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2006/08/15

デルヴォー…凍てついた夢想

 過日、図書館で三冊の本を借りた。
 そのうちの一冊は、例によって車中で読むための本で、(内容が、ではなく)車のドアポケットに軽く収まるような薄手の本を物色。科学関係のエッセイ書、俳句や詩の本などなど探し回ってもピンと来るものが無く、そのうち、美術書のコーナーへ。
 すると、ジャン・ピエ-ル・キュザン/ディミトリ・サルモン著の『ジョルジュ・ド・ラ・トゥ-ル 再発見された神秘の画家』(「知の再発見」双書、創元社)に目が。そう、ジョルジュ・ド・ラ・トゥ-ルという名前に引き寄せられたのだ。

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 活字が細かいのが車中での読書には難があるが、でも、小さいとはいえジョルジュ・ド・ラ・トゥ-ルの画の数々を車内で楽しむことが出来る!

 ちょっと驚いたのは、<内容紹介>の後半に、「蝋燭の光に照らし出された人物像など、光と闇、聖と俗の二面性を鮮やかに描き出したこの画家は、没後は急速に忘れ去られ、20世紀になってから劇的な形で再発見された。本国フランスでも話題を呼んだ、ラ・トゥールの生涯と絵画の「再発見史」」とあるのは、まあ納得できるとして、問題は前半。
「17世紀の画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの名は既に世界的であるが、日本での認知度は未だ低い。しかし、一度でもその作品を見た者にとって、彼の絵は忘れがたい印象をもたらす」だって。
 えっ、ラ・トゥールって、「日本での認知度は未だ低」かったっけ?!

ジョルジュ・ド・ラ・トゥ-ル 紀伊國屋書店BookWeb」なる頁を覗けば、<日本語版監修者序文より><著者略歴><監修者略歴>などがきされている。
 このうち、現在、国立西洋美術館主任研究官の高橋明也(たかはしあきや) 氏の話をネットでも読める:
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール展を語る

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 小生は、神秘の画家「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール展」を見逃している!
 そのジョルジュ・ド・ラ・トゥール展は、日本では初めてだという。
「美術好きな人は皆知っていますが、美術に関心のない人は、当たり前ですがほとんど誰も知らない画家ですから。大衆的な知名度が低いのです。展覧会が開催されなかったのはそのためもありますね。」とか。
 日本は、海外の画家だと印象派に過度に偏重しているような気がする。印象派の画家やその作品もいいのだけれど、絵画の世界は広く深いのに、ちょっと勿体無い。

 小生がジョルジュ・ド・ラ・トゥールを知ったのは、学生になった直後の頃だったと思う。フェルメールと相前後してその世界に親しみ始めたという印象があるが、既に結構長い付き合いとなる。
蝋燭の焔に浮かぶもの」という雑文抜粋集の各文は、あくまで印象の中のバシュラールとラ・トゥールとを脳裏に浮かべつつ、綴ったものである。

 さて、車中に(あるいは通勤のバスの中に)持参する本はこれで決まり。
 となると、あとは自宅で読む本。

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 実は、『ジョルジュ・ド・ラ・トゥ-ル 再発見された神秘の画家』に焦点が合う前に、大部の本を手に取って捲っていた。借りるかどうかはともかく、とにかく椅子席に持っていって眺めてみようとは思っていた。
 それは、丸木 位里・丸木 俊【共同制作】『原爆の図―THE HIROSHIMA PANELS』(小峰書店)である。
 あまりに重過ぎる内容と画。

「丸木位里・俊画伯は、1945年8月6日、原爆投下直後の広島に入り、その惨状を目撃しました。1950年以来「原爆の図」を発表。」というものだから、内容は分かってはいるのだが、それにしても重い。
 彼らの世界には、親しむという表現など使えない。圧倒される。
 でも、これが現実だったし、ある意味、今も現実なのである。
 人に向って、これ、見て御覧よとは気軽には言えない。
 まあ、日記ブログでもあるこの頁にメモしておくばかりだ。
 関心を持たれた方は、「原爆の図 丸木美術館」など、覗かれてみたら如何。

 小生は初めて見るのだが、丸木位里氏の母である丸木スマさんの絵の世界が暖かくて、いいね:
丸木美術館-企画-06スマ展
 なんと、現在、開催中!

 参考に、「美の巨人たち 丸木位里・俊夫妻「原爆の図」」なる頁を紹介しておく。

 原爆のこと。小生は89年から書くことに生活の焦点を置くようにしてきた。テーマ、あるいは関心の焦点は原爆とか遺伝子(操作)とか。つまりは従来なら神の領域だった世界に分け入ってしまった人間。あらゆる価値や道徳や倫理や、人間としての是非を人間が自ら悩み考え選択するしかない。
 神は死んだといっても、別に人間が神に取って代わるわけではない。
 ただ、真っ白な道、遥かに続く道にあって、神の手助けも仏の導きもない世界に分け入ってしまった、との戸惑いを意味するだけだ。
 人は、禁忌をも手放してしまったのかもしれない。
 だから、人はひたすら迷うしかないのだろう。恐らくは永遠に。

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 こうなったら、今日は絵画・美術関係の本だということで、他の画集・美術書を物色…する前に、これまた、小生の目はアントワーヌ・テラス 著の『ポール・デルヴォー』(與謝野 文子 訳、骰子の7の目 シュルレアリスムと画家叢書、河出書房新社)にピントが合っていた。
 ポール・デルヴォーの世界を知ったのも、やはり学生時代だったが、ひと目見て、虜(とりこ)になってしまった。
 でも、こんな画風の世界の虜になっていいものか、旧弊なモラルに囚われている小生、なかなか人には言えない。
 図書館で、あるいは美術書や画集でデルヴォーの画を眺めていても、禁忌の世界に思わず知らず迷い込んでいるようで、後ろめたいわけではないが、人の目は避けたいような気分のままに眺めいっていた。
典雅な人工楽園に遊ぶ孤独な夢想の画家。永遠の静寂とエロスの火照りの静かな均衡。昼の光とも、夜の光とも知れぬ淡い光の中で演じられるキリコ風の無言劇」というが、描かれているヌードの女性の表情はまるで窺い知ることができず、見ようによっては死の世界と見紛うようでもあるが、ひたすらに安寧と平安なる世界があって、とにかく不思議な恍惚感が湧き上がってくる。

 が、ひとたび目覚めると、それは凍てついた夢想なのだと気付かされるのだけれど。

自らの心に潜む孤独な女人幻想を、絵画の中に描き続けた」とも言うけれど、一体、デルヴォーは何を描いていたのか。夢想の中の理想の世界を描き続けたのだろうか。
 
 謎めいていて、うっかりは手出しできないデルヴォーの世界。とりあえず、「美の巨人たち 魔女たちの夜宴」なる頁を紹介しておく。
 以下のくだりが印象的だ:

どんなに愛しくても手に入らなかった恋人の姿を…。
触れることが出来ない女性への憧れ…。
それに相反するように、母から植え付けられた女性への畏れ。
そんな複雑なデルヴォーの思いが、不思議な存在を醸し出す彼女たちを生み出したのかもしれません。

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コメント

丸木原爆美術館は資金繰りが悪化して閉鎖するとかしないとか。
ラ・トゥールは池田大作の東京富士美術館に所蔵品がありますね。
信者から金むしりとって山奥に立派な施設を建設ー丸木美術館と正反対。
もっとも八王子の財政は創価学会におっているところ大きいから八王子住民は安易な学会批判はしないとか。

投稿: oki | 2006/08/16 07:55

ラ・トゥールの絵は、もっと気軽に見ることが出来るようであってほしいね。
池田大作氏は、印象派、特にルノワールが好きだという話を聞いたことがあるのですが、確証がありません。okiさん、何か情報をお持ちでしょうか。

>丸木原爆美術館は資金繰りが悪化して閉鎖するとかしないとか。

 残念ですね。ここに限らず、多くの美術館が危機にあるとか。
 せっかくの宝があるのだから、脚光を浴びるような工夫を関係者は考えて欲しい。
我々としては折を見て鑑賞に行くのがいいのでしょうが。


投稿: やいっち | 2006/08/16 08:32

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