「蛍は…火垂る? 星垂る?」追記
「蛍は…火垂る? 星垂る?」の中で、「~2005年 ある日の日記より 抜粋~」(「八ヶ岳ホタル通信:2006」がホームページ)からとして、「日本書紀(720年)には早くも「蛍」という文字が使用されている。 」という<事実>を示している。
が、時間がなくて、文献的裏付けを取ることも叶わなかった。
ここに若干の追記をメモしておく。
ネット検索してみたら、「蛍(ほたる) - 万葉の生きものたち」という素敵な頁が見つかった。
もう、この頁を見つけていたら、敢えて「蛍は…火垂る? 星垂る?」なんて雑文を綴る気にはなれなかったかも。
← 掌編「屋根の上の猫」中の挿画(by kei)。
この頁の中に、「このようなホタルに関する歌は、現在までに俳句や短歌としても数多く知られており、古くは日本最古の歌集『万葉集』にも詠まれていました。」として、以下の歌が紹介されている(太字は小生の手になる):
この月は 君来まさむと 大船の 思ひ頼みて いつしかと 我(あ)が待ち居(を)れば 黄葉(もみちば)の 過ぎて去(い)にきと 玉梓(たまずさ)の 使ひの言へば 蛍なす ほのかに聞きて 大地(おおつち)を 炎と踏みて 立ちて居て 行くへも知らず 朝霧の 思ひ迷(まと)ひて 杖足らず 八尺(やさか)の嘆き 嘆けども 験(しるし)をなみと いづくにか 君がまさむと 天雲(あまくも)の 行きのまにまに 射ゆししの 行きも死なむと 思へども 道の知らねば ひとり居て 君に恋ふるに 音(ね)のみし泣かゆ
(作者不詳 万葉集 巻十三 三三四四)
歌意については「生きもの歳時記 - 万葉の生きものたち」の中の当該の頁を覗いてみて欲しい。他にも興味深い記述が見られるし、画像も楽しみ。
「蛍なす」については、「この歌は、防人の妻が夫の死を伝えられて嘆き苦しむ悲恋歌で、この中で使われている「ほのか」の枕詞として「ホタル」が用いられています。」と説明されている。
肝心の日本書紀には、ホタルがどのような形で出てくるのか。
ネット検索したら、「神戸ホタルの会 第5章 日本人とホタル」という頁が浮上してきた(ホームは「神戸ホタルの会 ホタル」)。
ここには、「ホタルの語源」「日本人とホタルの歴史(古事より)」以下、小生が捜し求めたい情報が詰まっている。
「日本では、西暦720年の日本書紀に初めて文字として著されている。」として、「日本書紀」からとして以下の記述を示している(一部略):
彼地多有螢火之光神 (ソノクニホタルヒノカガヤクカミサハニアリ)
「日本書紀 巻第二 神代下」なる頁で「彼地多有螢火之光神」の前後の脈絡を見ておきたい(太字は小生の手になる):
天照大神之子。正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊。娶高皇産霊尊之女栲幡千千姫。生天津彦彦火瓊瓊杵尊。故皇祖高皇産霊尊。特鍾憐愛以崇養焉。遂欲立皇孫天津彦彦火瓊瓊杵尊、以為葦原中国之主。然彼地多有蛍火光神及蠅声邪神。復有草木咸能言語
「彼地(ソノクニ)」とは、「葦原中国」のことのようだ。
「彼地多有蛍火光神及蠅声邪神」を敢えて読み下すと、「多に蛍火の光く神、及び蠅声なす邪しき神有り」ということか。
これだと、「蛍火」という形容があるだけで、「蛍」なる昆虫がいたことの証しになるかどうか分からないが(「蛍のように光る…」と理解することは可能かもしれないが…)、「蛍」という文字(言葉)が使われていたとは言えるようだ。
「古事記」での「ホタル」という言葉の事例については、「「ホタルが夜身(よみ)を輝かせて飛んでいた」という記述があ」るようだが(「自治労福岡」がホーム)、詳しいことは調べ切れなかった。
順不同になったが、「ホタル」の語源として、「「火垂(ほたり)」「火照(ほてり)」「火太郎(ほたろう)」が転じて「ほたる」になったという説です」といった説明を見つけた(「言葉日記『ほたる』」より。太字は小生の手になる)。
さて、立花隆氏著『天皇と東大 上 大日本帝国の生と死』(文芸春秋)を読了。
最初に『天皇と東大 下』を図書館で見つけ、慌てて手にし、一気に読んだ。下巻を返却に行ったら、幸いにも上巻が戻されていたので、すぐに手にし、やはり小説を読むように読んできて、つい先日、読み終えたのだ。
上下で1400頁余り。でも、興味深い事実を多く知ることが出来た。ただ、昭和天皇の戦争についての責任については、従前の構図を上書きするに留まっている。やはり、そのあたりに付いては、新しい資料は出てこないということか。
いずれにしても、今、読み進めている小熊 英二著『 〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性』(新曜社)と併せて広く読まれていいように思う。
特に右翼や保守と戦争や世論動向、世相との関わり(左翼に付いては、立花氏は他の本で既に書いているからだろうか、本書の中ではあまり突っ込んでは書いてない)を知り、考えるにはなかなかの参考文献だろう。
車中では、養老 孟司著『からだを読む』(ちくま新書)を読み始めている。
出版社側の説明によると、「自分のものなのに、人はからだのことを知らない。からだの中を見るなんて、とんでもないことだと思っている。そのくせ「人体はよくできていますね」などと言う。よくできているなら、なぜ喉にモチを詰まらせて死んだりするのか。生きるために必要な食べるという行為によって、これまた不可欠の呼吸を妨げて死ぬ。そんなバカなことがあるものか…。口からはじまって肛門まで、知っているようで知らない人体内部のディテールを多彩な図版とともに綴る医学エッセイ。」だって。
小生は解剖学(者)の本を読むのが好き。というより、医学関係の本を読むのが好きってことか。
肉体は一番身近な自然であり宇宙であり、養老氏によれば、言葉の宇宙でもある。解剖学の歴史は人間(などの)肉体を記号(名称)の宇宙に返還する作業の歴史でもある。
でも、「口」という解剖学の用語はない、なんて面白い事実もあったりする。
唇についての記述を昨夜、というか、日中は忙しくで読む暇はなかったので、今朝未明、読んでいて、瞑想に誘われた。人間の顔、特に唇には膨大な神経が集まっているとか。頬などを含め顔の哲学は途方もなく深く広いものを予感させる。
自宅では、『天皇と東大』をようやく読了したこともあり、小熊 英二著『 〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性』と八岩まどか著の『匂いの力』(青弓社)などに本腰を入れて読み始めている。
肉体のこと、匂いのこと、自然のこと、あれこれ思うことはいろいろあるが、ま、ボチボチ書いていくことにする。
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