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2006/06/12

蝋燭…ランプ…電球…蛍光灯

 小生、本来は月曜日、つまり今日が営業の日なのだが、日本のワールドカップ初戦対オーストラリア戦を見たいばかりに、営業を日曜日に振り替えた。問題はまともに映るテレビ(モニター)を所有していないこと。何処かへ観戦に出かけるしかないか。
 それにしても、昨日の雨の日曜日はこれでもかというほど、日中は忙しかった。息つく暇がないほど。トイレにしても食事にしても、隙を見て人影のない場所を見つけて隠れるようにして逃げ込まなければならない。
 よし、このお客さんを下ろしたら、トイレだ、食事だと思っていても、下ろして数十メートルも行くと、次のお客さんが手を上げている。あああ、やっぱり回送表示に切り替えておけばよかった…。

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→ 蓮華草さんに戴いた紫陽花の画像です。「水無月の手紙」を読んでね。

 降る雨は我が心からと紫陽花の

 でも、嬉しい悲鳴である。めったにない繁忙の状態なのだ。食事も、コンビニで買ったおにぎり2個を路肩に車を止めて5分ほどで済ませ、前日、スーパーで買っておいた草もち3個パックで空腹を誤魔化す…。
 日曜日に45回の営業回数。プロなら分かるだろうが、結構な回数なのである(今年最高は50回)。

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← 会場の前を二度三度…。

 これでも、夜中などにしっかり寝込んだからこの回数に留まっているわけで、体力があったら、楽に50回以上の営業回数を記録できていたろう。
(俵萌子さんのがん患者会「1,2の3で温泉に入る会」で披露される劇団「温泉座」の本番があるという「女性と仕事の未来館」の前を二度か三度ほど通ったが、ああ、ここにネット上の知り合いの方がいるんだなと思うのみ。)

 梅雨の雨。止みそうだが、完全には止まない。雨脚が完全に途絶えたのは夜半に近づいた頃だった。それに伴って、客足も途切れがちになり、仕事の緊張の糸も緩みがちになり、某所での客待ち付けをしながら、気分転換の読書。
 持ち込んだ本は、先週末からのもので、坪内 稔典著『季語集』(岩波新書 新赤版)である。本書の性格上、まとまった感想は書かないと思うが、今日は、ちょっと注意を喚起された点があったので、軽く触れておく。

 本書『季語集』の中に春・植物の季語である「菜の花」という項目がある:

「はるか向こうには、白銀の一筋に眼を射る高野川を閃かして、左右は燃え崩るるまでに濃く咲いた菜の花をべっとりとなすり着けた背景には薄紫の遠山を縹渺(ひょうびょう)のあなたに描き出してある」。これは夏目漱石の『虞美人草』の一節である。京都市の北部から南を眺めた風景だ。
 そういえば、蕪村の名句「菜の花や月は東に日は西に」も京都南郊の桂川、宇治川、木津川が合流するあたりの風景。菜の花が咲いていたのは京都ばかりでなく、やはり蕪村が「菜の花や摩耶を下れば日の暮るる」と詠んだ神戸、また「菜の花や和泉河内へ小商い」と詠んだ大阪近郊も、春には一面の菜の花世界になった。
 菜の花世界が消えたのは、灯火が石油、電力に移行してから。石油や電力が登場するまで、菜種油の灯火が人々の夜の世界を照らしていた。

  菜の花の一本でいる明るさよ   折笠美秋(びしゅう)(『君なら蝶に』一九八六)
  菜の花をざくざくと切る朝御飯   中林明美(『月への道』二〇〇三)

 小生は、小学校の四年の時、京都大学附属病院に初めて入院した。以後、何度か入院し、通院となると十回以上となるか。その病院は住所が京都市左京区聖護院川原町。病院の目の前には鴨川が流れていて、川向こうには京都御所がある。御所には覚えているだけで三度ほど入ることができた。何故か通院の日が御所が年に一度か二度の一般参観の日に当っていたのだ。
 さて鴨川は、遡ると加茂川高野川である。その二つの川に挟まれるようにして下鴨神社がある。漱石の『虞美人草』の一節に描かれる風景を、病室からあるいは真逆の方向から眺めていたのだろうか。けれど、当然ながら、菜の花畑の一面に広がる光景などあるはずもない。一月近い入院生活をしている身で見ている分には、山並みはともかく市街地は、ただただ平凡で退屈だった。

 さて、昨日読んだ中でこの「菜の花」の項の記述が引っかかったのには訳がある。
 実は、仕事に出る前夜、寝床でガストン・バシュラール著の『蝋燭の焔』(渋沢 孝輔訳、現代思潮新社)を読んでいたら、ちょっと気になるくだりがあったからなのである:
 

 身近な物たちとの過ぎた付き合いがわれわれを連れ戻すところは、ゆっくりとした生である。彼らのそばで、われわれは、過去をもちながらしかもなおその都度新鮮さを取り戻す夢想にあらためてとらえられる。「長持(ショジェ)」、ひとが愛着をもった品々のあの狭い陳列館のなかに仕舞いこまれている物たちは、夢想の護符である。その物たちを呼び起す、すると早くも、彼らの名称のお蔭で、ひとはきわめて古い物語を夢見ながら飛び立つのだ。すれゆえ、名称たち、古い名称たちがその対象を変え、あの古い長持のなかの良き古い品とは全く別の物に結びつけられてしまう時の、夢想の惨めさといったらない! 前世紀に生きた人々は、ランプとうい語を今日の唇とは違った唇でいったものだ。語の夢想家である私にとっては、電球(アンプル 電燈)などという語は吹き出したくなるようなものである。電球(アンプル)は、所有形容詞をつけて呼ぶに十分なほど親しいものとはけっしてなりえない。昔にひとが「私のランプ」といったのと同じようにして、「私の電球」などと、いったい誰がいまいうことができるだろうか。ああ! 所有形容詞の、われわれがわれわれの物とのあいだにもった付き合いを、あんなにも強く表現していた形容詞のこうした頽落を前にしては、今後どうやって夢想を続ければよいのか。
 電燈は、油で光をつくりだしていたあの生きたランプの夢想をわれわれにあたえることはけっしてないだろう。われわれは、管理を受けている光の時代に入ったのだ。われわれの唯一の役割は、スイッチをひねることだけだ。われわれは、もはや、機械的動作の機械的主体でしかない。正当な誇りをもって、点火するという動詞の主語となるためにその行為を利することはできない。

 強調のための点々を、付せられている脚注をも略しているとか、前後の脈絡なしに引用していることは本文のより深い理解に些少の障害になるかもしれないが、ここではバシュラール論を展開するわけではないし、小生らしく表層をなぞるだけなので、まあ、目を瞑ってもらって…。


 こんなバシュラールの一節を読んで、ちょっと思うところがあったので、翌日、車中で先に引用した「菜の花世界が消えたのは、灯火が石油、電力に移行してから。石油や電力が登場するまで、菜種油の灯火が人々の夜の世界を照らしていた」といった一文を目にして素通りするわけにはいかなかったのである。
 
 電球(アンプル)とランプ。フランス語の音韻的なことは(本筋に不可分離だとは思うが)、ここでは無視しておく。
 ランプを前にしての、ランプを中心にしての生活が当たり前の時代に生きた人、あるいはそうした人々を懐かしく思う人(バシュラールなどの世代)には、そこに登場した電球など、「われわれの唯一の役割は、スイッチをひねることだけ」にさせてしまった機械的な味気ない、恐らくは人間味ある付き合いの極めて薄れたものにさせる元凶として毛嫌いされてしまうのは、とても良く分かる。

 だけれども、時代の違う、それこそ蛍光灯が当たり前の時代に生きている小生、だけれど、電球(何故か白熱灯、あるいは白熱電球と呼ばれたりもする)が部屋の明かりの中心だった時代をも知っている世代でもある小生には、電球の与えてくれる灯りは、今にして思えば、すこぶる人間的なものに感じられたりもするのだ。
 あのオレンジ色の光を部屋に満ちさせてくれる電球は、人肌を部屋に満たしているようでもあった。電球には傘が被せてあって、その傘の上には丸い影がくっきりと残る。そうして部屋一杯の橙色の明かり。
 蛍光灯だと蛍光管の下方が照らされるだけではなく、傘の上もやんわりと白々しい光が漏れ漂う。明かりとしての死角がないといえばそれまでだが、電球の灯りとの対比は実に明確でもある。
 街灯にしても、当然ながら、電球が使われていて、弱々しげな灯りではあるけれど、電信柱の下方をようやく照らし出すそのオレンジ色の光は、そこに人の温みがあるような、その光の輪の中に入れば人肌に接することができるような、そんな懐かしささえもが灯りと共に漂っているようでもある。

 電球は、確かにスイッチを捻ると、すぐに灯る。ランプの、油を燃やす、風を気にせざるをえないような人間味からは遠ざかっている。確かに機械的といえば機械的かもしれない。
 けれど、思えば、ランプの前は、ヨーロッパにしても、蝋燭の炎に頼り切っていたはずではないか!
 小生には文献的に指し示す素養など皆無だが、きっと蝋燭の炎に人間味と懐かしさを覚えていた世代には、ランプは便利だ! という声と共に、あるいはランプの素材であるガラスなどに素っ気無さ、他人行儀な感覚をあるいは覚えなかったかどうか。
 小生は、日々、散々、蛍光灯のお世話になっておきながら、生来の鈍感さで人に蛍光灯のようだと思われながら(一昔前の蛍光灯は、スイッチを入れるにも、タイミングを間違うと、点灯してくれなかったりしたものだ)、でも、蛍光灯、水銀灯の白色は未だ以て好きになれないでいる。
 日頃お世話になっているコンビニ。あの一晩中、煌々と照らされている店内。それだけでは足りず、店外へもたっぷりと水銀灯の灯りが漏れ出ている。遠目にも、あそこに店があると分かるのは嬉しいのだが、しかし、その有り難味と白々しい光の感触・印象とは別物だと思う。
 水銀灯の灯りを、空々しい白ではなく、あの電球の、あるいはランプや蝋燭の燃える炎の色でもある、オレンジ色に変えたらと思う。
 街灯の周辺に、コンビニから、あるいは町角の家の窓から漏れる光の色が青褪めた白ではなく、橙色になったら街中の風景や印象が随分と変わると思う。そういえば、東京タワーのライトアップも、夏場の一時期を除いては、オレンジ色がベースになっている…。

 下記の記事でも、「昔の照明がアナログなら、水銀灯はデジタル的」などと書いている:
まちづくり…景観…光害
冬の星
 蝋燭の蝋については、たとえば、「白鯨と蝋とspermと」など。

 本稿はすでに長くなったので、「安土桃山時代から使われていたという日本で最も古い植物油」である菜種油のこと、あるいは「菜の花畑に入日薄れ・・・」と唄われる唱歌「瀧月夜」のことなど、書く余裕がなくなった。
 なんなら、勇気を出して、「菜の花」の登場する掌編「とうせんぼ」を読む?

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コメント

「<温暖化対策>白熱電球の使用、段階的禁止 豪政府方針 毎日新聞」:
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=167505&media_id=2
【シドニー井田純】オーストラリア政府は、温室効果ガス削減のため白熱電球の使用を2010年までに段階的に停止する方針を打ち出した。豪政府によると、温暖化対策のために国家が白熱電球の使用を制限するのは世界初。
 医療用などを除き、家庭や事務所で使われている白熱電球を蛍光灯タイプに切り替える。ターンブル環境相はこの切り替えで2012年までに年間400万トンの温室効果ガスの削減が可能との見通しを示し、「気候変動は地球規模の問題であり、他国も豪州にならって切り替えを進めるよう促したい」と述べた。
(以上、一部、転記)
 確かに、白熱電球って、点灯し始めると、すぐに手など触れようがないほどに熱くなる。
 あの、熱は勿体無い!

投稿: やいっち | 2007/03/01 15:46

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