探検家リチャード・バートン
「月の山脈と天の川と」の中で、那須国男著の『アフリカ探検物語』(現代教養文庫)を紹介しているサイトということで、ネット検索の結果として「リチャード.F.バートン(Richard Francis Burton)」なるサイトを示している。
が、その時は、掲げるだけに終わっていて、先へ進む必要もあったし、その頁内をじっくり読むことができなかった。
書き終えてから読み返したら、懐かしい本の数々が載っているではないか。
前回は、ホームページも示していない。「谷底ライオン」がそれで、このサイトの中に、「リチャード.F.バートン(Richard Francis Burton)」なるサイトがある。
バートン! 何処かで聞いたことがあるな、とは感じていたが、あのバートンではないか!
→ 『バートン版 千夜一夜物語』(ちくま文庫)
懐かしい本の数々とは、まず大場 正史訳の『バートン版 千夜一夜物語』(ちくま文庫)のことで(無論、小生が手にしたのは別版)、小生は長編のこの物語を全て読破したわけではないが、古沢 岩美氏のイラストだけは、どの巻についても眺め入り妄想に耽ったものだった。
(古沢 岩美氏に付いては、「古沢岩美」なる頁の挿画がことのほか宜しい。ちょっとピカソ的?)
内容案内によると、「花園の中の噴水のほとりで、たぐい稀な美貌の王妃と従う女たちは着物をぬぎすてた。そこに同じ数の男たちが挑みかかり、抱擁し交会し、いつ果てるともない淫欲に耽り始めた…妃の不倫に怒り苦しむシャーリヤル王は、夜ごと一人の処女と交わり、あくる朝に殺すようになる。大臣の聡明な娘シャーラザッドは、みずから王のもとに上り、世にも不思議な物語を夢の…(以下略)」とあって、学生時代になって、童話風のアラビアンナイトではない千夜一夜物語の奥の院への、その入り口ぐらいは覗いたのだった。
懐かしい本というと、「リチャード.F.バートン(Richard Francis Burton)」の中に、『バートン版カーマ・スートラ』(大場正史訳、角川文庫)も紹介されている。
「インドのハイカーストでは「富(アルタ)」「徳(ダルマ)」「性(カーマ)」のが満たされ、調和がとれている状態を最良とする。その3つのうち性(カーマ)に関する考え方やテクニックを紹介した聖典(スートラ)。ビクトリア時代においては、刺激的な内容だったかもしれないが、今となってはそれほどでもない。過度な期待をすると、たぶんがっかりする。まぁ、挿絵が無いのも痛いよな。」とあるが、学生時代の小生には、本文よりも表紙の画像だけで妄想を逞しくするに十分すぎるほどだった。
表紙の写真にしても、インドの何処かのエロチックな彫刻に過ぎないのだが、僅かな手がかりであるが故に逆にそこを突破口にして止め処ない想像の魔が蠢いたのだった。
残念ながら、その表紙の画像は不鮮明なものしか見つからないので、代わりの画像を示しておく。 ↓
← 福田 和彦著『図説 エロスの神々―インド・ネパールの太陽神殿とタントラ美術』(ふくろうの本、河出書房新社)
余談だが、学生時代の小生の妄想本の渉猟というと、ネットでは違う版しか見つけられなかったが、田村 隆一訳の『我が秘密の生涯』(河出文庫)や、これまた学生時代、どんな版で読んだのか覚えていないが、芥川龍之介の作ともされたことのある『赤い帽子の女』(河出文庫)、『ジュリエットの物語あるいは悪徳の栄え』や『ソドム百二十日あるいは淫蕩学校』、『ジュスティーヌあるいは美徳の不幸』などの一連のマルキ・ド・サド作品、『眼球譚』や『エロティシズム』、『マダム・エドワルダ』、『呪われた部分』などのジョルジュ・バタイユの作品群など、きりがない。
特に、凝ってしまって、古本屋さんで見つけた全集を買ってしまったこともあるバタイユについては、機会を設け、改めて採り上げてみたいものだ。
→ 大場 正史訳『バートン版 千夜一夜物語 2』(ちくま文庫) 古沢 岩美 (イラスト)
余談ついでに書いておくと、リチャード・バートンというと、映画ファンなら、俳優のリチャード・バートンをつい連想するのかもしれない。小生はネット検索していて「史上最大の作戦」や「じゃじゃ馬ならし」、「暗殺者のメロディ」、「寒い国から帰ったスパイ」などに出演した俳優の名前がリチャード・バートンだと知ったものである。
さて、ようやく本題に入る。
上掲の「リチャード.F.バートン(Richard Francis Burton)」の中に、藤野幸雄著の『探検家リチャード・バートン』(新潮選書)が紹介されている。
そこでは、「千夜一夜物語の訳者としてのバートンだけでなく、今は忘れ去られた、ナイル河の源流探索者、当時異教徒に対して、厳格な鎖国主義をとっていたメッカから生還した数少ない白人等の経験を持つ冒険者、探検家としてのバートンや未開地だった南米、アフリカ諸国の領事としてのバートンが描かれる」などと簡単に紹介されているだけだが、拙稿「月の山脈と天の川と」を書いた手前、もう少し、突っ込んでおきたい。
← 今瀬戸川 猛資著『夢想の研究―活字と映像の想像力』(創元ライブラリ)
先週から車中などで読み始めている、瀬戸川 猛資著の『夢想の研究―活字と映像の想像力』(創元ライブラリ)の中で、藤野幸雄著の『探検家リチャード・バートン』(新潮選書)に基づく形で、ナイルの源流を巡っての、映画「愛と野望のナイル」で描かれたような、リチャード・バートンとジョン・ハニング・スピークとの確執、そして悲劇が紹介されている。
その悲劇に続く形で、「月の山脈と天の川と」にて扱った、リヴィングストンの物語があるわけである。
その大まかな流れは、「謎 の 世 界 史 人 物 伝 デヴィッド・リヴィングストン」にて掴めると思う。
ここには、「ジョン・ハニング・スピーク 1827~64 バートンと共にタンガニーカ湖を発見。のち別れて、ヴィクトリア湖を発見。ここを水源としたが、バートンの見解と対立し、討論会で決着を付けようとするが、その前日に銃の暴発で死亡した」とか、「リチャード・バートン 1821~90 イギリス軍人、変装してメッカを訪問したりしている。スピークとの探検で名をはせたが、粗暴な性格がわざわいして晩年は世間から忘れ去られた」と簡潔にそれぞれの人物紹介が為されている。
「タンガニーカ湖 - Wikipedia」を覗いてみる。
「1858年、ナイル川の源流を探検していたイギリスの探検家リチャード・バートンとジョン・スピークによって「発見」された(欧米人に知られるようになった)。なお、スピークはその後ナイル川の源流がビクトリア湖であることを突き止めている」とある。
「『アラビアン・ナイト』の翻訳者リチャード・バートンは19世紀最大の探検家であったが、イギリスはついにこの男を受入れるすべを知らなかった。彼は36の言語を操り、足跡は全世界にわたり、多くの民族と風習を百冊に及ぶ著書に記している」という人物である。彼こそが情熱的にナイル川の源流を求めて探検した人物なのだ。
一方、ジョン・スピークは冒険家といったところ。たまたま、目の前に関心を惹く冒険の種があった。それがリチャード・バートンの悲願であるナイルの源流を求めての探検だったに過ぎない。
さて、リチャード・バートンは、「タンガニーカ湖 」こそが、ナイルの源流だと信じ、またそのように主張していた。
が、ジョン・スピークは納得せず、さらに探検して、ヴィクトリア湖を発見し、ビクトリア湖こそが源流に違いないと主張するに至る。本国であるイギリスへも、彼によるヴィクトリア湖の発見の報と合わせ、そのように伝えた。
湖の名前からして容易に想像が付くように、「ヴィクトリア湖 - Wikipedia」にあるように、「この湖をナイル川の水源だと信じたスピークは、時のイギリス女王・ヴィクトリアの名を取り、ヴィクトリア湖と命名した」のだった。
そこで本国イギリスで、リチャード・バートンとジョン・スピークとの直接対決の場(討論会)が設けられることになった。
しかし、上記したように、ジョン・スピークは、「討論会で決着を付けようとするが、その前日に銃の暴発で死亡した」のだった。謎の<事故>だった。
「スピークの探検では、湖がナイル川の水源である事は確認できなかった。後にアメリカの探検家ヘンリー・モートン・スタンレー(Henry Morton Stanley)によって、水源であることが確認された」のだったが、タンガニーカ湖はナイルにはまるで注いでおらず、ヴィクトリア湖こそが源流だということをリチャード・バートンは薄々気づいていたのではなかろうか…。
そうして彼自身の性格の狷介(けんかい)さもあって、本国では受け入れられず、討論会の時の痛手もあったのか、晩年は天才的な語学力を生かして、千夜一夜物語などの翻訳に精魂を傾けるわけである。
余談だが、「ビクトリア湖の悲劇、ナイルパーチ」をご存知だろうか。
日本において、ブラックバスの放流、そして自然への優しさを気取っているのか、キャッチアンドリリースで、釣っても川や池・湖にブラックバスを戻してしまうので、肉食のブラックバスが在来種の魚介類を駆逐し、自然の生態を乱してしまったことが問題になった(最近、ようやくキャッチアンドリリースをしないなど、対策が打たれつつある?「キャッチアンドリリースを考える」参照)。
それと同じようなことが、ビクトリア湖に対し為されてきたのだ。「体長2m、重さ100キロ、捕獲された最大は何と400キロという巨大な肉食魚」ナイルパーチという外来魚の放流である。それが「ビクトリア湖の悲劇」と呼称される問題だ。
この魚、「スズキに似ていることから日本には「スズキ(ナイルパーチ)」として輸入されている。この魚が、日本のファミリーレストランフライをにぎわし、学校給食や弁当の材料に使われていることは余り知られていない」とか。
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