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2006/07/23

メルヴィル著『ピエール』の周辺

 七夕過ぎの頃から読み始めていたサイモン・シン著の『ビッグバン宇宙論 (上)』『ビッグバン宇宙論 (下)』(青木 薫訳、新潮社)を過日、読了。
 さすが、『暗号解読―ロゼッタストーンから量子暗号まで』や『フェルマーの最終定理』の著者であるサイモン・シンだけあって、この手の宇宙論の本は少なからず読んできた小生も、ビッグバン宇宙論の成立の周辺で今まで知らなかった多くの逸話や人物群像を知ることが出来て、堪能できた。目配りの勝利なのだろう。
 目配りと言えば、どちらかと言えば地味で簡単に扱われる電波望遠鏡の開発と観察の歴史にも、ドラマが満ちていることを教えてくれたのである。

 ただ、それでも、サイモン・シンに拠ると、一般には知られていない科学者たちの地道な、あるいは劇的な頑張りと研究の裏話が上下巻などには到底収まりきらないほどにあるのだとか。
 同時に、宇宙像は今も変転極まりなく、また、謎が数多くあるのだという。
 となると、既成の宇宙像で安閑とすることなく、これからも宇宙論の変転、宇宙像の変貌に遭遇するに違いないということだ。
 宇宙の闇の底は果て知れず深いと、つくづく感じる。

Pierre1

→ ハーマン・メルヴィル著『ピエール』 (坂下昇訳、国書刊行会)

 ハーマン・メルヴィル著の『ピエール』 (坂下昇訳、国書刊行会) を本日、ようやく読了。間に大著を何冊も読んだとはいえ、予想以上の時間を要した。
 水曜日の雨中の営業を終えて、やはり雨の中、早朝に帰宅してから体調を壊した。金曜日の朝、仕事に出かけようと、身支度も終えたのだが、熱っぽい感じが拭えず、稼ぎ時の金曜日を休むのは窮状を一層厳しいものにするのだが、敢えて休むことにした。
 その結果、金曜日から土曜日の朝まで、ポッカリ時間が空いてしまった。
 だからこそ、上下二段組の単行本の残りの二百頁ほどを一気に読み通すことができたのだ。 
 一気にといっても、熱っぽさと、吐き気モドキと、腹痛めいたものがあって、実際には休み休みの読み進めだったのだが、不意に与えられたまる一日の効用は、なんとか生かせたのかもしれない。

 この『ピエール』という作品は、あまりに重い。重すぎて、作者が担いきれていない気がする(そこが魅力でもあるのだが)。

 本書に付いては、「EXPLORE MONOGAMY BLOG [読書]『ピエール』ハーマン・メルヴィル(国書刊行会) 」が小生には、とても真似のできない、バランスの取れた紹介をしてくれている。
「合理主義が信仰(ピューリタニズム)と野合する偽善的で楽天的なアメリカ文化の中で、人間の不合理性をこのような「無垢」として見出すメルヴィルの造形力には震撼させられるものがある」というのは、納得できる。
 これ以上の、転記は控える。是非、一読を。
 その上で、「あまりにも長大で物語の起伏に乏しい『白鯨』に挫折した人には『ピエール』は長さも手頃だしオススメしたい」という見解に対しては、小生の感じ方はちょっと微妙に違うかもしれない。

 というのも、小生は今年、『白鯨』を四半世紀ぶりに読み返して、その世界の凄さを堪能したばかりで、その世界に比して、『ピエール』は、『白鯨』とは違った意味でだが、初めて読む方には恐らくその手ごわさに苦労するに違いないと思われるからだ。

Mobydick2

← ハーマン・メルヴィル著『白鯨―モービィ・ディック』(千石 英世訳、講談社文芸文庫)

 それは、感情移入ができないと、仰々しい(と思われてしまいかねない)表現・記述があまりに多いからだ。『白鯨』において、クジラについての薀蓄に辟易する(しかし、今回『白鯨』を読み返して痛感したのは、それらの記述も決して省略はできないということだった)のとは違う、読者を意識した読みやすい小説を読みなれた者には、中途で投げ出したくなる気分に見舞われる懸念が少なからずあるのだ。
 しかし、それでも、最後まで読ませるのは、メルヴィルの筆力という言い方しか小生にはできない。
 あるいは、メルヴィルが若くして担ってしまった過大な懊悩をやや古風な文体の端々からひしひしと感じてしまうのである。ゴシック風の家の窓に、軒先に、手すりに、屋根に、庭の一本の木に、怨念を残して死んだ(死に切れなかった)館の主の情念が滲み出て来るような、そんな魂魄の凄まじさを感じてしまって、最後まで読み通さずにはいられないのだ。
 
 メルヴィルの同時代の読者がほぼ沈黙で応えたように、当分、本書は等閑視されていくやもしれない。
 ただし、テーマや文体が重過ぎて作者が描こうとした、そして描ききれずに手に余ってしまった、ある種の精神の破綻ギリギリに瀕していて、芸術作品として形をなしきれなかったせいにあると思う。

ピエール』の原題は、『Pierre or The Ambiguities』である。この場合、ピエールが「The Ambiguities」と言い換えられるということだろう。「両義, 多義; あいまい」(複数形)。
 メルヴィルは、ピエールの引き裂かれた魂を描こうとしたのだろうが、同時に作者として特定の視点を貫き通せなかったことをも意味しているようにも思える。
 しかし、読み手は、その精神の破滅の予感、小説の芸術的な破綻の予感を覚えてさえも、あるいはむしろだからこそ、時にしんどい思いをしても最後まで付き合ってしまうのである。
 何故なら、書き手の誠実さが信じられるから…。

トマス・カーライルとハーマン・メルヴィル 岡田 俊之輔」なる論考を覗かせてもらう。
 前後の脈絡を欠いた形での転記となるが、以下の一文は参考になるだろう:
「『ピエール』に於てメルヴィルは語り手に大略、次のやうな事を語らせてゐる。クリスト教は神への歸依の一大條件として、現世を捨てよと萬人に求める、にも拘らず、この世で最も拜金主義的な地域たる歐米がクリスト教國家を自稱する國々によつて占められてゐるのは、何ともはや「驚くべき違背」としか評しやうが無い。「あらゆる宗教に於て最も偉大な眞の奇蹟である山上の埀訓」と「世間に罷り通る紛ふ方無き出鱈目」とがどうして兩立し得るのか――『ピエール』は、かうした宗教的理想と地上の現實との矛盾に眞摯な青年が悶え、苦しみ、矛盾を解決してくれるやうな「護符の如き祕密」を求めて遂に果せず破滅してゆく樣を描いた小説に他ならぬ。無論、主人公の苦悶は作者自身のそれであつた。」
 但し、読者は、もっと単純に若い男女の輻輳する愛憎関係(近親憎悪)といった読み方をしても当面は構わないのだと思う。
 その上で、いざ、読み進めていったならば、ただならぬ内容に慄くというわけである。

Amazon.co.jp: ピエール 本 ハーマン メルヴィル,Herman Melville,坂下 昇」では、「「ピエール・グレンディングよ!あなたはかの父の一人子ではありません…この文を綴る手はあなたの姉のものなの。そうなの、ピエール、イザベルはあなたをあたしの弟と呼ぶ身なのです!」由緒ある家柄グレンディング家の若き後継者ピエール。美しき母とともに優雅な田園生活を送る彼の前に、異母姉と称する謎の女イザベルが現れる。濡れるような黒髪とオリーブ色の頬をした彼女の不思議な魅力に取り憑かれた彼は、イザベルを救うため、母も婚約者も捨てて彼女とともに都会へと旅立つ。やがて二人は、運命の糸に操られるまま、闇の世界へと迷い込んでいく…。あの『白鯨』の作者が人間の魂の理想と矛盾と葛藤を描いた、怪物的作品。」と紹介されている。
 その「異母姉と称する謎の女イザベル」が、本当に異母姉なのかどうかも、最後に来てあやふやになってきてしまう…。
 ほとんど最後まで、イザベルが謎の女の雰囲気を漂わせているとしても、とにかく異母姉だと読者に思わせておいて、土壇場で韜晦するというのは、読み手を裏切るようなやり方とも受けとめられかねない。
 が、これさえも、「The Ambiguities」と思って甘受するしかない。小説の持つ圧倒的な迫力が、無理にも読者を納得させるのだ。

 もう、紹介する余裕がなくなったが、「『ピエール』を読む」と題された酒本雅之氏の解説がこの小説を理解するのに助けとなった。
酒本雅之 作品一覧 紀伊國屋書店BookWeb」を覗くと、 ホイットマンやナサニエル・ホ-ソ-ンなどアメリカ文学作品の訳者としても知られているのだろうが、どこかで彼の名前を聞いたような朧な記憶があるようなと思ったら、そうだった、小生が以前、揃えようとして半端なところで断念してしまった、ラフカディオ・ハーン著作集(西脇順三郎・ 森 亮 監修、恒文社)のうちの、「第3巻 アメリカ論説集・・・ アメリカ文学評論」の翻訳者の一人が酒本雅之氏だったのだ。
 なんだか、また、ラフカディオ・ハーンを読み返したくなる…けど、もう少し時間を置いてからにしよっと。

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コメント

やいっちさん、お久しぶりです。ずっとブログは拝見していましたが、トラブっていてなかなかお邪魔することがかないませんでした。早く良くなってくださいね。「新日曜美術館」の「思い出の新日曜美術館」というコーナーで、大江健三郎がフランシス・ベーコンについて話していた言葉に「人類はこわれるもの。意識して生き延びられるように努力しなければならない。」という言葉があり、初めてベーコンに親しみを感じました。私は大江健三郎に興味を持っていますし、「生き延びる」という表現は「ゲド戦記」の訳者である私の高校の先輩である清水真砂子さんがよく使われる言葉でもあります。また私のブログにも遊びに来てくださいね(^^)。

投稿: magnoria | 2006/07/24 00:00

magnoria さん、こんにちは。ネットへの攻撃、凄かったね。最近まではネット右翼の連中が特定のサイトを攻撃するのが流行っていた。でも、今じゃ、右翼でもなくて、ネットゴロ(ゴロツキのゴロ)が横行しているよう。
ああいった連中に真面目に応えようとするmagnoria さんに頭が下がります。
magnoriaさんのサイトへは訪れていたけれど、コメントの書きようがなくて、困ってました。

大江健三郎の話も読んでいました。
画家のフランシス・ベーコンは小生も好きな画家です。
生き延びる…。とにかくいろいろあっても、今をしのんで生き延びて、そのうち芽吹く時を待つ。そういう時期もあるのだということですね。
また、お邪魔しますね。

投稿: やいっち | 2006/07/24 01:35

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