蛍は…火垂る? 星垂る?
このところ、本ブログのメインのテーマである季語随筆関係の記事を書いていない。その代わりというわけではないが(になるかどうか分からないが)、「無精庵方丈記」にて、連句の試みをしている。
といって無粋な小生に気の利いた話題があるわけではない。
実は、今回は、薪(たきぎ)のことをちょっと採り上げようかと思っていた。
先週末から読み始めている八岩まどか著の『匂いの力』(青弓社)の中で、薪についての興味深い、小生には初耳の知識を得たからである。
(本書については、「匂いの力…貴族のかほり」の中で既に一言、触れている。)
→ お馴染み、蓮華草さんに戴いた雨の蓮の画像です。「水玉の音楽」と表現されています。雨が似合うというと紫陽花、そして蓮なのでしょうね。
小生の下手な説明より、当該の部分を転記させてもらう:
映画やテレビの時代劇を見ていると、戦が始まり陣を張ると、そのシーンには必ず薪が焚かれているものだ。夜陰に浮かび上がる炎は、緊張感を盛り上げる効果的な舞台装置だといえる。戦陣においてなぜ薪が焚かれるのか。十八世紀、原昌克という医師によって書かれた『砦草』のなかには次のように述べられている。
「湿地に陣を張る時には必ず病を生じるということを、陣取りの心得の第一としなければならない。湿気と不正の気を避けるのに、火に勝るものはない。ことに霧や雨の時には、不断に火を焚くこと。だからこそ、古代の人々は松明を入れた袋を必ず身につけて手放さないなど、さまざまな用意をしていたのである。およそ生き物のなかで人が霊的な存在であるのは、火を生み出したことがその第一の証であるとされている。空き家や、人が長く入ったことがない庭や林、窪んだ地形の底にあるような池、さらには廃寺、古塔など久しく開かれたことのないような場所には、みだりに入るべきではない。もちろん、そこで寝るなどはもってのほかである。そこに存在する鬱陰の気は、人を害するものである。だから十分に火を焚き、煙を立てて、毒虫や悪気を去るべきである。」
ここでは前後の脈絡を略しての引用なので、文意を十分に汲み取るわけにはいかないだろう。機会があったら、補筆・加筆を試みたい。
そういえば、本書の別の箇所では、古い井戸の水を汲み前、あるいはそうした井戸の中に入る前に、蝋燭の火を工夫して垂らして、火が消えたら、用心しないといけない云々とも書かれていた。
悪気とか鬱陰の気というのは、今風に言えば毒ガス(二酸化炭素や一酸化炭素、メタンガスその他)の類いなのだろう。あるいは、湿地や湿気のある、当然ながら風通しの悪い場所に蔓延る苔・黴・ばい菌の類いと、それなりに想像が付く。
部屋の中で蝋燭を燃やすのは、湿気を払うためもあると、つい先日、このブログでも書いたっけ。
それにしても、戦陣での薪は、「緊張感を盛り上げる効果的な舞台装置」のみならず、「湿気と不正の気を避ける」意味があったというのは、ヘエー、である。
ところで、ここからが小生流突飛な飛躍の果ての発想なのだが、「夜陰に浮かび上がる炎は、緊張感を盛り上げる効果的な舞台装置」から、今の梅雨の時期と絡んで、「蛍」のことを連想してしまった。
突飛…。それとも、小生の人格を反映して、結構、素直で自然な連想か。
蛍については、「季語随筆日記拾遺…タクシー篇」の中などで少々のことを書いている。
当該部分のみ、抜き出しておく:
ラジオで昨日、聞いた話題は尽きない。他にも目ぼしいところでは、ゲンジボタルの話題を聞くことができた。ええ? (略)
ただ、話し手は熊本の方のようで、熊本にはゲンジボタルが多い。それは、山が多く清流に恵まれているからとか、水が素晴らしいので熊本では上水道に使われているとか。ゲンジボタルは日本だけに生息する蛍だ、などと伺った(ような気がする)。
「点滅の間隔は同じゲンジボタルでもちがっていて、東日本では4秒に1回、西日本では2秒に1回、東西の境界あたりでは3秒に1回光ることが知られている」なんて話もされていた。やはり、フォッサマグナを境に点滅の間隔は違ってくるようである。
(略)
ついでなので触れておくと、「蛍(源氏蛍、平家蛍、初蛍、蛍火・蛍合戦)蛍狩・(螢見、螢舟) ・螢籠」と、蛍関連の言葉は夏の季語、どちらかというと六月の季語例扱いのようである。
但し、当然の話のようだが、「秋の蛍・秋蛍・残る蛍・病蛍」となると、秋の季語扱いのようだが。
この雑文を書いたときは軽く流してしまったが、「蛍合戦」が分かるようで分からない。単に無数の明滅する蛍の乱舞を合戦と表現しているのか。
ネット検索したら、「蛍」という言葉・呼称の語源や「源氏蛍、平家蛍」という名のことと併せ、「蛍合戦」について触れている頁が見つかった。
「~2005年 ある日の日記より 抜粋~」(「八ヶ岳ホタル通信:2006」がホームページ)
要点(?)だけ抜書きする。ちゃんとした説明は当該の頁を覗いてみて欲しい。
「日本書紀(720年)には早くも「蛍」という文字が使用されている。 」
「なぜ「ホタル」と呼ばれたかという説は2つあり、一つは星が垂れたようだから「星垂」という説。」
「貝原益軒はお尻から火を垂れているから「火垂る」だと少々ロマンのない解釈をしている。」
「「篝火も蛍もひかる源氏かな」(犬子集 1633)という句がある」
……(沈黙)。あれれ、肝心の「蛍合戦」の説明がない!
気を取り直して「ホタルが光るしくみ」なる頁を覗かせてもらう(「あきた昆虫博物館」がホームページだ)。
この頁には、「ホタルが光るしくみ」や「東西で光の会話が違うゲンジボタル」など興味深い話が載っているが、今回は飛ばして、お目当ての記述のみ、戴く:
「ゲンジボタルがたくさん発生する所では「蛍合戦」という現象が見られる。
昔の人は、源氏ボタルと平家ボタルの合戦と考えたが、真相は生殖に関係したゲンジボタルの群飛である。」
うーん、短いがこれ以上は望めない説明なのか。
「白井河原の蛍合戦」なる頁に載る話も「明智光秀の亡魂化とする説」との絡みもあり、面白いけど、割愛。
途中、「蛍」の「ホタル」という読み方の語源・由来に付いて2つの説を示した。その一つ、「星垂」という説は小生には初耳。結構、綺麗だし、これもありかなと思う。
一方、「火垂る」説は小生も知らないわけではなかったが、さすがの小生も、「お尻から火を垂れているから「火垂る」」なのだとしても、小生は「火垂る」についてはやや哀愁に満ちたロマンチックな解釈だなと好感を抱いてきた。
あくまで「火垂る」という表現に焦点を合わせると、火の粉のような儚げな光が闇の中に明滅することをうまく言い当てているように思えるのだ。
けれど、小生は未確認なのだが、「日本書紀(720年)には早くも「蛍」という文字が使用されている」のだとすると、古代において、何ゆえ「ホタル」と呼び習わされたかが肝心のはず。
さて如何。
文学好きな方なら、「火垂る」というと、即座に野坂昭如作の『火垂るの墓』(新潮文庫)を思い浮かべるだろう。小生は、学生時代、野坂昭如作品が好きだった。当時、刊行されていた作品(但し、文庫本で)は大体、読みつくしたはずだ。
あるいはやや若い年代だと、高畑 勲脚本・監督のスタジオジブリ作品 「1988年度作品 『火垂るの墓』 Tombstone for fireflies」を真っ先に思い浮かべる人が多いのか。
小生自身はアニメ化された『火垂るの墓』は見ていない。なので、アニメ作品については何を言うこともないのだが、静止画像で見る限り、あまりに綺麗に描かれている、といった印象を受けるのだが、さて、どうなのだろう。
「火垂る」の小説での肝心の意味は下記のようである(「なかやまらいでんのひみつ基地」中の「火垂るの墓」より:
「火垂る(ほたる、蛍)」は、劇中に登場するホタル達を埋めた墓であり、また二人の兄妹のあまりにはかない生き様を表現したものである。防空壕で暮らし始めた頃、池からつかまえてきたホタルを、壕の中に吊った蚊帳に放つ。そこに見えるのは、満天の星・・・あまりに美しいその様に、兄妹は自分達の楽しい暮らしを重ね合わせる。しかし次の朝、ホタル達は一匹残らず死んでしまう。これを節子が壕の前に埋めながら、「なんでホタルすぐ死んでしまうん?」と涙ながらに清太に問う。それは、二人の行く末を暗示する問い。幼い節子が思わず口にした言葉、それはあまりに悲しい「予感」でもあった。
小生の脳裏には、学生の頃、二度ほどこの作品を読んで、「火垂る」という言葉、というより光景が上記のように心象風景として刻まれているので、「火垂る」は哀切なるロマンの世界に他ならないのである。
まあ、それはそれとして、「星垂る」もいい。
あるいは稲穂がそろそろ実り垂れ始める季節の到来を予感させるという意味で、「穂垂る」もいいな、古代から「蛍」という虫が「ホタル」と呼び習わされていたのだとしたら、稲作の重要度、豊作への期待度の高さという時代相からして、「穂垂る」と呼ばれたのだと、まことしやかに言われても、素直な小生は頷くばかりだろう。
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コメント
蛍は、もう見られなくなってしまいましたね。
農薬の使用によるものでしょうが・・・。ホテルやレストランで、「蛍の夕べ」などをやって人寄せしているのは、なんとも言いがたい・・・悲しいですね。
野坂昭如の「火垂の墓」ジブリの「火垂の墓」とも読んだり、観たりしたことがありますが、切ないですね。(涙でまぶたが腫れてしまうくらい・・・)
投稿: elma | 2006/06/29 16:59
ホタルが自然な形で見られないのは寂しいですね。小生の田舎(富山)の親戚の近くでは群舞が見られると聞いたことがあります(自分では見たことがない)。
ホタルでの客寄せ、商売なのですね。せめて巨大な液晶の画面で壮観な様子を見せるとかすればいいのに。
野坂昭如作の『火垂るの墓』もいいし、野坂の他の作品もよかったな。小生が学生の頃、野坂が一番乗っていた頃かな。テレビでウイスキーのCMにも出ていたし、「黒の舟歌」なんてヒット曲もあった。
在は脳梗塞のリハビリ中だそう。もうテレビなどで元気な姿が見られないのだろうか。
投稿: やいっち | 2006/06/30 07:09