泳げたぞ!
先月末、例のプールでの事故を契機にプールの話が話題の俎上に。
事故は怖いが、それはそれとして、自分自身のプールでの思い出がちょっと蘇ってもいたのだった。
小生が泳げるようになったのは、恥ずかしながら40歳の時だった。
そんな年齢に至るまでにも、学校では勿論、友達や家族とプールや海へ遊びに行くことは幾度となくあった。そうした時に泳げないというのは情けないもので、泳げる人たちが平泳ぎなどでスイスイ泳ぐのをよそ目に、海なら浜辺、それも波打ち際でパシャパシャしているしか他にどうすることもできない。
→ 94年の夏、一人特訓し、ついに泳げるようになった懐かしの「平和島公園プール」(画像は、「大田区ホームページ」より) 夏場以外は屋内プールで!
小学生の頃はともかく、中学生ともなると、同級生らもかなりの割合で泳げるようになっている。だから尚の事、水泳の授業ともなると、その時間をやり過ごすのが実に大変だった。
(冷静に振り返ってみると、泳げない連中というのは、クラスの中にも少なからずいた筈だ。が、自分が泳げないというコンプレックスが周囲の状況を見えなくしていたものか、みんなが泳げるように感じていたようだ。)
ただ、幸いなことに学校の方針なのか、それとも体育の教師(あるいは学校側の)の配慮(手心)だったのか、泳ぐことを強制されることはなかった。
もしも、そんな仕儀に遭ったなら、あるいは今以上にいじけた人間になっていたかもしれない。
それでも、多くの同級生が格好良く泳ぐのをただ眺めているのは、少しは負けん気のある小生としては悔しいものがある。
プールに入る。
まず、その段階がコンプレックスとの戦いとなる。
泳げない小生、飛び込めるはずもないのだ。
民間の遊戯施設のプールだと飛び込みは禁止されているケースが多いが、中学の時は競争などの時、スタート! の合図と共に飛び込んでいかないと競争に負ける。
が、小生はというと、プールの中に予め浸かっていて、そうしてやおら泳ぐ…はずもなくて、水の抵抗を覚えつつ、まるで悪足掻きをでもするように手足で水を掻いて前進するわけである。
飛び込めないってのは、情けない(と自分で痛感していた)。
といって、体調が悪いからなどと先生に告げて、水泳の時間は休むという知恵も演技力もない。
だって、休み時間にはソフトボールなどでしっかり遊んでいるのだしね。
とにもかくにも義務教育の段階を過ぎると、少なくとも体育の授業から水泳の時間はなくなった。まして大学生や社会人ともなると、プールや泳ぐために行く海は、行きたい奴がいけばいい、嫌だったら忌避するだけで、何ら普段の生活に支障などありようはずがない。
何かの拍子に泳ぎが話題になって、自分が泳げないことを告白せざるを得ない時、泳げないことの言い訳に、例えば幼い頃、溺れかけたことがあって…云々と、さりげなく言って、そうか、それじゃ仕方ないよなという話の流れに持っていく。
まあ、その場しのぎというか、誤魔化したわけだけど、全くの嘘というわけでもない。
というのも、自分の中では泳げないことがコンプレックスになっていて、泳ぎたいと(特に夏が近づいたりすると)思っていたからだ。
で、プールに入っても、バタ足で前進を試みる。あるいはクロールの真似事、平泳ぎの真似事を飽きずにやってみる。
十メートルもいかないうちに息継ぎができずに、息が苦しくなって、あるいは気がついたら体が硬直したからなのか、水中に沈みつつあったりして、しかも、慌てると焦ってしまうもので、苦し紛れの息継ぎが失敗し、水をがぶ飲みしてしまう。
プールの(ど真ん中…と書きたいところだが、ど真ん中というのは泳げない者には恐怖のエリアであり、かつ羨望のゾーンでもあり、実際は、せいぜいプールの端から十メートル前後、離れるのがやっとで)やや真ん中よりかなというエリアで、慌てて立ち上がり、しかもその際、足が水底にちゃんと着かなかったりして、しばしジタバタした挙句なのだが、とにかく水面に顔を出し、ゲホゲホやり、酸欠の水槽の金魚のように、口を大きく開けて息をする。
喘(あえ)ぐという表現がピッタリの状態。
そんなことを何度か繰り返してしまう。
だから、溺れそうになったというのは、満更、まるっきりの嘘ではないのである。
でも、水泳の際に水をがぶ飲みしたことが何度もあったとしても、そのことが泳げないことの理由にはならない。
人に泳ぎ方を聞くのも、小生は苦手。そもそも学校の勉強も人に教わるのが大の苦手なのだ。
小生は鼻での呼吸ができないので、授業中は常に酸欠状態。まさか授業中に口を開けて、そう金魚のようにパクパクさせたり、あるいはポカーンと開けっ放しにしておくわけにもいかない。
一応は口は閉じているふうを装う。息だって、口でしているのだけど、万が一にも授業に夢中になってしまうと、気が付くと口でハーハーしている自分を見出してしまう。
あまりに見苦しい。
だから、授業中は(そして、当然ながら食事中にしても、あるいは友人との雑談中も)口を薄く開けて息する音を立てないように注意深く息をする。
授業(など)の最初の数分はなんとか誤魔化せても、十分も過ぎると体が酸欠状態になり、体が火照ってくるのが分かる。
となると、先生の話を聞くどころではない。苦しい息を口を薄く開けて、音を立てないようにして酸素を補給する。 でも、実際は息が苦しくて喘いでいるのだ。
まあ、そんなわけで授業だろうが何だろうが、人に教わりたくても、その間をどう息継ぎについて遣り過ごすか、至難の時を過ごすしかないわけである。
その前に頭の出来も平凡だということ、気が小さいということなどがあるのだが。
気が小さいし、妙にいい格好しいというか、見栄っ張りなので、泳げないことを平気で口にはできない。段段、年を重ねてくると、今更泳げなくたって生活に支障があるわけじゃなし、何もそんなことで苦労する必要もない。
そうして、気が付いたら40歳まで泳げないままに、あるいは泳げないことを悔しく思いつつ、きてしまったというわけだ。
40歳の時、小生は首切りという憂き目に遭った。それも、誕生日の翌日。
一ヶ月ほどの入院で会社を休んでいたのだが、退院し、出社したその日、部長に別室に呼ばれ、首を申し渡された。それがたまたま(?)誕生日の翌日だったというわけだ。
これほどの誕生日プレゼントはない?!
(その入院というのも、呼吸の治療に関係あるのだが、ここでは略す。)
さて、晴れて(?)無職となった小生、初めての失業保険給付を受け、ブータロー生活を送った。結果的には給付の期間が終わっても次の、つまり今のタクシードライバーという職に就けなかったのだが、このことは別の機会に書くことにし、今は泳ぎの話に焦点を合わせる。
その失業時代、小生は幾つかの課題を自分に課した。
毎日、本を読むこと、毎日、何かしら書くこと、そして体のリハビリ。
(本を読むこと、毎日書くことは89年以来、実践してきたことだから、新たな課題はリハビリということになる。)
サラリーマン時代の最後の数年で体が一気に衰えてしまい、39歳の頃、つまり会社を首になる前の年には、会社へ行く以外は、自宅で寝たきりの生活になっていた。一切、何もやる気力が失せていた。自宅でも一人暮らしだし、誰も訪れる人もいない、あるいは心配してくれる人のいない小生、自炊するしかないのだが、即席ラーメンも作る気になれず、出前に頼る日々になっていた。
出前だったり、会社を出る前に宅配してくれるところに電話しておいて、何時頃に引き取りに行くから作っておいてと依頼し、弁当を引き取って自宅で食べる、というわけである。
そして、あとはひたすら寝る。寝るといっても、眠れるはずもなく、ただ横たわっているだけなのだが。
しまいには、ベッドから起き上がろうとすると、眩暈を起こすようになった。それも、メニエル症候群なのか、意識が頭の中でグルグル回る。部屋の中の光景が高速回転してしまう。吐き気。熱。
体重も35歳の途中から年に二キロずつ増えて、40歳の頃には、とうとう十キロも増えて70キロ台に突入してしまっていた(身長は172センチ)。
なので、春四月を前の失業を機に、体をリハビリすることにしたのだ。
(ここでは上記したように背景事情については、詳しくは書かないが)リハビリといいつつ、惰弱になった体を鍛え直すという肉体のリフレッシュもあるが、それよりも、実際には、サラリーマン時代最後の数年で傷つき精根尽き果ててしまった心のリハビリこそが目的なのである。
本を読むと上で書いたが、本を買うカネがあるはずもなく、図書館を利用する。その際、図書館までの数キロは往復共に歩く。
それだけでは足りないので、区から貰ったプール券などを有効に使おうと、区のプールへ通い始めたというわけだ。
その際、目標がないと続かない。
そこで、小生は泳げるようになることを自分に課したのである。
最初の頃は、プールの中を、これはリハビリなんだからと、歩くのがメインだった。
周囲に人が少ない時を狙って(実際、プールへはウイークデーの日中に通うようにしていたので、人影は少なかったのだが)、数メートルだけ、勢いをつけてバタ足で前進してみる。
そのうち、平泳ぎの真似、クロールの真似をする。バタ足での前進だけでは面白みがないし、退屈してしまう。それに、息も続かないから、バタ足では十メートルがやっと。息ができないから、すぐに立ち上がろうとする。プールの底に足を届かせて安堵する。
平泳ぎより、クロールのほうが若干、前進する距離が長い。
とはいっても、息継ぎが苦しいのは同じで、25メートルなんて、遥かに遠い。
ああ、夏になる前に、屋外プールで颯爽と泳げるようになりたい。
でも、25メートルだって気持ちの上では、対岸が遠くて霞んで見える自分なのに、50メートルある屋外プールを泳ぎきるなんて論外!
← テレビで木原光知子さんによる水泳教室を見て、泳ぐヒントを得、泳げるようになった! 夏場は屋外で泳ぎをエンジョイ。初めて50メートルを泳ぎきった時の感動は忘れない! 特訓させてくれた「平和島公園プール」(画像は、「大田区ホームページ」より)よ、そして何と言っても木原光知子さん、ありがとう!
その頃、まだ自宅にある14型のテレビは健在だった(ちなみに、小生、根っからの、生粋のテレビっ子である。テレビが無くては生きていけない。スイッチを入れる、チャンネルを切り替えるなどの操作さえすれば、黙っていても映像が動いてくれる、音が聞こえる、自分の代わりに何でも考え表現し主張してくれる。こんなありがたいものが小生が物心付いて間もない頃に我が家にやってきたのだ! あの感動と感激! この話題に付いては是非、別口で書きたい。小生、未だにブラウン管や液晶画面で映像が動くことに感動する人間なのだ!)。
テレビ(NHK)で水泳教室をやっている。確か、講師は東レの「専属水着アドバイザー」だったり、「1964年、山陽女子高等学校在学時に東京オリンピックに出場」した木原光知子さんだったと思う。
モデルとなって泳がれる若い女性の方の水着姿、水中で泳ぐ姿を見るのが楽しみであり、半ば、目的だったような気もするが、とにかく泳げるようになるヒントを求めてもいた。
何回目にその水泳教室の番組を見たときだったろうか。息継ぎの話になった。
「息はね、吸うんじゃないの、息は吐くの。人間の体はね、吐けば、勝手に息を吸ってくれるものなの。」
「息を吸おうとするから息が苦しくなるの。だって、普段だって、息を吸おうとする? しないでしょ。息は吐いているだけ。吐けば肺が勝手に吸うものなのよ。」
記憶力も弱い小生なので、言葉通りに書いているわけではない。勝手に脚色している可能性を否定しない。
ただ、「息は吸うんんじゃない、息は吐く」「吐けば、勝手に息を吸ってくれるもの」という言葉を頼りに練習に励み、ついに泳げるようになったという事実があるだけだ。
クロールという泳法を試みながら、右手で水を漕ぐ際に、顔を水面に上げ、息を吐く、その際、仮に口中に水が入っていたなら、その水も一緒に勢い良く吐きだす。
で、あとは放っておいても息を吸うという体の、あるいは肺の自然な動きに任せる。
そのことだけを言い聞かせながら、懸命に、しかし次第にゆとりを持って泳げるようになっていった。
室内プールの25メートルどころか、その往復、往復どころか2往復、3往復と、面白いように距離が伸びていく。
あとはもう、体力次第だった。息を日常でするのと同じようにするのだから、距離を阻むものは体力しかないわけだ。
25メートルの室内プールを往復すると50メートル。その往復の回数を10往復、15往復と、日を重ねるにしたがって増やしていく。
懸命に泳ぐ。水をがぶ飲みする。それでも負けずに水を掻く。水と一緒に心身に溜まったストレスを、心の垢を掻き落とす。訳の分からない不毛感と徒労感を押しやろうとする。
俺が悪いんじゃない、なんて自分に言い聞かす。自分は終わっていない。やり直すんだ。苦しさがあったとしら、じゃー、いっそのこと、もっともっと苦しんでやる。波と水との抵抗。水(を飲んでしまうこと)への恐怖、それはまた、現実に負けて、負け犬根性が染み込んでいる自分への嫌悪感と一体でもあった。
そしてついに20往復を達成。
尤も、20回も往復する回数を数えるとカウント間違いの可能性があると、今度は逆に慎重になって、21往復までは数えたりもしたっけ。
さて、クロールと勝手に自称しているけれど、それがクロールなのかどうか分からない。まあ、きっとクロールなのだろう。
一方、平泳ぎのほうは、一向に上達しない。前進する距離と水面下に沈み込む距離とが最初のうちは同じほどだったのが(人はこれを溺れると呼んだりすることもある?!)、次第に前進した距離が沈む距離より倍、あるいは3倍になったりはしたが、クロールでの息継ぎに慣れきったはずなのに、平泳ぎとなると、何故か両手・両足で水を掻いでいるうちに気がつくと体が水中にあることに気付き、息継ぎを格好良くしようにも、顔を上げても水しかないので、息を継げないのである。
ま、いっか。泳げるようになる、という目標は達成したのだしね。
……ただ、体重のほうは、94年当時、頑張ったお蔭で数キロは減って60キロ台の後半まで持ち直したのだが…、タクシードライバーになって、持ち前の(?)自堕落で怠惰な性分が祟ったのか、今じゃ、80キロ前後の立派な体格に!
また、プール通い、したいなーってのが、目下のささやかな夢である。
↓ ここを覗くと、「一般女子100m背泳で3位に入賞した中学生選手木原美知子さん」の雄姿を見ることができる!
「第17回国体夏季大会」
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コメント
息は吐くもの。吐ききれば勝手に吸う、っていうのは、とっても正しいと思う。ランニングやストレッチのときにも、おんなじことが言えるよね。ストレッチも息を吐きながら、一番きついところに体を持っていく。
ちなみに私がクロールが泳げるようになったのは、妊娠中のマタニティスイミングでのことでした。短期間での体重増加で腰痛にも悩まされ、その対策用になんとバタフライにも挑戦!
ちなみに後日家族で区立プールに行き、バタフライを披露したところ、夫が娘に言った。
「ほら見てごらん。トドがドラム缶泳ぎをしているよ!」
しかし、やいっちゃんの詳細な記述にはいっつも感服!
本当に記憶力がいいんだねえ!
投稿: 大ちゃん | 2006/08/18 22:00
やいっちさん、私も泳げません(^^;。不器用な上に浮かない体質なのです。跳び箱もダメでした。これは母に似ているようです。ただ、みんなと一緒に聴く授業は苦痛に感じることはないのです。私は、学生の頃までは、休み時間に何をしゃべっていいかわからなくて、それがすごく苦痛だったのです。でも、授業とかスポーツの応援とかだとみんなの仲間に入れてもらっているという感じがするのですよね(^^)。だからテストの時だけは共通の話題があるので、学校に行くのが嬉しかったのです。これって変わってますかね?私も、人の教えられるのは苦手で、自分で勉強するのが好きですけれど(^^)。
投稿: magnoria | 2006/08/19 00:44
志治美世子さん、理屈やコツは分かっても、水への恐怖があって、そのコツを体に沁み込ませるのはなかなか厄介でした。
それにしても、腰痛対策にバタフライとは。余計に腰に負担になりそうなのに。
志治美世子さんのバタフライ、是非、この目で見てみたいです。
トド…。小生の自宅での日常は、トドが理想です。
ちなみに、小生の得意泳法はスクリューです(どんな泳ぎ方かは秘密です)。
平泳ぎ、できません。誰か、自称、素敵な女性の方、手取り足取り、教えて欲しい。
magnoriaさん。浮かない体質…。だったら潜水に挑戦したらいいのでは。あれは沈む体質の人にもいいらしい。
海難救助にも役立つし。
あるいは海女さんとか?!
小生は、平泳ぎに挑戦すると自然と潜水状態になるので、水中を遊泳する感覚の快感は知り尽くしています。
小生は休み時間は、外が雨でなかったら野球(ソフトボール)などで遊びました。お喋りは嫌いじゃないけど苦手だし。
でも、テストとか授業で共通の話題があって気が楽ってのは分かる気が。
小生、小学校や中学の時、遠足が大嫌いでした。だって、仲間が居ないので、みんながビニールシートに数人、集まっているのを脇目に、自分の居場所を求めて(自分が一人きりだということを人に見られたくなくて)自由時間が終わるまで、ひたすら歩き回っていたものでした。
で、自由時間が終わるとバスへ。すると、ギューギューに座るので、見かけからして独りぼっちだとはバレナイ…。
小生、教えられること自体は好きです。手取り足取り、教えて欲しい。世話して欲しいって甘えっ子タイプ。
ただ、教えられても理解や飲み込みが人よりやたらと遅いってことです。
自分で勉強するのは苦手。怠け者なもので。
こうして毎日、記事を綴っても、その内容は基本的に書き終えた段階で大半を忘れる。大切なのは、いろんなことを知ろうとする努力をしたこと、その探求する体験なのだと自分では思っている。
投稿: やいっち | 2006/08/19 07:53
やいっちさん、潜水…(^^;。そんな恐ろしいこと想像しただけでも嫌です。潜ったっきり浮かんでこれないかも?なんてね(笑)。
私は、人に対してはそうではないのですが、怖がりなのでしょうね。高所恐怖症でもあるし。
教えられるのは、楽です(^^)。大まかな部分は教えてもらうのに限ります。それから先は、自分で自分が好きだと思った本を読みながら勉強します。私は最初のスタートがモタモタしていて遅いのです。でも、ある程度まで行くと、後はすっと行き、それから先は好きなだけとことん極めるという感じだと思います(^^)。
私は、今は人と一緒にいるのが好きです。でも、自分の興味のあることに関してはだいたい個人行動です。かつては飲み会の時などに、周囲が楽しそうに盛り上がっていると悲しくなりました。でも今は自分がそんなにしゃべらなくても周囲が楽しそうにしていると嬉しいのですよね(^^)。
投稿: magnoria | 2006/08/20 12:46
magnoriaさん、水の中は怖いけど、潜水はやってみたい。高所恐怖症だけど、飛行機の窓から下界を眺めるのは大好き。これって矛盾かな。
教えられるのは嫌いじゃないけど、飲み込みの悪さに呆れられるのが嫌なのです。出来が悪くって。
年齢と共に、どんな状態が好きとか居心地がいいってのは、変わってくるものですね。
ところで、庄野潤三が好きってのは当ってましたね。彼の本を読むと、不思議な快感を覚えます。
投稿: やいっち | 2006/08/20 22:59