はじまりはダ・ヴィンチから
布施 英利著の『はじまりはダ・ヴィンチから―50人の美術家を解剖する』(エクスナレッジ)を読了した。
車中で読むに相応しい本ということで、選んだ本。著者が解剖学者だということもあるし、今、何かと話題になっているダ・ヴィンチという名前が題名に入っていることもあって、気になり、手に取ってしまった。
内容は、「美術へのアプローチは、人から。50人の美術家がつくった世界を鑑賞しよう。絵画から、建築、ファッション、アニメ、フィギュア、消しゴム版画まで、美術を解剖する方法、おしえます。『エクスナレッジ・ホーム』等掲載」といったもの。
布施 英利氏は、東大医学部助手(解剖学)をしていたこともあり、養老孟司氏に、さらには小生の読み浸った三木成夫氏に直接学んだこともあるという、小生の羨望の的となっている人でもある。
来年で没後二十年となり、ますます声名のあがっている三木成夫氏について、そして小生の敬愛する養老孟司については、以前、あれこれ書いたことがある:
「無精庵万葉記 西原克成著『内臓が生みだす心』」
「無精庵万葉記 養老孟司著『毒にも薬にもなる話』余談」
養老孟司氏の著書では、小生が読んだ限りでは、『身体の文学史』(新潮文庫)が秀逸。
三木成夫氏の著書では、『胎児の世界』(中公新書)が(一定の留保はありつつも)秀逸。
迂闊だったのは、布施 英利氏は、東京藝術大学の大学院(美術解剖学)を修了された経歴も持っていることはともかく、レオナルド・ダ・ヴィンチの研究をしていたことを知らなかったこと。
布施 英利氏の著書の題名、あるいは目次の中に(当然、本文にも)やけにダ・ヴィンチが登場するな…と漠然と思っていたのだが、ダ・ヴィンチというと手記に人体の解剖図があるし、解剖学と無縁じゃないからかなと思う程度だった。
そうした面もあるのだろうが(美術解剖学!)、彫刻に自ら手を染めていたなど、美術そのモノへの傾倒もあってのことだと、今更ながらに再認識している。
美術研究と解剖学と。西欧は古くから美術(絵画や彫刻)というと、人物画の場合は特に人体の解剖や骨格の研究が前提であり常識でもあった。ルネサンス期のイタリア…、その前にギリシャ!
日本も西欧の影響をやがて遅ればせながら受けていくのだけれど、その歴史の厚みが違う。人物を描くに、骨格と解剖の研究が不可欠。
そうした武器を持つ布施 英利氏の美術批評なので、小生としても一味違うものを同氏に期待するのは当然だったのである。
レオナルド・ダ・ヴィンチにも造詣の深い布施 英利氏は、今、ナウいってことになる?!
美術と解剖学。
例えば、月に一度の更新なのが残念だが、茂木健一郎氏が主宰する、「美術解剖学研究室日記」なんてブログもある。
(茂木健一郎氏については、「クオリア・マニフェスト」を参照)
ネットでは、小生が見つけた限りでは(他にもあるに違いない!)、「医学解剖と美術教育 「脇分」から「藝用解剖学」へ 西野嘉章 東京大学総合研究博物館」が抜群。このサイトを紹介できるだけでも、本稿をメモる甲斐があったというものである。
といっても、リンク先を覗かれない方も多いだろうから、冒頭の一文だけ転記させてもらう:
人体を的確に表現するにはそれの内部構造を把握していなくてはならない、という正則美術教育の基本を初めて口にしたのはルネサンス期のイタリアの芸術家たちのようである。それまで「職工」の身分に甘んじてきた画師や彫工は「芸術家」という新しい社会的な地位を獲得するのに、自分たちの仕事の支えとなる体系的な理論や技術的な知識が必要であることを自覚し始めていた。たとえば、当時の人文主義的知性を代表するレオン=バッティスタ・アルベルティは『絵画論』のなかですでにこう述べている、「肢体を描くときは先ず最初に骨を描きなさい。骨はほとんど真直ぐで、つねに定位置にあるからだ。次に骨の上に腱や筋を加え、最後に肉と皮でそれらを被うことだ」
そして、「骨格を把握し、そこに腱や筋や肉を纏わせるには、もちろん、解剖学の知識が必要である」以下の興味深い記述が興味津々の画像と共に綴られていくわけである。
ただ、本書に関しては、ちょっと期待はずれに終わった。どうも、小生には批評が的外れに思えてならない。対象となるアーティストたちの姿勢や仕事に向き合いきれていないように感じたのである。どこか、当てずっぽうな感じがあり、隔靴掻痒の感が否めない。レトリックと、やや畑違いの話題を持ち出して、目先を誤魔化されているような気が最後までしてならなかった。
無論、小生自身、本書で採り上げられている様々な作家(絵画、彫刻、ファッションデザイナー、建築家…)の仕事や作品を理解しているわけでも、その前に多くの場合、実物を見たわけでもないのだから、何を言う権能もないのだが、しかし、おいおい、その指摘は見当違いじゃないのって突っ込みたくなることが、しばしば(というか、本書のほとんどの作家たちについて)だったのである。
本書を読んでの最大の収穫は、フンデルトヴァッサーだろうか。名前はかねがね聞いていたけれど、彼の建築物の画像を見たのは小生、初めてだった。
本名がフリートリッヒ・シュトヴァッサーで、フンデルトヴァッサーとは雅号。「彼は芸術家として生きる意志を固めた21歳の時、雅号をフンデルトヴァッサー」としたのだとか(→「美の巨人たち フンデルトヴァッサー・ハウス」が面白い!)
ちなみに、「日本語での号は姓を直訳した「百水」」だとか。直訳だが嵌ってる!
本書には、フンデルトヴァッサーのデザインになる《大阪市環境事業局舞洲工場》が画像と共に紹介されている。見て吃驚(びっくり)!
さすが、大阪の人だと思った。
早速、「舞洲工場の見学受付について」なる頁へGO!
「フリーデンスライヒ・フンダートヴァッサー - Wikipedia」でも、「Darmstadt」の画像が拝める。
あるいは、「キッズプラザ大阪 - Wikipedia」もなかなか。
驚倒すべき建築物で印象的なものというと、なんといっても、アントニ・ガウディの「サグラダ・ファミリア - Wikipedia」がある。ここでは深入りしないが、改めて画像などを。
(「サグラダ・ファミリアの彫刻に携わる」外尾悦郎氏の仕事を知ったことも本書の収穫の一つ。今回は外尾悦郎氏について調べる余裕がないが、例えば、「ケンチク者 外尾悦郎氏を知っているか?」や「徹子の部屋辞典(安奈淳・外尾悦郎)14/9/5 外尾 悦郎(そとお えつろう)」「あっと九州/外尾 悦郎インタビュー」「TOSHIBA FUTURE LOUNGE 外尾 悦郎」などサイトだけを紹介しておく。やや重いが、画像が豊富な「La Sagrada Familia」も覗くと「ガウディ流 構造計算…」の写真も含め興味深いし眺めて楽しい!)
さすがにガウディの域には達しないとしても、フンダートヴァッサーの建築物もなかなかのものだ。
本稿も長くなりすぎたので、フンダートヴァッサーについては、「Art with You & rossa-blog フンデルトヴァッサー展」を参照のこと。
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コメント
こんにちは☆rossaです。
リンクまで、貼っていただき。。。びっくり☆光栄です☆フンデルトヴァッサーは、ガウディのような学者タイプ?ではなさそうですね。もっと、実践的な開放的な奔放なタイプと感じました☆展覧会では、建物の模型や、彼のビデオが特におもしろかったです☆TBありがとうございました☆
投稿: rossa | 2006/06/05 19:44
rossa さん、TBだけして失礼しました。
来訪、コメント、TB、ありがとう!
フンデルトヴァッサーのことを書くつもりはなかったのに、書いているうちに興味深い芸術家だと分かり、とにかくどこか教えてくれるサイトを探し、貴サイトを見つけたのです。
展覧会には最近、足が遠退いていますが、こういうアーティストに出会うとなると、やはり見に行かないとだめですね。
フンデルトヴァッサーについては、後日、改めて採り上げるつもりでいます。
投稿: やいっち | 2006/06/05 22:14