ロボットよ生身の人に代わるなよ
例によって休日の前日は、ロッキングチェアーで夜を明かす。別に本を読みふけっているわけではない。音楽に聴き入っているのも事実だけど、要はベッドに入るのが面倒なのである。タクシー稼業の溜まりに溜まった疲れを、週末はとにかく泥のような体から搾り出すことに専念する。
イメージは、残り僅かとなった歯磨きのチューブから無理にも歯磨き粉を搾り出す…。無論、出すのは疲労であり、心の垢なのだが、なかなか出てくれないのが悩ましい。
→ 田近伸和著『未来のアトム』(アスキー刊)
動くのが面倒で、一旦、ロッキングチェアーに体を沈めると、もう、梃子でも動きたくなくなる。
週日だと、翌日は仕事というプレッシャーがあるので、時間が惜しいという切迫感もあり、目覚めている僅かな時間に本を読み、ネットし、音楽などに聴き入り、あるいはボンヤリもする。
が、翌日が休日となると、そうした緊張感が薄れるので、ロッキングチェアーで本を読むでなし、居眠りも飽きるほど貪り、溜まった郵便物に目を通し、後回しにしている用事を果たさないといけないと思い(思うだけだが)、そうしてダラダラグダグダしている間に夜が更け夜が明けていくわけである。
「ヌイグルミ夢一杯のロボットさ」で「ロボットの擬人化」について、若干、書いた。
けれど、誤解の余地が大いにあると、あとで気が付いたので、補足だけしておく。
といっても、そもそもロボットの話題の広がりはどこまでも果てがない。
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)
最近のコメント