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2006/07/31

「口ぶえ」と折口信夫の性愛

 帰郷していた間に、折口 信夫(おりくち しのぶ)著『初稿・死者の書』(安藤 礼二編集、国書刊行会)を読了した。
 日中は慣れない家事に追われ、読めるのは両親が寝室に向ったあとの夜半前からとなる。
 ある意味、本書を読むには夜中のほうが相応しいのかなと思ったり。
 ただ、期待しすぎていたからだろうか、正直なところ、『死者の書』は、期待はずれに終わった。凄く生意気な表現をすると、この程度の世界なら自分にも描けるのではないかという感覚が終始付き纏って離れなかったのである。
 創作の上での技術が物足りない。歌人として学者として名を成しているが、虚構作品としての何かが足りない。
 あるいは、小説に仕立てるには邪道な何かが濃厚すぎるような。
 そんな違和感を抱かされたのは、『死者の書』の冒頭に、いきなり誤植が見つかってしまって、ガッカリさせられたからかもしれない。

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 冒頭四行目に、「まともに、寺を圧してつき立ってゐるのが、二山上(ふたかみやま)である。」と。
 当然、二上山(ふたかみやま)のはずだ。実際、心ならずも本文を読んでいても、ずっとこの地名の表記がどうなっているか気になってしまった。
 でも、他はちゃんと二上山と表記してある。

 最初、「二山上」とあるのを見て、これは折口 信夫的な世界特有の言葉遣い、表記なのかと思った(その前に目を疑ったが)。
 あるいは、「初稿・死者の書」と銘打っているから、初稿の表記の間違いがそのままにされているのか(でも、全く、注記がない)。
 どうでもいいことなのか。初版ではあるし、よくある校正ミスの類いに過ぎないのか。でも、あんまりな見逃し?!
 
 この作品については、ネットでは、「松岡正剛の千夜千冊『死者の書』折口信夫」にて、相当に思い入れのされた論考が読める。
 小生の感想など、当てにしないで、この書評を読んだほうがいい。

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2006/07/30

「花火大会の夜に」のこと

 掌編「花火大会の夜に」は、無精庵方丈記に転載しました。
 この無精庵徒然草だと、思い出を描いた作品と誤解される恐れがあるという指摘もあって、その可能性もあるかなと思ったのです。
 一応、ジャンルとして「創作・虚構・物語、ボクもの」と表示し、文中の画像への説明文に掌編と明記はしておいたのですが。

 まあ、あまりに衝動的にというか、発作的に書きたくなったので、本来の創作作品公表の場を選択するのも面倒で、思い浮かぶままに書いたものです。
 日頃、無精庵徒然草の「記事を編集する」という画面を開いて、さて、今日は何を書こうかなと考えるのが小生の流儀。

 で、何を書くかアイデアに詰まっていたところ、ホームページの画像掲示板に珍しく久しぶりの画像投稿が! もう、嬉しくて飛びついてしまいました。
 花火の画像を見ているうちに、何かの着想がムラムラと…。
 白い画面を前にして、切羽詰らないと書く気になれないのが性分なんだね。

 なんとなくだけど、最近、また、創作欲が湧いて来たみたい。一昨年、年間掌編百篇を宣言し実現したはいいけど、その反動が大きくて、昨年、そして今年と創作する気力が萎えていたみたい。
 ようやく、傷(?)が癒えてきたのかな。
 これから、無精庵徒然草で一般の記事を書こうと思って「記事を編集する」という画面を開いても、衝動的発作的に創作作品を書き付けるケースが徐々に増えてくるかもしれない。
 その場合、とりあえず、書くだけ書いて、ジャンルで創作だということを銘記するのは無論のこと、冒頭にも創作だということを明記しておくようにします。

(念のために断っておくと、小生、実話はエッセイなど一般の記事に書く創作には原則として実話は書かない。せいぜい、物語を書く題材の一部として採り入れるだけ、というのが基本方針です。何故なら、創作(虚構)作品では、想像力を自由に羽ばたかせたいからです。)

 ところで、この作品の番外編、チャンスがあったら、書きたいな。

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2006/07/29

今日は何の日…乱歩やゴッホや

今日は何の日」というサイトを覗いてみたら、既に昨日となるが、「7月28日」は、案の定、語呂(ゴロ)からして予想されることだが、「菜っ葉の日」だった。「「な(7)っ(2)ぱ(8)」の語呂合せ」である。
 あるいは、これも語呂から予想されるのだが、「なにわの日」である。言うまでもないだろうが、「「な(7)に(2)わ(8)」(難波・浪速)の語呂合せ」である。
 だったら、「夏場の日」もありかなと思ったが、ない。ま、「夏場」という言葉に意味を篭めようがないということか。
 さらに見ていくと、7月28日は、「乱歩の日」だとか。「1965(昭和40)年、日本の推理小説の生みの親、江戸川乱歩が亡くなった」というのだ。

Kurotokage

→ この顔が懐かしいと思った貴方。同輩ですな。

 久しく読んでいないが、学生時代には好んで読んだ。なにかおどろおどろしい雰囲気が大好きなのだ。
「7月28日」を無理に読んで「ナンパの日」ってのも、あるのかないのか(公式にはないだろうが)。

 この日に亡くなっている、あるいは生まれている方は多い。自分の関心で挙げてみると、「7月28日」が誕生日の方は、フォイエルバッハ (独:哲学者『キリスト教の本質』) 、マルセル・デュシャン (仏:画家,彫刻家)、カール・ポパー (英:哲学者『科学的探求の論理』) 、渡辺美智雄 (衆議院議員(自民党),蔵相[元]) 、マッド・アマノ (写真家) 、渡瀬恒彦 (俳優)、永島瑛子 (俳優) 、桂銀淑(ケイ・ウンスク) (韓国:歌手)、矢井田瞳 (シンガーソングライター)、神園さやか (歌手) というところか。

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2006/07/28

読書拾遺…これから読む本

 高間大介/田近伸和両氏著『進化の「謎」を探れ! 徹底対談「生命40億年史」』 (アスコム)を過日、読了したが、対談の中で興味深い本のことを思い出させてくれた。
 それは、アンドリュー・パーカー著『眼の誕生――カンブリア紀大進化の謎を解く』(渡辺 政隆/今西 康子訳、草思社)である。

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 この本の存在は知っていた。刊行して間もない頃、新聞の書評欄で本書が扱われていて、読みたいと思っていたからである。
 が、読みたい本は他にもあるし、雑事に紛れて失念してしまっていた。
 その本のことを上掲の本が思い出させてくれたというわけである。
「進化論の祖ダーウィンが終生悩んだ謎が二つある」として、「一つは、なぜカンブリア紀以前の地層から化石が見つからないのか? もう一つは、眼という「完璧にして複雑な器官」が進化によって説明できるのか? 本書によって、この二つの問いがふいにつながり、眼の誕生がもたらした壮大な進化ドラマが見えてきた」など、以下、出版社側による内容説明が興味深い。
 眼はその存在の恩恵にあまりに深く浴していて、有り難味が見えなくなっているほどである。
 光あれ、と、天(か何処か)で誰かが命じたのだろうか、その光を受容する器官がいつしか生まれた。
 当たり前のようで、不可思議極まる。
 眼の誕生の現場に立ち会った気分にホンの少しでもなれたらと、読むのが楽しみである。

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2006/07/27

花小金井パレード番外編:地上の熱帯魚たち

花小金井パレード番外編:地上の熱帯魚たち」へ引っ越しました。

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2006/07/26

心はカネでは…ワーキングプア

花小金井パレードへ(1) 」から「花小金井パレードへ(4)」までを画像(の選定や画素数の縮小、写っている一般の方を極力、減らす)の準備作業と、画像に脚光を浴びさせるための雑文を書き上げ、最終的にアップが一応、完了するまで、都合、10時間余りを費やした。
 パレードのレポート書きにこれだけ精力を傾注する奴など、世の中にそうはいないのではなかろうか。
 いただけるコメントは、いつもどおり少ないが、「花小金井パレードへ」(全4回)へのアクセス回数は昨日までで800回を越えているものと推定される。
 24日の月曜日のアクセス回数は千回を超えた。通常、一日の平均アクセス回数は450回から550回だから、月曜日だけで500回はパレード画像を覗きに来てくれたものと推定していいはずだ。
 少なくとも、画像は一定程度は見てもらえたものと思っている。

 ところで、「花小金井パレード」が始まったのは23日の日曜日の17:10からで(前半)、後半が終わったのは19:20頃。小生は、終わってからも体が動かず、しばらくボンヤリしていたが、それでもパレードコースが駅の目の前にある地の利に助けられ、改札へ向い、帰宅したのは9時過ぎだったろうか。
 汗びっしょり。どうせシャワーを浴びるのだしと、土曜日に引き続き、部屋の中のダンボール類の片付けなどをして、埃をたっぷり被ったところで、シャワーを浴びる。
 湯上り(シャワーだけでも湯上りと称していいのかどうか)、テレビをオンしたら、NHKスペシャル「ワーキングプア 働いても働いても豊かになれない」という番組だった。

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2006/07/25

花小金井パレードへ(4)

06花小金井パレードへ(4)」へ引っ越しました。

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2006/07/24

花小金井パレードへ(3)

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花小金井パレードへ(2)

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花小金井パレードへ(1)

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2006/07/23

メルヴィル著『ピエール』の周辺

 七夕過ぎの頃から読み始めていたサイモン・シン著の『ビッグバン宇宙論 (上)』『ビッグバン宇宙論 (下)』(青木 薫訳、新潮社)を過日、読了。
 さすが、『暗号解読―ロゼッタストーンから量子暗号まで』や『フェルマーの最終定理』の著者であるサイモン・シンだけあって、この手の宇宙論の本は少なからず読んできた小生も、ビッグバン宇宙論の成立の周辺で今まで知らなかった多くの逸話や人物群像を知ることが出来て、堪能できた。目配りの勝利なのだろう。
 目配りと言えば、どちらかと言えば地味で簡単に扱われる電波望遠鏡の開発と観察の歴史にも、ドラマが満ちていることを教えてくれたのである。

 ただ、それでも、サイモン・シンに拠ると、一般には知られていない科学者たちの地道な、あるいは劇的な頑張りと研究の裏話が上下巻などには到底収まりきらないほどにあるのだとか。
 同時に、宇宙像は今も変転極まりなく、また、謎が数多くあるのだという。
 となると、既成の宇宙像で安閑とすることなく、これからも宇宙論の変転、宇宙像の変貌に遭遇するに違いないということだ。
 宇宙の闇の底は果て知れず深いと、つくづく感じる。

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→ ハーマン・メルヴィル著『ピエール』 (坂下昇訳、国書刊行会)

 ハーマン・メルヴィル著の『ピエール』 (坂下昇訳、国書刊行会) を本日、ようやく読了。間に大著を何冊も読んだとはいえ、予想以上の時間を要した。
 水曜日の雨中の営業を終えて、やはり雨の中、早朝に帰宅してから体調を壊した。金曜日の朝、仕事に出かけようと、身支度も終えたのだが、熱っぽい感じが拭えず、稼ぎ時の金曜日を休むのは窮状を一層厳しいものにするのだが、敢えて休むことにした。
 その結果、金曜日から土曜日の朝まで、ポッカリ時間が空いてしまった。
 だからこそ、上下二段組の単行本の残りの二百頁ほどを一気に読み通すことができたのだ。 
 一気にといっても、熱っぽさと、吐き気モドキと、腹痛めいたものがあって、実際には休み休みの読み進めだったのだが、不意に与えられたまる一日の効用は、なんとか生かせたのかもしれない。

 この『ピエール』という作品は、あまりに重い。重すぎて、作者が担いきれていない気がする(そこが魅力でもあるのだが)。

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2006/07/22

我がガス中毒死未遂事件

パロマ工業製のガス瞬間湯沸かし器による一酸化炭素中毒事故」が世情を賑わせている。夏場も風呂など給湯のために使うが、冬場となると一層、ガス器具のお世話になる。身近な器具だけに怖い。
 但し、別にここでパロマ事件のことを云々するつもりはない。
 小生自身の体験したガス事故の体験のことをメモしておくだけのことだ。
 一つは、それこそ死に至らなかったのが不思議なくらいの事故で、もう一つも車の事故で言えばニヤミス事故(未遂)である。
 
 まずは、ニヤミス風のガス事故未遂のことを。


 石油ストーブ不完全燃焼事件

 小生は仙台で学生生活を送っていた。最初の二年は下宿で、残りの卒業するまでの数年はアパート暮らし。
 友人の少ない小生だが、アパートがまた山間の地にあって、気軽には訪れることの難しいようなロケーションだった。
 多分、一人で自分の世界に沈潜したいという欲求があったものと思う。
 
 冬場の或る日のこと、もう、日がすっかり落ちていた時間だったろうか、不意にドアを叩く音。
 小生は驚いた。もう、卒業も間近な頃には、数少ない友人たちは卒業したか退学したか、中には結婚した人もいて、小生のアパートを訪れる人など、考えられなかったし、実際、何かの料金の徴収員でもない限り、誰も来ないのだった。
 一体、誰が、こんな人里離れた孤独な部屋に。
 無論、小生のこと、女性関係は皆無である。
 ドアを開けるのも、ちょっと怖々だった。

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2006/07/21

「天地水 月光浴」そして「色彩浴」

 日本各地で雨の被害が出ている。雨は適度に降っているのを濡れる心配のない場所から眺めている分には、それなりの気分が味わえていい。
 その雨も、一旦、牙を剥くとその怖さは想像を絶する。
 若い頃だと、心が淋しい時に、雨の中を傘も差さないで町中を歩き回ったりして、それはそれでヤケクソで感傷的な気分が味わえて甘酸っぱい。

 そろそろ梅雨が明けそうな予感がする。梅雨の晴れ間に、夜、ふと、月影に恵まれることがないではなかったが、どこか朧でカメラに映る姿も覚束ない。
 しかし、暑い夏が待っているとはいえ、宵闇の頃から月影を追えるというのは、楽しみでなくてなんだろう。

 こんな柄にもないことを書くのは、図書館へ行ったら、各種のチラシを並べた棚があって、それは大概、小生の関心を呼ばない類いのものだが、今日は、自分から見たというより、先方から目に飛び込んできたというべきチラシに遭遇したからである。
 それは、大丸ミュージアム・東京で開催される「天地水 月光浴」 と題された「石川賢治 月光写真展」のチラシなのだった。

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→ 石川賢治 月光写真展「天地水 月光浴」 

 この展覧会は、「満月の光だけで撮った神秘の世界」という副題が付せられていて、会期は「2006年8月17日(木)→9月5日(火)」のようだ。
 チラシの画像を載せた。拡大できる。ただ、色合いが現物とは大分、違う。チラシの画像はもっと闇が深い。まさに、「満月のわずかな光だけで写真撮影し、独自の世界を創り続ける写真家・石川賢治」という本領発揮という静謐な雰囲気に満ちている。
 チラシはチラシとして保存しておきたくなる。

「月」については、ブログ「朧月…春の月」の中で、一度、総集編的なことを書いている。
 この頁を覗いてくれたら、「月 光 欲」など幾つものエッセイや掌編を書いたりして、小生がいかに「月」や「月影」を巡ってあれこれ迷走…じゃない、瞑想してきたか分かろうというもの。

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2006/07/20

リベルダージ:パレード(画像)情報!

→ 第26回あさくさサンバカーニバル(8月26日:小雨決行!)
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→「蜩…夢と現実をつないで鳴く」にて昨年の浅草サンバカーニバルに我がチームのスタッフとしてお手伝いに加わる前の感懐などを綴ってます。
祝!3位入賞! 画像案内」を覗くと、昨年の浅草サンバカーニバルの際の、我がサンバチーム・リベルダージ(G.R.E.S.LIBERDADE)を中心とした画像情報が載ってます。


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← 7/22(土)23(日)にも、新松戸まつりがあります。
 我がサンバチーム・リベルダージ(G.R.E.S.LIBERDADE)のパレード日は7/22(土)で、パレード時間は「15:30 - 17:00」の予定。
 画像は、「しんまつど★ドッとこむ」の中の「第20回 新松戸まつり」より借用させてもらいました。
 このポスター画像を見るだけでも力の入れようが分かるというもの。

07/30 New!→「ハタノのホームページ」の中にて、リベルダージによる「新松戸パレード」の模様を見ることが出来ます:
新松戸まつり (リベルダーヂ) Part 1
新松戸まつり (リベルダーヂ) Part 2
 あの懐かしの人も写っている!


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→ 「花小金井北口の夏恒例サンバカーニバルは7月23日です!22日はよさこい。」(ポスター画像は、「わくわくこだいらプロジェクト サンバ」より)
 当然ながら我がサンバチーム・リベルダージ(G.R.E.S.LIBERDADE)も出演。パレード日時は23日の「17:10-18:00」と「18:30-19:20」の前後半あり。


花小金井パレードへ(1)」にて、小生のレポートもどきと画像群を披露しています。

Charlie K's Photo & Text」の中の、「HANAKOGANEI SANBA FEASTA 2006.7.23」にて、花小金井パレードの本格的な画像群を見ることができます。出来が違う!

07/31 New!→「光と写真のページ PHOTO CAFE」の中にて、「花小金井サンバパレード06」画像集を発見!


07/30 New!→新松戸でも登場の「ハタノのホームページ」の中にて「薬王寺・柳町 七夕まつり」の様子を写した画像を見ることが出来ます:
薬王寺・柳町 七夕まつり (リベルダーヂ) Part 1
薬王寺・柳町 七夕まつり (リベルダーヂ) Part 2

07/31 New!→「光と写真のページ PHOTO CAFE」の中にて、「牛込パレード」画像集を発見!

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炭素のこと少々

 高間大介/田近伸和著『進化の「謎」を探れ!  徹底対談「生命40億年史」』 (アスコム)を過日、読了(本書に付いては、拙稿「進化の「謎」を探れ! 徹底対談「生命40億年史」」にて若干のことを書いているが、あるいは蛇足めいたことを後日、書くかもしれない)。
 平行して読んでいるサイモン・シン著の『ビッグバン宇宙論 (上)』『ビッグバン宇宙論 (下)』(青木 薫訳、新潮社)も、今週中には読み終えそう。

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→ 高間大介/田近伸和著『進化の「謎」を探れ! 徹底対談「生命40億年史」

 偶然なのかどうか、高間大介/田近伸和著『進化の「謎」を探れ!  徹底対談「生命40億年史」』 (アスコム)を読んだ余韻も残る昨夜(今朝未明か)、NHKラジオで恐竜の話題を聞けた(これも、後日、改めてメモするかも)。

 偶然と言えば、『進化の「謎」を探れ!  徹底対談「生命40億年史」』 とサイモン・シン著の『ビッグバン宇宙論 (上)』『ビッグバン宇宙論 (下)』との両方に共通して扱われていた(触れられていた)話題があった。

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2006/07/19

もうすぐセミの鳴く季節

 あるサイトを覗いたら、セミの話題が載っていた。もう、すぐそこまでセミの鳴く季節が来ているのだ。
 そのブログには、次のように書かれていた:

 もうすぐ蝉の声がきこえるでしょう。
 空蝉を見つけては・・
 その儚さに想いを重ねてみるでしょう。
 
 今年も全身全霊をかけて・・
 蝉はなくのだろうなぁ。

 精一杯はステキです。


 詩的である。夢がある。
 が、そこはそれ、小生は野暮天である。
 コメントに、つい書かずもがななことを書いてしまう:
 蝉さんは、地上での命は短いけど、地下での生活を含めると、昆虫の中では短命とは言えないとか。
 蝉さん、地中での幼虫としての生活が極楽だったのではないでしょうか。人間で言えば子宮の中で羊水に浸っているようなもの。
 地上に出て、あーん、いやだ、いやだ、地中に戻りたいよって、泣いているのかも。

 鬱陶しい梅雨の時期。今も雨がシトシトと降り続いている。雨の中、通勤するのも嫌なら、雨の中で仕事するのも結構、億劫である。
 家の中に篭っている限りは、部屋の中から窓外の雨模様を眺めるのは嫌いではないのだけれど。
 というより、雨の風景というのは実に心を落ち着かせるものがある。不思議だ。心までを潤すのだろうか。

 さて、野暮のついでなので、せっかくだし、少しだけセミのことをメモしておきたい。

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2006/07/18

氷見上庄川天馬船レース

 昨日の休日(海の日)は、世の中は三連休の最後の日。こんな日は仕事が割合、暇なのだが、昨日は何故か様子が違った。日中から夜半にかけては、やたらと忙しかったのだ。
 東京に付いては雨模様で郊外などへ出かけるよりも、都内で動き回る人が多かったからか、それとも、祭日は基本的に仕事が暇という先入観があるから営業を休んだドライバーが多く、結果として動いている車へのニーズが高まったに過ぎないのか。

 それでも、夜半を回ると一気に暇になる。都内を駆け回っても空振りに終わってしまう。所謂「空気を運ぶ」状態になってしまうわけだ。
 丑三つ時ほどになると、お客さんを探すのにも疲れ、仕事の最前線からちょっとだけリタイアし、裏通りの人影の少ない場所を見つけ、車を止め、新聞を読んだり、本を読んだり、ラジオに聞き入ったり。
 昨日は(このブログでも紹介したように)石原裕次郎の命日ということで、NHKラジオでは深夜便で裕次郎特集をやっていて、昨夜はその第二弾。普段、あまり掛からない、あまりラジオではリクエストもされない曲が特集されていた。
 一方、同じブログ記事で紹介した、もう一人の命日を迎えた方、市川雷蔵さんについては、小生が聞いていた限りでは全く、話題に上らなかった。もう、忘れられた人なのだろうか。
 ちょっと残念。

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→ 氷見上庄川天馬船レース(ひみかみしょうがわてんませんレース:詳しくは下記する)

 王監督の手術が成功したことがすこぶる嬉しい。内心、もしかして厄介な状況にあるのではと心配だったのだ。王貞治さんは、小生の(野球における、と限定する必要もない)ヒーローだ。
 前にも書いたが、小生はガキのころは草野球が好きで、テレビでプロ野球などを見るより、とにかく下手でもいいから自分でやりたがる口。
 それでも父の影響で、プロレスも相撲もプロ野球もテレビ観戦は仕方なくするしかなかった。
 でも、王選手だけは別格で、格別な思い入れでテレビの前へ。
 彼のバッターボックスでの構えを見ていると、宮本武蔵とか荒木又右衛門といった剣客・剣豪もかくやと感じさせられたものだ。気迫がまるで余人と違うのだ。
 記録より記憶に残る選手という言葉がある。記録において劣る選手を持ち上げるためのエクスキューズの言葉なのだろうが、小生にとって王選手は記録にも記憶にも鮮明に残る不世出の選手(人)なのである。
 学生時代、王選手がホームランの世界記録へ向って挑戦していた姿、そして現役を引退する姿を見ることができたのは僥倖だと思っている。普段は付き合いで見るプロ野球も、他の雑事を差し置いて見入ったものだ。
 王選手の現役引退と共に、小生の短いプロ野球(テレビ)観戦の時期は終わったのである。

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2006/07/17

今日は何の日…市川雷蔵さんの命日

 今日は何の日か。「海の日」である。
 が、頭が旧態依然たる小生、「海の日」というと、7月20日という印象が濃い。しかも「海の記念日」! 
 なので、仮に「海の日」にちなんで何か書くとしても、7月20日に書くだろう(とは言っても、20日になると、綺麗さっぱり忘れてしまうだろうけど)。

 さて、今日は何の日かと調べてみたら、石原裕次郎さんが亡くなられた日なのである(1987年(昭和62年)7月17日)。
 小生にとってスターというと、後にも先にも石原裕次郎さんである。ガキの頃に映画館やテレビで彼の映画やドラマを散々観たので、そういうふうにインプットされているのだ。
 でも、小生にとって石原裕次郎さんは、ちょっと変わった意味で、格別な存在でもある。

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→ 「花小金井北口の夏恒例サンバカーニバルは7月23日です!22日はよさこい。」(ポスター画像は、「わくわくこだいらプロジェクト サンバ」より)
 当然ながら我がサンバチーム・リベルダージ(G.R.E.S.LIBERDADE)も出演。スケジュールなど、詳細は追って知らせます。

 小生は、もう十年以上も以前に縁が切れてしまったが、東京は港区海岸にある会社で働いていたことがある。
 その地区に至るには芝浦地区を通る。バイクの時もあれば、徒歩あるいはバスを使うこともあった。
 すると、しばしばとまでは言えないが、それでも、また見かけた、という程度に石原プロのテレビドラマの撮影現場に遭遇することがあったのだ。
 残念ながら、当の裕次郎さんの姿を直接見ることはできなかったが、「西部警察」か「太陽にほえろ」という番組の撮影をやっているんだなと横目で眺めつつ通り過ぎたものだった。

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2006/07/16

進化の「謎」を探れ! 徹底対談「生命40億年史」

 昨日のブログ「読書拾遺……ハイラル通信」の末尾で、逸早く読む機会を得た高間大介/田近伸和著『進化の「謎」を探れ! 徹底対談「生命40億年史」』 (アスコム)のこと、対談形式の本書の二人それぞれについて、簡単に触れている。
 車中での読書に相応しく来週の営業まで読むのを控えようと思っていたが、寝床に入って、本の表紙などをペラペラ捲っているうちに、つい読み始めてしまった。
 どうしても、こうした生命の起源論とか進化論議、特に本書の最初で結構、詳しく扱われている恐竜の話となると、目がないもので、まあ、今日一日は本書に費やされそう。

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→ 高間 大介著『46億年 わたしたちの長き旅―地球大進化と人類のゆくえ

 こうした関係の本を読むのは好きなので、知っている話もあったが、目新しい情報も多い。
 特にランドマーク理論というのは、小生には初耳。
 ネットで検索してみたが、検索の網に掛かったのは一件だけだった(ちなみにランドマーク理論の提唱者であるギュンター・ヴァクターシャウザー博士の名前で検索しても、このサイトが浮上するだけ):
silkyway -Only is not lonely.- 46億年 わたしたちの長き旅
 どうやら、高間 大介著『46億年 わたしたちの長き旅―地球大進化と人類のゆくえ 』(NHK出版)が紹介されているようだ。
 日本語のネット上では、 ランドマーク理論は(ギュンター・ヴァクターシャウザー氏も含めて)初登場ということになるのか。

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← 15日の朝、帰宅しバイクを止めたら、足元に生えているのに気づいた。(キン)エノコロだろうか。ちょっと違うか。疲れきった小生を迎えてくれるのは雑草だけ。

 それにしても、対談に当って両人とも関係の文献や情報を事前に摂取したのだろうが、田近伸和氏もだが、高間大介氏がそれにしても詳しいと、ややいぶかしく思っていたが、なるほど、番組を作る必要に迫られる面もあるのだろうが、古今、特に最新の理論・研究に目配りしているわけだ。

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2006/07/15

読書拾遺……ハイラル通信

 過日、「香月泰男と<神農>」なる記事を書いたことがある。立花隆氏著の『シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界』(文藝春秋)を読んでいて、豊富な画像もあって楽しめたし、本書に所収となっている1970年文芸春秋刊「私のシベリヤ」のテキスト(香月著となっていた)が実は立花隆氏の手になるもの(インタビューして立花隆氏が文章に仕立てた。二人でワインをがぶ飲みしつつ、胸襟を開いての談話だったとか)だったことを知ったり、香月泰男の世界に触れることが出来た。
 改めて、香月泰男の作品を自らの目で見たいものと思っている。
 elma さんの「「香月泰男のおもちゃ箱」新潮社刊より」なる記事が、「「香月泰男のおもちゃ箱」は、彼の別の面をみることができる。子どものように喜んで作っていたという作品に谷川俊太郎さんが詩をつけたものだ」ということで、参考になる。
 
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→ 拡大できる。

 どういうタイミングなのだろうか、小生は、立花隆氏著の『シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界』を6月末に借り出してきて、7月1日に、「2005年07月の索引(香月泰男の世界)」と題した頁で初めて記事に仕立てたのだが、7月1日付の朝日新聞の「be on Sunday」という別刷りの中で、香月泰男が特集されていたことを一昨日、知った。
 小生は、別刷り版は取り分けておいて、後で纏めて読むのが習慣だが、他の書籍類に紛れて、二週間ほども経ってからようやく目にすることになったのだ。

 特集の題名は「戦地から360通の絵手紙 香月泰男と家族 ハイラル通信」(山口・三隅)である。一面には、香月泰男の愛した久原山を左奥に、朝もやの田植えが終わった頃の田園の中を三両編成の列車が行くという写真が大きく載っている。
 丙種合格し「31歳で召集令状を受けた香月泰男は、1943年4月から2年余り、旧満州のハイラルに軍隊の営繕係として駐屯した。その間、山口県で暮らす妻、婦美子さんと3人の幼子に、絵を描いた軍事郵便はがきを毎日のように出し続けた。」(別刷り記事より)。
 これがハイラル通信と呼ばれるもの。

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2006/07/14

鶴見俊輔…戦争が遺したもの

 今更ながらなのだが、「思想の科学」を創刊したことなどで有名な鶴見俊輔氏に関心を抱いてしまった(以下、尊敬の意味を篭めて敬称は略させてもらいます)。
(以下、雑文となるので、「鶴見俊輔 - Wikipedia」で確かな知識やプロフィールを確かめてください。)
 名前は小生も知らないわけではない。が、そもそも「思想の科学」という言葉の組み合わせに最初から毛嫌い状態となってしまった。「思想」にも「科学」にも、まあ、捉えようによっては含むものも一様ではないし、要は篭める意味合いや使われる脈絡次第なのだが、「思想の科学」となると、そんなのあり? と、即座に拒否反応を起こしてしまった。
 多分、その雑誌は一冊も読んでいないだけではなく、そもそも興味本位にしろ、手に取ったことすらないに違いない。
 人によっては、「共同研究 転向」で彼を知る人もいるだろう。
 小生などは、アメリカのプラグマティズムの日本への紹介者として名前だけは知っていた。
 プラグマティズムという思想がが皮相な気がして、その紹介者である鶴見俊輔まで関心の対象外に追いやったわけでもない。

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→ 小熊英二 著『〈民主〉と〈愛国〉』は大部な本。せめて、冒頭の第一部 第一章「モラルの焦土」だけは目を通してもらいたいと思う。

 そもそも、小生が哲学に興味を抱き始めたのは高校二年の夏前後の頃からだが、その最初の頃に読み浸った哲学者の本というと、ラッセルだった(「ラッセル『数理哲学入門』を読んだ頃」参照)。
 詳しいことは略すが、「ラッセルの『数理哲学入門』は私を直ちに虜にした。ペアノからフレーゲへのラッセルの論の運びは、数学的論理の厳しさと厳密さとで頭の芯が痺れるような明晰感を私に与えてくれた。その先、ラッセルは彼の階型理論へと論を進めていくのだが、その明晰・厳密な運びは、それまでに私が読んだどんな本にもない全く異質な世界を垣間見せてくれたの」だった。

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2006/07/13

結純子ひとり芝居 地面の底がぬけたんです

 まる二日にわたるココログメンテナンスがようやく終わったようだ。管理画面へもアクセスできる。
 この間も小生は、「無精庵越中節その他にて更新を続けていた。
 同じ記事をアップするのもあまり意味がないし、新規の記事の案内(とそれらの記事へのリンク)だけ示しておく。

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→ 7月10日の夜半過ぎ、あるいは丑三つ時に近かったろうか。久しぶりに月影を見たので、今のうちにと撮ってみた。やや朧だけれど、画像よりはっきりとしたお月さんだった。画像をクリックすると、ちょっとだけ大きくなる。

 待ちかねて焦がれし月も照れるのみ   (や)

 初めての観劇レポート「結純子ひとり芝居 地面の底がぬけたんです」については、「結純子ひとり芝居 地面の底がぬけたんです-無精庵越中節」にてアップ。
 結純子さんのひとり芝居は圧倒的な存在感があって迫力があった。
(今日ほどじゃなかったけど、昨日も蒸し暑かった。そんな中、届いたばかりの靴での初のお出かけなのだった。靴擦れすることもなかったし、履き心地はまずます。二度ほど、あちこちで爪先など踏まれたけどね。)

ハンセン病の周辺」は同じく「ハンセン病の周辺-無精庵越中節」にてアップ。
 この記事は、芝居を観るための地ならし的なもの。

蓮の花が咲く時、音がする?!」は、「蓮の花が咲く時、音がする?!-無精庵越中節」にてアップ。
 他に、「「第28回 薬王寺・柳町 七夕まつり」資料集」も気が向いたら御覧ください。

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2006/07/11

霧の都ロンドンと漱石と推理小説

 瀬戸川 猛資著の『夢想の研究―活字と映像の想像力』(創元ライブラリ)を読んでいたら、漱石と推理小説に付いての、興味深い記述があった。
 どうやらその関わりの淵源は漱石のロンドン留学の時期にありそう。
 なので、その周辺を探ってみることにした(時間がないので、かなり流し気味に書く)。

2006年の漱石」なる頁の冒頭に、「古いものを大事にするロンドンには、のちの漱石、夏目金之助が確実に投函しただろう郵便ポストが今も残っている。
 金之助は、 1900 年 9 月 8 日に横浜港を出発、パリを経て 10 月 28 日にロンドンに着き、 1902 年 12 月 5 日ロンドンを発って帰国の途についた。 1900 年代はじめの 2 年 1 ヶ月を、彼はイギリスで鬱々と過ごした。英文学者夏目金之助から、近代日本を代表する文豪夏目漱石に向かう契機となったのが、このイギリス留学だったことはよく知られている。」とある。
 漱石のロンドン留学のこの必ずしも長くはない時期は、ある意味、日本の文学(に限らないだろうが)に深甚なる影響を齎した時期であり、ロンドン体験は一つの文学的事件だったと言っても過言ではないだろう。
 こんなことを思い出したのは、今読んでいるサイモン・シン著の『ビッグバン宇宙論』で、ニュートンやアインシュタインの若き日の逸話、短期間の間で為した世界観・宇宙観の革命の時の心理状態の記述を読んでいたからだ。
 ニュートンもだろうが、アインシュタインも自分が極める思考実験の結果のあまりの非常識さに自分が異常な道に踏み込んでしまっているのではという苦しみが常に付き纏っていた。
 
 漱石が留学した時期は、「1901 年 1 月 22 日、イギリスのビクトリア女王は 81 歳で亡くなった。 1837 年 18 歳で即位したから、その統治は 64 年に及び、歴代のイギリス王のなかでもっとも長い。女王の時代は、産業革命で先行した大英帝国の繁栄の時代でもある

 この頁の記事を読むのは興味深い。同時に、ロンドン滞在の時の心境も含め、『私の個人主義』(講談社学術文庫版)などに漱石自身が書いている。

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2006/07/10

「タクシー事情」あれこれ

 過日、「タクシー運転手の条件厳しく」という記事が新聞紙上に載っていた。
 ネット検索してみると、「タクシー運転手の条件厳しく…国交省が検討へ」という記事が未だ削除されないで残っていた。

 遅かれ早かれ削除されるのだろうから、個人的な関心事でもあるし、ここに転記しておく:

 タクシーによる交通事故が過去最悪の水準で推移していることを受け、交通政策審議会(国土交通相の諮問機関)の小委員会は20日、運転手になれる条件の厳格化などを提言する報告書をまとめた。現在は、第2種運転免許を持っていればタクシーの運転手になれるが、過去の交通事故歴などを要件に加え、問題のある運転手や事業者を排除するのが狙いで、国交省は来年度中の実施に向け、本格的な検討を始める。

 タクシー市場は、2002年、国による数量規制が撤廃、01年度に約20万8000台だったタクシー台数(個人タクシーを除く)は04年度には約21万9000台に増加。実際にはタクシー客は減っていることから「供給過剰」に陥り、この間、走行距離の総計は約0・3%増にとどまっている。にもかかわらず、タクシーが起こした人身事故は01年の約2万6000件から、03年には5%増の約2万7300件を記録、翌04年も同水準だった。

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 同省では、この背景にはタクシー運転手の“質低下”もあるとみて、過去の一定期間内に重大事故を起こした人を運転手として雇用できなくすることなどを検討。違反した事業者も行政処分の対象とする。また雇用後に重大事故を起こした運転手の許可を取り消したり、一定期間乗務を禁止したりする考えだ。
          (2006年6月21日 読売新聞)


 タクシーによる交通事故が過去最悪の水準で推移しているのは、小生自身、ひしひしと感じるところである。
 ただ、「同省では、この背景にはタクシー運転手の“質低下”もあるとみて」というのは、素直には頷けない。当局は、もっと率直に規制緩和という名の、タクシー(バスも含めて)の台数の野放し的増加の結果だと認めるべきだろう。

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2006/07/09

ココログメンテナンス実施のお知らせ

「データベースソフトおよびオペレーティングシステムのバージョンアップ」メンテナンスを7月11日(火)からの約2日間の予定で行われるとのことです。
 正確には、「7月11日(火)14:00~7月13日(木)14:00の約48時間」だって。
 まる、二日間!

「メンテナンス目的」は、「データベースソフトおよびオペレーティングシステムのバージョンアップを行うことで、ココログデータベースの大幅なレスポンス改善を図り、ご迷惑をおかけしているココログ管理画面の操作が重いなどの状況を解消することです。」だって。
 詳しくは、「ブログ:ココログ:トップ」の中の、「What's New」欄、「ココログメンテナンス日時決定(7/11 14:00-7/13 14:00)(07/ 7)」項を閲読願います。

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→ 昨日、サイモン・シン著の『ビッグバン宇宙論』と一緒に、谷川 俊太郎著の『散文 私は生きるのを好きだった』(講談社+α文庫) を借りてきた。しかし、この「α文庫」版はビーケーワンなどでは、「弊社では現在お取り扱いができません」となっている。画像は晶文社のもので、72年刊行当時のもの。来週は、車中でこれを読むのが楽しみ!

 本館でありなんでもありの「無精庵徒然草」、書評エッセイの洞窟である「無精庵万葉記」、創作の庵…掌編、俳句、川柳の東屋である「無精庵方丈記」の各サイトについては、この間も、閲覧は可能ですが、コメントやトラックバックは不可となるとか。
 ブログの責任者としては、まず、その間、新しい記事は書けないし、そもそも管理画面自体へのアクセスができなくなるのが辛い。
 上記の期間、閲覧して、コメントを書いてやろうかなと思っても撥ねられるようですが、別に拒否しているわけじゃないので、ご理解を。
 気が向いたら、ホームページの「掲示板」、あるいは「画像掲示板」にコメントを書き込むことも可能。

 尚、メンテナンスの間は、ミラーサイトのameblo版「無精庵徒然草」にて更新する予定でいます。
 あるいは、場合によっては、「富山とタクシーとサンバの館」である「無精庵越中節」か、「コラムの蔵屋敷」である「無精庵明月記」で更新するやもしれません。

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宇宙論の旅に終わりなし

時と空綾なす宇宙終わりなき

 七夕、天の川、天界のロマンというわけではないが、過日、予約していたサイモン・シン著の『ビッグバン宇宙論 (上)』『ビッグバン宇宙論 (下)』(青木 薫訳、新潮社)が上下巻揃って届いたという連絡が来た。
 予約した時には新刊本ということもあってか(6月下旬刊)、先約が何人か入っていて、しかも、当然ながら上巻のほうが多めの人数である。
 司書の方には下巻のほうが先に来るかもしれないとも言われていたっけ。
 小生は小説ではないのだし、それでも構わないと答えておいた。

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→ サイモン・シン著『ビッグバン宇宙論 (上)

 予約したのは先週の半ば頃だから、予想外の早さだし、まして上下巻が共に揃ってなので、びっくりしたやら、嬉しいやら。
 七夕に織姫には出会えなかったけれど、七夕の嬉しいプレゼントだと思ったりして。
 これから読むのが楽しみである(他にも嬉しいことがあった。後日、書くかもしれない)。

 訳者は青木 薫氏である。小生は同氏の手になる訳本を何冊、読んできたことやら。
 また、著者のサイモン・シン氏は、世界最高のサイエンスライターとの定評を得ているインド系のイギリス人(インド人の世界への進出は近年、凄まじいものがある)。
 そのサイモン・シン氏の本は、『フェルマーの最終定理』や『暗号解読  ロゼッタストーンから量子暗号まで』共に同じく青木 薫氏の訳で既に楽しく読ませてもらったことがある。

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2006/07/08

探検家リチャード・バートン

月の山脈と天の川と」の中で、那須国男著の『アフリカ探検物語』(現代教養文庫)を紹介しているサイトということで、ネット検索の結果として「リチャード.F.バートン(Richard Francis Burton)」なるサイトを示している。
 が、その時は、掲げるだけに終わっていて、先へ進む必要もあったし、その頁内をじっくり読むことができなかった。
 書き終えてから読み返したら、懐かしい本の数々が載っているではないか。
 前回は、ホームページも示していない。「谷底ライオン」がそれで、このサイトの中に、「リチャード.F.バートン(Richard Francis Burton)」なるサイトがある。
 
 バートン! 何処かで聞いたことがあるな、とは感じていたが、あのバートンではないか!

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→ 『バートン版 千夜一夜物語』(ちくま文庫)

 懐かしい本の数々とは、まず大場 正史訳の『バートン版 千夜一夜物語』(ちくま文庫)のことで(無論、小生が手にしたのは別版)、小生は長編のこの物語を全て読破したわけではないが、古沢 岩美氏のイラストだけは、どの巻についても眺め入り妄想に耽ったものだった。
古沢 岩美氏に付いては、「古沢岩美」なる頁の挿画がことのほか宜しい。ちょっとピカソ的?
 内容案内によると、「花園の中の噴水のほとりで、たぐい稀な美貌の王妃と従う女たちは着物をぬぎすてた。そこに同じ数の男たちが挑みかかり、抱擁し交会し、いつ果てるともない淫欲に耽り始めた…妃の不倫に怒り苦しむシャーリヤル王は、夜ごと一人の処女と交わり、あくる朝に殺すようになる。大臣の聡明な娘シャーラザッドは、みずから王のもとに上り、世にも不思議な物語を夢の…(以下略)」とあって、学生時代になって、童話風のアラビアンナイトではない千夜一夜物語の奥の院への、その入り口ぐらいは覗いたのだった。

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2006/07/07

「落句拾遺 6-1」アップ!

 遅ればせながら、「落句拾遺 6-1」をようやくアップしました。
 先月は、二度も連句を巻いて、精も根も尽き果てて、「落句拾遺」に手が回らなかった、なんて言い訳したりして。

 七夕の話題というわけではないが、「洒涙雨(さいるいう)」という言葉をご存知だろうか。
 小生は、昨年、季語随筆を綴った際に、たまたまこの言葉の意味が「七夕に降る雨」だと知った。
 つまり、織姫と彦星の流す涙(雨)というわけ。

 ああ、今年も織姫と彦星は会えないのね。まるで小生のよう?!

 なんて、脈絡もなく書くのは、以下の雑文へのアクセスが今日は多いから:
青葉時雨…洒涙雨

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月の山脈と天の川と

 今日は七夕の日ということで、少しだけ七夕に関係する話を書きたい。
 といっても、今回は天の川に関連するかな、という話なのだが。
 それにしても、小生の織姫様は何処にいるのだろう。会えないのは天気のせい?

 短冊の願いを読まれ恥を掻き
 短冊に書けぬ願いは如何せん

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→ 昨日の営業中、街頭で見かけた織姫さんたち…。

「月の山脈」といっても、ここでは、「巨大クレーターができた時の周囲の盛り上がりによってつくられたと考えられてい」る、あの月の山脈のことではない(「」参照)。
「ルウェンゾリ。伝説の月の山脈」、「そこは、かつてナイル河の源と目され、多くの探検家達の憧憬の地であった」という、月の山脈である(「月の山紀行」参照)。
「月の山脈」(時に「月の山」と訳される)というと、「2世紀、アレキサンドリアの天文学者、天動説で有名なかのプトレマイオスがその著書の中で記した“ナイルの源流”」であり、「かつてはヨーロッパの名だたる探検家達の心を熱くさせた憧憬の地」、そして伝説の地なのである(「ウガンダの見どころ・行きどころ∥旅行ツアー情報∥アフリカ大辞典」参照)。
今現在、ナイル川には複数の水源があることが知られていますが、ルウェンゾリもその一つであるばかりか、アフリカ第二の大河ザイール川の水源の一つとしても知られています」という。

「冬の夜空に輝くシリウスは古代のエジプトでは重視され、「アヌビス神の星」として神格化されていました。 「エジプトはナイルの賜物」という言葉があります。この言葉はナイル川が上流の肥沃な土砂を運んでくることにより、農耕が始まり、エジプトに文明が起こったことを意味しています。当時の人々にとっては1年の決まった季節にあるナイル川の氾濫の時期をあらかじめ予測して、農耕の準備を始めることは生きていく上で必要不可欠なことでした」(「こども文化科学館-古代人からのメッセージ1」より。太字は小生の手になる)。

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2006/07/06

水たまり

 朝から雨が降っていた。
 雨が降っていることは音で分かる。庇を叩く雨音が寝入っている耳元にも響いてくる。
 一人きりの小さな部屋だから、窓の外のちょっとした音も呆気なく忍び込んでくる。
 まるで壁に目に見えない透き間があるようだ。

 それにしても、雨音が激しすぎるような。
 ベッドに寝そべったまま、無理にも首を捻って窓のほうを見遣ってみた。
 うん? カーテンがやんわり揺れている…。
 窓の隅っこが雨天にしては妙に明るい。
 なんだ、昨夜は窓を閉め切らないままに寝入ってしまったのだ。

 湿っぽい部屋。湿気が篭って鬱陶しい。
 久しぶりに舐めたワインのせいで、余計に暑苦しくなって、つい窓を開けた。
 そして、軽く酔った時の癖で、心地よさに任せて、後のことは知ったことじゃないと、ベッドに潜り込んでしまった。
 見ると、二の腕の長さほど開け放たれた窓の合間から風と共に雨までが吹き込んでいるのだった。
 やばい! 急いで閉めなくっちゃ。
 うん? 考えてみたら、今更、急いだって無駄か。
 もう、窓枠も窓際の書棚も、そうして窓辺のフローリングの床も、濡れそぼっている。

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2006/07/05

ホーソーンとアメリカの闇

 昨日というか、今朝、未明になるか、さすがに暇になったので車中で瀬戸川 猛資著の『夢想の研究―活字と映像の想像力』(創元ライブラリ)を読んでいたら、表題のナサニエル・ホーソーンのことが話題に採り上げられていた。
 小生は、ホーソーンの『緋文字』は二度ほど読んだことがある。最後に読んだのは、N. ホーソーン (著)『完訳 緋文字』八木 敏雄訳、岩波文庫)だった。
 宗教的なテーマが扱われていて、感銘深く読んだという印象が残っている。

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 が、上掲書は夢想の研究と銘打っている。映画(映像)と活字とのコラボ的な評論を目ざしたもので、出版社の説明によると、「本書は、本と映画を題材に、具体例に即して二つのメディアの想像力をクロスオーバーさせ、あくまで現実との関わりにおいて、だが大胆に想像力をめぐらせて夢想を論ずるという、まさに類を見ない試みの成果である。そこから生まれる説のなんとパワフルで魅力的なことか。文芸評論に新しい地平を切り拓いた著者の真骨頂! 解説・丸谷才一」と銘打たれている。
 題材は文学に限るわけではないのだが、焦点はあくまで<夢想>のはず。
 なのに、何故にホーソーンなのか。

 例によって「ナサニエル・ホーソーン - Wikipedia」の力を借りさせていただく。
 冒頭の、「ナサニエル・ホーソーン(ナザニエル・ホーソーン、Nathaniel Hawthorne 1804年7月4日 – 1864年3月19日)は、アメリカ合衆国の英語で書く小説家・短編小説作家。日本語では「ホーソン」と表記されることもある。」はともかく(でも、ホーソンだと、疱瘡ン?って感じで日本語的には語感が良くない? ほー、そーん?って感じ)、続く記述が興味深い。
「父方の祖先である初代ウィリアム・ホーソーンはクエーカー教徒迫害に関与し、二代ジョン・ホーソーンはセイラム魔女裁判の判事を務めており、また、母方の祖先であるニコラス・マニングが近親相姦の嫌疑をかけられ迫害されると言う過去を持つため、宗教的な内容の作品が多い」というのだ。

 これじゃ、やっぱり、ホーソーンを『緋文字』で以て代表させるのも、宗教的なテーマを扱う作家と認識するのも無理はないし、実際、そういった課題(ちょっと綺麗な表現か。日本人なら<業>と呼ぶのか)を担い続けたという理解も安易と思いつつも無理はないような気がする。

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2006/07/04

香月泰男と<神農>

 中田英寿選手が現役引退を発表した。
nakata.net -- 中田英寿オフィシャルホームページ」に「“人生とは旅であり、旅とは人生である”2006.07.03」と題されたメッセージが載っていた。
 彼はメッセージの最後に、「“ありがとう”」と書いていたけど、こちらこそ、彼に「ありがとう!」と言いたい。

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← RKROOMさんに戴いた「ヒマラヤに咲く、青いケシの花」の画像です。

 立花隆氏著の『シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界』(文藝春秋)をゆっくり読んでいる。
 週末の連休の間に一気に読了させようと思っていたが、挿入されている豊富な画像の数々につい見入ってしまって、しばしば本を読む手も止まってしまう。
2005年07月の索引(香月泰男の世界)」でも、本書に所収となっている1970年文芸春秋刊「私のシベリヤ」のテキストに焦点を合わせつつ、若干のことを書いているが、今日のブログにも、多少のことを書き加えておきたい。

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→ 『シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界』の表紙の画像は、香月泰男の作品「日の出」である。

 表題の「神農」について、簡単に説明を試みる。といっても、例によって、「神農氏 - Wikipedia」に頼る。
「神農氏(しんのうし)は中国神話に登場する王。三皇五帝という時代の三皇の一人。人間の身体に牛の頭を持っていたとされる。また炎を司る神」とか、「鋤を使って農耕することを人間に教えたことから神農と呼ばれ、火徳(五行思想による5つの天性のひとつ)をもって王となったことから炎帝と呼ばれるという」と書いてあるが、本書では、「腹が透けており、地面に生えている全ての植物について、毒があるかないか、どんな味がするかを、実際に自分で舐めてみて調べたといわれており、このために薬の最初の発見者(薬祖)・医学の祖ともいわれている」という点が眼目である(太字は小生の手になる)。
(「神農」についてより詳しくは、「三皇五帝 - 炎帝神農氏」を参照のこと。)

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2006/07/03

第28回 薬王寺・柳町 七夕まつり(3 太鼓篇)

第28回 薬王寺・柳町 七夕まつり(3 太鼓篇)」へ引っ越しました。

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第28回 薬王寺・柳町 七夕まつり(2 笑顔篇)

第28回 薬王寺・柳町 七夕まつり(2 笑顔篇)」へ引っ越しました。

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第28回 薬王寺・柳町 七夕まつり(1 牛込城篇)

第28回 薬王寺・柳町 七夕まつり(1 牛込城篇)」へ引っ越しました。

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2006/07/02

ルソー…孤独な散歩者の夢想

 全くの偶然なのだが、小生は6月29日に「むすんで ひらいて…」なる雑文を書いている。この「むすんで ひらいて」という有名な曲は、ともするとかのフランスの哲学者ジャン・ジャック・ルソー(Jean-Jacques Rousseau)が作曲したとも言われたりしてきた。しかし話は簡単ではないことは、以下のサイトを覗けば分かる:
むすんでひらいて~歌詞と解説 ルソーとの関係 そのルーツに迫る~『ドナドナ研究室』」が音楽ファンなら特に読んで興味深いはず。
(拙稿「「むすんでひらいて」(作詞不詳・ルソー作曲/文部省唱歌)」は、まあ、お戯れ…)

 何が偶然かというと、ジャン・ジャック・ルソーは1712年6月28日生なのである。死去したのは、1778年の今日、つまり7月2日である。
 6月29日に「むすんで ひらいて…」を書いたのは、古来より(といっても、明治以来のものもあるが)連綿と読み継がれ歌い継がれてきた昔話・民話・童謡・唱歌の、特に歌詞の意味深な世界を探る一環でのことに過ぎなかったのだが。

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→ 高島野十郎の蝋燭の焔…じゃありません。夜の東京タワーです!

 ジャン=ジャック・ルソーのことは今更説明する必要もないだろう。少なくとも名前だけは多くの人が知っている。「ジャン=ジャック・ルソー - Wikipedia」が例によって参考になる。
 小生は高校の頃にルソーの本に出会い、学生時代、そしてその後のフリーター時代に渡って、彼の著作に親しんだ。小生が読んだ主な作品を名前だけ羅列しておくと、『学問芸術論』、『人間不平等起源論』、『言語起源論』、『ジュリ または新エロイーズ』、『社会契約論』、『エミール または教育について』、『告白』、『孤独な散歩者の夢想』だろうか。
 この中で、高校時代に出会ったのが『孤独な散歩者の夢想』だった。同時期にデカルト、ベルグソン、ショーペンハウエル、フロイト、パスカル、親鸞(倉田百三的な…)、三木清らの著作に親しみ始めた。
 旺文社文庫と中央公論社の『世界の名著』シリーズ(後に『日本の名著』シリーズも)が、思想や宗教関係の本を選ぶ対象だったような。岩波文庫は敷居が高いように感じていて、学生時代になって岩波新書と併せて物色・渉猟の対象となる。

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2006/07/01

2005年07月の索引(香月泰男の世界)

 恒例となった月初めに提供する昨年同月索引・目次である。
 つまり、毎度、断っているが、昨年の七月の分。念を押すが今年の七月の目次ではない。今月、これから何を書いていくか、神様はともかく小生には皆目、見当も付かない。
 例によって、「表題」(主なテーマ 日付)である。

 それにしても、今年も半分が終わってしまって、残すところ、半年。半分まではそれなりに長いように感じられることもあるが、残りが半分となると、減るのが目に見えるような気がする。梅雨が終わったら暑い(はずの)夏。なんとか乗り切ったとして、秋風が身に沁みる、そうして気が付くと、今年も終わりだと嘆くわけだ。
 さすがに人生五十年以上も生きると、このパターンに慣れる。

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← 今日、借り出してきた瀬戸川 猛資著の『夢想の研究―活字と映像の想像力』(創元ライブラリ)は、「ミステリマガジン」に連載されていたもの。映画と本とをクロスオーバーだって。瀬戸川氏は既に亡くなられている。車中で読むのが楽しみ!

 慣れてはいかんのだろうが、ちょっと例えが間違っていることを承知で言うと、オッカムの剃刀であろうとする。
「オッカムの剃刀( Occam's Razor)とは、14世紀の哲学者・神学者のオッカムが多用したことで有名な哲学原理で、 「ある事柄を説明するのに、必要以上の仮説を立ててはならない」というものである」が、人生を恙無く、憂さ辛さ面倒さを最小にして生きるのに、不必要な波風を立てることなく、人生の荒波にもあくまで無抵抗勢力で柳に風と生きるべきだということ。
 曲がりなりにも哲学を齧ったものが、こんなふうに惰弱の徒に成り果てるとは、嘆かわしい限りである。

 なんちゃって。ま、ボチボチ、のんびり愉しみつつやっていく。毎日、書くってのも結構な仕事なのだ。

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