鶴見俊輔…戦争が遺したもの
今更ながらなのだが、「思想の科学」を創刊したことなどで有名な鶴見俊輔氏に関心を抱いてしまった(以下、尊敬の意味を篭めて敬称は略させてもらいます)。
(以下、雑文となるので、「鶴見俊輔 - Wikipedia」で確かな知識やプロフィールを確かめてください。)
名前は小生も知らないわけではない。が、そもそも「思想の科学」という言葉の組み合わせに最初から毛嫌い状態となってしまった。「思想」にも「科学」にも、まあ、捉えようによっては含むものも一様ではないし、要は篭める意味合いや使われる脈絡次第なのだが、「思想の科学」となると、そんなのあり? と、即座に拒否反応を起こしてしまった。
多分、その雑誌は一冊も読んでいないだけではなく、そもそも興味本位にしろ、手に取ったことすらないに違いない。
人によっては、「共同研究 転向」で彼を知る人もいるだろう。
小生などは、アメリカのプラグマティズムの日本への紹介者として名前だけは知っていた。
プラグマティズムという思想がが皮相な気がして、その紹介者である鶴見俊輔まで関心の対象外に追いやったわけでもない。
→ 小熊英二 著『〈民主〉と〈愛国〉』は大部な本。せめて、冒頭の第一部 第一章「モラルの焦土」だけは目を通してもらいたいと思う。
そもそも、小生が哲学に興味を抱き始めたのは高校二年の夏前後の頃からだが、その最初の頃に読み浸った哲学者の本というと、ラッセルだった(「ラッセル『数理哲学入門』を読んだ頃」参照)。
詳しいことは略すが、「ラッセルの『数理哲学入門』は私を直ちに虜にした。ペアノからフレーゲへのラッセルの論の運びは、数学的論理の厳しさと厳密さとで頭の芯が痺れるような明晰感を私に与えてくれた。その先、ラッセルは彼の階型理論へと論を進めていくのだが、その明晰・厳密な運びは、それまでに私が読んだどんな本にもない全く異質な世界を垣間見せてくれたの」だった。
「プラグマティズム - Wikipedia」の項を覗いてみると分かるように、「プラグマティズムの代表的な人物としてチャールズ・サンダース・パース、ウィリアム・ジェームズ、ジョン・デューイ」らがいるわけで、やがては離れていくとはいえ、パースの凄さを感じないわけではなかったのだ(そして特にウィリアム・ジェームズの『 宗教的経験の諸相 (上・下) 』 桝田 啓三郎訳、岩波文庫) は小生の愛読書となった→「ジェイムズ『宗教的経験の諸相』(前文・承前)」参照)。
小生の読まず嫌い、「思想の科学」という言葉の連なりを考える手合い、単なる優等生、という勝手な印象だけでの敬遠。
鶴見俊輔には『埴谷雄高』(講談社)という本があるのだが、鶴見俊輔が埴谷雄高に関心を持つ、どんな糸口があるのか、小生には全く想像が付かないでいた。
「早くから大衆文化に着目しており、趣味は漫画を読むこと。漫画評論の先駆けの一人でもあった」というのは、誰かの対談を読む中で聞きかじっていたが(あるいは、対談・鼎談の中の一人は鶴見俊輔だったのかも)、それは教養ある人が、斜に構え、学識があるだけじゃない、俗なことも知っているんだよという、気取りのように思えて、逆に嫌味に感じられていたっけ。
それが何故、急に鶴見俊輔に脚光を浴びせておこうと思ったかというと、相変わらず読み続けている、小熊 英二著『〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性』(新曜社)のお蔭なのである(やっと残すところ、あと百頁余りとなった!)の中で鶴見俊輔のことがやや詳しく扱われていたのである。
小熊英二 著『〈民主〉と〈愛国〉 ――戦後日本のナショナリズムと公共性』なる頁には、内容案内と共に、詳細な目次が載っている。その「第16章 死者の越境――鶴見俊輔・小田 実」の項の細目の一つは、「慰安所員としての戦争体験」なのである。
実際、鶴見は上官や兵士、あるいは同盟国ドイツの兵士らのために女性を斡旋する場の世話やコンドームの用意をしたりと、徹底して陰気な業務をこなし続けたのだった。
「鶴見俊輔 - Wikipedia」の学歴の項を覗いても、あるいは本文を読んでも、鶴見俊輔の肝心の戦争体験のこと、あるいは彼の少年期・青年期のことはまるで書かれていない。
鶴見俊輔の母の父は(つまり鶴見の祖父は)政治家の後藤新平で、鶴見の母はその父を深く尊敬していた。子の鶴見に対しては厳格に接していたし、完璧たることを求め続けた。
鶴見はそんな母(や、理想的な父)に反発して、学業を忌避したり家出したりという多感な日々を送る。
アメリカへの留学は父の計らいであり、鶴見にとっては、助けともなったという。
← 鶴見俊輔・上野千鶴子・小熊英二 著『戦争が遺したもの ――鶴見俊輔に戦後世代が聞く』……。戦後世代というけれど、現代では過半数が、今は戦後だという認識の欠片さえもなくなっている。戦争中にアジア諸国で為したことも、自国に付いてもあまりにひどい過ちを犯したことも視界の外に。そういう状況もあって、小泉首相や安倍官房長官のような、言動だけは勇ましい連中が安易に持て囃されるのだろう。
しかし、鶴見の人生経験そして思想への影響となると、彼の戦争体験が大きい。「鶴見俊輔は戦争中に慰安所の係員みたいなことまでやらされて、ひどい目にあって自分の小ささを思い知らされた結果、他人にもあまり過酷な厳しさを要求しない」ようになったという。戦争の最前線にあって、兵士でさえもなかった鶴見は一平卒にさえ辛く当られる存在だった(というか、一平卒が辛く当れるのは、現地の人か捕虜か兵士でない鶴見だったわけである)。
誰が悪く誰が良いとは決して安直にも、まして明白な形でも言えない。
教育勅語を丸暗記させられ復唱させられた若く純粋な兵士が、一旦、戦地に赴くと、途端に現地の人をさげすみ、捕虜を虐待し、酒を浴び、女を虐げる。純粋さの脆さと危うさ。一方、現地の司令官も碌でもない奴だとばかり思っていたら、死んだ後に彼の悲惨な、そして切ない思いを綴るメモを読む羽目になる。
そうした戦中のあれこれについては、『私の地平線の上に』 や、あるいは鶴見俊輔・上野千鶴子・小熊英二 著『戦争が遺したもの ――鶴見俊輔に戦後世代が聞く』 (新曜社)を読むと、詳しく知ることができるのかもしれない(小生は未読。読むつもりになっている)。
本書の中で、鶴見は、「いつ死ぬかわからないから今回は全部話します」という姿勢で若き俊英二人の矢面に立っているらしい。
「Amazon.co.jp: 戦争が遺したもの 本 鶴見 俊輔,上野 千鶴子,小熊 英二」のレビューを読んでみても、なかなかの好著のよう。
「鶴見がハーバードでホワイトヘッドの最晩年の講義を聴講していた」ってのも、ホワイトヘッドの柔軟な思考と思想はこれからますます再評価されると思っている小生には、興味が湧く。
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