桑の実を小籠に摘んだはまぼろしか
過日、あるサイトを覗いたら「苺」の画像と句が載っていた。
そんな時期なのか…。
ふと、もう十数年も昔、それとももっと前のことを思い出した。
居間でゴロンとしていたら、お袋が台所の戸を開け、居間を覗いた。見ると、お袋の手には小さな苺が。
聞くと、家の畑で採れたものだという。朝食や昼食の際、食卓を賑わすのが畑で取れたばかりの野菜たち。ジャガイモ、ナス、キュウリ、タマネギ、ネギ…。そういえばトウモロコシも。
でも、小生にとって苺は初めてだった。
そして意外でもあった。
なんとなく、苺は農家がちゃんと育てないと生らないものという思い込みがあったのだ。
小生は18で田舎を出た。
といっても、別に家出をしたわけじゃなく、大学が郷里の家とはずっと遠い地にあり、冬休みや夏休み、春休みに帰るだけ。
苺が生る五月末や六月は、高校生以来、過ごしたことがなかったのだ。
が、社会人になって、順番に交代で休みを取ることもあって、何かの折、六月に入ったばかりの頃に帰省していたのだった。
我が家で苺が採れる!
小生にとっては、大袈裟かもしれないが、カルチャーショックのような感動があった。
まあ、それだけ、田舎の風物を普段は見過ごしてきたということ、田舎の手伝いの類いはサボってきたということなのだが。
自宅の庭で採れた苺。小さな苺だった。でも、食べることができる!
甘酸っぱいというより、酸っぱかった。でも、美味しかった。
が、その時から、今まで六月には帰省していない。なので、その後も苺が採れているのか、実は知らない。採れた苺を食べた際に、昔から我が家で苺が採れていたのか、などといった少しは気の利いた質問をしたかどうかも覚えていない。
今、こうして書いていて、おぼろげながら、少し思い出してきた。
そうだ、苺を田舎の家で見たのは、ある手術をするため、東京にある会社から長期での有休を貰い、入院の準備のため、一時的に帰宅していたのだ。
というのも、実際の入院や手術は京都にある病院で行うことに決まっていたのだ。
多分、一日か二日のちょっとした帰省の時に苺を見たのだ。それが93年の六月のことだったのである。
そんなに昔のことじゃない!
せっかくなので、今の時期の苺のことを調べてみたくなった。例えば、「苗代苺」(ナワシロイチゴ)がある。
「北信州の道草図鑑」の「ナワシロイチゴ」なる頁を覗かせてもらう。いつもながら、素敵な画像が載っている。
そうだった。こんなような小さな苺だったっけ。
『十七季』(東 明雅、丹下博之、佛渕健悟 編著、三省堂)によると、〔仲夏・植物〕「地を這うようにして伸びる落葉小低木。実は酸っぱい。」とある。
調べていると、「桑苺(桑の実)」という、やはり仲夏の季語でもある苺があることに気づいた。
ネット検索してみると、「武蔵野だより 桑苺(桑の実)」という頁をヒット。そこには「桑苺(桑の実)」の素敵な画像が載っていた。
ああ、そうだよ、これだよ、これだったら、ガキのころ、田舎の道端で食べたことがよくある。近所の庭先に生っている桑苺を、最初はゲジゲジか何かの虫のようで気味が悪かったけど、そこはガキの意地で、他の子が食べているのに、自分だけ口にしないわけにいかない。
目を瞑るようにして口にすると、案外と、いける!
そのようにしてイチジクの実、柿の実などを食べて回ったような。
同じく、『十七季』によると、「桑苺(桑の実)」は、〔仲夏・植物〕「小さい実で熟すと紫黒色で甘い」とある。
「武蔵野だより 桑苺(桑の実)」という頁に寄せられているコメントが興味深かった。
「童謡「赤とんぼ」の2番の歌詞“山の畑の桑の実を小籠に摘んだはまぼろしか”とありますが、本当に「まぼろしか」と問われたら、「いいえ、事実あったことです」と答えたそうです。」云々とあるではないか。
このコメントを読んで、小生、童謡「赤とんぼ」は大好きな歌だし、ガキのころは結構、歌った(今でも声に出さないで歌うことがある)。それに、「山の畑の桑の実を小籠に摘んだはまぼろしか」という歌詞は知っている。
けれど、「山の畑の桑の実……」の中の「桑の実」がどんなものなのか、調べてみたことがないことに気づいたのだった。小生のイメージの中では桑の大きめな葉っぱくらいは思い浮かんでいても、それが上で画像を紹介したような、つまりは、ガキだった小生が、結構、日頃、その時期には近所の庭先で塀越しに採って食べた、あの「桑苺(桑の実)」の姿形や味とはまるで結びついていなかったのである。
いや、思い返してみると、桑の大きめな葉っぱどころか、せいぜい、竹製の小籠くらいしかイメージしていなかった!
そんなボンヤリな小生のために、というわけじゃないが、「「赤とんぼ」考」という、「童謡「赤とんぼ」は謎の多い歌だと知ってますか」と、この歌「赤とんぼ」(作詞 三木露風 作曲 山田耕作)について、あれこれ調べてくれているサイトがあった。
桑についても、詳しい。
「この桑は、葉っぱを「蚕(かいこ)」のえさにするため桑畑で育てているのであって、「桑の実」を収穫するのが目的ではありません」とある。
小生の郷里で「蚕」のための桑畑なんて、あったっけ?
という疑問から逆に思い出してしまった。遠い昔は養蚕もやっている農家があったってこと。でも、今じゃ、名残の桑(畑)があちこちの庭先に残っているだけなのだ。
そんな桑の木や桑の実への思い入れのある人が少なからずいた。
「考える」という名のサイトの「桑の実」という頁には、「桑の実」という季語の織り込まれた句が「桑の実や花なき蝶の世すて酒」(松尾芭蕉 )を始めとして、「桑の実を食みて郷愁ひとしきり」 (板垣 柳子)など、幾つか紹介されている。
この頁には、「特集 桑の実」など、興味深い頁へもリンクが張ってある。
「よく知られた童謡「赤とんぼ」(作詞:三木露風)の2番の歌詞です。「まぼろしか」と問われたら、「いいえ、事実あったことです」と答えましょう」の謎が解けるかも。
無論、童謡「赤とんぼ」で言う「まぼろしか」というのは、脳裏の片隅にかろうじて残る「山の畑の桑の実を小籠に摘んだ」記憶は、本当に自分にあったことなのか、それともただの記憶違いなのか、という意味であろう。
「特集 桑の実」にもあるように、「作詞の三木露風は、播州龍野 (兵庫県) の 名家の生まれ。「お坊ちゃん」だったようですが、父親の放蕩が元で、7歳の時に母親と生き別れになってます」という。「母の背中では無かった。子守りの「姐や」に背負われて見た思い出であった」りして、当時、自分に本当にそんなことがあったのか、自分がそうした光景を見たのかを、今となっては誰にも確かめることはできやしない、という隔靴掻痒とした、もどかしい気持ちを表現している……なんて野暮は分析は空々しいか。
でも、幼い頃のことどころか、ずっと大人になってから見たはずの光景さえ、朧(おぼろ)になってしまう小生、なんとなく、凄く実感してしまうのである。
上で、「桑の実を食みて郷愁ひとしきり」(板垣 柳子)という句を紹介した。田舎に帰っても、もう、桑の木も、まして実も見ることは叶わない。我が家の田は人手に渡り、見渡す限りの水田もマンションや工場などに変わり果て、ほんの一角に田圃が心細そうに、それとも片意地張って残っているだけ。
桑の木が残っているとは思えない。
我が家にしても、畑の世話をするには父母共に老いすぎている。肝心の小生は…。
「桑の実を食みて郷愁ひとしきり」というわけにさえ、いかないのである。
桑の実を食みたくてただ画に見入る
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コメント
苺から色々な思い出が♪
弥一さんのお話しを読みながら、私も生まれた頃に住んでいた家の畑(隣にあった)を思い浮かべてました(^.^)
桑の実って食べた事無いんですよね~~ナンか残念(笑)
投稿: ちゃり | 2006/06/06 15:15
読んでいたら私も昔の記憶が蘇りました。
うちの実家の前の畑で近所のおじいちゃんがイチゴを育てていたんです。
それをよくもらって食べていました。
もう、ずっと昔の話。
その畑ももうなく、うちの実家も別のところへ引っ越してしまったので、その場所へ帰ることもないのですが・・・・・。
思い出は、消えないんですね。
そうそう、"「蓮と睡蓮」の周辺"読みましたよ。
少しだけ「蓮と睡蓮」の違いがわかったような・・・・・・?
でもあんまり自身ありません(^_^メ)
投稿: RKROOM | 2006/06/06 22:50
ちゃりさん、苺にからむ思い出、多くの方にあるようですね。
桑の実。小生はガキのころ、名前も分からずに、仲間の誰かの食べる様子を見て、我も我もという形で食べたような。
内心、食べるのが怖いような気がしていたのを覚えています。
RKROOM さん、いつもながら素敵な画像がほどよい文章とマッチしていて、小生もそのようでありたいと思いつつ、文章ばかりのブログになってしまう。
「蓮と睡蓮」…。これも長い文章ですみません。
小生も実は、実物を見ても違いが分かる自信がありません。
田舎の、それも自分が育った頃の田舎の風景って、何十年も時間が経っているから、風景も住んでいる人も、みんな変わってしまってますね。
たまに帰ると浦島太郎状態。
思い出の中の風景、脳裏にありありと残っているのだけど、でもそれが「まぼろし」ではなかったとは証明のしようがない。
証明する必要など、ないんだけど、自分の老いと共に、懐かしい風景がただ空しく消えていくのは寂しいですね。
投稿: やいっち | 2006/06/07 07:36
養蚕のための桑の木と桑の実の話、懐かしいです。
私の育った地域(千葉県中南部)では、それほど盛んではありませんが養蚕をしている家はありました。桑の木の茂みを見て、もうすぐ桑の実が食べられる・・・と子供心に期待していると、その翌週にはばっさりと刈り取られてがっかり、という思い出です。
苗代苺も畦道や雑木林の下に生えているのを見つけてはよく食べました。
同じような木苺類で、明るいオレンジ色のものもありましたっけ。
名前は良く知りませんが、オレンジのの方が甘かったことは良く覚えています。
投稿: 縷紅 | 2006/06/07 20:00
縷紅さん、肋間神経痛(?)とのこと。明日までに快方に向っていることを祈ってます。
やはり、多くの方に桑の実の思い出があるのですね。昔は、養蚕が盛んだったってことなのでしょうか。
> 同じような木苺類で、明るいオレンジ色…
もしかしたら、カジイチゴ?
http://koueninfo4.fc2web.com/kiichigo/kajiichigo.html
http://had0.big.ous.ac.jp/plantsdic/angiospermae/dicotyledoneae/choripetalae/rosaceae/kajiichigo/kajiichigo.htm
小生は食べたことがない…。というか、見たという記憶がない。
投稿: やいっち | 2006/06/07 22:32