豪戦での審判のこと
クロアチア戦での引き分け。負けなくてよかったのか、勝てるチャンスを逸してしまったのか。
いずれにしても、ブラジル戦が楽しみになった。
サッカーにおいてある選手の行為がファウルかどうかは、審判が決める。
そしてその判定は基本的に覆ることはない。
また、一旦、下された判定が覆ってもらっては困る。有利、不利の如何を問わず。
同時に、正式な審議の場以外では、あの判定は誤りだったとか、間違って不利な判定をしてしまった相手チームの誰彼に試合の後でだろうと、安易に謝るのも余計なことだろう。内心、どれほど忸怩たる思いがあって、謝罪したいと思っていても。
どの誤審のことを念頭においての話か、言うまでもないだろう。
ドイツW杯で日本代表が残念ながら1-3と敗れた12日のオーストラリア戦での前半の中村俊輔選手の得点のことだ。中村俊輔選手が彼らしい鋭い軌道を描くセンタリングをオーストラリアのゴール前に放り込み、そのボールを目掛け、相手GKシュワルツァー選手がパンチング(あるいはキャッチングか)を試みようとした…が、日本の選手(柳沢敦選手)らと交錯(実際には結果的か意図的かは別にして、柳沢選手の体の入れ方の)した結果、中村選手のセンタリングがそのままゴールインし先制点となった。
本当かどうかは分からないが、「GKシュウォーツァーによれば、この試合の審判を務めたエジプト人のエッサム・アブデルファタ主審が、中村俊輔のゴールは誤審だったと謝罪したという」。
彼に拠ると「この審判は試合後、主将のビドゥカと言葉を交わした際、「最終的にオーストラリアが勝ったので、神は自分の側についている。(自分の審判は)最終的に結果に悪い影響を与えなかった」と話したという」のである。
日本人のサポーターは、試合会場の人も、テレビなどで観戦している人も先取点となった得点を(素直に?)喜んでいた。が、あの得点シーンをビデオで見る限り、あれれと思った人もいたのではないか。
スポーツの試合においては、サッカーにしろ野球にしろ、アウト・セーフ、ヒット・ファウル、オフサイドかどうか、ファウルかどうか、ゴールかどうかも含め、審判が決める。
つまり、人間の目が(あるいは時に感情や試合の雰囲気その他が)決めるのだ。
よって誤審は付き物だ。余儀ない誤審もあれば、もしかして意図的な、とも思えるような誤審もあったりする。ワールド・ベースボール・クラシックでのアメリカのアマチュアっぽい審判の判定に一喜一憂(多怒)したのは記憶に新しいはずだ。
が、あれは審判の技術その他が劣悪だったとかどうかではなく、地元(自軍)有利な判定を下すのは当然、というのがローカルな野球の常識で、審判はローカルな野球の試合と国際試合との区別が出来ていなかったのだろう。
スポーツは人間が行うものであり、選手も人間なら観客も人間、そして審判も人間なのである。
判定や判断は厳正中立であるべきだし、冷静で間違いのないものであって欲しいし、場合によってはビデオや写真判定も判断材料の根拠に加わってしかるべきでもあろうが、所詮は人間のやることなのだし、だからこそ、面白いのだ、所詮は自然のグラウンドで気温も芝生の状態も選手のコンディションも様々な状態のもとで頑張るしか、楽しむしかないのではないか。
審判の判定も、いろんな可能性がありえると割り切って、その上で虚虚実実の駆け引きを楽しむしかないのではないか。
さて、「ドイツW杯で日本代表が残念ながら1-3と敗れた12日のオーストラリア戦。日本国内での中継では前半の得点を喜び、試合終了まで「もう1点、もう1点」と期待し続けた。しかしオーストラリアのチームや観客はもちろん、マスコミも試合の最中から、あの前半の得点は「誤審だ!」と猛反発。スタンドでは大ブーイングが続いていた」という。
繰り返しになるが、「中村のゴールについては、シュワルツァー選手が試合後の会見で、主審が誤審だと認めたと話している。ロイター通信など複数メディアによるとシュワルツァーは「主審は後になって、誤審だったと僕に認めた。得点されてから5分くらいして日本選手が怪我をしたとき、僕は主審のところへ行って、『どういうことですか?』と問いただした。すると主審はただ『すまない。まちがいだった』とだけ言ったんだ。試合後にはマーク・ヴィドゥーカ(主将)のところに主審がやってきて、神様が自分に味方してくれたと言っていた。自分は大きなミスをしたが、その間違いが試合の行方を左右しなくて本当に良かったという話だった」と言う」のである。
この結果、つまり<得点(先取点)>のシーンのあと、試合がどうなっていったか。特に試合会場の雰囲気がどうなっていったかが大事である。
日本サイドの応援(観客)は別にして、豪州側の観客のムードは、日本や審判へのブーイング一色で染まっていたという。
ということは、日本の選手は、ブーイングの嵐の中で戦っていたということだ。
単にブーイングの嵐だけなら、選手たちは敵地での試合で散々経験してきたことだ。そんなプレッシャーごときに負けていては話にならない。
が、あの試合の先取点については、日本の選手も内心忸怩たるものを感じていたのではないか。
しかし、もっと忸怩たる思いを痛感していたのは、主審のエッサム・アブデルファタ氏だったのだ。
眼目はここにある。
日本側は、豪州側の観客のブーイングの嵐と戦っていた以上に、エッサム・アブデルファタ主審のやばかった! という心理とも戦わねばならなかったのだ。
つまり、自分の誤審を試合中の何処かで辻褄を合わさないと、あとで申し開きが出来ないという心理で動揺していた主審の、あるいは恥の上塗りか、あるいは間違いの二乗となる最悪の審判が下される懸念と戦わねばならなかったわけだ。
日本選手のちょっとしたボディアタックが、通常なら笛がなって、相手側のボールになるだけのはずがイエローとなったり、逆に相手側の明らかなファウルが見逃されたりetc.…。
そして、日本側にとって、そして審判にとっても、悲劇は本当に起きた。
試合が後半に入って、豪州が一点入れて、1-1となった直後という日本にとって最悪の時だ。あるいは試合の流れが豪州に行きかけていたのを日本側に引き戻し、PKを得て、日本が勝てたかもしれない時点のプレーで主審は第二の歴然たる<誤審>を犯した。
言うまでもなく、1-1となった終盤にケーヒル選手が駒野選手を倒した場面のことを指している。
あれは、日本側に贔屓ということでなく、ファウルを犯した場所からしても、断固、主審がケーヒル選手がファウルを犯したと判定し、日本にPKを与えるべき場面だったのである。
つまり、「国際サッカー連盟(FIFA)のジーグラー広報部長は14日、1次リーグF組初戦で日本がオーストラリアに1-3で敗れた試合の後半に誤審があり、日本がPKを得るはずの場面があったと話した」「ジーグラー部長は1-1の終盤にケーヒルが駒野を倒した場面に言及し「あれは主審の明らかなミスだった」と話した」というのである。
ここで注目すべき現象があった。日本側の中村選手による先取点については、豪州側は猛抗議をしたが、ケーヒル選手が駒野選手を倒した場面については、日本側の抗議はテレビで見ていても、呆気ないほど淡白なものだった。
これは、小生の憶測に過ぎないが、日本選手側に忸怩たるものがあって、また、観客のブーイングというプレッシャーもあって、これで相子(アイコ)かな、ああ、審判、ここで帳尻合わせたんだな、これで先取点の時の(精神的借りが返せたな、という心理が働いたのではなかったのか。
僭越ながら小生が監督だったり、あるいは何らかのアドバイスを提供する立場にあったなら、試合運びの作戦など当然の注意点は別にして、対豪州戦の前半が終わってのハーフタイムに、選手に向って、以下の諸点を告げるかもしれない:
1.あの先取点での疑惑は忘れろ。試合に、審判の判断に間違いは付き物だ。サッカーは本来、スポーツとして一番、原始的な要素の多いスポーツなのだから、清濁併せ呑んでやるしかない。
2.但し審判は自分の落ち度の辻褄を合わせるため、後半戦で何かとんでもない日本側にとって不利な(豪州には有利な)判定を日本側選手のプレーに対して為す可能性が大だ、だから、ペナルティエリアなどでの接触プレーは十分、気をつけろ。
3・試合に集中しろ。勝負するのみ。
が、いずれにしても、時、既に遅し。
豪州が一点入れて、1-1となった直後、日本側が攻勢を仕掛け、駒野選手らの活躍もあって日本が得点し2-1となるはずが、一気に流れが勢いが潮流が相手側に向いてしまった。勢いという潮が退いていってしまった。
主審の再度の誤審があって、ああ、やれやれ、これでアイコになったなと思った時には、日本側のファイトする気持ちも一瞬のエアポケット状態に嵌ってしまっていたのだ。
豪州側の2点目、3点目は、日本の選手たちの暑さ対策不足(水の補給の仕方その他)もあって、体力・気力に勝る豪州の勢いで立て続けに奪われる結果になった。
日本の選手たちがもっと逞しかったなら、前半戦での審判の汚点のことなど知らん顔を決め込み、駒野選手への相手側のファウルに対し、断固、猛烈な抗議をするべきだったろう。
そうすれば、あの主審のことだから、改めて忸怩たる思いに駆られ、三度目の不思議な判定をする可能性だってありえたのかもしれない。
日本の真面目すぎるキャラクターでは無理な注文だろうけど。
判定は覆ることはない。また、判定は審判が下す。
だったら、終わった試合のことをあれこれ言っても仕方ないじゃないか。
必ずしも、そうとは言えない。暑さ対策・体力の温存策(あるいはフォワードの選手が必要以上に守備にも意識させられ、体力が消耗してしまって、肝心の攻撃の際には力がなくなってしまうようなあり方)は別儀にしても、オーストラリア戦での大敗、それも終盤の惨めな点の取られ方を反省してクロアチア戦に望んだはずだ。
その際、本当に反省すべき点、あるいは改めて学んでおくべき教訓は何だったのかを冷静に分析しておかないで、クロアチア戦へ繋がるものが得られるはずがないのである。
試合において、有利・不利を問わず、誤審はありえる。大事なのは、その際、どのような点を注意すべきかを冷静に分析しておくということではないのか。
自軍にとって不利な判定だったら、その審判の判定の性格や傾向を読んで試合運びをすべきだし、また、不利な判定をされたその悔しさをバネにしエネルギーにして戦うこともあっていい。
逆に有利な判定をされた場合、試合会場の雰囲気はどうなのか、敵地かホームでの試合なのか、審判が誤審に気づいているのかどうか、誤審を自覚しているようなら、その後のプレーでどういった点を注意すべきか、等々を監督を初めみんなで相談すべきはずだろう。
試合に負けた、それも惨めに負けたのは、システムが悪かったのか、選手に気迫が足りなかったのか、試合に臨む戦略が間違っていたのか、あるいは戦うシステム自体は案外とよかったのか、そういった的確な反省なくして、次の試合への実のある材料も教訓も得られるはずもないはずなのである。
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コメント
うんうん、スポーツ観戦オンチの私にも、今回のコラムは非常に興味深かった。
サッカーや他のスポーツのみならず、「アンフェアだった」もしくは「フェアではなかったかもしれない」という心理が、利益を得た、不利益を与えられた、その双方にとって、いかにその後をアンラッキーなものにしたかってことだよね。
日常生活や人間関係でもそういうことっていっぱいあるけれど、そのことをお互いに検証できれば、それは解決できる。
どうにもなんないのは、「アンフェアによる利益の享受」を、「実力」だと勘違いするような奴らで、でもそういうのって少なくないのが現実かも。
投稿: 志治美世子 | 2006/06/20 10:51
そうそう。サッカーはスポーツの中でも一番、原始的な要素の多い競技。そして雨でも雪でも、風が吹いていても、炎天下でもやる、自然相手の競技。
自然の中の最たるものが選手であり監督であり観客であり、忘れてならないのが審判なのだと割り切っておいたほうがいいのかもしれない。
その人間味と自然を理解し楽しめるかどうかが鍵のような気がする。
投稿: やいっち | 2006/06/20 16:01
今日は17度にも満たない天候ですから、夜は寒いですよね。どうなりますやら。
こちらの以下のRSSに此処一月ほどインデックスが出ないんのですが、何故なんでしょう?
http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/index.rdf
投稿: pfaelzerwein | 2006/06/22 18:01
pfaelzerweinさん、いよいよ今夜ですね。ドイツだと夜の九時。こちらは未明の三時半。つらい時間帯です。
今日は涼しいというより最近にしては寒いほどなのかな。運動量で勝負するしかない日本には少しだけありがたい?
> 以下のRSSに此処一月ほどインデックスが出ないんのですが
一体、何が出ていればいいのか自体が分かっていない。誰か、意味を教えてください。
投稿: やいっち | 2006/06/22 19:49
RSS使っていらっしゃらなかったですか。毎日の記事更新がインデックスとして出るのですが。
未明の三時半とは、先日対ドイツ戦で問題になったTV朝日得意のスポンサー絡みディレー生中継放送で無いと言うことですね。4時にキックオフですから入場前からの中継ですね。
投稿: pfaelzerwein | 2006/06/22 22:45
pfaelzerwein さん、大きな声じゃ言えませんが、RSSなる機能の意味や使い方が分からず、従って、使っていたかどうかも小生は分かりません。以前は表示されていたのでしょうか。
今度のブラジル戦は、NHKさんです。
さて、明日(というか、本日)の朝から仕事。観戦すべきかどうか。
投稿: やいっち | 2006/06/23 01:40
これは、あるブログへ寄せた小生のコメント(の一部)です:
中田選手は満身創痍だったらしいですね。ラジオであるスポーツ解説者が話してましたけど、持病のアトピーで苦しみ続け、足(膝だったかな)にも故障を抱えていたのだとか。
人生設計もあったのだろうけど、肉体の限界を感じたほうが大きかったよう。
とにかく、今後にも期待です。
(2006/07/07 7:36:38)
中田選手は、単純に言うと、野菜嫌い(というか、アトピーで体が受け付けない)で、食べると吐くのだとか:
http://plaza.rakuten.co.jp/jidouseishinn/diary/200507120000/
偏食というか、食べるものの選択に窮していたわけですね。肉体の限界が他の選手たちより早く来るのも避けられなかったのかも。
(2006/07/09 23:18:22)
投稿: やいっち | 2006/07/09 23:21