな実相を反映している、という意味で、いわば社会の鏡であり縮図でもある、といわれ、それ自体が一つの民衆心理を表出したものになっている。しかもそのカルナヴァルはこの国の歴史を貫く国民的テーマと深く結びついている。従って、祭りの枢軸となる筋書き(エンレード)にせよテーマ曲にせよ、必ずと言ってよいほどブラジル文化および民族形成のプロセスが刻み込まれている。そしてリオのカルナヴァルは今や単なる民衆レヴェルの祭典にとどまらず国民統合の象徴としての機能をも果しているようである。真にブラジル的なものを模索し、絶えずブラジルの民衆としての一体性を求める源泉こそがリオのカルナヴァルにあるのかも知れない。
(「僕のブラジル雑学ノート リオのカルナヴァル」より)

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