« 2006年8月 | トップページ | 2006年10月 »

2006/09/30

ロボットよ生身の人に代わるなよ

 例によって休日の前日は、ロッキングチェアーで夜を明かす。別に本を読みふけっているわけではない。音楽に聴き入っているのも事実だけど、要はベッドに入るのが面倒なのである。タクシー稼業の溜まりに溜まった疲れを、週末はとにかく泥のような体から搾り出すことに専念する。
 イメージは、残り僅かとなった歯磨きのチューブから無理にも歯磨き粉を搾り出す…。無論、出すのは疲労であり、心の垢なのだが、なかなか出てくれないのが悩ましい。

475613842x091
 
→ 田近伸和著『未来のアトム』(アスキー刊)

 動くのが面倒で、一旦、ロッキングチェアーに体を沈めると、もう、梃子でも動きたくなくなる。
 週日だと、翌日は仕事というプレッシャーがあるので、時間が惜しいという切迫感もあり、目覚めている僅かな時間に本を読み、ネットし、音楽などに聴き入り、あるいはボンヤリもする。
 が、翌日が休日となると、そうした緊張感が薄れるので、ロッキングチェアーで本を読むでなし、居眠りも飽きるほど貪り、溜まった郵便物に目を通し、後回しにしている用事を果たさないといけないと思い(思うだけだが)、そうしてダラダラグダグダしている間に夜が更け夜が明けていくわけである。

ヌイグルミ夢一杯のロボットさ」で「ロボットの擬人化」について、若干、書いた。
 けれど、誤解の余地が大いにあると、あとで気が付いたので、補足だけしておく。
 といっても、そもそもロボットの話題の広がりはどこまでも果てがない。

続きを読む "ロボットよ生身の人に代わるなよ"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006/09/29

ザビエルや死して大分走らせし

 自転車通勤に少しは慣れてきた…ような気がする。でも、通勤で乗るのは早朝だったり、遅い時間でも10時頃なのに、到着するとアンダーシャツは依然、汗ビッショリとなる。
 小生がえっちらおっちら坂道を登っている脇を子どもを乗せた奥さんがスイスイと追い抜いていく。悔しい! そのうち、小生も体力を回復させて、今度は小生が追い越してやるぞ、なんて思ったりもするが、下手すると小生の老化のほうが早いかもしれない!

0609201_1

← 富山・松川の光景。九月の二十日のもの。いつかは松川遊覧船に乗りたいものだ…。

 テレビではあまり話題にならないようだが(というか、小生が見逃しているだけかもしれない)、今年はフランシスコ・ザビエルの生誕五百年の年に当るということで、ラジオでは関連する話が最近、時折、耳にする(仕事中に!)。
 そう、「フランシスコ・ザビエル(Dominus Franciscus de Xabier)は、 1506年4月7日に生まれたのだ。亡くなったのは、1552年12月2日のようだ。
フランシスコ・ザビエル - Wikipedia」が全般的な情報を得るに便利だし、情報も随時更新され新しい。
「フランシスコ・ザビエルは、カトリック教会の宣教師でイエズス会の創設メンバーの1人。1549年に日本に初めてキリスト教を伝えたことで特に有名だが、日本だけでなくインドなどでも宣教を行い、聖パウロを超えるほど多くの人々をキリスト教信仰に導いたといわれている」という。
 また、「ザビエルはバスク語で「新しい家」の意味である」とも書いてあるが、ザビエルはバスク人かどうかは分からないが、スペイン・バスク地方生まれだったようだ。

続きを読む "ザビエルや死して大分走らせし"

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2006/09/28

ヌイグルミ夢一杯のロボットさ

今日は宮澤賢治忌…それとも…お絵描き記念日?!」でちょっと画像を紹介したが、帰省したら、居間(茶の間)の座卓の上に、ヌイグルミがデーンと置いてあった。
 上掲の記事では写真を示しただけだが、実はこのヌイグルミ、喋る。
 というか、正確には反応するといったほうがいいかもしれない。
 ヌイグルミの所定の位置を触ったり叩いたりすると、その箇所により(あるいは時間帯によって同じ箇所でも違う反応を示すことがある)、予めインプットされていた言葉をヌイグルミが発するわけである。
 例えば手先を摑むと(正確な言葉は忘れたので、以下の言葉はサンプルだと思って欲しい)、「ワーイ」とか、「最近、疲れてなーい?」とか、「遊んでよー」とか言う。
 あまり強く握ると、「八つ当たりしているのー?」などと言う。

06092041

→ 帰省の際、茶の間で愛想を振りまいていたヌイグルミ!

 面白いのは頭を強く叩くと、何故かヌイグルミは「キャハハハハ」と笑うことである。「どうして頭を叩かれているのに、こいつ、笑うのか」と父は不思議がっていた。
 頭を叩くというのは、ストレスが溜まっている場合、怒っている場合である。小生の解釈は、ヌイグルミに笑わせることで、その怒りの情を少しでも和らげ解放しようという計算がヌイグルミの設計者にあるのではというものだが、さて。

 そう、ヌイグルミと主に戯れているのはほとんど小生の父であった。

 帰省した日から、テレビのある、食事もする父母と小生三人の部屋で、父はずっとヌイグルミの相手をする。
 母はしらけた顔をして父の戯れを見守るだけ。
 たまに、ヌイグルミを放っておくと、ヌイグルミは「遊んでよー」と、おねだりする。
 すると、父は、今はテレビ、見てるとか、食事中だから今は静かにしとらんとダメだろ」と、またヌイグルミの手を触ったり頭を叩いたりして、ヌイグルミにちょっかいを出す。

続きを読む "ヌイグルミ夢一杯のロボットさ"

| | コメント (6) | トラックバック (2)

2006/09/27

クールベや始原の旅のあたたかき

 外は凄い雨。時折、雷鳴も。
 昨日の仕事も、夜に入って風雨となり、ちょっとトイレに立ち寄っただけで、びしょ濡れになる。
 まあ、傘を差せばちょっとは違うのだろうが、仕事中に傘は持ち込まない。代わりに、朝刊を使う。読み終えた新聞を傘というか帽子というか合羽の代わりとばかりに、頭から被せて、雨の中、トイレへ、コンビニへ。
 でも、雨だけだとなんとかなっても、風が吹いていると新聞の傘も無用の長物になりかねない。
 尤も、風雨だと傘だって同じだろうが。

B000006yic091

→ エンヤ『シェパード・ムーン』(WEAミュージック)

 問題は自転車での通勤である。朝は、家を出た直後に降り始めたが、すぐに上がってくれて、会社へは濡れずに済んだ。
 但し、体はやはりびしょ濡れ。
 そう、小生には過激な坂道走行で汗が噴き出してきて、会社へ着くころにはアンダーシャツは汗ビッショリなのだ。
 それでも、雨が降らなかっただけ、まし。
 一日の仕事が終わり、朝、会社へ車を向ける。ああ、雨の中、自転車で帰宅するのは嫌だなと思っていたら、幸い、上がってくれ、晴れた朝の道を、快適に走行して帰ったのだった。ラッキー!
 一週間ほど帰省してきて、先週末は久しぶりに図書館へ。
 横川善正著『ティールームの誕生―「美覚」のデザイナーたち』(平凡社選書←「柳の図柄(ウイロウ・パターン)のこと」で若干、紹介済み)や渡辺正雄著の『文化としての近代科学―歴史的・学際的視点から』(講談社学術文庫←「ケプラーの夢(ソムニウム)」にて本書を参照しての雑文を書いている)の二冊と、これはCDだが、三村奈々恵さんの『ユニヴァース』 (ソニーミュージックエンタテインメント)を返却。
 代わりに、車内で読むための文庫本ということで、久世 光彦著『夢あたたかき―向田邦子との二十年』(講談社文庫)を、CDを物色していて、珍しく且つ運よく書架にあったエンヤの『シェパード・ムーン』(WEAミュージック)を借りることが出来た。

 田舎で衝動買いした若林美智子さんのCD『風の盆恋歌』や、まだ借り出し中のアルビノーニのアダージョの入っている『バロックフェスティヴァル バロック名曲集』などととっかえひっかえ聴いて楽しんでいる。

続きを読む "クールベや始原の旅のあたたかき"

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2006/09/26

三木清…非業なる最期も知らず恋路かな

今日は何の日」というサイトを覗いていたら、今日9月26日は、「ワープロの日」だという。
 何故に今日がワープロの日なのかというと、「1978(昭和53)年、東芝が世界初の日本語ワープロを発売した。値段は630万円だった」とか。
 日付はともかく、「東芝が世界初の日本語ワープロを発売した」こと、「値段は630万円だった」ことなどは、テレビで折々特集などで紹介されたりするので、知る人も多いだろう。
 小生が初めて自前のワープロを持ったのは、1989年1月15日(当時は成人の日で祭日だった)。この休日を利用して以前から欲しいと思っていたワープロを求めて秋葉原へ向ったのだった。
 友人たちがその数年前から仕事で使っていたので、その姿を見て単純に格好いいと思った小生、欲しくて堪らなくなったのだ。

Sonypj1002

→ PJ-100(ソニー) 「日本の歴史的コンピュータ」より。懐かしい!

 それに会社で孤立を深めていた小生は、個人的にも曲がり角にあった。詳しくはスペースの都合もあり書かないが、自分は何のために生きていると問い詰めていって、書くこと、文章表現に全ての情熱を注ぐことと思った。
 けれど、生来の不器用で、文章を書くと、すぐに腕が上がってしまう。
 鉛筆は夢中になるとすぐに芯が折れる。ボールペンは、さすがに切っ先が折れることはないが、力の加減をせずに書くものだから、少し長い文章を書くと、すぐに腕が上がってしまうのだ。
 その辛さを大学の卒論を書いた際(最初に出した卒論は不採用になった!)に、何度も書き直したりして、散々味わった。

続きを読む "三木清…非業なる最期も知らず恋路かな"

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2006/09/25

新浦安パレード…第6回ゆ~ゆ~カーニバル(2)

 会場の入り口付近を曲がったら、いきなり、チームの面々がゆっくり歩いてくるのが見えた。あの雰囲気は…、もしかして…、もう、パレードは終わった?!
 時計を見る。正午を過ぎて35分。いや、いくらなんでも終わったはずはない。
 でも、予定が変わるということもありえる…。

2006_09240609240090_1


← 今度は逆光じゃないよ。やっぱり太陽が似合う!

 小生は不安の念に小さな胸と大きなお腹を痛ませつつ、大丈夫だ、パレードはこれからだと言い聞かせ、余裕を装って、屋台の居並ぶコースを歩き出す。子どもたち向けのアトラクション。まるで似ていない郷ひろみの物真似ショーの終盤などを観て、そうしてやおらパレードの出発地点へ。
 そうだ、会場の入り口付近でチームの面々を見たのは、それは、入り口付近にあるチームの控え室のある会館からパレードの準備を万端整えて、スタート地点へスタンバイに向う光景に遭遇したに過ぎなかったのだ。

2006_09240609240101

→ 誰に微笑みかけてるの?

 チームのメンバーでありながら、幽霊会員の小生、小さからぬ体を小さくして、デジカメで撮影を始める。四年前にパレードを見始めた頃から知っている(小生が見てしっているだけで、先方が小生を知っているかどうかは別だが)ダンサーも少なくなって、新しい顔をパレードのたびに見かける。

続きを読む "新浦安パレード…第6回ゆ~ゆ~カーニバル(2)"

| | コメント (1) | トラックバック (1)

新浦安パレード…第6回ゆ~ゆ~カーニバル(1)

 24日(日)、「新浦安パレード」という記事で案内していた、「第6回ゆ~ゆ~カーニバル」へ行ってきた。
 といっても、時間の都合もあるので、実際には、我がサンバチーム(エスコーラ)・リベルダージ(G.R.E.S.LIBERDADE)のパレードを見、パレードの合間に屋台を覗いて回っただけなのだが。

2006_09240609240011

→ 最初に撮ったのはピカチューでした!……よく見たら、ボディに「ハムちゃん」って書いてある?!

 実際、明海大学・チアリーダーの演舞もあったようだし、阿波踊りもあったわけで、フリーマーケットなど見逃したものは多いし大きい。
 このカーニバルの内容などについては、上掲の記事を参考にして欲しい。但し、記事の中で、「パレードは一本だけ」などと書いているが、実際には休憩10分を挟んでの前後半の2本あった。出鱈目な記事(情報)で申し訳なく思っている。

2006_09240609240016

← 最初のダンサーは笑顔!

 パレードへ行く前夜は、例によってブログ記事を書いていた。それは、「フリードリッヒ…雲海の最中の旅を我は行く」というものだが、記事を書く最中にフリードリッヒを専門に扱う素晴らしいサイトを見つけ、フリードリッヒの作品の数々やサイト内の記述を読んでいたりして、書き始めたのは夜半前だったのに、書き終えたら、三時半を回っていた。

2006_09240609240017

→ オイラに気がついてくれたのかな?

 しかも、記事をアップさせてからも、また、このサイトの「カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ - サムネイル画像付き作品紹介」に戻って、作品群に見入っていたりした。

続きを読む "新浦安パレード…第6回ゆ~ゆ~カーニバル(1)"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/09/24

フリードリッヒ…雲海の最中の旅を我は行く

 昨日、土曜日の日暮れ前、四時過ぎ、帰京し、部屋に入った。
 郷里の家を出たのは午前の11時半頃だから、四時間半の短い移動の旅だったことになる。
 列車の繋ぎがスムーズだったというべきか、味気なかったという感が否めないというべきか。
 今回の移動では、自転車通勤で日々背負っているデイパック(リュックサック)が非常に都合がよかった。

060923eki2

← 富山駅のホームから呉羽山の方角を望む。反対側には立山連峰の姿が見えるはずだが、生憎の雲で視界が遮られていた。

 いつもは大き目の手提げのバッグに着替えも含め、パソコンや本などを詰め込んでいるのだが、やはりパソコンが重く、まして帰省の折には、東京駅でお土産などを買い込み、紙袋がもう一つ増えたりするから、列車内はともかく、駅での移動は辛かった。
 手に、あるいは肩にバッグの重みがズシリと来ていたのだ。

 それが、デイパックだと、背中に負っているからだろうか、同じ(あるいは、楽さに乗じて普段より多目に荷物(本)を詰め込んだりしたかも)重さのはずなのに、とっても楽。

060923umibe1

→ 車窓から富山湾、そして日本海を望む。やがて、列車はトンネル続きの上越へ。

 それどころか、背中がシャキッとするようで、反って背負っているのが楽しいような気さえする。手には、往路は土産物の入った紙袋、帰路は貰った鱒寿司やお菓子、ペットボトル、バッグに入りきらなくなった本などの入ったナイロンバッグをぶら下げているのに、なんとなく余裕だったりする。

続きを読む "フリードリッヒ…雲海の最中の旅を我は行く"

| | コメント (13) | トラックバック (0)

2006/09/23

道行きや虚実皮膜の風の盆

 今日も、午後、自転車を駆って、市内をうろうろした。某店で、水墨画の本を買った。小林東雲著『水墨画を始める人のために』(池田書店)である。
 まだ、水墨画用の筆一式は買ってなくて、府でペンで描いているだけだが、水墨画に凝りそうな予感。
 夜、食事や片付けのあと、せっせと筆ペンで書道用箋にあれこれ描いて楽しんでいた。
 ただ、指先に神経が通っていないようで、細かい線がまるで描けない。
 だからといって、大胆な線を描けるというわけでもなく、ま、これから気長に練習していくしかない。

Htbookcoverimage2

← ゆくゆくは俳画を描きたい!

 ほんの少しだが、今夜もヤモリちゃんが姿を現すのではと、密かに心待ちにしていたけれど、期待はずれに終わってしまった。残念。
 
 ま、気を取り直して、本題に入ることにする。

 一昨日のブログ「今日は宮澤賢治忌…それとも…お絵描き記念日?!」で紹介した内田 康夫著の『風の盆幻想』 (幻冬舎)を昨夜、読了した。

 本書の粗筋などについては、「有鄰 No.456 P5 人と作品 奥泉光と『モーダルな現象』/ 「有鄰らいぶらりい」」が分かりやすく、過不足なく説明してくれているので、このサイトを参照願いたい。

続きを読む "道行きや虚実皮膜の風の盆"

| | コメント (2) | トラックバック (2)

2006/09/22

姿なき守護神ならん守宮かな

 昨日(木曜日)の夜、家事を終え、自室に引っ込み、ちょっとパソコンの載っている机に向おうとしたら、椅子の脚付近に何か小さな影が。
 見ると、「ヤモリ」だった!
 だった! と「!」マークなど付けるのは余計なのかもしれないが、富山の家でヤモリを見るのは、久しぶりだし、やはり、部屋の中で爬虫類か両生類か分からないが、見慣れない生き物を見るというのは、ちょっとドキドキする。
 そういえば、昼間には、蜘蛛を自室で見たっけ。木曜日は生き物を部屋でよく見かける日だ。他に、蛾も見たし、蚊にも悩まされた。この部屋で寝ると体が痒くなるから、きっと、ダニが一杯、うようよしているのだろう。
 ダニが多いから、ダニを餌にしている蜘蛛も、丸々と太っていたのかもしれない。

0609211

→ 木曜日の草むしりの成果!

 さて、目にしたのはホントに小さな小さなヤモリで、頭の天辺から(鼻先から?)尻尾の先までを測っても、小指よりも短い。
 一瞬、足で追い払おうかと思ったけれど、珍しいので、しばし観察。
 小生の気配を感じているはずだろうに、一向に動く様子は見えない。
 あるいは、小生の姿に驚いて、身動きできないで居るのだろうか。
 小生としても、短い時間を無駄にしたくないので、仕方なく、机の上にあるティッシュペーパーを一枚、引っこ抜き、そのティッシュでヤモリ君、それともヤモリちゃんを追い払おうとする。
 でも、背中や尻尾を擽ってみるのだけど、動いてくれない。
 仕方なく、ティッシュで尻尾の辺りを突っついてみる。ようやく、チョロッと動いてくれた。
 けれど、小生の足ほどの距離を移動し、机の脚の下近くに位置したところで、また静止。
 これでは、場所的に、小生が椅子に腰掛けると、ぶらぶらする足先で踏んづけそうだ。
 なので、ティッシュで再度、ヤモリちゃんの尻尾の先を突っつく。
 すると、今度は反応がよくて、チョロチョロ動き、すぐに姿が見えなくなった。

続きを読む "姿なき守護神ならん守宮かな"

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2006/09/21

今日は宮澤賢治忌…それとも…お絵描き記念日?!

 昨日、水曜日は用事があって富山市の中心部(繁華街)へ。もち、ママチャリで颯爽と!
 何故だか、天気のいい日、ママチャリを駆ると、昔、「8時だよ、全員集合!」という番組で加藤茶がお巡りさんの格好をし、白い車体の自転車に乗って舞台に登場する際に歌っていたピンカラ兄弟の「わたしがぁ ささあげたぁ その人に~ あなただけよと すがって 泣いた ♪」という歌が口を突いて出てくる。
 東京で乗っているタイヤの口径の小さい自転車だと、こういったド演歌はまず出てこない(坂が多くて余裕がないってこともあるけど)。

41035690937_1

 詳しい事情は省くが(他人様と関係するので)、貰った商品券で本を購入した。それも二冊も! 一昨年の四月から本も新聞もやめているが(新聞はキャンペーンの時、サービスで一時的に取ることがある)、今回、二冊買ったことで、この約30ヶ月で合計四冊となる。
 衝動買いなので、デパートの小さな書籍売り場にあるものから選ぶしかなく、迷った挙句、買ったのは以下の二冊。

 一冊は、内田 康夫著の『風の盆幻想』 (幻冬舎)である。
 内田 康夫氏に付いては、若干の因縁があるので、ミステリーものは基本的に読まない小生なのだが、同氏の本はこの本で三冊目か四冊目となる。

4344010388016_1

 こういった本に内容説明など野暮なのだろうが、「哀切な胡弓の調べと幽玄な踊りで全国的に有名な富山・八尾町の「風の盆」祭り。その直前、老舗旅館の若旦那が謎の死を遂げた。自殺で片付けようとする警察に疑問を感じた浅見と内田は独自の調査に乗り出す。そして、飛騨高山、神岡と越中八尾を結ぶ、秘められた愛にたどり着く―。」といった話らしい。

 言うまでもなく、今年も見物し損ねた富山・八尾町の「風の盆」祭りが俎上にあるとなると、読まないわけには行かない。ま、衝動買いの典型だ。
 以前、読んだ、「おわらブーム」に火をつけたことでも有名な、高橋 治著の『風の盆恋歌』(新潮社)とどうしても読み比べることになるだろう。

続きを読む "今日は宮澤賢治忌…それとも…お絵描き記念日?!"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006/09/20

柳の図柄(ウイロウ・パターン)のこと

 昨日の日記(月曜日の夜半過ぎに書いたもの)「路傍の草、子規忌を想う」の冒頭で、小生は以下のように書いている:

 田舎で家事三昧である。
 というと、やや大袈裟か。
 今の所、従前通り、食事の準備と片付け、買い物がほとんど。草むしりとか部屋の掃除、庭木の剪定、家庭内の雑事……などなど、やるべきことは山ほどあるが、ちょっと手が出ない。

 悔しいので、火曜日は、食事関連の雑事は勿論、買い物も午前と夕方に行って来たが、午後、草むしりをやった。何処か妖しい雲が垂れ込めていて、外でじっとしていると涼しいを通り越して、半袖だと寒いほどの天気だったことも、その気にさせてくれた。

060919kusa1

→ 草むしりの成果の一部。この後、チューリップか何かを植えるらしい。土が中央部に盛ってあるので、土葬をイメージしたりして。

 実際に草むしり(と若干の草刈)をやったのは、一時間半に過ぎないのだが、家の中の掃除(窓拭きとモップ掛け)、洗濯もあって、買出しから帰った夕方には、とうとうダウン。一時間ほど、寝てしまった。食事のこともあり、起き上がろうとしたら、体の節々が痛い!
 幸い、夕食は、姪っ子が子どもを連れてやってきて、小生も含め一同の世話をしてくれたので、ちょっと楽をさせてもらった。
 
 草むしり…。
路傍の草、子規忌を想う」のコメント欄で、生け花談義をし、「やはり、野におけ蓮華草」などと分かったようなことを書いたりしているが、その実、田舎では庭の雑草をせっせと刈り取ったり、毟り取ったりしている。その言行の不一致をちらっと思う。

 それにしても、小生、「やはり、野におけ蓮華草」という言葉には、ちょっと引っかかるものがある。機会があったら、その辺りのことも書いてみようかな。
 
 さて、本文に移る前に我がチーム・リベルダージのパレード情報を。
 9月24日(日):「新浦安パレード

続きを読む "柳の図柄(ウイロウ・パターン)のこと"

| | コメント (6) | トラックバック (1)

2006/09/19

路傍の草、子規忌を想う

 田舎で家事三昧である。
 というと、やや大袈裟か。
 今の所、従前通り、食事の準備と片付け、買い物がほとんど。草むしりとか部屋の掃除、庭木の剪定、家庭内の雑事……などなど、やるべきことは山ほどあるが、ちょっと手が出ない。

Lightrail1

→ 17日、夕方、富山駅に着き、今からライトレールに乗るところ。手振れして、駅に近付きつつあるライトレールの雄姿がまるでぼやけてしまった。

 食事となると、両親と小生自身の食事の準備もあれこれあるが、食事の最中がまた大変で、居間を兼ねている茶の間が食事の部屋でもあるのだが、その茶の間(和室風)と台所とを何度も往復する。
 往復するだけなら、どうってことはないのだが、茶の間は座卓となっているので、食事も椅子ではなく座布団を敷いた状態。つまり、食事する時はお尻を畳にどっかりと下ろして。
 が、醤油など調味料を持ってくるのを忘れてたら、立ち上がって台所へ。茶の間へ戻って、どっかり、腰を下ろす。
 そのうち、たっぷりと作った味噌汁のお代わりとなると、また、重い重い腰を上げて台所へ。
 朝食、昼食、夕食と、そんな繰り返し。合間にはお八つも。
 日頃、怠惰と怠慢を決め込んだ生活を送っている小生。こんなところで、ツケが回ってくるわけで、日に三度の食事の準備・世話・片付けで、もうへとへとになってしまう。
 食事の合間の時間はというと、家の雑用を引き受けるどころか、奥の小生の居室で読書…さえもできずに、敷きっ放しの布団にゴロンとなって、居眠り三昧である。

 情けないこと、この上ない。

060918yuyake2

← 18日夕方、買い物の帰り、夕焼けが素晴らしかったので、思わず自転車を止め、パチリ!

 ただ、この和室風の茶の間と台所との往復、つまりは、ちょっとしたスクワットというか屈伸運動を何十回と為すわけで、四日も経験すると、小生のぷっくりとしたお腹に、ほんの少し、ほんの面影程度の割れ目ができる…ような気がする。
 でも、東京に戻ると、二日もしないうちに、出来かかった腹筋の谷間は、見る影もなく綺麗さっぱり消え去る。
 …どころか、以前にも増して、立派なお腹に逆戻りである。

 そうそう、買い物は自転車! 
 ママチャリなのでタイヤも大きく、ゆったりと走れるのが嬉しい。鬼門の坂道もないし。
 ただ、台風(13号)の余波の風があって、店への往路は順風で、帰路は逆風と極端に違う走行だったのが大変だったような楽しかったような。
 思えば、ここ数年の、田舎での自転車による買い物が小生に自転車に乗る感覚の楽しさを思い出させたのだった。

 こんなつまらぬことを書いた上で、子規(忌)の話題に移るというのは、恐縮するというより、彼我の違いが極端過ぎて、後ろめたいほどである。
 でも、これが現実なのだから、仕方がない!

続きを読む "路傍の草、子規忌を想う"

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2006/09/18

ケプラーの夢(ソムニウム)

 日曜日は列車の旅をした。旅には本を伴う。
 待ち時間、あるいは列車の中のためには、渡辺正雄著の『文化としての近代科学―歴史的・学際的視点から』(講談社学術文庫)を持参。
 内容説明によると(前にも紹介したが)、「現代文明と豊かな生活をもたらした自然科学は神の造った秩序を求める西洋の学問の所産であった。太陽や月との距離を測定したギリシア人、驚くべき見事な宇宙体系を構築したプトレマイオス、近代科学革命の担い手、コペルニクスやニュートン…。各時代の思想・文化・社会との関係を重視し、人間の営みとしての西洋科学の歴史を興味深く綴る」というもの。

406159415x1

 旅先で読む本としては、横川善正著『ティールームの誕生―「美覚」のデザイナーたち』(平凡社選書)を用意。あとしばらくしたら就寝時間だが、寝床ではこの本を手に寝入ることになるだろう。

 ところで、日曜日の午後、出かける準備をしながらテレビを観ていて、金山平三という画家の存在を知る。「開運!なんでも鑑定団」の再放送だったのだが、金山平三の作品が出品されたのだ。所有者(正確には親の所有物)はこれを売り払って家を改装し喫茶店にする資金にするつもりだった。
 が、うまくいかないもので、偽者で、数千円の値打ちしかなかった!
 ただ、番組では金山平三という画家を紹介してくれた。当然ながら、彼の作品が映し出されたのだが、実にいい!
 小生の映りの悪いテレビでも、彼の作品の凛とした「気品」が伝わってくる。ひと目で気に入ってしまった。
 今日のブログなど、彼を採り上げようかと、せっせとネットなどで情報を集めていたのだった。
 ちょっと情報が不足しているので、今は、以下のサイトを紹介するに留めておく:
金山平三 - Wikipedia
artshore 芸術海岸 金山平三の雪
天童市美術館
(「山形の風土を愛した画家  金山平三 山形の風景展 9月29日(金)~10月29日(日)」とのこと)

 話は戻って、渡辺正雄著の『文化としての近代科学』(講談社学術文庫)から話題を一つ。
 日曜日、列車中で読んでいて興味を引いたので、是非ともメモしておきたかったのだ。
 それは、表題にあるごとく、「ケプラーの夢」である。
 ケプラーとは、ヨハネス・ケプラーのこと。

 さて、ジョン・ミルトンの『失楽園』、ヘンリー・ムーア、サムエル・バトラー、ジュール・ヴェルヌ、H・G・ウェルズらに影響を与えた「ケプラーの夢(ソムニウム)」とは。

続きを読む "ケプラーの夢(ソムニウム)"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/09/17

聴きながら読書拾遺

 今日(土曜日)は、自転車を駆り、夕方近くになって最寄の駅へ。ちょっと用事を済ませて帰りに図書館へ。
 駅前に、あるいは図書館の駐輪場に愛車を止めて用事を済ませる。まだ新車なので、置き去りしていくのが、盗難の心配もあって、ちょっと怖い。
 なんとなく、犬をスーパーなどの前に紐で繋いでおいて、そうして店内へ入っていく光景を想ってしまう。
 店先に置いていかれたワンちゃんは、躾(しつけ)のされている犬とか大人の犬だと、まあ、のんびり待っていようという気長な、余裕のある表情が垣間見られる。
2006_09160609150016

← 16日未明。都内某所にて。15日午前から始めていた仕事もそろそろ終わりという頃、久しぶりに朝焼けに遭遇。思わず、車を止めてデジカメってしまった!

 それが、子犬(や、あまり躾のされていない犬)だったりすると、もう、自分が置き去りにされているのではと、心配でならないのだろう、一刻も早く戻ってきて欲しくて、ワンワン、キャンキャン、鳴いている。
 我が自転車はどうだろう。建物の前に止められて、キャンキャン、鳴いているだろうか。
 うーん、どうやら、戻ってきて自転車がなかったらどうしよう、なんてビクビクしているのは、明らかに我輩のほうであるようだ。

45828417671

→ 『ティールームの誕生―「美覚」のデザイナーたち』(平凡社選書)

 ところで、過日、この拙ブログ「無精庵徒然草」が満二周年を迎えたと書いた。正確な日付を書くと、「2004/09/11」が初日である。
 その記念すべき記事の題名は、「秋の気配」だった。
例によって、休憩(待機)中に川柳を作っていた」などと書いている。
 そうだった。その年の七月から俳句や川柳作りに凝り始めたのだ。

続きを読む "聴きながら読書拾遺"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/09/16

カーニヴァルテーマ「太陽」(8)

 自転車通勤も、来週早々には一ヶ月となる。早いものだ。バイク(8/19)の日にバイクを手放し、自転車に切り替えたのだった。
 一ヶ月を経て、自転車通勤に慣れたかというと、まだまだなのが実際のところ。やはり、二ヶ月から三ヶ月は経ないと、スイスイと坂道を越えて会社へ、というわけにはいかないようだ。
 水泳だって、通い始めて三ヶ月ほどして、或る日、気がついたら、ウエストが随分、絞られているのに気がついたっけ(もう、十年以上も以前の話で、今じゃ、すっかり、リバウンドしてしまっているが)。
 ベルトの穴が一つでも減ったら、喜んでこのブログに書くつもりだが、さて、その日はいつ来るのやら。

Imgp6431

→ 太陽のアレゴリア

 本稿は、「カーニヴァルテーマ「太陽」(7)」に続くもの。
また本稿は、我がサンバチーム(エスコーラ)・リベルダージ(G.R.E.S.LIBERDADE)の今年の浅草サンバカーニヴァルテーマ「太陽」を巡っての雑記であり、画像はいずれも、画像の使用を快諾してくれている「Charlie K's Photo & Text」(あるいは、「Charlie Kaw, Photos and Texts」)からのものである。

14782

← アンドリュー・パーカー著『眼の誕生――カンブリア紀大進化の謎を解く』(渡辺政隆/今西康子訳、草思社)

 用語については、「サンバ(ブラジル)関連用語解説」を参照。この頁は徐々に充実(訂正・加筆)していくつもり(本日も追記した!)。時間があったら画像も添付したいもの。
 我がチームのテーマ「太陽」を巡っての散策は、今回を以て終わりとなる。
 次は、いよいよ浅草テーマについて、一般的な形で考えてみたい。どうなることやら。

続きを読む "カーニヴァルテーマ「太陽」(8)"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/09/15

鯨面文身(いれずみ)は人間の証?

『魏志倭人伝』を読むと、「男子無大小,皆面黥面文身」とある。訳すと、「男子は老若と問わず、皆顔体にいれずみがある」となる。男子は「鯨面文身(いれずみ)」していたというのである。
 あるいは、「以*朱丹塗其身體,如中國用粉也」とも。訳すと、「朱丹(赤い染料)を体に塗っているのは、中国で粉(おしろい)を用いるのに似ている」ということらしい。
(この辺り、「魏志倭人伝を読み解す」を参照させてもらっている。余談だが、「倭地温暖,冬夏食生菜,皆徒跣」つまり、訳すと、「倭の地は温暖で、夏冬問わず生野菜を食し、皆はだしで生活する」という風俗からして、素直に考えると、邪馬台国が奈良(大和)の何処かというのは、全くの論外となるはずなのだが。せめて九州、あるいは沖縄とか奄美とか…。やがて卑弥呼が奈良の地へ向かい、祭祀者として君臨し、その何処か(箸墓古墳?)に葬られたのだとしても。)

縄文式土器 - Wikipedia」を覗く。火焔土器は別格としても、後の弥生式土器に比べると、実用性は勿論、追求されたのだろうが、同時に土器の表面や縁取りなどを観ても、文様・装飾で埋め尽くされている。
 縄文時代の人は化粧をしたのだろうか。顔に刺青など施したのだろうか。体に色など塗ったのだろうか。
 小生は、縄文人は恐らくは体(顔)に何らかの装飾を施したのではないかと想像している。弥生式土器の、あの、のっぺらぼうとは大違いの縄文式土器を見ると、そう思いたくなってしまう。
入れ墨 - Wikipedia」にもあるように、『日本書紀』の記事中にも、入墨についての記事がある。武内宿禰の東国からの帰還報告として、蝦夷の男女が文身していたとある(景行27年2月条)」ことからして、縄文人は刺青していたと推測させられてしまう。)

 装飾というと、古墳の内部の壁も、全ての古墳がそうだったかどうかは分からないが、かなりの古墳には、装飾や文様が何らかのモチーフの下に描かれていたという。
装飾古墳の文様」や「装飾古墳データベース」(写真が見事!)など参照。

 そういえば、日本でも有数の装飾古墳として知られる王塚古墳では、近く一般公開されるとか。→「王塚装飾古墳館
 ここなど、テレビなどマスコミでもっと宣伝してもいいのでは。
 広く一般に知られるに値する古墳だと思う。

続きを読む "鯨面文身(いれずみ)は人間の証?"

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2006/09/14

カーニヴァルテーマ「太陽」(7)

 昨日の朝、初めて雨の中の自転車での出勤。でも、幸い、雨は小降りで合羽の上下を着用していたこともあり、そんなに濡れることはなかった。
 けれど、体はびしょ濡れ。何も雨が合羽の隅っこなどを伝って沁みこんで来たというわけじゃない。汗だ!
 昨日は例年より冷え込んだ一日だったのだけど、小ぬか雨の中、会社に辿り着いてみると、もう、アンダーシャツは汗ビッショリ。
 雨で心配だったのは、背中に負っているリュックサック(デイパック)。生地は防水かもしれないが(そうではないかもしれない)、ジッパーのところなどから雨が容易く浸透しそう。
 昨日の出勤時は、バッグの中は濡れなかったけれど、単に小雨だったから濡れるに至らなかっただけかもしれない。

Imgp6430

← トロピカルのアーラ

 さて、今朝の帰宅の途はどうだったか。
 出勤の霧雨に毛が生えた程度の雨ではなく、小雨ながら、しっかり雨。体は合羽を着ているので濡れない(汗は別として!)。
 背中のデイパックは、帰宅して恐々覗いてみたけど、雨に因る被害らしきものは感じなかった。
 でも、まだ、本降りを経験したわけではないから、まだまだ雨への懸念は消えない。
 雨への懸念というと、交通安全上、非常に危険な事態を昨日の自転車通勤で察知する羽目に。

 それは、合羽(上着)にはフードが付いていて、それはそれで雨を一定程度には防いでくれるのでありがたいのだが、その代わり、そのフードが視界を遮る!
 前方は、なんとか視界は必要最小限には得られるのだが、後方がまるでダメ。振り返っても、後方がまるで見えない。普通は道路の路肩をひそやかに大人しく走っているが、例えば路上駐車している車があったら、どうしても、場合によっては道路の半ばまでも食い込んでしまうことになる。
 あるいは、バスなどが客の乗降で止まっていると、反対車線に移ってしまったほうがよかったりするが、それも後方の視界が得られないので、半ば運を天に任せたような状態で車線を変えることになる。

 困った。フードが透明な合羽を買うしかないのか。
 それとも、透明なビニール傘を差して走る? 
 あ、これは小生の自転車では不可能。スポーツ用のものみたいで前傾姿勢で乗っているので、傘を差す余地・余裕はないのだ。
 困った。

続きを読む "カーニヴァルテーマ「太陽」(7)"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006/09/13

モンテーニュの知恵

 雨がシトシト降っている。いよいよ秋の長雨の季節の到来だ。関西などは一年を通じて梅雨の時期の雨が多いというが、関東だと秋の長雨の季節のほうが、梅雨の時期より雨(の日や量)が多いという。
 自転車通勤を始めた小生、口に(あるいは文に)しなかった話題がある。そう、雨である。
 今までは幸いにして雨に祟られることはなかった。夜来の雨でも、いざ出かけようという時間には上がってくれたり、会社に着いてしばらくして降り出したり。
 あるいは、雨が降りそうだというニュースを聞いて、仕事を早めに切り上げてしまったり。
 火曜日の未明は、降り始めてポツポツする中、自転車を走らせたが、幸い、本格的な雨にはならなかった。
 それどころか、帰宅して数時間経っても、雨にはならない。
 これだったら、通常通りの時間まで営業できた!

4121600045093

 雨。さて、自転車はどうしたものだろう。傘を差して乗る? 
 それとも、タクシーを拾って、自転車をトランクに詰めて会社へ?
 冗談じゃないよね。
 バイクだとヘルメットに雨合羽だったんだけど、自転車の場合、合羽は着用するとして、頭はどうする。バイクのヘルメットを被るか?!

 折々覗かせてもらっているサイトでモンテーニュのことが扱われていた。「「第40章 キケロについての考察」より跋粋」したという一文が載っていたのだ(「世界の大思想6 モンテーニュ 随想録(エセー)」(松浪信三郎訳 河出書房新社)からの引用のようだ)。

 でも、それはそれとして、読み流すだけに終わっていた。コメントするほどの知識もないし。ただ、ああ、いかにもモンテーニュらしい発言に目を付けているなと感じて読んだだけだった。
 
 夜半になり、さて、何を書こうか迷っていて、あれこれネットの世界を巡っていたら、今日9月13日はモンテーニュの忌日に当ることを知る。
(あるいは無意識のうちにモンテーニュの話題を探していたのだろうか…。)

続きを読む "モンテーニュの知恵"

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2006/09/12

カーニヴァルテーマ「太陽」(6)

 今朝、このブログ「無精庵徒然草」を開いたら、驚くべきことに、全く意外な人のコメントが寄せられていた。
 マリンバ-ヴィブラフォン奏者の三村奈々恵さんである。「車中では音楽三昧?!」の中で彼女について触れたことがある。
 ラジオで彼女の演奏や話を聴く機会に恵まれての記事である。
 驚くべき……というのは、大袈裟すぎるのではないか、と思われるかもしれない。
 が、やはり、小生としては驚いている。

2006_09110609110015

→ 交差点で信号待ちしていたら、スポットライトの当った一際目立つ看板に気が奪われた。あれは、誰だ?

 驚いたわけとは……。

 先の日曜日、図書館へ行ってきた。
内田奈織…森口博子…原田悠里」の中で内田奈織さんに言及したこともあってか、図書館のパソコンで調べ物をしていたら、すぐ隣にあるCDコーナーのラックに並んでいるCD群の中から内田奈織さんのCDが目に飛び込んできた。
 早速、毎日、ハープ演奏を聴いている。

2006_09110609110016

← 目を凝らしてみると(というか、デジカメをズームさせてみたら)、YUKIちゃんじゃないか! って、知り合いじゃないんだけどね。「YUKIweb.net」が楽しそう!

 また、ヴィラ・ローボスのことを話題に採り上げたが、彼の曲(資料)は図書館では一切、見つからなかった。でも、寄せてもらったコメントで富田勲氏のCDの中にヴィラ・ローボス作曲の曲が入っていることを知り、図書館で探したところ、他の館にあるようで、予約してきた。

 代わりというわけではないが、何かCDを借りたくて物色していたら、「車中では音楽三昧?!」の中で採り上げたものの、まだ聴くに至っていないマリンバ奏者の三村奈々恵さんのCDがあるではないか!

B000065vna011

→ そう、これです、これ! 三村奈々恵『ユニヴァース』 (ソニーミュージックエンタテインメント)

 で、日曜日、二冊の本と一緒に、早速、借り出し、本は齧り始めたばかりだが、三村奈々恵さんのCDは早速、就寝前も含め何度となく聴き入ったのである。
 そうして、月曜日は出勤。仕事が終わって火曜日、つまり本日の朝、帰宅。寝入る前にパソコンを開いたら、三村奈々恵さん(本人だと思うのだけど)からのカキコがあった、というわけなのだ。
 驚くべき偶然! ではなかろうか。

三村奈々恵 (Nanae Mimura) オフィシャルサイト
NANAELOG:マリンバ-ヴィブラフォン奏者 三村奈々恵 ~Official Blog~ - livedoor Blog(ブログ)

続きを読む "カーニヴァルテーマ「太陽」(6)"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/09/11

有峰慕情

 過日、届いていたが、他の郵便物や読み残しの新聞・雑誌・パンフレット類の山に埋もれて、いつしか届いていたこと自体、忘れかけていた冊子を今日、やっと手にしてみた。
 このところ、サンバのこと、自転車(通勤での疲労)のことなどで忙しく(あるいはロッキングチェアーで沈没状態で、日曜日は天気もいいし、自転車で近所を散策しようと思っていたが、とんでもなかった!)、先回しになっていたものを、この土曜そして日曜で幾分、片付けることができた。
 そうしたら机の上に山積みになっていた書類の中から冊子が現れたというわけである。
 それは、郷土の冊子である『富山県人』で、毎月、届いている。
 寝る前などに、パラパラと捲るのに、ちょうどいい。

H18091

 が、夕方だったか、就寝時間が待ちきれずに開封し捲ってみたら、個人的な興味もあり気を引く記事があった。
 それは、「有峰街道廃道へ 県境の山道、通行なく」という見出しで、「北日本新聞 バックナンバー」から関連記事の一部を引用してみる:
「富山市有峰(大山)と飛騨地方をつなぐ大多和(おおたわ)道路の私道部分(全長9キロ)が、悪路のためほとんど使われておらず今季限りで通行禁止となる。県内最奥にあった有峰村の人や物が行き交い、伊勢代参などの慣習に使われた歴史があり、廃道を惜しむ声も聞かれる。有峰森林文化村は9月、古道を歩くイベントを開く」

「廃止されるのは、県境の大多和峠-飛騨市佐古間」というが、例えば、「大多和峠」という頁がこの峠について詳しい(地図も載っている)。
「大多和とは「大きくたわんだ地」ということで、この土地が近くにそびえたつ横岳の中腹あたりにあり、大きくたわんだ土地だったことからの呼び名が村名となり、現在も大字として残っているのである」という記述が、小生の語源話好みもあって関心を呼んだ。

続きを読む "有峰慕情"

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2006/09/10

カーニヴァルテーマ「太陽」(5)

 追記になるけど、土曜日の夜、テレビドラマを最初から最後までしっかり見てしまった。小生には珍しいこと。見始めても、大抵、CMとなった途端、チャンネルを切り替えたり、消してしまったり。
 でも、夜の九時から始まったドラマ「死亡推定時刻~少女はなぜ誘拐され殺されたのか?無実の青年と冤罪の裏に秘められた兄弟の悲しき宿命の絆」(フジテレビ)は見応えがあった。主役(?)の吉岡秀隆さんは、ひょうひょうとしていて、まあともかくとして、松平健(今回はヒーロー役ではなく、彼にはチャレンジングだったかも)とか永作博美(小生の好きな女優の一人。というか、女優は大抵好き。というか、女性は大抵…、ああ、きりがない)、小林薫らがいい演技でドラマを作り物めいた空々しさをまるで感じさせない。
 番組の最後では、小生、不覚にも涙ぐんでしまったり。
土曜プレミアム『死亡推定時刻』」参照。
 調べてみたら、演出が杉田成道氏。例の『北の国から』の方だ。なるほど!(とはいっても、『北の国から』は、随分、昔、何回か見ただけだけど。)

 本稿「カーニヴァルテーマ「太陽」(5)」は、「カーニヴァルテーマ「太陽」(1)」や「カーニヴァルテーマ「太陽」(2)」「カーニヴァルテーマ「太陽」(3)」「カーニヴァルテーマ「太陽」(4)」に続くものである。

440161657x094

 また本稿は、我がサンバチーム・リベルダージ(G.R.E.S.LIBERDADE)の今年の浅草サンバカーニヴァルテーマ「太陽」を巡っての雑記であり、画像はいずれも、画像の使用を快諾してくれている「Charlie K's Photo & Text」(あるいは、「Charlie Kaw, Photos and Texts」)からのものである。

 今回は、ちょっとこれまた異例ながら、クリス・マッガワン/ヒカルド・ペサーニャ著『ブラジリアン・サウンド―サンバ、ボサノヴァ、MPB ブラジル音楽のすべて』(武者小路 実昭/雨海 弘美訳、シンコーミュージック)からサンバやブラジル関連用語の一部を転記させてもらうことで、画像集の背景文とさせてもらった。
 いつも、他のチームの用語集を参照させてもらうのも悔しい(といって我がチームのホームページには用語集は今の所、載っていない)。
 本来は別の場所に用語の頁を設けるつもりだったが、上掲書の返却日が迫っているので、当面、ここにメモるという変則的な形となった。

 さて、リベルダージ愛唱歌集を聞きながら作業するかな。

続きを読む "カーニヴァルテーマ「太陽」(5)"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/09/09

読書拾遺…スコッツのこと少し

 横川 善正著『スコットランド 石と水の国』(岩波書店)をちょびちょび読んでいる。このところ、自転車通勤での筋肉痛というか肉体疲労があって、ロッキングチェアーに身を沈める時間が従来にも増して多く、しかも、記事で浅草(テーマ)の話題を採り上げることも多く、読書に割ける時間が少なくなっている。
(念のために断っておくが、筋肉痛だ坂がきついなどと愚痴ばかり零しているようだが、自転車、乗っていて実に楽しい! そのうち、自転車を巡るエッセイなど書きたい!)
 幸いなことに(読書には不都合なことに)、仕事のほう、日中は比較的忙しく、車内に持ち込む本も、ほとんど捲る暇がない。夜半を回ると一気に暇になるが、室内灯で読むのは薄暗くて辛いし、そもそも目も既に疲れていて、読むより窓外の夜景をぼんやり眺めたりして、目を休めるようにする。

317525373

 ということで、車内に持ち込んでいるジェーフィッシュ/著 久保田信/監修 上野俊士郎/監修『クラゲのふしぎ 海を漂う奇妙な生態   知りたい!サイエンス 001』(技術評論社)など、小中学生相手の本だし、写真が満載なのにも関わらず、六回の営業の中では読みきれなかった。
 内容説明によると、「クラゲの揺らめきを見るとなんだか気分が癒される。クラゲの傘の拍動は6億年もの間、止まることなく動いていた。イルカやクジラが波を切り魚やイカが忙しく泳ぎ回っていてもクラゲはいつでも同じ動き。海中で鮮やかな傘を広げてゆらり揺らめくクラゲ。その揺らぎには未知なる不思議が詰まっている。クラゲの神秘のベールをはいでみると…。」というもの。

続きを読む "読書拾遺…スコッツのこと少し"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/09/08

カーニヴァルテーマ「太陽」(4)

 久しぶりに図書館へ足を運んだ。返却期限が来ていた本もあり余儀なくではあったけれど、散歩も兼ねてのんびり行った。
 返却したのは、アンドルー・H. ノール著の『生命 最初の30億年―地球に刻まれた進化の足跡』(斉藤 隆央訳、紀伊國屋書店)、金子 務著の『江戸人物科学史―「もう一つの文明開化」を訪ねて』(中公新書)、ミヒャエル・エンデ 著の『鏡のなかの鏡―迷宮』(丘沢 静也訳、岩波書店)の三冊。
 いろいろあって感想文が書けない。「読書拾遺(浅草の後で…)」の中でこれらに触れるのがせいぜい。

458276343x091

→ 白洲 正子著『木―なまえ・かたち・たくみ』(平凡社)

 借りてきたのは、『世界の名著 59 マリノフスキー/レヴィ=ストロース』(中央公論新社)と小生の好きなエッセイストの白洲 正子著『木―なまえ・かたち・たくみ』(平凡社)の二冊、同時にCDだが、内田奈織さんのハープ演奏『 HARP TO HEART~Love&Favorite Songs~ 』も一緒に借りてきた。

Tomita2_1

← 冨田勲のCD「ドーンコーラス

「音楽拾遺…ヴィラ・ローボス他」へのコメントでヴィラ・ローボスなら「冨田勲の「ドーンコーラス」というアルバム」をと推奨されたのだが、さすがにアルバムは(ヴィラ・ローボス関連の書籍も)図書館に設置してあるパソコンで検索しても見当たらなかった。
 けれど、そのパソコンの脇のCDラックをふと見たら、上掲の内田奈織さんのCDがあって…、目に飛び込んできたのである。
 これは借りるっきゃない!
(ちなみにこのブログ日記も彼女のハープ演奏を聴きながら書いている。実に優雅だ!)

世界の名著 59 マリノフスキー/レヴィ=ストロース』は1967年に初版が出ているが(当時は中央公論社)、小生が読んだのは大学生になってからだから、72年か73年の頃か。
 ということは、30年以上ぶりに読み返すことになる。
 というのも、本書にはレヴィ=ストロースの名著『悲しき熱帯』が含まれており、しかも、過日のブログでも触れたが、文化人類学の舞台はブラジルなのである。サンバの発祥の地ではないか。
 初めて読んだ当時とは違う気持ちで読めるような気がする。ま、マリノフスキーの書も併せ、大著なので、ゆっくりじっくり読んでいきたい。

続きを読む "カーニヴァルテーマ「太陽」(4)"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006/09/07

持衰(じさい)のこと

 昨日から今朝にかけて、「秋篠宮家に新宮さまが誕生した」というニュースでラジオもテレビも、マスコミ全般が持ちきりだった。
 何処の誰であれ、子どもが生まれ母子共に健やかであることは目出度いことである。

 けれど、へそ曲がりな小生は、「秋篠宮家に新宮さまが誕生した」というニュースを聞きながら、ちょっと古代のことなど想っていた。
 古代には「持衰(じさい)」という存在があった。

4921132860091

→ 永井 俊哉 著『縦横無尽の知的冒険』(プレスプラン)

「持衰(じさい)」については、下記サイトが詳しい。
天皇のスケープゴート的起源」(ホームページは、「永井俊哉ドットコム」である。「縦横無尽の知的冒険」と題されたメールマガジンがお勧め。)
 このにおいて、永井俊哉氏は、「天皇の起源がスケープゴートだった」という論を展開されている。
 詳しくは、「天皇のスケープゴート的起源」なる頁を覗いて読んでみてほしい。
(但し、参照させてもらったが、以下で示す論旨については、責は小生にある。)

続きを読む "持衰(じさい)のこと"

| | コメント (12) | トラックバック (1)

2006/09/06

06志村銀座パレードへ(2)

 本稿は「06志村銀座パレードへ」の(2)のつもりである。
 少なくとも画像は、間違いなく06志村銀座パレードで撮ったもの。
 但し、画像の配列は、(1)とは違って、時間系列順ではなく、下記の記事の内容に可能な限り合わせている。

2006_09030609030071

← 今回のパレードで一番、凄かった。カメラ小僧の追っかけも多かった。その理由は…リベルダージ(G.R.E.S.LIBERDADE)のメンバーになると分かる…かも。

カーニヴァルテーマ「太陽」」の(4)以降で引用(転記)するつもりでいたが、なかなか(4)に取り掛かれないので、やや変則的ではあるが、ここ「06志村銀座パレードへ(2)」の頁に、クリス・マッガワン/ヒカルド・ペサーニャ著『ブラジリアン・サウンド―サンバ、ボサノヴァ、MPB ブラジル音楽のすべて』(武者小路 実昭/雨海 弘美訳、シンコーミュージック)からカーニヴァルに関係する項目を(やや羅列風に)転記する形を採る。

続きを読む "06志村銀座パレードへ(2)"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006/09/05

音楽拾遺…ヴィラ・ローボス他

 自転車のこと。数回は通勤に乗ったなら慣れるかなと思ったけど、甘いみたい。
 やはり、年齢のこともあるし、一ヶ月どころか二ヶ月、あるいは三ヶ月ほどの期間は慣れるには必要のようだ。
 なんたって、長年の無精体質を変える必要があるわけで、頑固なほどに体に沁み込んだ怠惰な根性を変えるとなると、一朝一夕で済むはずがないのだ。
 でも、である。今年の末までには晴れて体質改善を果たす!
 そうしたら、「無精庵」というブログの名前も変えるかな。何がいいかなー。
 そんなことを考えつつ、これからもボチボチ、自転車通勤の日々が続くのだ。

2006_09040609040019

→ キャ! と。…って、これはたまたま通りかかった都内某所の看板。信号待ちの間に撮った。「劇団四季 ステージガイド キャッツ」が近くにある。名曲「メモリー」が懐かしいね。調べてみたら1983が初演だったのだ。その二年前、小生、失恋したけど、その人のイメージがダブっていて…。

 昨日は何故か日中、珍しく忙しく、何処かに待機して本を読むなど論外だった。夕方には幕張の先まで来ていた。もう少し早い時間にこちらに来ていたら、丁度帰り道でもあるし、せっかくなので、幕張メッセで開催されている「世界の巨大恐竜博2006」の会場に立ち寄ったかもしれない。
 そんな日は、お客さんが途切れた合間に聴く音楽が楽しみ。
 昨日もいろいろ聴けたが、小生には初耳の作曲家の曲を聴けたのが最大の収穫だった。
 ラジオ(NHK-FM:「ミュージックプラザ 1部 -クラシック-」)では、番組の進行役(案内役)の唐澤美智子さんが作曲家の名前を幾度となく告げてくれるのだが、うまく聞き取れない。
 ピラローボスとかフィラローボスと言っているような。
 早速(でもないか)、ネットで調査。

続きを読む "音楽拾遺…ヴィラ・ローボス他"

| | コメント (6) | トラックバック (1)

2006/09/04

06志村銀座パレードへ(1)

カーニヴァルテーマ「太陽」(3)」で案内していた志村銀座パレード、正式名称は「志村銀座まつり~サンバinシムラ」に思い切って行ってきた。
 土曜日が仕事、且つ今週は月、水、金と仕事。なので、スケジュール的にきつい。でも、サンバのシーズン(表のシーズン。裏というのは、来年の浅草などの準備や練習の期間)がもうすぐ終わってしまう。あと追っ駆けが出来るのも、残すところ僅か。
[以下、画像が文中に織り込まれているが、画像と文とは直接、関係しない。例によって画像を嵌め込むための背景として文章があると思ってくれていい。原則として撮影順に並んでいる。]

2006_09030609030020

→ スタート前の表情など。

 行かないのは楽でいいけど、行かなくて後悔するのも辛い。
 よって、土曜日の仕事を早引け(早退)してきた。通常より数時間、早めに切り上げて、日曜日の未明、まだ薄暗いうちに、さっさと帰宅の途へ。
 空気が乾いているし、丑三つ時を過ぎた頃合ということもあって、汗をあまり掻かない。

2006_09030609030023

 スケジュールがきついと書いているけど、同時に自転車通勤の疲れがピークに来ていることもある。別に山を越えて通勤しているわけではないけど、結構、坂道が続く。登りがきついのは勿論だが、下り坂も急には止まれないような気がするので想像以上に怖かったりする。

続きを読む "06志村銀座パレードへ(1)"

| | コメント (9) | トラックバック (0)

2006/09/03

内田奈織…森口博子…原田悠里

 昨日は自転車通勤四日目。
 初めてスクーターで通勤していたルートに挑戦してみた。自宅から会社への最短のルートでもあるし。

 が、無謀だった。スクーターには何てことない道でも、アシスト機構のある自転車であっても、急坂を二つ三つ、クリアーしないといけない。
 きつかった!
 まだ、今の小生には過酷なルートだ。
 今朝、未明の帰り道は、やはり、比較的一番楽な道であるバス通りを走った。時間帯も夜明け前だったので、バスは勿論、一般車両の通行も少ないので、割合、気楽に走れる。
 それにしても、ルートを選ばない体に早くなりたいものだ。

4643970855091

→ 原田悠里著『ひばりとカラス―世紀の歌姫は出会っていた?』である。詳しくは末尾に。

 ご飯で失敗。
 昨日の朝、炊飯器からご飯を茶碗に盛る。大盛りで二杯になるので、一杯分は朝食に食べ、残りは冷蔵庫に。
 が、帰宅したら、机の上にラップされたご飯が!
 そう、ご飯を冷蔵庫に収めるのを忘れてしまったのだ。
 炊飯器からご飯茶碗に盛ったばかりだと、冷蔵庫に収めるのも憚られ、いつもは、出勤間際に冷蔵庫に仕舞う。
 それを自転車をベランダから階下へ下ろすこの頃の騒ぎに取り紛れ、ご飯のことはすっかり蚊帳の外になってしまったのである。
 そのご飯、食べたものか、今、思案の真っ最中。

続きを読む "内田奈織…森口博子…原田悠里"

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2006/09/02

カーニヴァルテーマ「太陽」(3)

 本稿は、「カーニヴァルテーマ「太陽」(1)」や「カーニヴァルテーマ「太陽」(2)」に続くものである。
カーニヴァルテーマ「太陽」(3)」を綴るにあたっての方針その他については上掲記事の冒頭部分を参照願いたい。
 言うまでもないが、我がサンバチーム・リベルダージ(G.R.E.S.LIBERDADE)の今年の浅草サンバカーニヴァルテーマ「太陽」を巡っての雑記であり、画像はいずれも、画像の使用を快諾してくれている「Charlie K's Photo & Text」からのものである。

Samba_poster06

→ 画像は、「志村銀座まつり~サンバinシムラ」から勝手に拝借しています。

 本文に取り掛かる前に、お知らせ。
 9/3(日)、毎年恒例となっている志村銀座パレードが行われる。パレード開始時間は、例年だと「17:30」であり、パレードは2本のはずである。
 正式名称は、「志村銀座まつり~サンバinシムラ」。
 昨年の志村パレードについては、「志村銀座パレード(1) [2005年09月10日(土)] 」から「志村銀座パレード(13) [2005年09月11日(日)] 」にてレポート記事を書いている。
 ここでのパレードの特長は、通常通りの商店街のパレードのほかに、ステージショーがあること!
 但し、ステージの前には観客(カメラ小僧)が大挙するので、見物はともかく撮影は至難かも。小生は撮影に成功したためしがない!

 今年は、3日(日)の前日の2日(土)は仕事で(本来は休みのはずだったが、8月26日の浅草のために振り替えた)、しかも、4日(月)も仕事と、厳しい日程。
 小生が行けるかどうかは危ういところ。
 仮に行けても、レポートを書く時間的な余裕がない。なんたって、パレードの翌日が仕事じゃ、いつものように徹夜でレポート書きに没頭するというわけにはいかないし。

続きを読む "カーニヴァルテーマ「太陽」(3)"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006/09/01

2006年8月の索引:防災そして湾岸地区開発の噂

 時の流れは速い! 少なくとも小生が漕ぐ自転車よりは間違いなく速い。しかも、あちこちヨレヨレしないし、第一、後戻りしたり、何処かで休憩だ! という乙な真似もしない。その意味で、時っちゅうのは、融通の利かない無粋な奴だ。
 それとも、実直な奴というべきか。
 昨日の出勤も自転車。三回目。今朝、帰宅して、やはりクタクタになってしまう。日中は寝たきり。
 早く自転車通勤に慣れたい!

2006_08310608310013

→ 8月31日の夜、信号待ちでの暇の徒然に車中でショット! この光景を見て、何処かと分かる人、いるかな。

 今日9月1日は「防災の日」である。昨日からラジオで、帰宅したらテレビなどでも関連の話題が目に耳に。
 タイムリーというか、昨日の夕方近い5時15分頃だったか、駅で客待ちしていたら、車がユラユラ揺れ始めた。見ると、脇にあるスチール製の看板などが揺れている。周囲で順番待ちする運転手も、おおお、という顔。
 ラジオからは地震がありましたという臨時ニュースが。神奈川は震度4で、東京は場所によって震度3。震源は東京湾の海の下だとか。
 やはり、話だけじゃなく、こうして程度の大小はあれ、実際に地震があると実感が湧く。
 
 そうはいいながら、例えば帰宅して我が部屋を見回すと、部屋の中の荷物類の落下などが必至だと改めて思う。
 震度が3や4なら、なんとか耐えても、5となると、しかも寝ている最中だったりしたら、ベッドの脇の棚の上の雑貨類が頭部や胸、それとも下肢などを直撃して…。

続きを読む "2006年8月の索引:防災そして湾岸地区開発の噂"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2006年8月 | トップページ | 2006年10月 »