セミから空を考える
過日、テレビ(NHK総合)でセミの羽化の様子を見ることが出来た。
セミの羽化の光景なんて、別に珍しくない?
では、都会のど真ん中だとたら、どうか。
それも、新宿御苑とか不忍池とか皇居のお堀の近辺とか、そういった緑濃い、土の多い場所ではなく、都会の雑踏でのセミの羽化の光景だったから、小生、思わず見入ってしまったのだ。
コンクリートジャングルである都会の、具体的には一体、どんな場所で羽化していたか。
例えば、コンクリートのひび割れを縫って生えている雑草の茎。
でも、一番、驚いたのは、放置自転車によじ登って、すぐそこを人々が行き交う、そのすぐ裏で羽化している様子だった。
生き延びるためには、どんなことでもやる。それが期待した理想的な場所でなくとも、切羽詰ったら、人さえ通らなければ、何かの動かない物体の壁面にへばりつき、都会の雑踏と喧騒を他所に、羽化という厳粛な儀式を執り行う。
足音も人の声も聞こえているはずなのに、その画面には静寂があるばかりだった。
よくぞ、こんな場面を撮ったものだと思った。
というより、その前に、そういう光景に気付き見出したこと自体に瞠目すべきなのか。
ニュース番組の中の、ちょっとしたエピソード特集の一齣。
ネット検索していたら、『都会にすみついたセミたち』(写真・文=武田晋一・海野和男、偕成社)という本をヒットした。
「都会のセミの生態を探る」と題された新刊ナビには、「都会はビルが建ち並び、ほとんどの地面は舗装(ほそう)されている。だから都会から虫は減っているに違いない。多くの人はそう思っている。しかし、実際にはそうではないらしいのだ。東京の真ん中にある千代田区ではミンミンゼミ、福岡市の繁華街天神ではクマゼミが増えている。」など、以下、興味深い内容案内がされている。
その意味で、上記した都会の雑踏での羽化とはやや違うが、それでも、野性の生物たちの頑張りを思う。
「セミがいるのは樹木の多い公園や街路樹。そのセミはどこから来たのか、なぜそこで繁殖(はんしょく)しているのか。コンクリートジャングルといわれる都会は虫にはどう見えているのか。」というのは、都会に住み暮らすものなら、一度ならず疑問に思ったはずなのだ。
「二人の写真家が問い、答えを探る」というが、一体、どんな答えを見せてくれているのだろう。
話が前後するが、セミの脱皮のシーンを見てみよう。
とはいっても、小生、近所など出歩く際に木々などを見て回るのだが、なかなか脱皮の場面には際会できない。
ここはネットの威力である。
例えば、まさに「セミの脱皮」という頁が見つかった(ホームページは、「www.dinop.com」かな)。
脱皮し羽化するまでには、少なからぬ時間を要する。
その間は、全くの無防備状態。夜の森にあっても、セミにとっての外敵は少なからずいるのだろうが、都会でだって、鳥やフクロウなどはいないだろうけど、ネズミだっている。猫だって遊び相手を求めてうろついている。ハトや最近、都内では数が激減したカラスだって健在である。
それどころか、なんといっても、一番の厄介者であり邪魔者である人間共がうろついている。
小生のような観察力も注意力も散漫な奴には見つからないとしても、ウカウカなどしていられない。
そんな中での脱皮そして羽化なのだ。
この頁を覗くと、セミに付いてのFAQ(よくある質問)と、その答えを読むことが出来る。専門家ならともかく、小生のような素人が思いつく程度の疑問は、大体、網羅されているのかな。
ホームページは、「セミの家」である。
さすがに頁内を一気に一覧するわけにはいかない、豊富な内容である。
セミは地中での数年という長い生活に比べ、地上では一週間ほどの命だとか言われたりするが、実際は、そんなことはなくて、一ヶ月だったりすることもあるのだとか。
ところで、今日のネット検索で初めて知ったのだが、セミの脱皮のあとの抜け殻のことを「蝉退(せんたい)」と呼称するという。
← 8月23日未明、都内某所にて。そろそろ今日の仕事も終わりかなと、車中でぼんやりしていたら、誰かに見つめられている! と感じ、見上げたら、おお! であった。
「羽化登仙(うかとうせん)」という言葉がある。「 〔蘇軾(そしよく)の「前赤壁賦」などにみえる語〕中国古来の神仙思想などで、人間に羽が生えて仙人になり天に昇ること。また、酒に酔ってよい気分になることのたとえ。」だという。
昔から、人間は空を飛ぶことが夢の一つだったという。夢はなかなか叶うはずもなく、仮に飛べた! と思ったとしても、はっと気が付くとそれは夢だったというのが大体のところ。
現代の技術で空を飛べるようになったという。
しかし、小生は、飛行機だろうがヘリコプターだろうが、飛行船や宇宙ロケットだろうが、さらには気球やパラグライダーでも、空を飛びたいという古来からの夢が叶ったとは理解していない。
まあ、考え方の問題だが、ようは、今のこの姿のままで、地上世界に歩いてた人が、思いついた瞬間、ふわっと空へ舞い上がれて初めて、空を飛べたと納得する。
鳥さんは、一部の人間には下等な動物と看做したりするのかもしれないが、羽を広げ、助走もせずに舞い上がっていくのを見ると、凄いなーと感激する。
鳥だけじゃなく、昆虫類だって、そうだ。飛べない昆虫でも、体長の数十倍、あるいはそれ以上の高さをジャンプすることができる。
技術の進歩で、いつの日か、セミや蝶や鳥のように人が舞い上がるようになれる日が来るのだろうか。
その一方では、そんな日は来ないで欲しいとも思う。
たださえ雑踏でうんざりなのに、それが空を見上げても人がうようよ舞っているなんて、嫌だ。
だって、空から煙草の吸殻を放り投げ、あるいは空き缶を投げ捨て、たちションならぬ飛びションなんてされ、時には空中で合体、なんてシーンを見せ付けられた日にゃー、夢も希望もなくなってしまう。
やっぱり、空は空であってほしい。
空は「そら」であり「くう」なのがいいのだ!
小生のセミ関連の記事:
「もうすぐセミの鳴く季節」
「蜩…夢と現実をつないで鳴く」
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