« 「路上に風化する…」 | トップページ | ダ・ヴィンチ…万物は波動して伝わる »

2006/08/05

ジュール・ヴェルヌ著『月世界旅行』

 このところ、部屋の中の整理に追われている。近々、室内テレビのアンテナ端子の取替え工事があるというのだ。
 我が部屋は、ゴミ屋敷さながらの状態。ダンボールが壁を埋め天井にまで達していた。
 それは、中途半端にダンボール類を積むと、地震があったら、崩れて危険だということで(実際、夜中に地震があって、頭などに箱類が落ちてきてびっくりしたことが再三)、それなら、いっそのこと、天井までびっしり積み重ねちゃえばいいという結論に達し、実際、山と積んでいたのである。
 が、そうなると、紙くず類の山の背後に完全に没してしまっているテレビのアンテナ端子の取替え工事に対応できない。
(小生は、テレビはカーナビのモニターで見ていた。画像は大抵、大雨が降っていたりする。アンテナ端子を使ったテレビは、もう、5年か6年か、あるいはそれ以上、昔にブラウン管が壊れたままだ!)

Metanjo1

 やむなく、このところ、少しずつダンボール類を整理しているのだが、小生のこと、切羽詰らないと本腰を入れない(整理作業の途中経過?愚痴?は、「心はカネでは…ワーキングプア」で少々書いている)。
 工事の期日は…、明日だ!

 だから、何が何でも今日中に整理をしないといけない。何か片付け仕事があるとなると、憂鬱になる小生。工事の予定が決まってからは気の思い日々が続いている。
 今、書いている記事を仕上げたら、また、整理作業が待っている。辛い!
 
 それにしても、木曜日は珍しく仕事が忙しかった。久しぶりの長距離のお客さんが付いたのだ。しかも、仕事が終わったら、健康診断で会社に居残り。例によって体調が崩れ、金曜日から先程までロッキングチェアーに体を沈めたままだった。ベッドに入る気力も湧かないほどだったのだ。
 予約していた本が届いたという連絡を図書館さんから貰ったのだが、起き上がって引き取りにいくのはしんどくて、断念。
 それでも、ようやく、この記事を書こうかなと思う程度には回復した…と思いたい。

読書拾遺…これから読む本」で挙げていた本のうち、坂部 恵著の『「ふれる」ことの哲学  ―― 人称的世界とその根底 ――』(岩波書店)、折口 信夫著『初稿・死者の書』(安藤 礼二編集、国書刊行会)、ジュール・ヴェルヌ著の『月世界旅行―詳注版』(高山 宏訳、W.J. ミラー注、ちくま文庫)を読了し、今はアンドリュー・パーカー著『眼の誕生――カンブリア紀大進化の謎を解く』(渡辺 政隆/今西 康子訳、草思社)に夢中である。
 半藤 一利氏著の『ノモンハンの夏』 (文藝春秋、文春文庫)はまだ、全く手付かずの状態。これは、まあ、終戦の日に向けて例年、15年戦争関連の本を読むことを自分に課している、その一環であり、来週辺り本腰を入れて読むことになるだろう。

Nomonhan2

 坂部 恵著の『「ふれる」ことの哲学  ―― 人称的世界とその根底 ――』についてはやや期待はずれ。いろんな論文・小文の寄せ集め的な本で、同じく坂部 恵著の『理性の不安―カント哲学の生成と構造』(勁草書房)や『仮面の解釈学』(東京大学出版会)には到底敵わない。やはり坂部 恵氏にとっても、後者の二冊は青春の書的な、若書きかもしれないけれど、読むものに書き手の熱意・熱気の伝わる、年齢を重ねたならば失われがちな何かが篭っている本ということになるのか(後年の本は全く読んでいないので、断言は控えるけれど)。

 折口 信夫(おりくち しのぶ)著『初稿・死者の書』(安藤 礼二編集、国書刊行会)については、拙稿「「口ぶえ」と折口信夫の性愛」において、肝心の「死者の書」ではなく、「口ぶえ」に焦点を合わせる形でだが、若干のことを書いている。

0001214400001

 アンドリュー・パーカー著『眼の誕生――カンブリア紀大進化の謎を解く』については、読み始めたばかりなのだが、面白いので後日、感想を書きたい。
 ただ、スティーヴン・ジェイ・グールド著『ワンダフル・ライフ バージェス頁岩と生物進化の物語』(渡辺 政隆訳、早川書房、ハヤカワ文庫 NF)を単行本が出た当初(1993年春?)に買って読み、「20世紀初頭にロッキー山脈中で発見された5億年前の奇怪な化石動物群。それらは既存の分類体系のどこにもおさまらない奇妙奇天烈・妙ちくりん動物であることが判明したばかりか、われわれの進化観に重大な見直しを迫ることになった……現代進化論の旗手グールドの代表作」といった内容に結構、興奮した記憶があるのだが、本書『眼の誕生』を読んで、僅か十数年の間の研究の進展ぶりに驚いている。
 研究者たちの地道な研究の積み重ねの賜物なのは言うまでもないが、同時に、パソコン(CAD)の果たした役割の大きさも痛感させられたりする。
 化石の立体構造の復元、歩き方、甲羅などへの筋肉の付き方などなど、分かっていること分かっていないこと、恐竜と鳥類との関係の有無、そして眼目である「眼の誕生」など、とにかく読み進めていくのが楽しみ。

Verne4

 さて、ジュール・ヴェルヌ著の『月世界旅行―詳注版』(高山 宏訳、W.J. ミラー注、ちくま文庫)については、「読書拾遺…これから読む本」の中で簡単にだが紹介を試みている。
 とにかく、そこでも書いているが、「W.J. ミラー氏による詳注版がミソ」なのである。無論、訳者である高山 宏氏の力も預かって大きい。
 本書がこれほど面白いとは全く、予想外だった。
 ジュール・ヴェルヌについては、既に「バチスカーフ」や「ジュール・ヴェルヌ…オリエント」にてあれこれ書いている。
 そう、後者の記事などは、昨年が、「ことしは、フランスの作家ジュール・ヴェルヌの没後100年」ということで、ラジオで日本フランス語フランス文学会の小倉孝誠氏の話を聞く機会に恵まれたことを契機に書いたものだった。

 ジュール・ヴェルヌの『月世界旅行―詳注版』を読んで感じたことの一つに、19世紀(までの)文学のいい意味での混沌さ、ごった煮性だった。メルヴィルの『白鯨』や『ピエール』などを読んだ時にも感じたことだが、小説が、突如、エッセイ調になったりしようが、書き手の視点が崩れて、文学手法に拘る現代人には??となったりしようが、一切お構いなしに作家が書き進めるその胃袋の大きさ、咀嚼力の凄さだ。

 ちなみに、ネット検索していて知ったのだが、「「日本ジュール・ヴェルヌ研究会」が設立される運びとなりました」というのだ。
 つまり、「Jules Verne Page」に拠ると、「ジュール・ヴェルヌの没後101年目にあたる2006年は、日本のヴェルヌ愛好者にとって記念すべき年になりそうです。日本のヴェルヌ研究の草分けである私市保彦氏を顧問に迎え、研究者とアマチュアが手を取り合うという理想的な形で、かねてより待ち望まれていた「日本ジュール・ヴェルヌ研究会」が設立される運びとなりました。当サイト管理人も準備会のメンバーとして活動してゆきます。新しい会の船出にbon voyageを!」というのである。
 ジュール・ヴェルヌという存在の一筋縄ではいかない多様性と先進性を思うと、さもあらん、である。

|

« 「路上に風化する…」 | トップページ | ダ・ヴィンチ…万物は波動して伝わる »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

書評エッセイ」カテゴリの記事

文学散歩」カテゴリの記事

コメント

僕の家もゴミ屋敷状態です、なんとかしないとー。
坂部さんの本はどれも基本的に論文の寄せ集めですね、「仮面の解釈学」もそう。
「ふれることの哲学」ではカント晩年のディオニュソス的なものへの関心が面白い。
寄せ集めといえば、見田宗助さんの岩波新書、展覧会のカタログのために書いて、それから別の論文集に収録されーといった論文まであります。
新書くらい書き下しで願いたいものです。

投稿: oki | 2006/08/05 12:35

悪戦苦闘とはこのことです。片付けようにも、借り置きする場所がないので、途方に暮れている。
こうなったら、工事の人がやってきたら、「やっぱり来たんですか、冗談だと思ってましたよ」とでも言って惚けるか。
そうもいかないよね。得意の居留守作戦も、正直者の小生、つい出ちゃうしな。

新書は各出版社、出しすぎですね。とうとう書き下ろしではなく、寄せ集めで本の数をそろえ始めている。
そろそろ新しい企画を出版社も考えないとね。
ああ、今夜は整理で眠れそうにない!

投稿: やいっち | 2006/08/05 14:36

坂部さんに岩波新書で書いていただきたい/笑。
東大倫理学の熊野さんが西洋古代中世史を岩波新書で執筆されていますが、レヴィナスやドイツ観念論の専門家が何で古代中世史を執筆するのか僕には不可解ですね。

投稿: oki | 2006/08/05 22:24

いつも投稿ありがとうございます♪

さて、いまだ整理中でしょうか?(笑)
ダンボールとは曲者ですね~開けてみないと判らない。。
片付き過ぎてるのも落ち着かないですが、頑張ってください。

投稿: ちゃり | 2006/08/05 23:21

okiさん
> 坂部さんに岩波新書で書いていただきたい/笑
そう、是非、書き下ろしで。

熊野さんの『西洋哲学史―古代から中世へ』は、「本書では古代ギリシアと中世の哲学が、続巻ではさらに近代から現代の哲学があつかわれる」予定だそうですよ。
 請う、続巻でしょうか。

ちゃりさん、他の方の投稿、待っていたのですが、さすがに「青葉若葉」の季節は過ぎましたからね。待ちきれずに、投稿、というわけです。
部屋の整理、中途で諦めました。あとは業者が来てからのこと。あとは野となれ山となれ! です。
大体、テレビを買う予定もないから(そう、壊れたテレビも片付けないといけない!)、端子の切り替えをやっても小生には意味がない!


投稿: やいっち | 2006/08/06 01:36

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ジュール・ヴェルヌ著『月世界旅行』:

« 「路上に風化する…」 | トップページ | ダ・ヴィンチ…万物は波動して伝わる »