蝋燭の周辺
三鷹市美術ギャラリーにて開催されている「没後30年 高島野十郎展」へ火曜日の午後、行ってきた。
月曜日の営業を二時過ぎにて切り上げ、三時前には帰宅。少々ネット巡りなどをしたあと、寝入り、朝方、「豪戦での審判のこと」を書き上げた(こんな記事を書くつもりじゃなかったのだが、つい)。
ちょっと睡眠時間が不足しているので、ロッキングチェアーで居眠り。目覚めたら十時過ぎ。最近、マイブームになっているタコヤキで食事。集に二度はタコヤキだ(ホントは三度以上かも)。
十一時過ぎ、ようやく重たい腰を上げる。このために早退したんだものと、自らを叱咤して。
バスで大森駅前へ。あちこちのおカネのやりくりを済ませ、電車で東京駅を経由して一路、三鷹駅へ。
三鷹市美術ギャラリーは駅の真ん前のショッピングセンター内にあるのだ。先月、観に行った「詩人の眼 大岡信コレクション展」も同じ会場だったので、周知の場所。
但し、その時はバイクで行ったのだが、民間駐車管理制度が始まったこともあり、三鷹駅周辺の管理事情が分からないので、用心の意味もあって、バス・電車の利用と相成ったのである。
さて、肝心の「没後30年 高島野十郎展」だが、実に素晴らしかった。
書籍(多田茂治著『野十郎の炎』(葦書房)←新装版が会場で売られていたので、既に図書館で借り出して読了しているのだが、買ってしまった。本を文庫文も含め買わないという自制が2年と3ヶ月にして、ついに破られた格好に。でも、これは例外だ!)やネット、パンフレットなどで高島野十郎の画の数々を観てきただけで、実物を観るのはまさに初めてなのだが、やはり実物は凄い。溜め息の連続。口をあんぐり開けて見入るばかり。
会場での感激は、実物に会えるということもあるが、書籍などで紹介されていた以外に、想像以上の数の小生には未知だった傑作たちと出会えたことも大きい。
本展を観ての感想を書くかどうか、迷っている。言葉になりそうにないし。冷却期間を置いて、後日、改めて考える。
今日は、高島野十郎の周辺ということで、蝋燭について雑学してみたい。
イメージの中の蝋燭の焔については、既に若干のことは書いてきたのだけど:
「蝋燭…ランプ…電球…蛍光灯」
「バシュラール…物質的想像力の魔」
「蝋燭の焔に浮かぶもの」
まずは、「蝋燭(ろうそく) - 語源由来辞典」を参照して、蝋燭の語源・由来を学ぶ(今回は、「ろうそく - Wikipedia」なる頁は参照しない。小生のへそ曲がりのせいで参照しないのではなく、この頁に書いてないことに関心があるからだ。でも、「ろうそく」全般を知るには、便利なのは間違いない!):
蝋燭は、中国から渡来したもので、漢音は「らふしょく」。「らふ」は字音仮名遣いのため「らう」「ろう」と変化し、「しょく」は呉音で「そく」となった。中世頃には、蝋燭を「おらっそく」「らっそく」「らんそく」と呼んでいた例も見られる。
ここには、「蝋燭の「蝋」は、植物などからとる脂肪に似た物質のことで、「燭」は「明かり」を意味する」とある。中国や日本などは、昔は「蝋」は「植物などからとる脂肪に似た物質」だったのだろうが、「蜜ろうそくのほかには、マッコウクジラの脳油を原料とするものが高級品とされ、19世紀にはアメリカ合衆国を中心に盛んに捕鯨が行われた」ことなど、「白鯨と蝋とspermと」で書いている。
「日本のあかり博物館公式ホームページ」内にある「ろうそくのあかり」なる頁を覗くと、「陶磁器製の燭台(しょくだい)」「箱ちょうちんと弓張りちょうちん」「がんどう」「蔵ちょうちん」などの興味深い写真と共に、「日本で初めてろうそくが使われたのは、仏教伝来の頃(645年)といわれています。しかし、その後広く普及するのは江戸時代も半ばを過ぎてからのことでした」などの説明を得ることができた。
「仏教伝来の頃(645年)」という点がちょっと気になる。
「仏教伝来」というと、あるいは学術用語に近く、「522年(継体天皇16)説などの私伝説と552年(欽明天皇13)説および538年(宣化天皇7)説の二公伝説」といった数字をつい、連想してしまうのだ。
いずれにしても、日本へは中国から仏教の伝来の際に、「蝋燭」も一緒(相前後して)に伝わったということなのだろう。
ところで、何ゆえ、仏教と蝋燭が結びつくのか。宗教的な意味合いがあるのか。その辺りのことは分からない。ゾロアスター教(拝火教)とも違うのだろうし。
ただ、小生のこの項についての先駆者・先人の「蝋燭の雑学(和蝋燭のうんちく、いろいろな話し)」なる頁の末尾には、「蝋燭を灯すのは仏壇の湿気を取る作用も含まれる。お花なども湿気を生む、それを取り除くために蝋燭を灯します」とあって興味深い(ホームページは「近江手作り和蝋燭 大與」)。裏書きはできないのだけれど。
話の順序が目茶苦茶だが、小生がこのように蝋燭の雑学をメモっておこうと思ったのは、言うまでもなく、「没後30年 高島野十郎展」の、最後の部屋で蝋燭画が十数点、纏められていて、それらの絵に静謐なる感動を覚えたからだが、同時に、燃えている蝋燭の画を見ていて、これらの燃えている蝋燭は、いずれも、蝋が全く下面に垂れていないことに妙に感動したからである。
盆などに墓参りする際、蝋を燃やすと、蝋が若干だが溶け出し蝋燭の壁面を垂れ流れたりする。
あるいは、蝋燭の質の問題なのか、蝋燭が室内で(つまり風のない場所で)燃えているか、それとも気ままな風に蝋燭の焔が、そして溶け出している根元辺りが揺らされたり、燃焼を半端なものにさせられるからなのか、書生には分からない。
そこで、せっかくなので、蝋燭の科学までは無理だが、雑学的な事柄を少々でもメモっておきたくなったのである。
蝋燭って、燃えていて、一旦溶けた蝋が脇から零れ流れ落ちるって事、なかったっけ?
ところで、上掲の「蝋燭の雑学(和蝋燭のうんちく、いろいろな話し)」なる頁の冒頭に、「ろうそくは 松明(タイマツ)から、進歩しました」という気になる一文が掲げられている。が、データ(典拠)は示されていない。
へえー、そうだったの。言われてみたら、なるほど! なのかもしれないが、松明から蝋燭だと、ちょっと飛躍がありそうな気もする。どんな発見や工夫の歴史があるのやら。
室内で蝋燭を灯していて、その焔が揺れる時がある。それは、人の体では気づかないような僅かな気流が実は室内にあるからなのか(何しろ、室内に人がいる限り、体温が生じ、気流が対流するのは当然だろうし)。
では、室内には蝋燭だけを置き、人は部屋の外に出て、監視カメラを使って炎の揺れ具合を観察したら、どうなるだろう。
やはり、揺れているのか、それとも、蝋があるかぎりは静かに揺れることなく燃え続けるのか。
上掲の頁には、「和蝋燭の火はどうして揺れるのか?」なる項が設けられていて、「和ろうそくの火は時には、静かに燃え、時には瞬きしているかの如く揺れる」ことのメカニズムの解明が試みられている。「蝋燭の燃焼は芯が融解した蝋を吸い上げ、それが、燃える。融解したろうが吸い上がった、その時は蝋の供給が最大のため炎は大きくなり揺れる。しばらくすると、その蝋は燃焼によって無くなる、芯は燃える物がないから、一段下がる。この蝋が燃えて燃える物がなくなったときこのときは炎は小さく一番安定する。これが繰り返されて蝋燭の燃焼は成立する」という。
人の影響のことは考慮に入れていないようだが、論外ということか。
それより、「蝋があまって蝋が流れる原因」というのは、蝋燭の本体と焔(つまりは蝋燭の芯)の大きさとの関係如何に拠るという記述が目に眩しい。
「身の回りの化学」の中の、「ろうそくの燃焼」という頁も分かりやすく、参考になる。
考えてみたら、昔、何処かで聞いた事があったようだけど、そもそも、「ろうそくが燃えるわけ」自体が科学(化学)に弱い人間には不思議だし、分からないことなのだ。
要は、ロウの成分であるパラフィン(主に炭素と水素)が熱で溶け芯を伝って上昇し気化(蒸発)し、「気化したパラフィンは、炎の中でさらに加熱によって分解され」、「炎のまわりから空気が入り込んできて、酸化反応が起こり、燃え」るというわけだ。
うん、うん(分かった振り!)。
「ろうそくは暖房器具?」という記事が味わい深かった。特に:
ドイツや北欧では、食事をゆっくりと楽しみたいときや友人を招いたときなど、食卓や部屋に飾られたろうそくに火をともすことが多い。それは、薄暗くて長い冬を逆に楽しむための工夫でもある。ゆらゆら揺れる小さな灯と、それが映し出すおぼろげな影を見ていると、かつて日本にもあったちょうちんやあんどんの文化がしのばれる。それは、わずかな明るさだけでなく、見た目にも小さなぬくもりを与えてくれていたはずだ。
そう、ロウソクは何も誕生日のケーキに差すとか、クリスマス、墓参りの時にだけ活躍させるんじゃ、勿体無いのかもね。
だって、野十郎の蝋燭のように、絵を観ているだけで心が落ち着いてくるのだし。
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コメント
おおいかれましたか、結構混雑していたでしょう。
弥一さんは野十郎のろうそくを見ていると心が落ち着かれますか、僕は不気味です。
だってカタログコラムにあるように夜な夜な一人でろうそくを写生していたなんてちょっと不気味ではないですか。
会場では「雨、法隆寺搭」の修復のチラシも配られていましたね、何でもこの絵を盗んだ輩がいるらしい。
文化財を守るのも大変とつくづく感じます。
投稿: oki | 2006/06/21 11:51
連句はどこにいったの?
楽しかったのに!
投稿: 志治美世子 | 2006/06/22 01:20
okiさん
集団や仲間と制作する活動もあるだろうけど、芸術にしても思索、創作については、基本的に孤独な営為じゃないでしょうか。小生にしたって創作するときは、徹底して孤独な空間を作る(創作が終わって部屋を見回すと、雑然としたいつもの空間だと気づく)。
野十郎が小生には想像も付かない思いを篭めつつ描いた作品が眼前にある。一個の魂と向き合える! こんな素晴らしいことがあるでしょうか。芸術にしろ宗教にしろ、その素晴らしさは、互いが孤独で裸な魂が向き合えることにあると思っています。
文化財を守るのは大変ですね。国は文化財に指定するだけで、あとの労苦は文化財の所有者の困苦に任せっぱなし。住宅が文化財の方は、悲惨だったりして。
志治美世子さん、連句、目の前にあります。頭の切り替えに相当、時間が掛かる小生なのです。
今までの発想を相当、切り替える必要があって、小さく純な胸を痛ませています。
宗匠! 大らかな気持ちで観てください。
投稿: やいっち | 2006/06/22 06:54