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2006/07/07

月の山脈と天の川と

 今日は七夕の日ということで、少しだけ七夕に関係する話を書きたい。
 といっても、今回は天の川に関連するかな、という話なのだが。
 それにしても、小生の織姫様は何処にいるのだろう。会えないのは天気のせい?

 短冊の願いを読まれ恥を掻き
 短冊に書けぬ願いは如何せん

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→ 昨日の営業中、街頭で見かけた織姫さんたち…。

「月の山脈」といっても、ここでは、「巨大クレーターができた時の周囲の盛り上がりによってつくられたと考えられてい」る、あの月の山脈のことではない(「」参照)。
「ルウェンゾリ。伝説の月の山脈」、「そこは、かつてナイル河の源と目され、多くの探検家達の憧憬の地であった」という、月の山脈である(「月の山紀行」参照)。
「月の山脈」(時に「月の山」と訳される)というと、「2世紀、アレキサンドリアの天文学者、天動説で有名なかのプトレマイオスがその著書の中で記した“ナイルの源流”」であり、「かつてはヨーロッパの名だたる探検家達の心を熱くさせた憧憬の地」、そして伝説の地なのである(「ウガンダの見どころ・行きどころ∥旅行ツアー情報∥アフリカ大辞典」参照)。
今現在、ナイル川には複数の水源があることが知られていますが、ルウェンゾリもその一つであるばかりか、アフリカ第二の大河ザイール川の水源の一つとしても知られています」という。

「冬の夜空に輝くシリウスは古代のエジプトでは重視され、「アヌビス神の星」として神格化されていました。 「エジプトはナイルの賜物」という言葉があります。この言葉はナイル川が上流の肥沃な土砂を運んでくることにより、農耕が始まり、エジプトに文明が起こったことを意味しています。当時の人々にとっては1年の決まった季節にあるナイル川の氾濫の時期をあらかじめ予測して、農耕の準備を始めることは生きていく上で必要不可欠なことでした」(「こども文化科学館-古代人からのメッセージ1」より。太字は小生の手になる)。

 さて、現代において最古の文明(少なくともその一つ)はメソポタミア文明だと考えられている(「メソポタミア - Wikipedia」参照)。
メソポタミア(Mesopotamia、ギリシャ語で「複数の河の間」)は、チグリス川とユーフラテス川の間の沖積平野であり、過去のペルシアの一部、現在のイラクにあたる。メソポタミア文明 はメソポタミアに生まれた文明を総称する呼び名で、世界最古の文明である。文明の初期の中心となったのはシュメール人であるが、シュメール人は民族系統が不明である」という。

 そのメソポタミア文明と深く関わってきたのが古代エジプト文明。
 言うまでもなく世界四大文明のひとつである(「古代エジプト - Wikipedia」参照)。
「古い時代から砂漠が広がっていたため、ナイル河の近くだけが居住に適した。主に広さが日本の4倍程度の面積となる範囲で活動が行われた。ナイル河の上流は谷合でありナイル河一本だけが流れ、下流はデルタ地帯が広がっている。最初に上流と下流でそれぞれ違った文化が発展した後、統一された」という。
 さらに、繰り返しになるが、「ナイル河は毎年氾濫を起こし、肥えた土を下流に広げたことがエジプトの繁栄のもとだといわれる。ナイル河の氾濫を予測するために天文観測が行われ、太陽暦が作られた」のである。

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← 近くを通り過ぎる瞬間、激写?!

 この古代エジプト文明の忘れてならない特徴の一つに、「メソポタミアで始まった農耕文明から多くの影響を受けているといわれる。砂漠と山岳部に隔てられているため、アフリカというよりも西アジア、ヨーロッパに近い文明圏であった」という点がある(太字は小生の手になる)。

 ヨーロッパ文明の源流は古代ギリシャ・ローマ文明なのだが、その古代ギリシャの人々が文明の更なる源流と考えていたのが伝説の地でもある古代エジプトなのである。
 そして、「エジプトはナイルの賜物」というヘロドトスの有名な言葉をエジプト人のみならずヨーロッパの知識人たちも常識として胸に刻まれている。

 ナイル川が一年たりとも涸れることなく流れることでエジプトの地に恵みと文明を齎した。
 その「ナイル河は毎年氾濫を起こし、肥えた土を下流に広げたことがエジプトの繁栄のもとだといわれる」わけだ。
 エジプト人はもとより、文明の淵源に関心を抱くものには、ナイルの豊かなる水の尽きせぬ源泉への渇望の念は少なくとも日本人には想像も付かない。
 日本だって、川の源流を探る好奇心を持った人は古来より多くいたが、源流を探る困難は、ナイル川は隔絶したものがあった。

銀月の部屋」の中の「月の山と星の海」なる頁が読んで面白く、また、本稿にも参考になる。
 冒頭に、「日本語では天の川、中国では天漢(天の漢水)、という風に東アジアでは天の川は川に見立てられて来ました」とある(やっと、七夕の話題に近づいてきた)。

 さらに、「1.月の山脈」の項の冒頭に、「「エジプトはナイルの賜物」とはヘロドトスの有名な言葉ですが、古代エジプト人はナイルの源流がどこにあるのか知りませんでした。途中にいくつもの滝があったり、大湿地帯では川が網の目のように枝分かれしているので、下流からさかのぼって源流にたどり着くのは困難だったのです」とある。
 そう、古代からナイルの源流への興味は尽きず、挑戦の試みもされてきたのだった。
「古代エジプト人はナイルの源流がどこにあるのか知りませんでした」というが、上で示したように(「ウガンダの見どころ・行きどころ∥旅行ツアー情報∥アフリカ大辞典」参照)、「2世紀、アレキサンドリアの天文学者、天動説で有名なかのプトレマイオスがその著書の中で記した“ナイルの源流”」であったのみならず、「かつてはヨーロッパの名だたる探検家達の心を熱くさせた憧憬の地」、そして「伝説の地」だったのである。
 憧憬の地、そして伝説の地でなくなったのは、19世紀のことなのだ。

「1.月の山脈」の項にはさらに、「古代エジプトでは、ナイル川は天から、この世界との境となる山の頂に流れている、それから天界にもう一つのナイル(天の川?)があって、そこから雨が降り注ぐと考えられていました(地上のナイル川の水源については他に、洞穴を通って地下から流れ出るとも考えられていました)」とも書かれている。

 伝説に付いては、「紀元前5世紀のヘロドトスは、ナイル川は西アフリカから流れてくる、と考えました。アリストテレス(紀元前4世紀)は『気象論』で、ナイルの水源を「銀の山々」としています。一方、『アルマゲスト』でも有名なプトレマイオス(2世紀)は、エジプトの南、月の山脈(Lunae Montes)から流れ出した小川が2つの湖にたまり、そこをナイルの源流として地図にしるしました」とあって、実際に誰かが源流の地へ足を踏み入れたのか、あくまで伝説なのか、ずっとヨーロッパの人々をも悩ませてきた。

 確かめねばならない!

 そうして、「時は流れて19世紀、ヨーロッパ諸国は世界の植民地化を進めるなかで、探検隊を各地に送り出していました。アフリカの奥地も例外ではなく、ナイルの源流探しも再び注目されるようになってきました。そんな中、スピークとバートン、リビングストンやスタンリーなどのイギリス人によって源流が明らかにされました。そこはルヴェンゾリ山脈の麓の湖で、スタンリーはこのルヴェンゾリ山脈こそが伝説の月の山脈だとしました」と至るわけである。

 つまり、映画「愛と野望のナイル(1989)」で描かれたような(描ききれなかったような)物語が19世紀、ヨーロッパ人の手によって繰り広げられたわけである(といっても、小生はこの映画は見ていない)。
 あるいは、小生は未読だが、アラン・ムアヘッド著『白ナイル ナイル水源の秘密』 (篠田一士/訳、筑摩書房)などで叙された物語が展開されていたのだろう。
 これまた絶版のようだが、那須国男著の『アフリカ探検物語』(現代教養文庫)が面白そう。ネット検索したら、「リチャード.F.バートン(Richard Francis Burton)」の中に、短いが本書の紹介があった。

ディヴィッド・リヴィングストン - Wikipedia」が面白い。
 冒頭には、「ディヴィッド・リヴィングストン(David Livingstone、1813年3月19日-1873年5月1日)は、ヴィクトリア朝期のスコットランドの宣教師であり、ヨーロッパ人で初めて、当時「暗黒大陸」と呼ばれていたアフリカ大陸を横断した探検家である。また、現地の状況を詳細に報告し、アフリカでの奴隷解放へ向けて尽力した人物でもある」とある。
「暗黒大陸」とは失礼極まる表現だが、ヨーロッパの認識はその程度だったのだろう。

 拙稿に関連しては、「イギリスへの帰還 -- 第二次アフリカ探検」なる項の「リヴィングストンが3回目のアフリカ探検に出るきっかけとなったのは、王立地理協会からのナイル川の水源を探求する依頼だった。ナイル川は白ナイルと青ナイルに分かれており、青ナイルはすでに水源の探求が完了していたが、白ナイルに関しては1860年代に入ってからも、ジョン・スピークとリチャード・バートンの間で、その水源がヴィクトリア湖か否かの論争が繰り広げられていた(この論争は、1989年のアメリカ映画『愛と野望のナイル』として映画化もされている)。スピークは水源は自身の発見したヴィクトリア湖であると1855年の探検をもとに主張したが、リヴィングストンは、ヴィクトリア湖より少し南方にヴィクトリア湖に流れ込む水源があると推測し、1865年8月14日、再びイギリスを旅立った」なる部分に注目するのみだが、紹介した頁をざっと読んでも興味は尽きない。

第三次アフリカ探検 -- アフリカでの死」の項の末尾にあるように、「リヴィングストンのアフリカ大陸での移動は数万マイルに及ぶと推測されており、その生涯で南北では赤道近辺からケープタウンまで、東西ではインド洋から南大西洋までを旅したことになる。彼が果たせなかったナイルの水源の探求は、意思を継いだスタンレーによって、ルーウェンゾリ山脈(en:Ruwenzori Range)にある水源が発見されたことにより、19世紀の論争にはほぼ決着が付いた」というわけである。

アフリカ史における功績」なる項を読むと、「リヴィングストンのアフリカ史、およびヨーロッパ列強のアフリカ観における影響は甚大である。第一に挙げられるのが、リヴィングストンの第一次アフリカ探検以前は、アフリカは「暗黒大陸」(Dark Continent)という名が示すとおり、一部を除きほとんど知られておらず、古代ローマ期アレクサンドリアの地理学者プトレマイオスから得た知識からほとんど進展がなかった。しかし、リヴィングストンは探検中に天体観測による測量術を身に付け、ほぼ正確に地図を作ることができた。その地理上の発見はイギリスに手紙で伝えられることにより、ヨーロッパ各地でアフリカの地図が作成されることとなり、交易のルートがそこから生まれた」とある。

 リヴィングストンやスタンレーの地理上の発見がヨーロッパ列強のアフリカ政治へ介入、列強のアフリカ進出、少なくとも結果的にはヨーロッパの植民地支配に繋がったのは皮肉なのか歴史の必然なのか。
 いずれにしても、「エジプトはナイルの賜物」ということで、ヨーロッパ文明(その源としての古代エジプト文明の源泉としての)ナイルの源流を求めての旅が、アフリカという玉手箱(というよりむしろ、「パンドラの匣」と呼ぶべきか)を開き、今度はナイルの源流というより、人類の祖先の地の未曾有の源流が今、世界へ向って氾濫し始めてしまったわけである。

( あまり、七夕や天の川とは関係なかった? でも、水の源泉、文明の源泉としての天の川幻想物語だと無理にも思って欲しい。
 なお、本稿では触れられなかったが、「(22)ナイル川の本当の源に到達した早大探検部」も興味深い。)

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コメント

先生って作家の方だったんですね。私、本をあんまり読まない人間なんで(本屋さんにもあんまりいかない)知りませんでした。すみません。okiさんから飛んできて、傍若無人でした。科学解説も多いのですね。でもまた、よろしくお願いします。

投稿: jenny | 2006/07/07 20:05

せ、せ、先生?!
小生が作家だと思っている人は、一人もいないと思いますよ。
本屋さんにも著作は置いてないし。
科学関係の話題にも関心の赴くままに食いついているだけです。
ところで、Samuel Michlap(のイラスト)のこと、小生初めて知りました:
http://blogs.yahoo.co.jp/nietzsche_rimbaud/37296866.html
実物は無理でも、実物大の原画(コピーでいいから)を見てみたいものです。

投稿: やいっち | 2006/07/07 20:44

 ほぉぉぉぉ。
 ナイル川の源流をたどるのにそんな困難が・・・・・。

 でも、確かに言われてみればそうかも。
 けれど、ナイルの源流、伝説のままにしておいて欲しかったかも(笑)。

投稿: RKROOM | 2006/07/07 22:45

アラン・ムアヘッド著の『白ナイル』は、一昔前には結構、読まれていた。「愛と野望のナイル」という映画も評価はともかく一応は話題になったし。
でも、もう旧聞に属するわけですね。
ま、ちょっとだけ、<天の川>に関係がありそうだったので。
伝説の侭がよかったですね。
でも、遅かれ早かれ謎は解かれてしまう。パンドラの箱は開かれてしまう。
開かれるだけじゃなく、世界の様相が大変貌を遂げてしまう。
これが好奇心と野心とに満ちた人間の宿命なのかな。

投稿: やいっち | 2006/07/08 00:12

ナイル川の源流を辿ることは
人類の源流を辿ることにもなるんですね。
本当に玉手箱です☆
都会の地下に流れる水脈を辿ることも
歴史の源流に繋がっておもしろいかもですね。
七夕にこのような感覚を持てるのって
ステキです☆
あっ、七夕過ぎてのコメントでゴメンナサイ!笑

投稿: ヘルミーネ☆ | 2006/07/09 08:00

ヘルミーネ☆ さん、さすがです。
要するに、そのコメントそのものが話の眼目です。
七夕、地方によっては八月のところもあるし、八月七日まではこの話題はOKなのかもね。

投稿: やいっち | 2006/07/09 14:40

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