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2006/08/11

戦争体験の継承

 小生は毎年、今頃に照準を合わせる形で、15年戦争に関するあれこれを綴ってきた。
 例えば、原爆モノとして虚構の形で:
闇に降る雨」(04/08/13 記)
黒い雨の降る夜」(03/04/07 記)
日蔭ノナクナツタ広島ノ上空ヲトビガ舞ツテヰル」(August 09, 2005)

 戦記・戦争記録モノとして:
本間猛著『予科練の空』を読んで」(02/12/15)
堀川潭/著 『悲劇の島』(March 27, 2005)
常石敬一著『七三一部隊』」(March 14, 2005)

 敗戦後の日本に関連して(02年3月から4月にかけて):
『敗北を抱きしめて』雑感(1-3)
ジョン・ダワー著『敗北を抱きしめて』雑感(4-6)
ジョン・ダワー著『敗北を抱きしめて』雑感(7-9、余談)

出発は遂に訪れず…」(2005/06/30)
荷風散人『断腸亭日乗』雑感」(01/06/04-08)
山田風太郎『戦中派不戦日記』あれこれ」(June 27, 2005)

西野 瑠美子著『なぜ「従軍慰安婦」を記憶にきざむのか』」(May 09, 2005)

富山大空襲と母のこと」(2005年09月19日)

 半藤 一利氏著の『ノモンハンの夏』 (文藝春秋、文春文庫)を先週末より読み始めている。
 中途だし、感想は書けるかどうか分からないので、出版社サイドの内容説明を転記させてもらう:
「独り善がりな参謀やトップのために一般の兵士が犬死していくという図式は、多くの敗け戦に見られるが、その最も顕著な例の一つ<ノモンハン戦>を迫真の筆致で描く。著者はこの戦闘の実質の責任者であり、さらに日本を太平洋戦争に引きずり込むのにも加担した人物と戦後会うのだが(何と国会議員!)それを述懐して、<絶対悪>と吐き捨てるように書いている。冷静な記述に撤する著者が記した、最も痛切な言葉の一つだろう。暴走する陸軍や関東軍を当時のマスコミや右翼、若手外交官から国民までもが支持していたことも詳述されていて、時流の闇の深さを痛感させる。(守屋淳)」

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 読めば読むほど、憂鬱になってくる。陸軍など軍部の中枢はエリートの集団で、徹底したエリート意識のゆえに自らの過ちを決して認めない。当然ながら責任は回避する。今の中央官庁のお役人と同じなのだ。情報を広く集められる立場にありながら、価値観と人間性の狭さと想像力の欠如、あるいは人間としての共感する心の薄さの故なのか、自分(の立場)に都合がいい情報しか摂取しないし重要視しない。
 その結果、その愚かな決定や意思決定の中途半端さ、意地と建前ばかりが突っ走る作戦に引きずり回され、悲惨な末路を辿るのは最前線で戦う兵士たちなのである。
 同時に、本書に限らず書いてあることだが、好戦的な風潮は軍部などが煽った側面もあるが、マスコミも加担したし、多くの(現実をまるで知らされていない)民衆も英国に米国に敵愾心を燃やし、日独伊の三国同盟を締結し、無謀な戦争へ突っ走っていく。
 現下のマスコミの論調を見ても、先行きの見通しも立たないままに、勇ましい言動が良しとされる風潮が蔓延りつつあるのを憂えるばかりだ。


 今年に入っても、立花隆氏著『天皇と東大 上・下  大日本帝国の生と死』(文芸春秋)を読み通し、本ブログで折々、感想めいたことを書いてきた。本書で教えられたことは実に多い。
 カミカゼ特攻隊の際に使われた特攻のための飛行機は、最新鋭のものではなかった。何故なら、軍部は最初から戦果を期待しておらず、あくまで大本営発表で勇ましい(実は痛ましい)結果を報告していただけだった。そもそも、数ヶ月程度の訓練でまともな飛行ができるはずもなかったのだ…。
 小生なりに疑問とする点もなくはなかったが、小説的面白さ(読みやすさ)もあるので、是非、一読願いたい本である。
 小熊 英二著『〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性』(新曜社)も、戦後史の範疇に入るのだろうが、戦争の余波の大きさを痛感する一助にしてほしい。特に最初の一章だけでも眼を通してもらいたいものだ。

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 今年七月に書いた「読書拾遺……ハイラル通信」も、立花隆氏著の『シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界』(文藝春秋)を元にしての記事だが、シベリア抑留の話ということで、戦争モノと理解することもできる。

 小生は昭和29年生まれであり、戦中派でないのは勿論、焼け跡派でもないし、見かけ上からは戦禍の荒廃から逃れつつある時代に生まれ、そして高度成長と共に育った。
 戦争を全く知らない世代である。
 国家の指導者たる首相にしてからが、次期の自民党の総裁、そして結果として総理となるやもしれない安倍晋三氏は、小生とは雲泥の差の、そう雲上人とさえ言えそうなエリート(お坊ちゃま)だが、昭和29年生まれで、学年では小生より一つ後になる。
 そういう時代なのだ。

 安倍晋三氏は靖国参拝については行ったかどうかも含め語らない、先の戦争の評価も後世の判断・評価に任せると話している。
 実にずるい。一般の市井人なら、社会生活を送る上でも政治信条や支持する政党を(それこそ夫婦の間でさえも)秘密にすることはあっていいと思う。
 が、国家の指導者は、後世の評価ではなく、現に今、持っている価値観と先の戦争に対するどのような反省・姿勢の上に立って、その都度の、当面する政治判断その他をするし、しているのではないか。
 だとしたら、自らの信条を明らかにするのは当然至極と思われる。
 説明責任が首相に限らず政治的指導者には誰よりもあるのは明らかなのだ。
 なのに、言を濁して語らない。ずるい!

 指導者たるものが議論を逃げてどうする。
 靖国神社や合祀の問題についても、総裁選の争点にすると、国論が割れているようで好ましくない云々という向きもあるが、とんでもない心得違いだ。
 むしろ、大いに議論をすることが国益にも資すると小生は考える。
 何故なら、たまたま現下の首相は靖国神社に参拝し日本の内外の心ある人の神経を逆撫でしているけれど、日本には決して無条件に無邪気に首相の行為を支持するものばかりではないということを世界に広く伝えられる絶好の機会になると考えられる。
 靖国神社問題を避けるということは、先の戦争をどう評価し反省するかの問題に直結している。

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 あるいは、国民に(特に若い世代に)先の15年戦争で日本がどのようなことをしたか(南京虐殺・重慶爆撃→前田哲男著『新訂版 戦略爆撃の思想 ゲルニカ、重慶、広島』:凱風社)、そして(特にアメリカによる原爆投下や民間人への空襲を想起させて、アメリカに対する、若い層や女性層のイメージが低下するのを避けたい?)されたかを思い出させたくないから靖国神社問題を避けているのではないかと、ほとんど猜疑心に近いような思いに囚われたりする。

 話がずれたが、いまや、戦争を知らない世代が中心どころか、戦争を知っている世代が消え去りつつある。
 どうやって過去の苦い体験をこれからの知恵として継承していくかは、戦争を知らない云々に関わらず、誰の肩にも圧し掛かっている課題なのだと思う。
 確かに小生などの反省や行動など取るに足らない。でも、では一体、誰が取るに足る資格があるのだろうか。
 結局のところ、いろんな人の意見の総合以外にないのではなかろうか。
 その意味で、小生はささやかなりとも、戦争に関係する文献を漁ったり、自分なりの創作で戦争を疑似体験したり、現下の世界の事情を探る試みをしたいのである。

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 今日、8月12日の東京新聞朝刊「こちら特報部」欄です。大事な記事なので取り急ぎ [続きを読む]

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