釣谷幸輝…モノトーンの海を泳ぐ
日曜日、ちょっといいことがあった。例の片付け作業が工事の終了もあり、ひと段落付いて、やや気抜けしたこともあって、グッタリしていたら、田舎から小包が届いた。
中身が凄い。いろいろ入っていたが、メインはメロン!
電話での話によると、さる筋からのもらい物で、二つあって、そのうちの一個を送って寄越したという。
誰と一緒に食べる相手もいないので一人で丸ごと一個を食べた。
→ 都内某所にて。八日の未明。終夜の仕事も終わりに近づいている。久しぶりの朝焼け。つい、車中からデジカメを出して撮ってみた。よく見ると、何処か怪しげな雲が。案の定、しばらくして雨がポツポツと。昼は雨降りとなったが、夕方までには晴れて、今度は見事な夕焼けとなった。台風の来襲を告げる茜なのか。
家ではメロンがまだ固いのではと心配していたが、冷蔵でない形で送ってきたこともあってか、届いたメロンを冷蔵庫で冷やしてから手に取ってみたら、やわらかい。
実際、切っても包丁の刃がススーと入っていく。
二つに切り分け、それを更にそれぞれ切り分け、四等分になったメロンを今度はそれぞれ三等分。
全部で12個の小分けになったメロンを皿に盛る。
無論、メロンの汁を一滴たりとも洩らさないため。
そして、切り開いた中は、期待以上にジューシー!
メロン特有の甘酸っぱい香りと食べる際の口当たり。
12等分のメロンを一人で食べて腹が壊れなかったかって?
最後の数切れとなったら、うんざりしなかったかって?
とーんでもございません。
お蔭でお腹の中がメロメロになったけど、ぜーんぶ、おーいしく戴きましたよ。
小生、自身が富山出身ということもあり、富山関係の作家や画家の情報を折々集めている。
有名・無名を問わず、富山出身の画家も少なからずいる。無名といっても、小生が知らないだけでその世界では有名である場合も大いにありえる。
今日は小生の知らない画家・作家を探そうとネットの旅。
「朝 霧」 や「出船の朝」の大島秀信氏。前者はネットで画像が見つかったが、後者は見つからなかった。
ネットでは、「樹蒼」や「残陽」なども見ることが出来た。
同じ頁に下保昭(かほあきら)氏の「山峡」が載っている。
もう、随分以前のことになるが、下保昭氏の展覧会は観たことがある。
観たことがあるというと、曼陀羅(マンダラ)画で有名な前田 常作(まえだ じょうさく)氏の作品展も、確か目黒美術館で観たことがあったっけ。
同じ頁の郷倉和子(ごうくらかずこ)氏も富山に縁故のある画家だ。「花苑」や「春日苑」などの画像を見ることが出来る。
同上の頁に載る、氷見市生れの尾長良範(おながよしのり)氏の「クラクション」という作品は、変わった感覚の絵である。ポストモダンの傾向なのかと書いてあるが、未だ未知数の作家というべきか。
道吉勝重という画家も得意な画風で際立つ。この頁には載っていない(し、ネットでも見つからなかった)が、「大日岳」という作品が小生は好きである。
どういう脈絡でこの頁を見つけたのかはっきりしないが、「情報 NOW-2006.7.25更新-」なる頁に遭遇。
どうやら「金沢美術工芸大学同窓会富山支部」がホームページのよう(?)。
多くの情報が載っている中、何故か「釣谷幸輝 銅版画展」に焦点が合ってしまった。極小さなポスター画の画像に惹かれたのか、それとも単に銅版画に惹かれただけなのか。
そう、小生は銅版画が好きなのである。あるいは、あの切っ先で銅版をカリカリ刻む感覚が好きなのかもしれない(ただその感覚を愉しむだめだけのために900枚の小説を書いたことがあったっけ)。
特殊な液を垂らして銅版という金属の板の表面が腐蝕する感覚。それがまた芸術に直結するのだからたまらない。
釣谷幸輝という存在を小生は知らない。
早速、ネット検索。「釣谷幸輝」のみをキーワードに検索すると、トップには、「釣谷幸輝 銅版画展」が登場。
「釣谷 幸輝 銅版画展 2005 9/3~9/11」は金沢市にある「美術サロンゆたか」で催されたようだ。
この表紙で「開 光市 新作 銅版画」を発見した…が、ちょっと際限がなくなってしまうので、チェックだけして「釣谷幸輝 銅版画展」に戻る。
夢幻的で無意識の領野に分け入るようでもあるのだが、過度にシリアスな世界に踏み惑うわけでもない。何処かいい意味で剽軽(ひょうけい)な雰囲気が漂ったりする。一歩、間違えば深甚なる世界がその崖っぷちからは覗けそうなのだが、別に怖いからというわけじゃなく、敢えて縁(へり)のところで戯れているような。
「アトリエ訪問 釣谷幸輝」へリンクしてあるので、その頁を覗いてみる。
「富山県は風の盆で有名な八尾の山間に建つ古民家に、作家は大きな版画のプレス機を置き、住まいと工房を構えた」とか。
インタビューの冒頭で、「油絵だと自分のイメージを直接出せますが、版画は制約の中でいかに自分の今までに無いものを作り出せるかという魅力があります。最後に紙をめくって初めて良かったかどうかとなる」と話されている。なるほど、最後の最後は、ある種の偶然性もあって、そこがまた製作者の楽しみでもあるようだ。
「モノトーンでどれだけの深みを出せるかに興味があります」とも。
「昔、実家が魚屋で、遊びといえば釣で、帰ると魚を食べるという生活でした。だから魚に対する思い入れは強いですね。絵の魚はある意味自分自身なんです。他に描く動物というのもサカナに角が生えたり、足が出たりしたものです。卵は単純ですが、何かが生まれる創造のシンボルです。描く中で人間の無意識の部分を探りたいという気持ちがあります。それを表す為に自分だけのものではなく、誰もが共通して根本に持つシンボルのイメージに託して表現する、その為の道具だと思います」という発言が一番、興味深い。
魚というのは海という無意識の闇を泳ぐもの。
釣谷幸輝のモノトーンの銅版画には、マックス・エルンストでもなく、長谷川潔でもなく、オディロン・ルドンでもなく、無論サルバドール・ダリでもなく、ジュゼッペ・アルチンボルドは筋違いだし、敢えて言えばヒロエニムス・ボシュの匂いを感じる。
けれど、あくまで匂いというか感じである。無意識の闇宇宙に魚となりきってその崖の先に飛び込み、一度は沈み込んでみないとヒロエニムス・ボシュ的な高み(深み、低み)に到達というわけにはいかない。
聞き手の白石陽子氏が最後に、「真空では音は伝わらない。漆黒の宇宙は無音の世界だ。紙にのった黒のインクは光を吸い込み、深く、美しく絶対的な色だ。虚空に浮かぶ不可思議な人物や動物達の身動ぎする音も、森閑とした黒に吸い込まれてゆく。不条理ながら構築的な画面はひっそりとして、純度の高い透明感に満ちている。版画の成立が本来、聖書や伝えられるべき物語を記し、広く普及させるためのものだったように、根本に複数性・波及性を備えている。そんな特性を踏まえるまでもなく、観る者にとって釣谷さんの版画は触媒としての役割を担っており、その絵は世界の内側にも外側にも開く扉である。そして観る者は次の語り部となり、自分だけの新しい物語を紡いでゆくのだろう」と纏められている。
文中、「版画の成立が本来、聖書や伝えられるべき物語を記し、広く普及させるためのものだったように」というくだりが気になる。
意外? でも、版画に限らず、ほとんどあらゆる媒体が聖書との関わりの中で生まれ育ったことを思えば、至極当然の話なのか。
探してみたら、「版画の歴史」というど真ん中のサイトが見つかった。
思えば、アルブレヒト・デューラーはもとより、ルーカス・クラナッハ(父)、グリューネワルトやハンス・ホルバイン(子)、ヒエロニムス・ボシュやピーター・ブリューゲルと、多くの大家が版画作品を制作したわけで、かのレンブラントだって、版画家としての側面が脚光を浴びたりもするのだ。
版画全般については後日、触れることがあるだろう。
今日は、釣谷幸輝氏の世界を楽しんだということでお開きにする。
最後になったが、「artshore 芸術海岸 釣谷幸輝の存在と状況」という頁が釣谷幸輝の仕事などを簡潔に紹介してくれていて、さすがだった。
と、ついでながら「artshore 芸術海岸」の最近の頁を覗いてみると、小生の好きな作家・ハンス・ベルメール(Hans Bellmer,1902-75)が扱われているではないか!
ハンス・ベルメールやフィニの存在を知ったのは、学生時代だったはずだが、澁澤龍彦氏のお蔭だったか、覚えていない。何処かの古書店でハンス・ベルメールの画集を見つけ、慌てて購入。今も手元に。
ハンス・ベルメール(の作品)については思うことがあれこれあるが、いつかまた、ということで。
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コメント
私も銅版画好きで、なかでも
釣谷さんの作品はとても好きです。
開光市さんもいいですね。
計算されたメゾチントの愉しみ
偶然の面白さを味わえるアクアチントなど
手法による楽しみ方もまた格別です
TBありがとうございました
でも、スパムが多いので、TBの項目は
現在表示してないです すみません
投稿: artshore | 2006/08/08 18:08
釣谷幸輝の項ではTBだけして失礼しました。書いている最中に情報を求めたら、artshore さんのサイトをヒット。さすがだと思いました。富山出身の銅版画家に彼がいたとは初めて知った小生、迂闊です。
ベルメール…。学生時代、読み浸った坂崎乙郎の本でか、それともこれも富山出身の瀧口修造の論考によってか、あるいは当時は(今も)よく読まれた澁澤龍彦の本を通じて知ったのか覚えていないのですが、こうした存在のあることに、とにかく衝撃を受けました。同時期にフィニも好きになって、記事を読みながら、懐かしくなりました。
TBの項目が表示されないのは知っています。記事を参照させてもらったという連絡の意味もあって、勝手にTBさせてもらったものです。
投稿: やいっち | 2006/08/08 19:33