「天地水 月光浴」そして「色彩浴」
日本各地で雨の被害が出ている。雨は適度に降っているのを濡れる心配のない場所から眺めている分には、それなりの気分が味わえていい。
その雨も、一旦、牙を剥くとその怖さは想像を絶する。
若い頃だと、心が淋しい時に、雨の中を傘も差さないで町中を歩き回ったりして、それはそれでヤケクソで感傷的な気分が味わえて甘酸っぱい。
そろそろ梅雨が明けそうな予感がする。梅雨の晴れ間に、夜、ふと、月影に恵まれることがないではなかったが、どこか朧でカメラに映る姿も覚束ない。
しかし、暑い夏が待っているとはいえ、宵闇の頃から月影を追えるというのは、楽しみでなくてなんだろう。
こんな柄にもないことを書くのは、図書館へ行ったら、各種のチラシを並べた棚があって、それは大概、小生の関心を呼ばない類いのものだが、今日は、自分から見たというより、先方から目に飛び込んできたというべきチラシに遭遇したからである。
それは、大丸ミュージアム・東京で開催される「天地水 月光浴」 と題された「石川賢治 月光写真展」のチラシなのだった。
この展覧会は、「満月の光だけで撮った神秘の世界」という副題が付せられていて、会期は「2006年8月17日(木)→9月5日(火)」のようだ。
チラシの画像を載せた。拡大できる。ただ、色合いが現物とは大分、違う。チラシの画像はもっと闇が深い。まさに、「満月のわずかな光だけで写真撮影し、独自の世界を創り続ける写真家・石川賢治」という本領発揮という静謐な雰囲気に満ちている。
チラシはチラシとして保存しておきたくなる。
「月」については、ブログ「朧月…春の月」の中で、一度、総集編的なことを書いている。
この頁を覗いてくれたら、「月 光 欲」など幾つものエッセイや掌編を書いたりして、小生がいかに「月」や「月影」を巡ってあれこれ迷走…じゃない、瞑想してきたか分かろうというもの。
ここには、一昨年の記事「色彩浴からあれこれ考える」をホームページから、一部リンクを貼り替えつつ転記しておく。
リンクを変更するのは、一作年、記事を作った当時は有効でも現在では削除(無効)となっている頁が案外と多いからなのである。
若干、駄文の色彩があるが、これは当時の拙文一般の傾向のようだ。
「色彩浴からあれこれ考える」
色彩浴である。色彩欲ではない。まして、色欲でもない。ならば、色浴でもいいのか。それはまずいだろう。「色欲」というと既に市民権(?)を得ているし。なんたって、「広辞苑」には、この色彩浴は載っていないが、色欲は載っているのだ。やはり、色彩浴に落ち着くのだろう。
さて、海水浴とか日光浴、それに森林浴など、自然の風物などの世界に浸ることを、その世界のエキスをシャワーを浴びるが如く浴びるということで、「○× 浴」という言葉をよく目にするようになった。
海水浴は比較的昔からあると感じる(いつ頃に出来た言葉なのか、まだ調べていない)。日光浴も、かなり昔からありそうである。日光浴という言葉はなくても、ただただ日光を浴びるという楽しみは、それなりの歴史を持つのかもしれない(これも未調査)。
森林浴については、簡単に触れた。82年に当時の林野庁の長官らが提唱した造語であり、レジャーであり、健康法なのだった。
月光浴については、掌編の中で採り上げたことがある。但し、最初に「げっこうよく」を仮名漢字変換したら、「月光欲」と出たので、月光浴を採り上げた掌編のタイトルは、「月光浴」ではなく、「月光欲」である。
月光浴という言葉は、石川賢治氏の『月光浴』で初めて小生は印象付けられた。
「月光浴」という言葉は使いたくなる。例えば、柴田淳さんという歌手のアルバムにもこのタイトルのものがある:「月光浴 [Maxi] 」
笹倉鉄平というアーティストが好きなら、彼の「月光浴-ムーンライトプリズム」のことも知っているだろう。
この月光浴も「広辞苑」には載っていない。第六版の時には色彩浴と共に掲載されるだろうか。
海水浴、日光浴、月光浴、森林浴、色彩浴など、「○×浴」と称されるものは他にあるのだろうか。金銭欲? これは「欲」なので違う。ま、「金銭浴」はしてみたいと思わないでもないが。
知識欲? これも「欲」であり、どちらにしても小生には無縁である。知識を浴びたって、快感を味わえるだろうか。どうも知識浴という造語は生まれそうにない。
同じように出世欲も、出世浴となって再評価されるという見込みはなさそうだ。それとも、赤ちゃんがこの世の光を浴びた瞬間は、出世浴ということになるのか…。
この件については、昔は分からないが、最近は、産室の光が眩しすぎて、赤ちゃんには酷な環境だろうと、前に書いたことがある。生まれた瞬間には赤ちゃんの目は見えないから大丈夫だとでも言うのだろうか。
小生の推測では、大人が目を閉じて太陽の光に直面するほどの強烈な刺激が赤ちゃんの未熟な目や体に突き刺さっているのではないのか。
出生時の赤ちゃんには、もっとやわらかな光を!
他には? 色欲じゃない…、色彩欲じゃない…、色彩浴があるくらいだから、薫香浴などもあってよさそうである。まあ、これは芳香浴という正式(?)名称があり、要は、アロマセラピーなどのことなのだろう。
芳香浴というと、日本には、「薫物」(たきもの)の文化が古来より(平安時代か?)ある。それなりに古典の素養のある方なら、「源氏物語」の一場面などを思い浮かべるかもしれない。女御たちがいろいろな香りのブレンドを競い合うという、「香あわせ」の場面である。
そういえば、「茶道」もお茶を喫するだけではなく、静かな佇まいも含めてお茶の香りを愉しむものだった。そのものズバリ、「香道」という文化も(日本には)ある。
香木をめぐる歴史も床しいものがある:「香木 伽羅・沈香・白檀 お香・お線香のKaori shop y」
尤も、これも言うまでもないことだが、宮中などでの香りには、曰く言い難い裏事情もあったらしい。
つまり、そもそも、香を焚くという行為は、イメージとしては雅な印象を受けるのだが、実際には、臭い消しの意味合いが強かったわけである。なんたって誰もが十二単姿というわけじゃないけれど、それでも厚着なわけで、夏の盛りだって薄着になるわけにもいかず、扇風機があったわけもなく、団扇をバタバタしていたとも思えず(人目を忍んで、何をしていたかは分からないが)、汗だくの体、あせも、体臭、もう、これ以上は想像したくもない。
平安の世は既に場所によっては水洗トイレになっていたようだが、それでも臭いが漂うことを避けられたとも思えない。毒を以って毒を制す、ではないが、香水(芳香剤)の類いの生まれる必然性が強くあったわけである。
香りというと、小生がガキの頃、プラモデル制作の傍ら、セメダインの香りにうっとりしたことを懐かしく思い出す。それが後にシンナーへと発展したのだろうか。これもまた、床しい思い出である。
色、臭い、と来たら、次は、じゃ、音だ! ということになるが、これはつまりは音楽のことで、その中でもセラピーに拘るなら、BGMか環境音楽などなどなのだろう。音のシャワーを浴びる。これを音欲とも音浴とも呼ばず、音楽と称した。
余談だが、過日、新聞に我が国の若い人の学力調査の結果、学力の低下が見られる中、特に理数系の結果が惨憺たるものだったという記事を読んだ。
思うに、数学とか物理学とかを、音楽に見習って、数楽とか、物理楽と表記したら、また、その精神で授業を行ったら、印象も違うし、先生の姿勢も生徒の姿勢も違ってくるのではなかったろうか。若いうちは、楽しみつつ学ぶのがいい。
音楽が、もし音学という名称であり、楽器の構造の研究とか、音符の表記の研究や楽譜の読み方の勉強に終始したら、誰が学ぶだろうか。音学を楽しむだろうか。
音、色、臭い、と来たら、次は何だろう。味…。これは味覚であり、つまりは食欲であり、常日頃、多くの方が楽しんでおられる。今時の日本で、食事を飢餓状態に陥らないために摂るという方は少ないだろう。美味しい物を素敵な、あるいは都合のいい環境で食べようとされている。食欲は食浴としてということではないにしろ、すでに浴びるようにかどうかは分からないが、必要十分以上に楽しんでいるのだろう。
次に来るものというと、視覚だが、これは月光浴や色彩浴などであり、海水浴だって日光浴だって森林浴にしても、アロマテラピー的効果や健康上の効果だけではなく、自然を愛でる(目で愉しむことも含めて)という楽しみも含まれているわけで、視覚も可能な限り、愉しんでいるのだと思っていいだろう。
(眼福という言葉があるが…。)
では、残る感覚というと、一体、何なのか。通常、五感というと、「視・聴・味・嗅・触」である。ということは、残るところ、「触」ということになる。
「触浴」でネット検索しても、この言葉ズバリのサイトは見つからなかった(あるかもしれないけれど、検索の網に掛かった全てのサイトを覗く余裕はなかった)。
触れること、あるいは触れ合うということの楽しさは、今更、触れるに及ばないだろう。エステやマッサージの類いも、自分が主人になり、ベッドなどに横たわり、心行くまで凝った体や心を解きほぐしてもらう快感に勝るものはない(と言いながら、小生は未だエステもマッサージも経験がない)。
が、触浴となると、エステやマッサージどころの騒ぎではない。なんたって、「浴」である。シャワーを浴びるが如く、湯水を浴びるが如く、「触」という快感を浴びるというのだ。
これは、くんずほぐれつのセックスに尽きるということを意味しているのだろうか。なかなかにそういう機会には恵まれないが、多少の困難さがあっても、そうした意味の触浴の機会も提供されてしかるべきなのかもしれない。
がしかし、現実的に接触浴を考えると、つまりは触れ合うことで、実際に肉体的に触れることも望ましいが(相手次第だが)、精神的な意味でも触れ合いの時が持てるなら、広義の意味では接触浴を愉しでいるということになるのだろう。
(04/01/25 記)
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コメント
「天地水 月光浴」のポスター、きれいですね。
やはり、行ってみたいと思う内容のようですね。
私も去年「月光浴」というのを聞きました。
ロハスな人々は、そういうことをして楽しんでいるようですよ。
その下で、ヨガをしたり、「ハタヨーガ」というそうです。ハタのどちらかが、月という意味のような・・・
投稿: elma | 2006/07/21 13:35
elma さん、ポスター、実物のほうがもっといいですよ。勿論、ポスターより、会場で実際に写真を見たほうがいいに決まってるんだろうけど。
「月光浴」という曲もあるし、DVDもあるようです。
小生にはなかなか入手が難しいので、梅雨明けの月夜を待ち焦がれています。
投稿: やいっち | 2006/07/21 19:56
数楽とか、物理楽だったら
私も理系の人になっていたかもです!笑
「石川賢治 月光写真展」行ってみたいです☆
関西でもあるのかな。
月光浴というと何故か波音が聞こえてくるような気がします。
波にゆられる月明かりもイイ感じですね♪
「月光浴」という本を読んだことありますが
ハイチの国の悲しい波音が聞こえてきた作品でした。
その時「月光浴」ってステキな響きだなぁ。。
なんて思いました。
投稿: ヘルミーネ☆ | 2006/07/21 20:09
横レスになりますが、大丸ミュージアム梅田では星野道夫の展覧会をちょうど同じ期間に開催します。
かたや月の光、かたやアラスカに魅せられた人ー大丸は東西で面白い展覧会やりますね、夏休みだからかな。
投稿: oki | 2006/07/21 23:07
ヘルミーネ☆ さん。
> 数楽とか、物理楽だったら
私も理系の人になっていたかもです!笑
ホントは、理系・文系と早い段階から分けるのが拙いのかもね。欧米だと、興味次第で文学やったり物理をしたり。
理系も一般の人に説明するには文章表現力が要るし、文系だって統計処理などして論文を書くのは当たり前になっている時代。
「石川賢治 月光写真展」は、今の所、東京だけなのかな:
http://www.daimaru.co.jp/museum/schedule/schedule_index.html
> 「月光浴」という本を読んだことあります…
フランケチエンヌの短編集なのかな:
“彼女は彼を殺すだろう。それは彼女の名がアンナだというのと同じくらいに間違いのないことだ。彼を殺して、彼女自身の人生がようやく始まる”結婚以来、暴君として君臨してきた、いまや寝たきりの夫の殺害を決意したアンナ。やがて訪れる決行の朝にアンナを待ち受けているもの、果たしてそれは―ケトリ・マルスの「アンナと海…」
だって。面白そう。
「月光浴」…。もう、この言葉のイメージだけで、豊かでのびやかで穏やかな世界が目に浮ぶようですね。
投稿: やいっち | 2006/07/22 02:09
oki さん
大丸ミュージアムは各店で独自の企画があって、面白いね:
http://www.daimaru.co.jp/museum/schedule/schedule_index.html
前は、大丸ミュージアム・東京へもよく行ったっけ。
「与勇輝 人形芸術の世界」もいいし、「幻の棟方志功」もやるし、高島野十郎との関係では、彼の師である「色彩の画家「梅原龍三郎」展」もやるしね。
投稿: やいっち | 2006/07/22 02:15
大丸ミュージアム梅田では星野道夫の展覧会をするのですか☆
絶対に行きます♪
「石川賢治 月光写真展」も来ないかナァ。
okiさま、教えて頂いてありがとうございます☆
フランケチエンヌの短編集。。も面白そうですね!
私はタヒチ短篇集を読みました。
タヒチの文学に触れたのも初めてでした☆
言葉や音、絵や写真・・
色んなモノからのイメージを楽しみたいです♪
投稿: ヘルミーネ☆ | 2006/07/22 22:46
ヘルミーネ☆さん
石川賢治 月光写真展 「月光浴・20年の旅」
~海の底から山の上まで、そして京都~
を3年前に東京のほか、仙台や梅田の大丸でやったとか。
ということは、「天地水 月光浴」も???
予定については、問い合わせてみるしかないですね。
それにしても、ヘルミーネ☆さんは、いろんな本を読んでおられるのですね。
投稿: やいっち | 2006/07/23 04:14
又情報ですが大丸心斎橋では高砂淳二という人の写真展をやはり同じ期間に開催するとか。
僕はこの人を知りませんが「夜の虹」というのがキーワードとか。
「まいまいクラブ」でなんか当たらないかとイベント探していたら見つけました。
投稿: oki | 2006/07/23 22:25
okiさん、高砂淳二は初耳です:
http://www.adseeds.co.jp/takasago/
okiさんの活動振りには追いつけないですね。
投稿: やいっち | 2006/07/24 01:26
知らないでは済まされません、弥一さん!
今週の「週刊朝日」のグラビアに高砂の「夜の虹」が出ています、「ハワイでは古来「夜の虹」は見るものにとって最高の祝福とされていた」
この週刊朝日には「美貌の女性指揮者西本智美の「虚飾」」というなんと9ページにわたる記事もあります、西本について弥一さんもここでかかれましたよね?
さあ本屋で立ち読みですかさっそく!それとも図書館かな。
投稿: oki | 2006/07/26 22:11
oki さん、相変わらず東奔西走ですね。
高砂淳二さんには、『祝福の虹』(小学館)という写真集がある:
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4093941254/249-1226390-4129141
あまり鮮明じゃないけど、「満月の光によって現れる虹night rainbow」の画像を:
http://www.arukikata.co.jp/webmag/2004/w_new/wn01_0403.html
西本智美さんを扱った記憶がないのですが:
http://www.tomomi-nishimoto.com/profile/index.html
マリンバ、ヴィブラフォン奏者の三村奈々恵さんなら、扱ったことがあるし、彼女の画像をパソコン画面の背景画像に長く、使っていたっけ:
http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2006/06/post_734d.html
投稿: やいっち | 2006/07/26 22:43
星野道夫の展覧会チケットが当たりました、千円も取られるのですからうれしー。
早速今日の夜いってきます。松屋銀座
大丸のチケットもホームページからプレゼントがありますね、あたらないかしら。
ところで石油の値段が上がって、タクシー初乗り料金も上げざるを得ないと某所に書いてありましたがー。
投稿: oki | 2006/08/02 13:03
okiさん、さすがですね。
感想を書かれるのかな。
タクシー初乗り料金の話、記事にありましたね。東京は競争が激しいから、まだ先のことでしょう。いずれにしても、現下のタクシー業界は不況と規制緩和(台数の増加)で喘いでいるのが実情です。
投稿: やいっち | 2006/08/02 14:11