kiss me, girl, and your old one
ネット上の記事をたまにでも読まれる方は、既にご存知だろう。こんなニュースが載っていた:
「Yahoo!ニュース - 産経新聞 - 「君が代」替え歌流布 ネット上「慰安婦」主題?」
ニュースソースは、「(産経新聞) - 5月29日3時16分更新」である。
ということは、産経新聞を採っている方は、読まれ話題になっていたのかも。
あるいは読み逃した産経新聞購読者のためにも、あるいは他の新聞を読まれる方のためにも、さらには「君が代」の周辺で起きている事象に関心のある方のためにも、一部、転記させてもらう。
冒頭に、「卒業式、入学式での国歌斉唱が浸透するなか、「君が代」の替え歌がインターネット上などで流布されている。「従軍慰安婦」や「戦後補償裁判」などをモチーフにした内容だが、本来の歌詞とそっくり同じ発音に聞こえる英語の歌詞になっているのが特徴で、はた目には正しく歌っているかどうか見分けがつきにくい。既に国旗掲揚や国歌斉唱に反対するグループの間で、新手のサボタージュの手段として広がっているようだ。」とある(太字は小生の手になる)。
「卒業式、入学式での国歌斉唱が浸透するなか」と、さも確定した論じるまでもない事実であるかのように、断定調で始めるところが、さすが、産経新聞だ。
浸透している?! 少なくとも東京に関しては立っての斉唱が強制されているってのが現実ではないか。
歴史を遡ると、国旗にも今の国歌にも、血塗られた悲惨な過去がダブって見える、というのが小生の正直な感覚だ。せめて深甚な反省があったらと思うが、自国では正面からの反省はなく、 極東国際軍事裁判(東京裁判)で裁かれ、サンフランシスコ講和条約で決着させる形という中途半端なものに留まっている。
極東国際軍事裁判に異議があるというのなら(小生もある。アメリカ軍による原爆投下など、徹底して指弾すべきだし、東京大空襲などに見られるように、民間人を無差別に虐殺した行為は日本へどころか、人類への犯罪ではなかろうか)、自分たちの手で15年戦争の歴史を掘り返し見直すかというと、そんなことは素知らぬ顔の人が多い。国会の権限を以て、過去の資料を国などから提出させ、徹底した討議を行ってみたらどうだろう。
新聞社など、そういったキャンペーンを張ってみたらどうなのか。
話を元に戻す。
続いて、「替え歌の題名は「KISS ME(私にキスして)」。国旗国歌法の制定以降に一部で流れ始め、いくつかの“改訂版”ができたが、今年二月の卒業シーズンごろには一般のブログや掲示板にも転載されて、広く流布するようになった。
全国規模で卒業式、入学式での国旗掲揚、国歌斉唱に反対する運動を展開するグループのホームページなどでは、「君が代替え歌の傑作」「心ならずも『君が代』を歌わざるを得ない状況に置かれた人々のために、この歌が心の中の抵抗を支える小さな柱となる」などと紹介されている。」とある。
ここで、当該の替え歌を紹介するのが筋だろう:
「kiss me」
「Kiss Me Girl」(詞 詠み人知らず 曲 民謡)
き み が あ よ お わ
kiss me, girl, and your old one
ち よ に い い や ち よ に
a tip you need, it is years till you're near this
さ ざ で い し の
sound of the dead "will she know
し わ お と な り て
she wants all to not really take
こ け の む う す う ま あ で
cold caves know moon is with whom mad and dead"
さらに、「Yahoo!ニュース - 産経新聞 - 「君が代」替え歌流布 ネット上「慰安婦」主題?」から記事を抜書きする:
「歌詞の意味は難解だが、政府に賠償請求の裁判を起こした元慰安婦と出会った日本人少女が戦後補償裁判で歴史の真相が明らかにされていくのを心にとどめ、既に亡くなった元慰安婦の無念に思いをはせる-という設定だという。皇室に対する敬慕とはかけ離れた内容で、「国家は殺人を強いるものだと伝えるための歌」と解説したホームページもあった。」とか。
さすが客観的報道を心がける産経新聞である。替え歌の歌詞と訳を示してある。
この替え歌についての解説(?)は、例えば以下のブログにて:
「SolidManBlog 「君が代」替え歌流布 ネット上「慰安婦」主題?」
内容的には、大体が産経新聞(など?)の記事を土台にしているが、やはり、「kiss me」を参照しているようだ。
よって、「kiss me」から一部、転記する。歌い方に付いての解説も参考になるが、「イメージ」の項が眼目なのかもしれない。
つまり、「例えば元「慰安婦」ハルモニが日本の若者に歴史の真実を知ってほしいと戦後補償裁判に立つ中で出会った日本人の少女。裁判で闘うハルモニを見て、歴史の真実を知り、心にとどめ、ハルモニの無念を自らのものにしようとする少女。ふるさとから遠く離れた沖縄の冷たいガマの中から月を見上げてふるさとを思ったであろう「慰安婦」の無念を。」といった思いを篭めて、切々と「Kiss Me Girl」を歌ったらというのだ。
この替え歌の主旨は、「心ならずも「君が代」を歌わざる得ない状況に置かれた人々のためにこの歌が心の中の抵抗を支える小さな柱となることを願って」とのこと。
小生自身は、 「君が代」の歌詞よりも曲が嫌いである。聞いていると気分がめげてしまう。雅楽なのだし、雅(みやび)で荘重な歌だという印象を持たれる方も多いのだろうが。
困った時は、「君が代 - Wikipedia」へ飛び込んで助けを求める。
全体を通して読んでみるのも一興だろう。が、ここでは曲に焦点を合わせる。
「当初フェントンによって作曲がなされたが、あまりに洋風すぎる曲であったため普及せず、後により日本人の音感に馴染みやすい曲に置き換えようということで、明治13年(1880年)に宮内省雅樂課の奥好義のつけた旋律を雅楽奏者の林廣守が曲に起こし、それにドイツ人音楽家フランツ・エッケルトによって西洋風和声がつけられた。以来、『君が代』は国歌として慣例的に用いられてきたものである」という。
小生が初耳だったのは、「明治36年(1903年)にドイツで行われた「世界国歌コンクール」で、『君が代』は一等を受賞した」ってこと。へえー、そうだったの。凄い!(但し、典拠は未確認)
今、流布している歌詞の歴史に付いても、興味深い記述が載っている。ここでは改めて焦点を合わせないが、「民謡・琵琶歌としての君が代」なる項目だけ、注意を喚起しておきたい:
「更に時代が下り江戸時代頃には、この歌は一般的な祝いの席で祝いの歌として庶民の間でも歌われるようになった。それに伴い「君」の解釈にも変化が生じ、例えば婚儀の席で歌われるときは「君」とは新郎のことを指し、すなわち新郎の長寿と所帯の安息を祝い祈願する歌として用いられた。この時代の薩摩琵琶歌には、現在知られるものと同じ歌詞のものが見られる。よって現在の「君が代」は、明治期に薩摩人がここから採ったものとする説が有力である。」
小生自身、「君が代」の歌詞の歴史には興味を持ち、『古今和歌集』に採られるまでに既にそれなりの時間を経ていたことを知った。
そうして、「九州王朝の春の祭礼の歌説」なる項に登場する人物に遭遇するに至ったのだった。
ここには、「九州王朝説を唱えた古田武彦氏は次のように断定している。」として、以下のように要点を纏めている:
「君が代」の元歌は、「わが君は千代に八千代にさざれ石の、いわおとなりてこけのむすまで・・・」と詠われる福岡県の志賀島の志賀海神社の春の祭礼の歌である。
「君が代」の真の誕生地は、糸島・博多湾岸であり、ここで『わがきみ』と呼ばれているのは、天皇家ではなく、筑紫の君(九州王朝の君主)である。
この事実を知っていたからこそ、紀貫之は敢えてこれを 隠し、「題知らず」「読人知らず」の形での掲載した。
古田武彦氏の本は昔、読み浸ったものだった。特に、人麻呂ファンの小生は、古田武彦著『人麿の運命』(原書房)がその掲載されている写真と和歌とのマッチングがよくて三度は読んだものである。
「君が代」については、「『「君が代」は九州王朝の讃歌』(新泉社)」がある。
古田武彦氏による「君が代」論考は、「君が代の源流 「君が代」の論理と展開」などで読める。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- ナボコフからクンデラへ(2025.02.07)
- 耐震シェルター欲しい!(2025.02.06)
- 「寿司といえば、富山」(2025.02.04)
- あなたを・もっと・知りたくて(2025.02.03)
- 夢で目覚める日々(2025.02.02)
「番外編」カテゴリの記事
- ファンタスマゴリー(2024.06.17)
- “四股”はなぜ四股って書くの?(2019.11.06)
- 8月5日は「タクシーの日」でした(2011.08.07)
- 鶏冠(とさか)」と「冠」は似て非なるもの ? !(2010.09.23)
- 「はやぶさ」よ あれがヒマワリ咲く地球(2010.06.07)
コメント
君が代、強制されて歌っている感が強いですね(笑)。
歌えといわれるから歌ってる。
でもその歌詞の意味とか、ちゃんと教えてもらった記憶はありません。
もっとも「ちゃんと」ではない状態では教えてもらいましたがやいっちさまが書かれていた「わが君」が「天皇じゃない」というのは、目からウロコでした。
投稿: RKROOM | 2006/06/05 00:56
明治維新は薩長閥が中心になって行ったもの。国歌が必要になり、薩摩の間で祝婚歌として薩摩琵琶歌のひとつの「君が代」が歌われていたのを引っ張ってきたようです。
それが採用され、軍国主義の高まりと共に、君は天皇を意味するものと思い込まされるようになった。実際は、薩摩よ、永遠なれ、のようで、変ですね。
でも、本来の意味は、今の所、諸説があって分からないってのが実情なのでしょう。
ま、意味不明なほうがありがたいってことかも。
それより、曲調が嫌いです。聴くと、気分が滅入ります。葬送曲ですね。
石原都知事は、一応は文学者で表現者のはずなのに、どうして国旗・国歌に関して頑ななのか。他人に強制するようなことを平気でやるのか不思議。東京都が率先して先の戦争の清算を唱えたらと思います。
投稿: やいっち | 2006/06/05 06:14
「国旗国歌強制は違法」という判決が出たことは小生として、非常に喜ばしい。
人により国旗・国歌は無条件で尊崇するという人も居るだろう。
小生はその意見そのものは尊重する。
ただし、国家であれ都であれ学校であれ、国旗の掲揚や起立、国家の斉唱などを強制するのは断固、反対。
どうしても、国旗・国歌を強制したいなら、戦前の国旗・国歌を強制しての悲惨な過去と常に向き合う姿勢と同時平行するものでないと認める気にはなれない。
日本はまだ、自らの手では戦前の負の歴史と向き合い、徹底した清算を為していないのだ。
だから、未だに靖国神社に平気で参拝するような指導者が選ばれてしまう。一般人ならともかく、首相や内閣の面々は靖国神社へ行くようなことはあってはならないことだと思う。
投稿: やいっち | 2006/09/22 02:25
国旗・国歌については弥一氏のご意見にまったく賛成。
とりあえずはあの老齢の幼児・石原慎太郎の落選を望みます。。
投稿: 石清水ゲイリー | 2007/02/25 10:09
石清水ゲイリーさん、コメント、ありがとう。
石原慎太郎氏の都政や政治的主張の一部に顰蹙の感を抱いている人は多いはず。
それにしても、民主党の知事選への対応の拙さ。あるいは小沢氏は石原慎太郎氏の都政を婉曲に援護しているのでは、なんて思いたくなるほど。
投稿: やいっち | 2007/02/25 11:14
「さ ざ で い し の」のところは「さざれいし(細石)の」ですね。
投稿: | 2008/06/27 09:17
名前なしさん
詠み人知らずの「Kiss Me Girl」に付された訳詞(?)は、英語の音が日本語ではどう聞こえるかを単純に音(聞こえ方)だけで宛がったものだろうと推測されます。
よって、「さざでいしの」や「しわおとなりて」という日本語が本来の君が代の歌詞と違うじゃないかというのは、筋違いなのだろうと思います。
要は国歌の斉唱が強制されている東京都など一部の教育現場の惨状を憂い、抗し難く歌う場合、こういう歌詞で抵抗するしかないということなのでしょう。
現天皇も宮中行事の園遊会において、日の丸・君が代は「強制になるということではないことが望ましい」という発言をされ、米長邦雄氏の発言が窘められたのは記憶に新しいのでは。
反省すべきは反省し、尊敬される国家になりたいものです。
投稿: やいっち | 2008/06/27 10:09