« 世界を見る「めがね」 | トップページ | 今年も…ハッピーバースデー・ツーユー! »

2006/06/10

「石原裕次郎と啄木と」追記など

 別記の形で示す小文「石原裕次郎と啄木と」(公表当時のまま)は、小生が五年前に書いた記事である。
 その中で、故・石原裕次郎氏が歌ってヒットした『錆びたナイフ』(萩原四朗 作詞/上原賢六 作曲)の歌詞が石川啄木のある歌の一節に似ているとだけ指摘して終わっている。これでは、下手すると、故・萩原四朗氏が盗作・盗用したかのような印象を読まれる方に与えてしまう。
 その歌も、小生、表記が正確ではない形で引用している。正しくは、「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」である。
 この短歌と萩原四朗氏作詩の『錆びたナイフ』の歌詞とが似ている…。

2006_06110606130022

→ 路上で美女発見! 目の保養?!
 
 この記事は、ラジオで裕次郎特集を聴く機会があり、その際、「ヒット曲の『錆びたナイフ』が啄木の…云々」という説明を聞いているのだが、その肝心の部分を仕事中ということもあり、聞き逃しているのだ。
 ネット検索で情報を求めたが、当時(五年前)は、うまく必要な情報源を発見することができなかった。この追記を書くに当っても検索してみたが、萩原四朗氏自身を扱ったサイトも頁もない(見つからない)。生没年さえ(あるいは今も健在なのかすら)分からないのだ!

 すると、その間違い乃至は不十分な記述は早く訂正しておけとばかりに(?)、昨夜、車中でラジオより、関連の話をラジオのアンカーの方から聴くことができた。
 要点を纏めると、主に以下の数点:
 萩原四朗氏は若い頃より石川啄木に傾倒しており、この『錆びたナイフ』も、啄木に影響されての作詞なのは、意図的なものだった。
 また、啄木の短歌では「いたく錆びしピストル出でぬ砂山の砂を指もて掘りてありしに」が、「砂山の砂を 指で掘ってたらまっ赤に錆びたジャックナイフが 出て来たよ」となっているのも、ピストルでは歌詞になりにくいということで、ジャックナイフに変更した。
 啄木から本歌取りしたことを明白にするため、小島の磯などの言葉をそのまま使っている。

 ちなみに、「いたく錆びしピストル出でぬ砂山の砂を指もて掘りてありしに」という短歌は、同じ『一握の砂』の中に「誰そ我にピストルにても撃てよかし伊藤のごとく死にて見せなむ」といった短歌があるので、あるいは関連があるかもしれない。
 断定はしない。実際に砂山で砂を掘っていたら錆びたピストルが出てきたのかもしれない。
 言うまでもなく、伊藤とは伊藤博文であり1909年10月に安重根によって伊藤は暗殺されるが、その武器がピストルだとされる。但し、安重根犯人説には異説あり。また、ピストルなるイメージの源泉についても、異説がある。『一握の砂』は、「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」を詠むと、一人で磯にいたように感じられるが、実は一人ではなかったという話もあって、虚構性の強い面がある(だからといって短歌の価値が下がるわけではない)。


石原裕次郎と啄木と

 昨夜だったか車中でラジオを聞いていたら、好きな石原裕次郎の曲が流れてきた。どうやら7月17日が裕次郎の命日ということでラジオに限らず特集が組まれていて、耳にしたラジオ番組もそのうちの一つだったようだ。
 それにしても月日の流れるのは早いもので、裕次郎が87年に亡くなって14年目となるわけだ。その2年後だったか、美空ひばりが亡くなって、芸能の世界でも画期を感じたものだった。
 小生にとっては裕次郎はやや上の世代で、少年時代には『太陽に吼えろ』などのテレビ番組の主役というイメージが固定化し始めていた。
 ただ、テレビで昭和30年代の映画がリバイバルで放映されていて、眩しいほどの危なげなヒーロー像を遅ればせながら見つめていた。しかし裕次郎には画面上あまりに健康的な感じがあって、世の食み出し者を演じていても、小生にはもう一つ、感情移入しきれずにいたような気がする。
 しかし、歌にはほとんどゾッコンという感じで小生はのめりこんでいったのである(映画にもやっぱり、しっかり見入っていたかな?)
 ところで、ラジオの裕次郎特集では、裕次郎のコメント入りのヒット曲集を流していた。その中で、特に小生の関心を惹いたのはヒット曲の『錆びたナイフ』が啄木の…云々という下りだった。
 残念なことに、仕事中ということもあり、コメントをしっかり耳に残すことはできなかった。でも、気になってならなかったのである。
 家に帰って早速、その辺りのことを調べてみた。といっても手元にそんな便利な情報源があるわけもなく、ネットでの検索と相成ったのである。
 これは単に小生の迂闊さに帰着するのかもしれないが、裕次郎の『錆びたナイフ』が啄木の詩に似ているという着想は小生にはなかった。ただ、何か何処かで聞いたような雰囲気のある歌詞(曲)の世界だなと思っているだけだった。
 とりあえず、裕次郎と石川啄木とをキーワードにして検索してみた。すると無論、両者に直接の関係はないのだが、しかし、小樽とか函館という地名に何かヒントがありそうだった。
Otaru1
→  小樽運河 by kei

 まず、裕次郎と小樽だが、「父親が船会社の関係で石原慎太郎・裕次郎兄弟が小樽で少年時代を過ごした」というくだりを見つけることが出来た。一般的には裕次郎(に限らず多くの芸能人が小樽を愛したようだが)が愛した町、小樽ということで連想されることが多いようだが、実際には裕次郎(そして慎太郎)の少年時代からのつながりが小樽にあったということのようだ。
 ちなみに小樽には石原裕次郎記念館がある。記念館については以下を参照。
[ http://www.ishihara-pro.co.jp/ac/ishihara/i_memo/me_index.htm ]

 啄木については、同じ一連の記事の中に「石川啄木が小樽日報創業に参加しようと札幌の北門新報をやめて小樽に来た時は中央小樽駅長の官舎に泊まっている」という一節を見出すことが出来た。
 これらの点については以下を参照した。
[ http://www.mics.co.jp/otarucci/05-siri/kiseki/kiseki-02b.html ]
 しかし、これでは何か変である。石原裕次郎と啄木の関係が問題なのではなく、『錆びたナイフ』の歌詞と啄木との関係が問題だったはずである。
 その昭和32年作・発表の『錆びたナイフ』について、念のため、曲を紹介しておこう。といっても小生の自慢の(?)喉で紹介するわけにもいかないので、以下に歌詞などを示しておく。なんといっても小生より上の世代の人間には耳に馴染み、聞き込んだ曲の一つであり、あるいは歌い込んだ曲の一つでもあるだろうが、若い世代には疎くなっているかもしれないし。

        萩原四朗 作詞
        上原賢六 作曲

     砂山の砂を 指で掘ってたら
     まっ赤に錆びた
     ジャックナイフが 出て来たよ
     どこのどいつが 埋めたか
     胸にじんとくる 小島の秋だ

     薄情な女を 思い切ろうと
     ここまで来たか
     男泣きした マドロスが
     恋のなきがら 埋めたか
     そんな気がする 小島の磯だ

     海鳴りはしても 何も云わない
     まっ赤に錆びた
     ジャックナイフが いとしいよ
     俺もここまで 泣きに来た
     同じ思いの 旅路の果てだ


 この歌詞(曲)と啄木の、例えば、「いたく錆びしピストル出でぬ  砂山の  砂を指もて掘りてありしに 」「東海の小島の磯の白砂に 我 泣き濡れて 蟹と戯る」(これは記憶で書いている、そのうちに訂正の必要が生じるやもしれない)などの短歌の世界とを比べれば、人によっては関連性は一目瞭然ということにもなろう。今、手元に啄木の本が一冊もないので、これ以上啄木の文献で探求することは今は出来ない。
 まあ、啄木の短歌ではピストルが萩原四朗氏の作詞ではジャックナイフになっているとか、細かな違いはあるにしても、似ていることは似ている。
 ところで、こうした点についてはかねてより多くの方に気づかれているようで、特に歌詞の親近性については以下の一文を参照願いたい。概ね、小生も賛成である。
=======================================================================
石川啄木の歌はピストルが出てくる訳だが、石原裕次郎の場合はジャックナイフが出てくる。「いたく錆びし」が「真っ赤に錆びた」になっている。でも他は同じだ。
 「錆びたナイフ」は作詞の他に「原案:石川啄木」というのを加えるべきではないかと思えるほどである。しかしそれを書いていないのだからこれは「引用」にはあたるまい。「無断引用だからけしからん」というようなことをいう人が居るようだが、読者に対して無断なのがいけないのである。それは引用でなく盗用となる。
 しかしこの「錆びたナイフ」の場合は、盗用・盗作とかいうのではなく「本歌どり」なんでしょうね。啄木の歌は有名だし、この「いたく錆びし」の歌を知らない人のために(?)、二番で「小島の磯だ」と啄木の世界を匂わせている。
 「翻案」なのかも知れない。ピストルがナイフでは衝撃が弱まるような感じだね。
=======================================================================
詳しくは以下を参照のこと。
[ http://www.asahi-net.or.jp/~lf4a-okjm/9702.htm ]

 さて、ここまできて、分からないことは『錆びたナイフ』の作詞者である萩原四朗氏のことであろう。残念ながらネットで調べてみても、氏のことは作詞家としてしか紹介されていない。僅かに『湯の町しぐれ』という映画の原作者として「原作の萩原四朗は浪曲の作詞家として知られており、『祖国の花嫁』(38年、伊賀山正徳)で初めて映画での浪曲を担当し、戦前に流行した浪曲が挿入される(伊賀山正徳の『雲月の九段の母』など)いわゆる浪曲映画を数多く手掛けた」という一文を見つけたばかりである。
 但し、萩原四朗氏の諸作品リストは調べることができた。
[ http://jmdb.club.ne.jp/person/p0322430.htm ]
 世の諸賢で萩原四朗氏について詳しい方がおられれば御教授願えればと思う。
 さて、なんとも中途半端な探求に終わったが、今日はこれまでということでお許し願いたい。 (01/07/19)

[文中の挿絵はkeiさんによるものです(03/02/23記)]
[文中の挿画はkeiさんの手になる小樽運河。彼女はつい最近、大作「白龍物語」を完結させたばかり。「Diary」の頁をどうぞ(06/06/09追記)]

|

« 世界を見る「めがね」 | トップページ | 今年も…ハッピーバースデー・ツーユー! »

文学散歩」カテゴリの記事

音楽エッセイ」カテゴリの記事

コメント

啄木と「錆びたナイフ」の関係について、
読売新聞2008年7月6日日曜版の「ご当地ソング」というコラムに記載があるそうです。お知らせまで。
http://secondlife.yahoo.co.jp/supporter/article/WsDfBx2TM0uIh0wdlT7stg--/1328/

http://www.tahara-kantei.com/column/column476.html

投稿: you | 2009/07/24 22:09

you さん

情報、ありがとう!

「石原裕次郎の歌う「錆びたナイフ」と、啄木の『一握の砂』の詩とがつながっている」ことは、歌が出た当時から知られていることだったようですね。

本稿でも引用しているように、裕次郎の歌(歌詞)は「本歌どり」であり、作詞した萩原四朗氏は意図的にやっているのであり、断らなくても、すぐに分かるわけだけど、敢えて、「啄木から本歌取りしたことを明白にするため、小島の磯などの言葉をそのまま使っている」わけです。

裕次郎の歌唱、メロディ、歌詞が相俟って、素敵な歌になってますし、小生も好きな歌の一つです。

投稿: やいっち | 2009/07/25 09:08

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/52847/10458887

この記事へのトラックバック一覧です: 「石原裕次郎と啄木と」追記など:

« 世界を見る「めがね」 | トップページ | 今年も…ハッピーバースデー・ツーユー! »