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2006/08/31

カーニヴァルテーマ「太陽」(2)

 これら一連の文章(画像群)については、「カーニヴァルテーマ「太陽」(1)」の冒頭付近に書いてある注意事項に留意願いたい。
 サンバ用語に付いては、「サンバチーム「ブロコ・アハスタォン」サンバ用語集」参照のこと。

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 言うまでもないが、我がサンバチーム・リベルダージ(G.R.E.S.LIBERDADE)の今年の浅草サンバカーニヴァルテーマ「太陽」を意識しており、浅草でのパレードの様子を表す画像集と意識しての文章だということにも注意を喚起しておく。
 また、決してパレードテーマの解説ではなく、勝手な解釈と思い入れをしているだけだということも明記しておく。
 画像はいずれも、画像の使用を快諾してくれている「Charlie K's Photo & Text」からのものである。

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2006/08/30

カーニヴァルテーマ「太陽」(1)

カーニヴァルテーマのこと」にて、「我がチームの今年の浅草サンバカーニヴァルに向けてのテーマである「太陽」を、そのアーラ群を手掛かりに、その物語を描写してみようと思う。」と書いている。
 書いたはいい。また、画像群のアップを期待していたサイト「Charlie K's Photo & Text」の「DAYS of Samba & Asakusa Samba Carnaval 」なる頁にて、「Asakusa 2006.8.26 G.R.E.S Liberdade vol.1」から「Asakusa 2006.8.26 G.R.E.S Liberdade vol.4」などがアップされていて、一応は材料は揃ったようなものだし、これまた結構である。
 が、画像が多いってのも逆に困った。選ぶのに目移りする。あれもこれもとなる。
 また、人様が撮った画像だから、小生が書こうとする小文に相応しい画像が必ずあるとも限らない(特にポルメスについては)。
 今日は、午後から全ての画像を幾度となく見て過ごすことになった。
 
 が、その前に、情けないことに、今日が自転車通勤二日目ということで、肉体疲労でグロッキー状態になっていた。
 火曜日の朝に自転車で会社に辿り着いた時点で既に疲労困憊である。楽な道を選ぼうとは思っているが、それでも、何処かしらで坂道を上り下りしないといけない。短いが急な坂を二つか、緩やかだが長い坂をやはり二つほど越えないといけない。
 恐らく、あと数回は自転車通勤して、体が慣れてしまわないことには、帰宅しても(普段だってタクシー業務に精力の大半を費やしているのに)ロッキングチェアーから体を引き離してパソコンに向う気力など湧きようがない。

 と、言い訳というか愚痴を洩らしたところで、さて、肝心の課題に向いたい。画像群は、何時間も選択に迷った挙句、とうとう切れてしまって、最後はもう、エイヤ! という感じで選んでしまった。
 一旦はアップしても、文章もだが、画像に関しても、追々訂正・差し替え・削除・追加などなどを施していくことにする。
 そういった方針でないと、いつまで経っても書き始めることができん!
 念のために再度、断っておくが、特に明記しない限り、画像は全て、いつも画像の使用を快諾してくれている「Charlie K's Photo & Text」からのものである。
 また、「我がチームの今年の浅草サンバカーニヴァルに向けてのテーマである「太陽」を、そのアーラ群を手掛かりに、その物語を描写してみようと思う。」と書いたように、基本的に物語的であり、もっと言うと空想、あられもなく言うと妄想的な叙述もありえる。可能なら終始、徹底して妄想的でありたいのだが、そうもいかない。
 仮に思ったほど、妄想的足りえなかったとしたら、小生の想像力が貧しいからに過ぎない。
 叙述の事実関係を逐一、信憑性を含め、裏付けを求めたりしないでもらいたい。
 ひたすらその場の思いつきで書いているだけなのだし、文章に脈絡がないからと、舌打ちなどしないで欲しい。
 敢えてでたらめは書くつもりはないが、敢えてサンバについて用語も含め専門的なこだわりもしない(できない!)。
 願わくは、画像に見合うような何かを書けたらいいのだが。
 用語は、「サンバチーム「ブロコ・アハスタォン」サンバ用語集」参照のこと。

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2006/08/29

カーニヴァルテーマのこと

 昨日、終日、安息日に当てたお蔭か、少し体調が戻ったような気がする。
 とはいっても、もともとテンションが低い人間なので、人が見たら、うらぶれてるじゃん! って風に見えるだろうけど、ま、それはそれで仕方がない。
 今日は、午前中を大事をとって読書と居眠りに当て、午後もやはり食事と仮眠に当て…と、これじゃ、日曜日とまるきり同じになりそうだったので、心機一転、ベランダに安置してある自転車がオレの活躍はいつなんだと睨んでいるようでもあり、外出することに。
 ふと、そうだ、先週、近所の坂道を試走したり、通勤に一度だけ使ってみて、体験とそれなりの反省点、教訓は得られていたので、まずは、思い切ってデイパック(リュックサック)を買うことにした。

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→ 「日蓮宗大本山 池上本門寺」の本殿裏。

 今までのショルダーバッグだと、中身が重いこともあり、自転車を走らせているうちに肩からずれてきて、気がついたらバッグが脇腹に、あるいは安定感があるのか、ややお腹寄りになってしまう。

 たださえ、坂道は辛いのに、バッグが邪魔をして走るのが厄介至極になってしまうのだ。
 それと、サドルの位置が高すぎた。見栄を張って、足を長く見せようと思ったのが拙かったようだ。
 おみ足の長さに相応しい位置へと、若干、サドルを下げる。
 冥王星ではないが、サドルも降格処分を受けたというわけである。

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2006/08/28

読書拾遺(浅草の後で…)

 昨日の日曜日は、終日、寝て過ごした。
 ん? お前はいつも寝て過ごしてるんじゃなかったっけ、だって?
 そうなの。でも、気持ちの上ではいつも以上にダウンだった。パレードの結果が期待に反して3位だったことに、ちょっと愕然とした思いがあったのだ。土曜日は予想外の嬉しい付き合い(オフの会)があって、帰宅が夜半に及び、ネットにつなぐ元気もなく、シャワーを浴び、しばらくロッキングチェアーでグッタリしたあと、ベッドへ潜り込んでしまった。
 なので、浅草サンバカーニバル(コンテスト)での結果を見たのは、寝て起きた日曜日の未明近くだった。期待と、もしやという気持ちが交錯する中、浅草サンバカーニバルの審査結果の頁を覗く。

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 えっ、リベルダージがずっと下のほうにあるじゃん?!
 って、出場順番の遅いほうから並んでいるのであった。だから、昨年3位のリベルダージは一部リーグの下から3番目にあるのは、当然の話なのだ。

 改めて順位を確認する。位置と同じ、昨年と同じ3位!
 これはどうしたことか!
 信じられない思いだった。
 小生でさえ、こうなのだ。メンバーとして頑張ってきた人たちは尚更、失望落胆悔しさの念で一杯だったに違いない。

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2006/08/27

浅草・我がチームは3位! (オフ会へ)

 さて、パレードコースでのスタンバイエリアの出発点に立つ。その地点で、山車類とダンサー陣とが合流する。パレードのポジションは、先頭のペースキーパーから始まって、太陽のコミサン、ポルメスなどと続き、最後の虹のアーラまで、21もの種類がある。
 それらの各ポジションの人たち、アーラの人たち、山車類が、それを見守り監督するリーダー的スタッフの方たちの指導のもと、間隔を一定に保ちながら、早くもなく遅くもないスピードでパレードが粛々と、でも楽しげ且つ躍動感たっぷりに進行していくわけである。

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→ 小生らが押した小アレゴリア「望遠鏡と天球儀」の部分像。この小アレゴリアの周りには、書籍を小脇に抱えた学者軍団が取り巻く。画像には天球儀をまともに捉えきっていないが、冥王星が惑星の座から降格したという話題もあって、「タイムリーなアレゴリアだ」という声を山車を押している最中に沿道のお客さんから聞いた!「そう、タイムリーでした」と応じたっけ。誰が作ったのかは分からないが、深い紺色の本体に金地の縁取りという色のバランスやセンスといい、秀逸の作品の一つに数えてもいいのではないか。

 この一定のスピードというのが重要でもある。パレードの各アーラが間延びしては格好が悪いとか、印象が情けなくなるということもあるが、パレードそのものを一定の時間内に収めなければならないという決まりがある。その時間より早いのも、遅いのも減点の対象になるのだ。
 そう、浅草サンバカーニバルは、単なるカーニバルではなく、コンテストの場、なのである。ダンサーの活躍ぶり、山車類の出来具合、陣営、衣装、音楽(音響)、多分スタッフの活躍ぶり、そしてマナー(品行方正ぶり)も含めた、団結力・人間力・総合力が問われる。
 それぞれに点数の評価の対象になると同時に、パレードの進行ペース(時間配分)も評価の対象に入っているわけである(審査や審査員による評、我がチームのパレード画像情報などについては、この頁の末尾を参照のこと)。

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浅草・我がチームは3位! (浅草へ)

我がチームは3位! (浅草へ)」へ引っ越しました。 (06/11/26)

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2006/08/26

沈黙の宇宙に鳴る音楽

 木曜日、いつものようにラジオをオンにしながら車を走らせていた。その時は、NHK-FMを聴いていた。流れてきたのはモーツァルトのピアノ協奏曲だったろうか。曲名は聞き逃した。仕事柄、断片的にしか聴くことは叶わない。
 途切れ途切れの音の連なり。でも、一旦、曲を聴き始めたなら、たとえ中途からであっても、一気に音の宇宙の深みに誘い込んでくれる。
 たとえば、何処かの人里離れた地を彷徨っていて、歩き疲れ、へとへとになって、喉が渇いたとき、不意に森の奥から清流の清々しい音が聞こえてくる。決して砂漠ではないはずの地に自分がいるのは分かっている。木々の緑や土の色に命の元である水の面影を嗅ぎ取らないわけにいかないのだから。
 でも、やはり、水そのものの流れを見たい。体に浴びたい。奔流を体の中に感じたい時がある。
 やがては大河へ、そして海へと流れていく川の、その源泉に程近い、細い清水。
 まるで、自分の中に命があったこと、命が息衝いていることを思い出させてくれるような川のせせらぎ。
 そう、何も最初から最後まで通して曲を聴かなければならないというものではない。むしろ、渇いた心と体には、その遭遇した水辺こそが全てなのだ。その水際で戯れ、戯れているうちに気が付いたら水の深みに嵌っていく。
 そのように、闇の宇宙の中を流れ行く音の川に出会うのだ。
 そう、誰しも、音の宇宙では中途でしか出会えないのだし、束の間の時、音の河を泳ぎ、あるいは音の洪水に流され呑み込まれ、気が付いたら闇の大河からさえも掻き消されていく。
 ふと、いつだったか、自分が書いた一文を思い出した。
 モーツァルトの曲の与えてくれる至福の音の世界とはまるで違う世界だとは重々分かっているのだけれど、連想してしまったものは仕方がない。

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2006/08/25

自転車で初出勤

馬橋パレード…オートバイとの別れ」そして「自転車ライダー生活本日開始」ときて、今日は「自転車での初出勤」をレポートしようかな。
 といっても、何も書くことがない。

 ひたすら、疲れた! というしかない。

 会社まで自転車で向うというのは、小生には、まさしく鈍(なま)った体に鞭を打つような仕儀だったのである。
 小生は東京に居住している。端っことはいえ、23区の何処か。海辺と言えば海辺、古くからの農村地帯だったと言えば、言えなくもない地域。
 バイクで通勤している間は、若干の坂道越え(さすがに峠越えとは気恥ずかしくて言えない)など、アクセル一つ吹かせば呆気なく駆け過ぎることができていた。
 でも、自転車となると、同じ二輪車ではあるが、まるで感じが違う。

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← 紫苑さんにいただいた画像です。相変わらず活動的! コンサートを終え全国高等学校野球選手権大会(甲子園)に応援に行った紫苑さん、次は軟式高校野球全国大会へ応援に行くのだとか。

 もう、十年近く前だったか、朝、目覚めると雪国になっていたことがあった。
 でも、仕事熱心な小生、バスも来ない、オートバイ走行は無理、タクシーなど掴まるはずもないという、そんな過酷な状況の中、テクテクと会社へ向ったことがある。
 オートバイだと5キロほどの道のりである。バイクにとっては緩やかなアンデュレーションの道かもしれないが、歩くものにはきつい坂の道を、積雪十センチ足らずの道を、しかも、夏場も冬場もなく年中、通して履いている普通の革靴でテクテクトロトロ歩いていったのだった。

 詳しくは書かないが、会社へたどり着いた時は、体はヘロヘロになっていた。

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2006/08/24

セミから空を考える

 過日、テレビ(NHK総合)でセミの羽化の様子を見ることが出来た。
 セミの羽化の光景なんて、別に珍しくない?
 では、都会のど真ん中だとたら、どうか。
 それも、新宿御苑とか不忍池とか皇居のお堀の近辺とか、そういった緑濃い、土の多い場所ではなく、都会の雑踏でのセミの羽化の光景だったから、小生、思わず見入ってしまったのだ。
 コンクリートジャングルである都会の、具体的には一体、どんな場所で羽化していたか。
 例えば、コンクリートのひび割れを縫って生えている雑草の茎。
 でも、一番、驚いたのは、放置自転車によじ登って、すぐそこを人々が行き交う、そのすぐ裏で羽化している様子だった。

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 生き延びるためには、どんなことでもやる。それが期待した理想的な場所でなくとも、切羽詰ったら、人さえ通らなければ、何かの動かない物体の壁面にへばりつき、都会の雑踏と喧騒を他所に、羽化という厳粛な儀式を執り行う。
 足音も人の声も聞こえているはずなのに、その画面には静寂があるばかりだった。
 よくぞ、こんな場面を撮ったものだと思った。
 というより、その前に、そういう光景に気付き見出したこと自体に瞠目すべきなのか。
 ニュース番組の中の、ちょっとしたエピソード特集の一齣。


 ネット検索していたら、『都会にすみついたセミたち』(写真・文=武田晋一・海野和男、偕成社)という本をヒットした。

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2006/08/23

自転車ライダー生活本日開始

 火曜日のブログ「読書拾遺…「鏡のなかの鏡」へ」の日記の項で、「昼頃、目覚めて、洗濯、軽食、外出(やたらと用事が多い)」などと書いている。
 先週土曜日の用事とは、今週の土曜日、恒例の浅草サンバカーニバルが催されるのだが、小生、スタッフとして下働きさせてもらう予定。スタッフといっても、まず人に目に付くことはないと思うのだが、それでも衣装というか、それなりの服装が必要となる。

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→ 8月22日(火)夕刻、都内某所にて。運河に屋形船が浮んでいる。いいなー、うらやましいなー。オイラの仕事は、今から佳境(?)に入る…はず…だったのだけど。

 白いアンダーシャツ(ランニングか袖なしTシャツ)、白い(デッキ)シューズ、踝(くるぶし)を覆わない白の靴下(乃至は履かない)、白いパンツ(トランクスじゃなくて)などなど。
 このうち、白のランニングシャツは持っているが、新規に買うことにした。
 白い(デッキ)シューズは、昨年、購入し使用した。
 白の靴下も購入(ついでに、仕事のために三足セットの黒い靴下を買った)。
 万が一のことを考え(?)、白いパンツに合わせ白色のトランクスも(普段着用に柄物のトランクスも。小生、トランクス派!)。

 いっそのこと、白い帽子も買おうかと思ったが、やりすぎか。
 白いパンツ着用ということなので、小生、黒やこげ茶のベルトしか持っていないし、かなり草臥れていることもあり、今後のことを考え、白いベルトを一本、買った。

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2006/08/22

読書拾遺…「鏡のなかの鏡」へ

 この記事の直前に馬橋パレードのレポートを書いている。内容は人様には大したことはないものだろうが、書くほうにしてみると、結構な労力を要する。
 いつもながらだが、量的にまとまったレポートを書き上げると、体の中のエネルギーを使い果たしたような感覚に襲われる。画像の処理だけでも、苦労しているし、二百枚ほどの画像の中からどれを選びレポートに掲載するかも、その選択の上の価値観が問われているようでもあり、なかなかにしんどい。

 普通なら、文章(レポート)を書いてから、そこに画像を嵌めていくのだろうが、小生の場合、ブログに載せる画像を選択してから、その画像の数に合わせて、文章を考える。
 駄文を綴るだけなら嫌いなほうじゃないし、実際にあったこと、経験したことを無難な範囲で書いていくのだから、楽なように見えて、案外と書くネタというものは少ないものだ。

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← pocoさんにいただいた、青森の「黒石よされ」の画像です。pocoさんは、ネット検索で、拙稿「夜目遠目笠の内」に出会ったのだとか。なお、pocoさんのホームページは、「フォトとメッセージ」です。

 選んだ50個弱の画像を適宜、嵌め込める量の文章を是が非でも書くしかない!

 それでも、パレードのあった翌日が休日だったから、まだ助かっている。朝の八時前までにレポートの(1)を書いてから、ベッドで就寝。
 使うべき画像(どんなにいい写真でも観客の顔があまりに目立つものは避ける、などの判断基準がある)も、「jpg」化も朝方までに大よそのところは済ませておいた。

 昼頃、目覚めて、洗濯、軽食、外出(やたらと用事が多い)。
 要件を済ませて帰ってきて、四時までにレポートの(2)で何を書くか、イメージを決める。テーマさえ決まれば、あとは馬力で一気に書き進めていく。

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2006/08/21

06馬橋パレード(2)

06馬橋パレード(2)」へ引っ越しました。 (06/11/26)

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06馬橋パレード(1)

06馬橋パレード(1)」に引っ越しました。 (06/11/26)

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2006/08/20

靖国と歴史認識に関連して

 このところ、小泉首相の靖国神社参拝を契機に靖国問題、ひいては先の戦争など歴史認識の問題がクローズアップされつつある。
 靖国神社側は、どういう権能があってのことか分からないが、A級戦犯者たちを合祀した。
 そのことにより、天皇家の靖国神社への参拝を阻むことになった。ある意味、後戻りできない形で靖国神社側は戦前の体質を露呈させてしまったということなのだろう。

 でも、それもまた仕方がない。靖国神社はあくまで民間の一つの宗教的施設なのであり、どのような思想・信条で運営されようと国家も政治家も忖度はしても、介入はできないわけで、ご自分たちの考えで存続を計るしかないのだろう。

 いずれにしも、今更、A級戦犯者たちの分祀など出来ない相談なのだろうし(そもそも分祀ってどういうことなのか、分からない)、分祀が可能だとしても、それはあくまで靖国神社からの分祀という経緯が付き纏う。
 一度、やってしまった(合祀という)事実は消えないのである。

 要は、明確になったのは、靖国神社が果たした役割に取って代わるという意味ではなく、天皇家も、アジアの犠牲となった方々も、戦争に行かされ犠牲となった人々も、クリスチャンの方たちも、共に追悼し平和を祈念するには、新たに国立追悼施設を作るしか他に道はないということだろう。

 そうした追悼施設ができて、一定の役割を日本において、またアジアにおいて果たすようになった段階になれば、そのときには、国家の指導者も靖国神社に(何処かの誰かさんのように、こっそり)参拝しても、他国にも日本の心ある人にも顰蹙を買われることはあっても、殊更、問題にはしなくなるだろう。

 それには、今から少なくとも五十年以上の反省の時間を要すると思われる。気の短い日本人には戦後60年余りは長いと感じるかもしれないが、アジアレベル、世界レベルからしたら60年など、つい昨日のことなのだ。特に、経済復興に邁進し、倫理的道徳的問題という辛い問題から眼を背け逃げてきた日本の人々には、これからようやく戦争の現実と歴史に向き合うことになるのだと思う。
 ようやく!

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2006/08/19

馬橋パレード…オートバイとの別れ

 8月20日(日)には千葉県松戸市西馬橋(最寄り駅は常磐線の馬橋駅)にて例年通り、我がサンバチーム・リベルダージ(G.R.E.S.LIBERDADE)の馬橋パレードが行われる。というか、予定となっているのだが、「G.R.E.S. LIBERDADE---Schedule:チーム公式予定---」の頁を開いても、詳しい場所やパレードの開始される時間などが分からない。
 そこで、参考(となるかどうか分からないが)に、昨年のパレードレポートを紹介しておく:
05馬橋パレード(1) [2005年08月22日(月)] 」~「馬橋パレード(15…もうすぐ浅草) [2005年08月24日(水)]
 但し、少々ややっこしいが、「05馬橋パレード(9) [2005年08月22日(月)] 」までは、「03年度馬橋パレードの時のレポート」なのである。
05馬橋パレード(10) [2005年08月22日(月)] 」以降が昨年(05年)度のパレードレポートなのである。

 
 記事を読むと4時(16時)開始となっているが、仄聞するところ、今年のパレード開始時間は、「15:45」で、途中、休憩を挟んで、後半のパレードが始まり、後半も含めてパレードが終了するのが「17:15」の予定のようである。

 実を言うと、今週はずっと、この祭りの主宰者側のホームページをネットで探していたのだが、小生の検索力ではとうとう見つからなかった。
 上掲のレポートにも書いたが、「表題には、「馬橋パレード」などと表記しているが、催された「まつり」の正式名称は、「坂川清流灯篭祭り」である」。
「趣旨は、パンフレットによると:坂川・新坂川がきれいになり、地域を活性化し、21世紀をになう子供たちに「ふるさとの川」「ふるさとの街」になることを願って…。」とあった。
 但し、あくまで去年の話である。

 今年のパレード(祭り)については、詳しい事情は一切、今の所、不明。後方のやいっちとしては(ちゃんとした広報の方は我がチームにいる!)面目躍如とはならない…申し訳ない限りである。
 馬橋パレードは、浅草サンバカーニバルの前哨戦、乃至は直前のお披露目(最終的なチェック)の意味合いがある。サンバカーニバルと違うのは、アレゴリアなどの山車類がないこと等々で、かなり本格的なパレードが展開される。
 パレードコースも広く本格的。商店街や駅前のパレードでもコース的には浅草を覗くとトップクラス。
 但し、今年は花小金井のコースが駅前の改修が終わった(?)こともあって、かなり立派だったことを書き添えておく。

 天候には恵まれそうだし、昨年の3位という実績を土台に、チームの陣営も一層充実し、今年は一層の飛躍が期待できる。その予感とムードに溢れている。
 最高のパレード(祭り)を期待したい。

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2006/08/18

ポール・デルヴォーの絵の悪魔性

 ポール・デルヴォーについては、今更小生が語る必要も無いだろう。
ポール・デルボー(1897-1994)」なるサイトを覗くと、簡潔ながらバランスの取れた紹介をしてくれている。
 デルヴォーの画にはキリコらの影響を見る人が多い。

 実際、上掲の文中、「彼の作品は遠近法をわざと崩した奇妙に歪んだ空間の中に、よく見るとあり得ないような鉄道の線路があったり、そこに無表情の裸体の女たちがいたり、独特の緊張感を持った時空を作り上げています。同じシュールレアリズムとはいっても、ダリやマグリットとはまた違った性質を持っています。それはいかにも狂気のように見えて、よくみると正常な神経の中に踏みとどまっているのです」とある。

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 例えば、「夢の美術館、絵画」という頁を覗くと、小生の好きなフリードリッヒ(フリードリヒ)を初め、好きな画家の作品が並んでいて嬉しいのだが、その頁の中で、シュールレアリズムの画家たちの作品が一覧できるようになっている。
 デルヴォーと同じベルギーのルネ・マグリット、サルバドール・ダリ、ジョルジオ・デ・キリコ、マックス・エルンスト、そしてポール・デルボー…。
 似たような世界と安易に決め付けてはいけないが、無縁とも言い切れないのは確かなのだろう。
 

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2006/08/17

泳げたぞ!

 先月末、例のプールでの事故を契機にプールの話が話題の俎上に。
 事故は怖いが、それはそれとして、自分自身のプールでの思い出がちょっと蘇ってもいたのだった。

 小生が泳げるようになったのは、恥ずかしながら40歳の時だった。
 そんな年齢に至るまでにも、学校では勿論、友達や家族とプールや海へ遊びに行くことは幾度となくあった。そうした時に泳げないというのは情けないもので、泳げる人たちが平泳ぎなどでスイスイ泳ぐのをよそ目に、海なら浜辺、それも波打ち際でパシャパシャしているしか他にどうすることもできない。

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→ 94年の夏、一人特訓し、ついに泳げるようになった懐かしの「平和島公園プール」(画像は、「大田区ホームページ」より) 夏場以外は屋内プールで!

 小学生の頃はともかく、中学生ともなると、同級生らもかなりの割合で泳げるようになっている。だから尚の事、水泳の授業ともなると、その時間をやり過ごすのが実に大変だった。
(冷静に振り返ってみると、泳げない連中というのは、クラスの中にも少なからずいた筈だ。が、自分が泳げないというコンプレックスが周囲の状況を見えなくしていたものか、みんなが泳げるように感じていたようだ。)

 ただ、幸いなことに学校の方針なのか、それとも体育の教師(あるいは学校側の)の配慮(手心)だったのか、泳ぐことを強制されることはなかった。

 もしも、そんな仕儀に遭ったなら、あるいは今以上にいじけた人間になっていたかもしれない。
 それでも、多くの同級生が格好良く泳ぐのをただ眺めているのは、少しは負けん気のある小生としては悔しいものがある。

 プールに入る。
 まず、その段階がコンプレックスとの戦いとなる。

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2006/08/16

地球照より地球ショー

 このところ、月の話題が多くなっている。お月さんばかりを贔屓にしては、いつも照ってくれている太陽さんが嫉妬して真っ赤に燃え上がってしまうかもしれないなんて、心配になるが、思えば、太陽はいつも燃えているのだった。
 なので、ここは一つ、太陽に媚を売るわけではないが、一昨日だったか、車中でラジオから太陽発電の話題が聞こえてきたこともあるし、最新の太陽光発電の話題を採り上げようと思ったが、ネット検索したら、何処だったかに充実したサイトがあって、それを読んだら、めげてしまった。
 何も小生ごときがでしゃばる必要などまるでないと思い知らされたのだった。

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← 14日の夜半近く、都内某所にて。日中は晴れていたが、夜になって次第に雲が掛かってきた空。白っぽく光っているのが月。右側の薄明かりは街灯。遥かに間近な街灯より月の光の強さが勝っている! 画像は拡大可能。

 ただ、それでも従来のパネル(板)状の太陽光発電装置ではなく、液状に近いものが研究段階では成功していて、それを用途に応じて、必要な場所に塗料を塗るようにして塗布するようになるとなったら、太陽光発電(ソーラー発電)の用途と可能性は一気に広がる。
 車のボディやビルや家屋の屋根のみならず、外壁や窓ガラス、道路面、さらには砂漠や草原、海の上…と、何処でも発電、何処でも電池ということになる、なんてことなど、書こうかなと思っていた。
 が、やはり、先日も「青い月 赤い月」と、月に関する記事を書いてしまって、太陽に関する話題は先延ばししてしまった。
 そこへ、クレーン船が送電線を傷つけたことに起因する、首都圏の大規模停電で、ああ、小生が電池や発電の話題を採り上げなかったばっかりに、事故が発生してしまったと、反省しきりなのだった(…そんなわけないけど)。

 こうなったら、開き直って、もう少し月の話題を。そう、地球照のことなど。

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2006/08/15

デルヴォー…凍てついた夢想

 過日、図書館で三冊の本を借りた。
 そのうちの一冊は、例によって車中で読むための本で、(内容が、ではなく)車のドアポケットに軽く収まるような薄手の本を物色。科学関係のエッセイ書、俳句や詩の本などなど探し回ってもピンと来るものが無く、そのうち、美術書のコーナーへ。
 すると、ジャン・ピエ-ル・キュザン/ディミトリ・サルモン著の『ジョルジュ・ド・ラ・トゥ-ル 再発見された神秘の画家』(「知の再発見」双書、創元社)に目が。そう、ジョルジュ・ド・ラ・トゥ-ルという名前に引き寄せられたのだ。

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 活字が細かいのが車中での読書には難があるが、でも、小さいとはいえジョルジュ・ド・ラ・トゥ-ルの画の数々を車内で楽しむことが出来る!

 ちょっと驚いたのは、<内容紹介>の後半に、「蝋燭の光に照らし出された人物像など、光と闇、聖と俗の二面性を鮮やかに描き出したこの画家は、没後は急速に忘れ去られ、20世紀になってから劇的な形で再発見された。本国フランスでも話題を呼んだ、ラ・トゥールの生涯と絵画の「再発見史」」とあるのは、まあ納得できるとして、問題は前半。
「17世紀の画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの名は既に世界的であるが、日本での認知度は未だ低い。しかし、一度でもその作品を見た者にとって、彼の絵は忘れがたい印象をもたらす」だって。
 えっ、ラ・トゥールって、「日本での認知度は未だ低」かったっけ?!

ジョルジュ・ド・ラ・トゥ-ル 紀伊國屋書店BookWeb」なる頁を覗けば、<日本語版監修者序文より><著者略歴><監修者略歴>などがきされている。
 このうち、現在、国立西洋美術館主任研究官の高橋明也(たかはしあきや) 氏の話をネットでも読める:
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール展を語る

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2006/08/14

青い月 赤い月

月の魔力?」と題した小文を一昨日、書いた。その記事に対しelmaさんより戴いたコメントが小生に「ブルームーン」のことを思い出させてくれた。
 断っておくが、フルムーンではない。ブルームーン、つまり、「青い月」である。
 小生、以前、既に「ブルームーン」の話題を採り上げたことがあったと思っていたが、どうやら思い込みだったようで、未だのようだ。
ブルームーン」と題した掌編を書いた際に、「ブルームーン」をキーワードにあれこれ調べたのが印象に残っていて、関連する雑文を書いたと思い込んでしまっていたのかもしれない。

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→ 小浦昇/絵 青居心/詩『青い月の物語』(ダイヤモンド社)……著書の表紙の銅版画も筆者の手になる。

 せっかく、「ブルームーン」なる言葉、それとも現象が話題に上ったのだ、もう一押しして「赤い月」と併せ、若干のことをメモしておきたい。
 今回は、掌編「ブルームーン」の中で扱っているカクテルのこと、バラのこと、「こちらブルームーン探偵社」などは扱わない。
 また、「赤い月」というと、なかにし礼氏の小説、あるいはその映画化された作品を思い浮かべられるかもしれないが、今回はその話題も素通りする。
 主に自然現象の中の「ブルームーン」に焦点を合わせる。

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2006/08/13

賢治の俳句…花はみな四方に贈りて菊日和

 小生が取っているメルマガの一つに、渡辺 宏氏が発行している「宮沢賢治 Kenji Review」がある。
 1999年2月20日の創刊で、今も続いている!
 バックナンバーも見ることが出来る。
 ホームページは、「宮沢賢治の童話と詩 森羅情報サービス

 そのメルマガ「宮沢賢治 Kenji Review 385」にて、賢治が俳句を作っていたことを知った。
 知っている人は知っている常識に類することなのかもしれないが、小生は初耳だった。

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→ 紫苑さんに戴いた暑中お見舞い画像です。郷里の熊本工の応援に甲子園に行ってきてのショットとか。14日は、天理高校戦が待っている。我が郷里の代表校は今年も初戦で敗退。彼我の差は大きい!

 宮沢賢治については、拙稿に「幽霊の話は後に尾を引く」があるが、正面切っては扱ったことがない。扱う能がないというべきか。
 賢治の詩読んで、その世界を楽しむだけで十分という話もあるが。
 それでも、勉強のためにメモだけ残しておく。

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2006/08/12

月の魔力?

 水曜日の営業も峠を越した夜半過ぎだったか、久しぶりに冴え冴えとした月影を見た。撮れる腕前も撮れた実績もないのに、月影にデジカメを向けて撮影にトライ。
 結果は見事に失敗。
 さて、金曜日の営業が終わりに近づいた土曜日の未明、といっても、朝の五時を回って半に近づいていたから未明というのも無理があるかもしれないが、あるバス通りを走ったら、事故現場に遭遇。昨夜からだと、一体、何件目の事故現場との擦れ違いだろうか。
 が、土曜日の朝に見たものは、真っ赤な乗用車が電柱か住宅の門かにぶつかりフロント部分が大破している。警察官が早く通り抜けろと指示するもので、じっくり見て確かめるわけにはいかなかった。
 昨日の営業で見た、一番の事故ということになる。
 ちなみに、昨夜は、8日から続く危険予測日の真っ只中にあったようだ。
→「The Moon Age Calendar

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← 画像では月の形が崩れているが、実際は、ほぼ満月だった。久々の月光があまりに眩しくデジカメも降参?!

 さて、車中では、「人麻呂と長明の「泡」つながり」にも記したように、池内 了(いけうち さとる)著の『天文学者の虫眼鏡―文学と科学のあいだ』(文春新書)を読んでいる。
 さすがにじっくり読んでいられるほどには暇ではないので、未明などにちらちら読むのだが、そんな中で、月に関する話題を昨日は読んだのである。
 そのうちのある項目は、題名が「月の魔力?」となっている。

 或る日、警察当局から、ある本を出すに当って、コメントを求められた(あるいは推薦文のようなものか)。
 それは、俗説としては最近、話題に出てくる説がまさにテーマになっている本らしい。
 つまり、月齢と交通事故との相関関係が、少なくとも統計的に見られるという考え方が主眼となっている。
 この考え方は、あるいは警察など一部関係当局では俗説に留まるものの、それなりに信憑性があると思われつつある説らしくもある。
 小生も以前、採り上げたことがあるが、その科学的探究が、あるいは統計的解析や資料が不十分で、小生の能の不足もあって、中途半端な記述に終わっている。

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2006/08/11

戦争体験の継承

 小生は毎年、今頃に照準を合わせる形で、15年戦争に関するあれこれを綴ってきた。
 例えば、原爆モノとして虚構の形で:
闇に降る雨」(04/08/13 記)
黒い雨の降る夜」(03/04/07 記)
日蔭ノナクナツタ広島ノ上空ヲトビガ舞ツテヰル」(August 09, 2005)

 戦記・戦争記録モノとして:
本間猛著『予科練の空』を読んで」(02/12/15)
堀川潭/著 『悲劇の島』(March 27, 2005)
常石敬一著『七三一部隊』」(March 14, 2005)

 敗戦後の日本に関連して(02年3月から4月にかけて):
『敗北を抱きしめて』雑感(1-3)
ジョン・ダワー著『敗北を抱きしめて』雑感(4-6)
ジョン・ダワー著『敗北を抱きしめて』雑感(7-9、余談)

出発は遂に訪れず…」(2005/06/30)
荷風散人『断腸亭日乗』雑感」(01/06/04-08)
山田風太郎『戦中派不戦日記』あれこれ」(June 27, 2005)

西野 瑠美子著『なぜ「従軍慰安婦」を記憶にきざむのか』」(May 09, 2005)

富山大空襲と母のこと」(2005年09月19日)

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2006/08/10

人麻呂と長明の「泡」つながり

 やや古い本になるが、池内 了(いけうち さとる)著の『天文学者の虫眼鏡―文学と科学のあいだ』(文春新書)を車中で読んでいる。といっても、日中は忙しいので、実際に手に取れるのは夜半を回って丑三つ時も過ぎた頃となる。
 車中にはスペースの問題もあるので、ハードカバーの単行本などは持ち込めない。また、活字の細かいものも、車中は室内灯を使っても薄暗いので辛い。
 というわけで、図書館で、車中に持ち込むに相応しい本を探すのは、なかなか難しい。
 まず、関心を呼ぶような内容でないと困る。その上で、ほどほどの活字の大きさで、本も文庫本か新書などから物色する。
 その意味で、やや古くはあっても、『天文学者の虫眼鏡―文学と科学のあいだ』は格好の本だった。
 まだ読みかけなのだが、さすが天文学者だけあって、文学作品を読み解くに際し、文学プロパーの人とは違う視点を駆使してくれる。
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 夏目漱石と寺田寅彦。夏目漱石の小説(に限らない。俳句なども)には、当時の最新の科学の話題が頻繁に登場するが、寺田寅彦など漱石を取り巻くそれぞれに一家言を持つ人たちと分野を問わない、理系・文系という枠組みを超えた話題が飛び交ったのだろう。
 文学をやるのに科学の勉強をする必要が断固、必要というわけではないが、科学に関わる話題が会話にしろ地の文にしろ出てくる際に、頓珍漢な記述だと辟易してしまう。
 玄人(クロウト)はだしとはいかなくても、ペダンチックな小生くらいは感心させてくれないと困る。
 それは精神科学の領域でも同じなのだが。

 本書を読んでいて、『方丈記』が話題になっていたので、今日は教えられたことをメモしておく。文学プロパーの人ならば常識に類することかもしれないが、小生には目新しく感じられたし、そもそも小生、「無精庵方丈記」(他に「無精庵徒然草」や「無精庵万葉記」など)といったブログを持っている。
 なのに、「方丈記」に限らず古典に関わる話題をあまり採り上げていない、そんな忸怩たる思いもある…。

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2006/08/09

ドライミストより打ち水っ娘?!

 7日は営業の日だった。立秋。だが一番、暑い盛りでもある。
 立秋なのに、現実は暑い盛り。こうなったら、立秋ではなく、立腹という二十四節気を立てたくなる。
 と思ったら、今、外はザンザン降りの雨。台風が関東にも近づくかもしれない。

 さて、7日の暑さのせいで、日中はそこそこに忙しかったが、夜半を回ると、人影は見かけるが乗ってくれる方とは出会えない。
 夜中過ぎ、何処かの駅に車をつけて、ぼんやりラジオからの話に聞き入っていたら、「ドライミスト」の話題が小生の耳目を引いた。

「ドライミスト」って何。
 世事に疎い小生、既に世間では常識になっていることでも知らないことは多い。それに身近に尋ねる相手もいない。

 どうやら、愛知万博で広く認知された「涼」のシステムのよう。
能美防災/ドライミスト」がネット検索の上位に登場。
 冒頭に、「「愛知万博(愛・地球博)」では、暑さ対策の一環として導入された技術「ドライミスト」が活躍しています」とある。
 以下、ドライミストの原理と特長が説明されている。
 ラジオでも話があったが、「「ドライミスト」は、微細な水の粒で人工的な霧を発生させて、水が液体から気体に変わる際に周囲から熱を奪う気化熱を利用して周辺の気温を下げるシステムで」、以下の特長があるという:

 ・周辺の気温を2~3度下げることができます。
 ・温度を下げるためのエネルギー消費は、非常に少なく家庭用のエアコンの1/20です。
 ・極めて微細な粒子の水滴は、すぐに蒸発するため、人に触れてもほとんど濡れるという感触がありません。
 ・温度、湿度、風速などの各種センサにより、気象条件に応じて自動運転をしています。

 原理は当該の頁の説明を見て欲しい。

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2006/08/08

釣谷幸輝…モノトーンの海を泳ぐ

 日曜日、ちょっといいことがあった。例の片付け作業が工事の終了もあり、ひと段落付いて、やや気抜けしたこともあって、グッタリしていたら、田舎から小包が届いた。

 中身が凄い。いろいろ入っていたが、メインはメロン!

 電話での話によると、さる筋からのもらい物で、二つあって、そのうちの一個を送って寄越したという。
 誰と一緒に食べる相手もいないので一人で丸ごと一個を食べた。

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→ 都内某所にて。八日の未明。終夜の仕事も終わりに近づいている。久しぶりの朝焼け。つい、車中からデジカメを出して撮ってみた。よく見ると、何処か怪しげな雲が。案の定、しばらくして雨がポツポツと。昼は雨降りとなったが、夕方までには晴れて、今度は見事な夕焼けとなった。台風の来襲を告げる茜なのか。

 家ではメロンがまだ固いのではと心配していたが、冷蔵でない形で送ってきたこともあってか、届いたメロンを冷蔵庫で冷やしてから手に取ってみたら、やわらかい。
 実際、切っても包丁の刃がススーと入っていく。
 二つに切り分け、それを更にそれぞれ切り分け、四等分になったメロンを今度はそれぞれ三等分。
 全部で12個の小分けになったメロンを皿に盛る。
 無論、メロンの汁を一滴たりとも洩らさないため。
 そして、切り開いた中は、期待以上にジューシー!
 メロン特有の甘酸っぱい香りと食べる際の口当たり。
 12等分のメロンを一人で食べて腹が壊れなかったかって?
 最後の数切れとなったら、うんざりしなかったかって?
 
 とーんでもございません。
 お蔭でお腹の中がメロメロになったけど、ぜーんぶ、おーいしく戴きましたよ。 

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2006/08/07

鷺草は白鷺の翔ぶがごと

 今週末(といっても、既に先週末になってしまったが)は連休だったが、「アンテナ端子取替工事無事終了!」に書いたような次第で、その前の週から部屋の片付け・整理に追われ、なんとか日曜日の午後には落ち着きを取り戻したものの、草臥れ果ててしまって、久々に連句を巻こうかというささやかな思いも吹っ飛んでしまった。
 このブログは、「国見弥一の季語随筆読書創作日記」と銘打っているが、肝心の季語随筆からやや遠ざかり気味。
 連句を巻くという一念は潰え去ったものの、せめて句の世界に触れておきたい。

 すると、あるサイト(「俳句のある風景」)を覗いたら、「鷺草」の画像が載っていて、そこには、吾亦紅さんの「鷺草のいのちに触るる風のいろ」や「鷺草の飛ぶを夢見る月夜かな」などの句が載っている。
 ここにはあれこれ書かないが、思うところ感じるところがあっての句のようである。

 小生、よせばいいのに、「鷺草は、かつては各地に咲いていた…それが湿地の減少に伴い、今では絶滅危惧植物に。となると、白鷺のような白い花は、白鳥の歌を形で示しているのかも」と前置きし、「鷺草や風の色にも夢紡ぐ」といった句でコメント欄を濁してきた。

 たまたまなのか、それともそういう時季なのか、折々覗いては一服させてもらう「花の俳句」なるサイトでも、「俳句のある風景」にお邪魔する前の日だったが、「鷺草(サギソウ)なる記事と画像を読み齧ったばかりだった。
 ここには、「鷺草は宙舞うごとく鉢の上」という句が載っていた。土曜日は慌しく気疲れしていて、何も句を残すことはできなかった…。

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2006/08/06

アンテナ端子取替工事無事終了!

ジュール・ヴェルヌ著『月世界旅行』」の冒頭で愚痴っていた部屋の整理とテレビ端子交換の工事、つつがなく終わりました。
 前夜は真夜中過ぎまで片付け、あとは夜が明けてからだと、未明の四時過ぎに就寝。
 セットしてあった目覚ましタイムの八時半にゲットアップ。最後の難関(美術書やアルバムなどが満載の棚)を全精力を傾注して突破。一体、何年前に壊れたか分からないテレビもベランダへ放置(テレビの電気コードが棚の背後の狭いところで差されていて、どうにも動かすことができなかったのだ)。
 九時過ぎには、今度は、工事の方が来るのを余裕(と若干のイライラ)で待つ次第に。
 たいしたものだ。やいっち君、やればできるじゃないか、まだまだ捨てたもんじゃないぞ(って、誰がオイラを捨てるんだ?!)、自分で自分にお褒めの一言を賜ったのであった。
 待ちきれず、十時頃だったか、外に。すると、あと数部屋で我が部屋の順番のよう。
 小生は新聞をあるいはホーソーンの短編集を読みながら、お茶など啜りながら工事関係者の来訪を待つ。

 チンポーン…じゃない、ピンポーンと、待っていた音が鳴る。

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→ 昨夕、整理作業に疲れ、気分転換も兼ね、近くの図書館へ。すると、祭りの準備作業中だった。浴衣姿の人たちが一杯。あーあ、この中の誰か一人でも手伝ってくれたらなー、なんて思いつつ眺めていたとか??

 工事そのモノは呆気ないほど簡単に終わる。片付けたとはいっても、もう捨てようながない本やアルバム類を机の上、床の上に積み重ねているだけだが、その間を縫うようにして工事の人が部屋を進み、テレビのアンテナ端子の設置場所へ。
 小生、電気にも電気工事にもすこぶる弱い。が、好奇心はあるので、扇風機を工事の人の背中に向けて回しながら(手で回したのではなく、電気の力で扇風機が動いている。小生は扇風機が倒れ落ちないよう支えていただけだが)、工事の様子をじっと眺めていた。
 ひたすら感心、感心。

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ダ・ヴィンチ…万物は波動して伝わる

 最近、読んだ本、あるいは読んでいる本の中で天才ダ・ヴィンチの「光」の性質についての図抜けた独創的な考えを説明する記述に二度までも出会った。
 一度は、既に返却していて、その箇所を確認できないのだが、確か、サイモン・シン著『ビッグバン宇宙論 上・下』(青木 薫訳、新潮社)においてだった(ちょっと記憶が定かではない)。
 次に出会ったのは、今、読んでいる最中のアンドリュー・パーカー著『眼の誕生――カンブリア紀大進化の謎を解く』(渡辺 政隆/今西 康子訳、草思社)において、である。
 というわけで、せっかくなので、ダ・ヴィンチの光の性質についての考えをメモしておきたい。

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 ダン・ブラウン著の『ダ・ヴィンチ・コード  上・下』(越前 敏弥訳、角川書店)が売れに売れ、映画化されて一定の興行成績を上げているようでもある。
 映画は観ていないが、小説のほうは、まあ、そこそこ面白かった(図書館で予約してようやく借りるまでに半年!)。
 しかし、ミステリアスの度合いというと、ダ・ヴィンチ本人の比ではない。天才の秘密も、まだまだ数世紀をかけて探られ続けるのだろう。

 さて、これまた小生の生来の怠惰で観ていないのだが、「科学者レオナルド・ダ・ヴィンチにスポット」を当てたという「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」が昨年の秋口、六本木ヒルズ森タワーの森アーツセンターギャラリーで開催されていた。
【レポート】レオナルド・ダ・ヴィンチ展 - 科学者レオナルド・ダ・ヴィンチにスポット (MYCOMジャーナル) 山田久美」がこの展覧会について、非常に参考になる。
 一通り、読むだけでも興味深い。やはり行っておくべきだったと後悔頻(しき)りである。

レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519年)というと、「モナ・リザ」や「最後の晩餐」といった絵画が有名なため、偉大な芸術家といったイメージが強い。しかしながら、今回の展覧会は、日本初公開となるダ・ヴィンチ直筆の「レスター手稿」の展示を中心に据え、芸術家としての側面よりも、科学者としての側面にスポットを当てた内容となっている」など、以下の記述は読んでも興味深い。

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2006/08/05

ジュール・ヴェルヌ著『月世界旅行』

 このところ、部屋の中の整理に追われている。近々、室内テレビのアンテナ端子の取替え工事があるというのだ。
 我が部屋は、ゴミ屋敷さながらの状態。ダンボールが壁を埋め天井にまで達していた。
 それは、中途半端にダンボール類を積むと、地震があったら、崩れて危険だということで(実際、夜中に地震があって、頭などに箱類が落ちてきてびっくりしたことが再三)、それなら、いっそのこと、天井までびっしり積み重ねちゃえばいいという結論に達し、実際、山と積んでいたのである。
 が、そうなると、紙くず類の山の背後に完全に没してしまっているテレビのアンテナ端子の取替え工事に対応できない。
(小生は、テレビはカーナビのモニターで見ていた。画像は大抵、大雨が降っていたりする。アンテナ端子を使ったテレビは、もう、5年か6年か、あるいはそれ以上、昔にブラウン管が壊れたままだ!)

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 やむなく、このところ、少しずつダンボール類を整理しているのだが、小生のこと、切羽詰らないと本腰を入れない(整理作業の途中経過?愚痴?は、「心はカネでは…ワーキングプア」で少々書いている)。
 工事の期日は…、明日だ!

 だから、何が何でも今日中に整理をしないといけない。何か片付け仕事があるとなると、憂鬱になる小生。工事の予定が決まってからは気の思い日々が続いている。
 今、書いている記事を仕上げたら、また、整理作業が待っている。辛い!
 
 それにしても、木曜日は珍しく仕事が忙しかった。久しぶりの長距離のお客さんが付いたのだ。しかも、仕事が終わったら、健康診断で会社に居残り。例によって体調が崩れ、金曜日から先程までロッキングチェアーに体を沈めたままだった。ベッドに入る気力も湧かないほどだったのだ。
 予約していた本が届いたという連絡を図書館さんから貰ったのだが、起き上がって引き取りにいくのはしんどくて、断念。
 それでも、ようやく、この記事を書こうかなと思う程度には回復した…と思いたい。

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2006/08/04

「路上に風化する…」

 別枠にて、「路上に風化する…」と題した小文を原文のまま、載せる。
 これは2000年に某フォーラムへの投稿として書いたもの。
 当時は未だホームページを持っておらず、何かを書き公表するとしたらフォーラムという場しか選択の余地がなかったのである。
 翌年2001年2月初め、ホームページを開設、2月末から3月初めにかけてメルマガを配信していく。
 思えば、パソコンを買いネットへの参入を果たしたのが、1999年11月だった。接続の遅さ、反応の悪さ、最悪の場合、書いたはずの原稿が消えるというトラブルに辟易しながらも、とりあえずは、書いたものを(可能性としては)世間に公表できることに楽しみを見出していた。
 パソコンを導入(し、ネットに接続)するまでは、89年の1月から使い始めていたワープロに徒然なるままに雑多な小文を書き散らしていた。ほとんど日記みたいなもので、メモ書きであり、瞑想であり、愚痴でありと、日々、思いつくままに書いていった。
 フォーラムへの投稿は、そうしたワープロ時代の文章の特長が色濃く残っている。呟き風であり、誰に向って書いているかという焦点が定かでなく、読んで欲しいような、でも、読まれる可能性が皆無で、舌足らずな表現や絞殺であっても、ほとんど読み返すこともなく、書き散らしたままに、フォーラムへ投稿していたのである。
 確か、「路上・野外」がキーワードになった投稿を誰かがされていて、そこにちょっと横槍というか横レスを付けてみたもの。

 例えば、下記の文中に「ゴッホのようなアーティストは今の美術館は受け入れるだろうか」という一文がある。
 これだけでは意味不明で、前後の脈絡から浮いているような、それでいて、書き手としては、結構、緊密な繋がりがあって…と思い込んでいる、そういった反問風な結語。
 要は、映像偏重の時代、見かけ重視の時代、服装も小奇麗で、生き方もそつがない、常識をわきまえていることが当然とされる時代にあって、徹底して自分の感性に忠実な人間は、世間に受け入れられる見込みがないのではないか。
 美術館も、あるいはどんな場も瀟洒だったりチリ一つ落ちていない磨き抜かれた建物、壁。チリの中には、うさんくさい人間も含まれるのであって、だからこそ守衛さんが異物、異質な輩(やから)を排除せんと見張っている、監視され見透かされた時空間。
 最近、特に話題になっている高島野十郎など、本名は弥寿といい、野で果てることを願って後に自ら野十郎と名乗ったというし、絵画も独学だった。
 彼のような画家は今もいるのだろう…か。

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2006/08/03

雪人形

[創作:幻想:ボクモノ]

 本作は、8月5日、本来の創作の場である「無精庵方丈記」に転載しました。

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2006/08/02

この花の名は…月下美人

 折々覗かせていただいている「花の俳句」というサイト、数日振りに開いてみた。
 今日の花は、「鹿の子百合(カノコユリ)」なのだが、小生、実物を観たことがないような。
 記述を読むと、「四国から九州にかけて分布し、海岸の崖や山中の岩場に生える。また、栽培もされる。」とある。テレビや写真はともかく、栽培された鹿の子百合は見たことがある…のかどうか、はっきりしない。

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→ 紫苑さんにいただいた書中お見舞いの画像です(勿論、これ、表題の月下美人とは違います!)。

 ぼんやり記憶を辿りつつ、画面をスクロールしてみたら、「月下美人(ゲッカビジン)」が7月30日に扱われている。
 月下美人! 花の名前はどれもこれも妙があり、その命名のうまさに感嘆するばかりだが、この月下美人というのも、よくぞ付けたりと言いたくなる。
「開花時期は7~11月である」とあるが、季語上は、夏の扱いとなっている。
「芳香のある白い花を咲かせる。大輪の豪華な花で、夜8~9時ころに開花し、4時間ほどでしぼむ。美人薄命の喩えから「月下美人」の園芸名がつけられた」とあって、そういう事情もあるから「月下美人」なのか、と納得させられる。
花と観葉植物(葉っぱの岬)」の中の「月下美人」なる頁を覗くと、My月下美人と題されていて、愛されているのだと感じさせられる。
「香りが強く、匂いで花が咲いてる事によく気付きます」というが、小生は嗅覚に障害があり、そんな話を聞くと、羨ましくなる(その代わり、トイレの匂いに鈍感だったりするが、これは人に羨まれる能だろうか)。
 町中などで女性と通り過ぎて、ふと、香水なのか化粧品の香なのか、ふんわり漂ってくるのを感じる、そんな機会にも、あっても、気付かずに逃しているのだろう、きっと。

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2006/08/01

2006年7月の索引

 早いもので、もう、八月!

 先月までは、毎月月初めには、一昨年の同月一ヶ月分の索引を作成していました。
 でも、これって、変かなと思い直し、今回(今月)からは月初めには先月一ヶ月の索引を作って公表することにしました。
 このほうが利便性があるだろうし。
 よって、ここに載せる索引は、表題にあるように「2006年7月の索引」です!

 過去の索引については、折を見て、ボチボチ作っていくことにします。
 
 こうして一か月分を見渡してみると、結構、いろんなことを書いてきたなと思います。さて、暑さに(も)弱い小生、この八月には一体、何を書くことやら。

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