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2006/06/30

ビートルズ来日40周年

 テレビでもそうだが、ラジオでは、今年に入って、そして特に先週から今週にかけては、ビートルズ来日40周年関連の話題が頻繁に採り上げられてきた。
 小生がビートルズを意識したのは中学校に入った頃。
 来日公演のあった1966年には、小生は花の小学生。
 訳も分からず、とにかく当時は白黒のテレビ画面に家族と共に見入っていた。
 マスコミ(特に読売新聞が先行か)ではその年の4月頃から、ビートルズが日本にやってくると、盛んに宣伝していた。世間知らずで、音楽に限らず芸術の高貴な香りの全く漂っていない我が家も、みんな素直な性格なので、マスコミに煽られるがままに、ビートルズって何じゃらホイ状態だった。

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→ 今も大事にしているビートルズのアルバム「赤盤」。1973年に購入!

 とにかく、来日公演のテレビ放映は、最初から最後まで、訳の分からないままに見ていたような。
 実はというと、「日本に於て、1964年という年は東京オリンピックとビートルズの登場という大事件が重なった重要な年」ということで、既にビートルズブレイクは始まっていたのだが。
 男性の長髪が大流行。グループサウンズが花開く。ジーンズ。サブカルチャーの開花。

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← 今も大事にしているビートルズのアルバム「青盤」。「赤盤」と一緒に購入!

 来日公演のあった武道館は、小生にとって、そして父にとっては尚のこと、プロレスなど、格闘技の聖地だったが、その日から武道館のイメージが変わった(実際、武道館の在り方も変わった?)。
 そういえば、ビートルズって、日本語だとカブトムシだと覚えたっけ。

 率直に言って、父はビートルズの音楽に付いては????????
 小生も負けずに??????????????????????
 中学の一年の時だったか、学校でビートルズの話題になり、そのうち、じゃ、メンバーのうち、だれが好きかという話題になった。
 で、小生も聞かれたので、小生は、リンゴ! と答えた。

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2006/06/29

むすんで ひらいて…

 拙稿「グリム童話…昔話の深層」に戴いたコメントで、あれこれ思うことがあった。
 せっかくなので、ちょっとだけ、改めて童謡や童歌の周辺を散歩してみたい。

 童歌(わらべうた)には謎めいたものが多い。有名な童歌だと、「かごめかごめ」だろうか。
かごめかごめ - Wikipedia」によると(拠らずとも)、歌詞が「かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀と滑った 後ろの正面だあれ?」なのは、知っている。

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→ 蓮華草さんに戴いた蓮の花の画像です。ちなみに、「蓮っ葉」でネット検索したら、小生の頁が浮上したとか。

 尤も、小生の記憶が曖昧で、ガキのころ、もしかしたら「かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀とが滑った 後ろの正面だあれ?」と歌ったような気もする。
 でも、「かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に つるつる滑った 鍋の鍋の底抜け 底抜いてたもれ」なんて歌詞は、全くの初耳。
「このかごめかごめは江戸中期以降に現れる。『後ろの正面』という表現は、明治末期以前の文献では確認されていない。さらに、『鶴と亀』『滑った』についても、明治以前の文献で確認されていない」という。明治の代に、何か表沙汰になること、あるいは表立って口にすることの叶わない政治的不祥事か何かをあてこすっているのだろうか。

 童歌なのか童謡と呼ぶべきなのか、「とおりゃんせ」も歌詞が謎めいている。
川越の歌と文学(1) 通りゃんせ」によると、「〝行きはよくても帰りはこわい〟と歌われた『通りゃんせ』のモデルとなった場所は、埼玉県の川越市だといわれる。」のだとか。

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2006/06/28

第28回 薬王寺・柳町 七夕まつり

 もうすぐ、小生が勝手に応援しているサンバチーム・リベルダージG.R.E.S.LIBERDADE)の今年最初のパレードの日がやってくる。
 その名も「牛込パレード」で、7/2(日)、「14:30-16:30」、場所は「新宿区内の外苑東通り歩行者天国(柳町交差点~仲之町交差点)」である。
 以下は昨年の「牛込パレード」レポートです。画像は多めだけど、拡大はできません。チームのメンバーになったら、あるいは見れるかも、ね:
牛込パレードへ
牛込パレード(2)

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→ 執念(?)のネット検索で、『第28回 薬王寺・柳町 七夕まつり』のチラシ(画像)を発見。このポスターをクリックしたら画像が大きくなるよ。
 しかし、よく見ると、この元の画像(パレードの様子)は、3年前の牛込パレードの時のもののような。小生が初めてリベルダージのパレードを見たのはそのときだった。あの日は暑かった! 

「牛込パレード」と呼称しているが、略称というか俗称で、正式な祭りの名称は、『第28回 薬王寺・柳町 七夕まつり』です。

 この祭りの詳しい内容や予定については、「「試衛館+サンバ」-日野宿本陣文書検討会」が詳しい。ここにも昨年のパレードの巨大な画像が載っている。
 この祭りで、「天然理心流の演武と市谷柳町試衛館、新選組流山隊の殺陣が披露」されるという。
 何故なら、新宿区市谷柳町は試衛館跡があるなど、「新選組青春の聖地である」からなのだとか。
 新撰組に関心のある方は、ブログ「日野宿本陣文書検討会」を御覧ください。

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「蛍は…火垂る? 星垂る?」追記

蛍は…火垂る? 星垂る?」の中で、「~2005年 ある日の日記より 抜粋~」(「八ヶ岳ホタル通信:2006」がホームページ)からとして、「日本書紀(720年)には早くも「蛍」という文字が使用されている。 」という<事実>を示している。
 が、時間がなくて、文献的裏付けを取ることも叶わなかった。
 ここに若干の追記をメモしておく。

 ネット検索してみたら、「蛍(ほたる) - 万葉の生きものたち」という素敵な頁が見つかった。
 もう、この頁を見つけていたら、敢えて「蛍は…火垂る? 星垂る?」なんて雑文を綴る気にはなれなかったかも。

Milkywkei

← 掌編「屋根の上の猫」中の挿画(by kei)。

 この頁の中に、「このようなホタルに関する歌は、現在までに俳句や短歌としても数多く知られており、古くは日本最古の歌集『万葉集』にも詠まれていました。」として、以下の歌が紹介されている(太字は小生の手になる):

この月は 君来まさむと 大船の 思ひ頼みて いつしかと 我(あ)が待ち居(を)れば 黄葉(もみちば)の 過ぎて去(い)にきと 玉梓(たまずさ)の 使ひの言へば 蛍なす ほのかに聞きて 大地(おおつち)を 炎と踏みて 立ちて居て 行くへも知らず 朝霧の 思ひ迷(まと)ひて 杖足らず 八尺(やさか)の嘆き 嘆けども 験(しるし)をなみと いづくにか 君がまさむと 天雲(あまくも)の 行きのまにまに 射ゆししの 行きも死なむと 思へども 道の知らねば ひとり居て 君に恋ふるに  音(ね)のみし泣かゆ
                (作者不詳 万葉集 巻十三 三三四四)

 歌意については「生きもの歳時記 - 万葉の生きものたち」の中の当該の頁を覗いてみて欲しい。他にも興味深い記述が見られるし、画像も楽しみ。
蛍なす」については、「この歌は、防人の妻が夫の死を伝えられて嘆き苦しむ悲恋歌で、この中で使われている「ほのか」の枕詞として「ホタル」が用いられています。」と説明されている。

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2006/06/27

蛍は…火垂る? 星垂る? 

 このところ、本ブログのメインのテーマである季語随筆関係の記事を書いていない。その代わりというわけではないが(になるかどうか分からないが)、「無精庵方丈記」にて、連句の試みをしている。
 といって無粋な小生に気の利いた話題があるわけではない。
 実は、今回は、薪(たきぎ)のことをちょっと採り上げようかと思っていた。
 先週末から読み始めている八岩まどか著の『匂いの力』(青弓社)の中で、薪についての興味深い、小生には初耳の知識を得たからである。
(本書については、「匂いの力…貴族のかほり」の中で既に一言、触れている。)

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→ お馴染み、蓮華草さんに戴いた雨の蓮の画像です。「水玉の音楽」と表現されています。雨が似合うというと紫陽花、そして蓮なのでしょうね。

 小生の下手な説明より、当該の部分を転記させてもらう:

 映画やテレビの時代劇を見ていると、戦が始まり陣を張ると、そのシーンには必ず薪が焚かれているものだ。夜陰に浮かび上がる炎は、緊張感を盛り上げる効果的な舞台装置だといえる。戦陣においてなぜ薪が焚かれるのか。十八世紀、原昌克という医師によって書かれた『砦草』のなかには次のように述べられている。
「湿地に陣を張る時には必ず病を生じるということを、陣取りの心得の第一としなければならない。湿気と不正の気を避けるのに、火に勝るものはない。ことに霧や雨の時には、不断に火を焚くこと。だからこそ、古代の人々は松明を入れた袋を必ず身につけて手放さないなど、さまざまな用意をしていたのである。およそ生き物のなかで人が霊的な存在であるのは、火を生み出したことがその第一の証であるとされている。空き家や、人が長く入ったことがない庭や林、窪んだ地形の底にあるような池、さらには廃寺、古塔など久しく開かれたことのないような場所には、みだりに入るべきではない。もちろん、そこで寝るなどはもってのほかである。そこに存在する鬱陰の気は、人を害するものである。だから十分に火を焚き、煙を立てて、毒虫や悪気を去るべきである。」

 ここでは前後の脈絡を略しての引用なので、文意を十分に汲み取るわけにはいかないだろう。機会があったら、補筆・加筆を試みたい。

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2006/06/26

グリム童話…昔話の深層

手塚治虫作「雨降り小僧」」で民話風な話を採り上げたことが契機で、またまた昔話や童話、民話モノに興味が湧いてしまった。
 といって、今、大部な本を何冊も読み進めている最中なので、すぐには手出しできない。
 なので、ここでは、童話・民話といっても、やや裏読み的な本を(多分、大方の人が知っているだろうけど)を幾つか挙げておくことにしたい。

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 そういった関係の走りというか先駆け的な本を書いたのは、誰なのか、小生は知らない。
 ただ、小生を早くに関心を呼び覚ました作家の本というと、倉橋 由美子著の『大人のための残酷童話』 (新潮文庫)だったかもしれない。そもそも倉橋 由美子の『パルタイ』に刺激を受けたのは大学生になって間もない頃のこと。

 それが、こういう本で再会して、ちょっと戸惑った感もあった。
 本書は出版社の説明によると、「超現実的なおとぎ話こそ、同情も感傷もない完全に理屈にあったもので、空想ではありません。そこにあるのは、因果応報、勧善懲悪、自業自得の原理が支配する残酷さだけです。この本は、ギリシア神話やアンデルセン童話、グリム童話、日本昔話などの、世界の名作童話の背後にひそむ人間のむきだしの悪意、邪悪な心、淫猥な欲望を、著者一流の毒を含んだ文体でえぐりだす創作童話集です。 」で、あくまで創作童話集。
 決して童話論ではない。が、邪道ながら、幼い頃より読み(読み聞かされ)親しんだ童話は、このように読めるし、料理できるという観点・感想を抱かせたのだった。

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2006/06/25

鏡と皮膚と化粧と…白雪姫の謎

 ある事情があって、「鏡 化粧」をキーワードにネット検索してみた(by Google)。
 すると、驚いたことに、「検索結果 約 1,100,000 件中」の3番目に拙稿「初化粧」が浮上するではないか。
「化粧」も「鏡」も、有り触れた言葉だし、その組み合わせも突拍子もないものとは言えない。化粧と鏡はほとんどセットのようなものだし。
 現に110万件の検索結果が如実にその自然な組み合わせを物語っている。
 けれど、何ゆえ、小生の雑文が上位に登場してしまったのか。挿入されている画像群のお蔭か。文章が優れているとか面白いのか。
 
 ある事情が…と書いているけれど、実のところ、「匂いの力…貴族のかほり」の中に、つい浜崎あゆみの広告画像を使わせてもらったので、彼女について、ちょっぴり大人っぽくなった雰囲気を演出していることだし、何かしら小生も本能において思うことがあったのかもしれない。
 演出もさることながら、化粧の力も大きいのだろう。
 別に化粧が濃いということではなく、化粧で以て少女っぽい面を強調したり、最近のように大人の雰囲気を醸し出したりしているのだろうということだ。

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初化粧」から若干、転記する:

 女性が初めて化粧する時、どんな気持ちを抱くのだろうか。自分が女であることを、化粧することを通じて自覚するのだろうか。ただの好奇心で、母親など家族のいない間に化粧台に向かって密かに化粧してみたり、祭りや七五三などの儀式の際に、親など保護者の手によって化粧が施されることもあるのだろう。
 薄紅を引き、頬紅を差し、鼻筋を通らせ、眉毛の形や濃さ・長さそして曲線を按配する。項(うなじ)にもおしろいを塗ることで、後ろから眺められる自分を意識する。髪型や衣服、靴、アクセサリー、さらには化粧品などで多彩な可能性を探る。

 見る自分が見られる自分になる。見られる自分は多少なりとも演出が可能なのだということを知る。多くの男には場合によっては一生、観客であるしかない神秘の領域を探っていく。仮面を被る自分、仮面の裏の自分、仮面が自分である自分、引き剥がしえない仮面。自分が演出可能だといことは、つまりは、他人も演出している可能性が大だということの自覚。
 化粧と鏡。鏡の中の自分は自分である他にない。なのに、化粧を施していく過程で、時に見知らぬ自分に遭遇することさえあったりするのだろう。が、その他人の自分さえも自分の可能性のうちに含まれるのだとしたら、一体、自分とは何なのか。

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連句の新作!

 早くも、連句の新作です。
連句巻く(梅雨・海苔編 2)」を覗いてみてね。

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2006/06/24

匂いの力…貴族のかほり

 今週初めから車中で読み始めていた佐藤俊樹著の『桜が創った「日本」―ソメイヨシノ 起源への旅―』(岩波新書)を読了。
「桜」については、小生はこれまでも若干のことを書いてきたが、小生の理解については、特に「坂口安吾著『桜の森の満開の下』」にて示してある。
 が、本書で改めて日本人にとっての「桜」のイメージの位置付け・意義・思い入れを再認識。後日、感想を書く(かも)。

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 とりあえず、出版社サイドの内容説明を載せておく:
 

 桜のなかでも最も普及しているのが、ソメイヨシノです。日本の桜の7~8割がソメイヨシノといわれています。この桜は、近代の幕開けとともに人工的に生み出され、またたくまに日本の春を同じ色に塗り替えていきますが、その中で、この花にまつわる無数の「語り」が生み出され、いろいろな「歴史」を人々に読み込ませてきました。それを読み解いていくと、人々が「日本」や「自然」をどうとらえてきたのかということも、浮かび上がってきます。

 八岩まどか著の『匂いの力』(青弓社)を読み始めた(小生が「匂い」「臭い」関係への関心を抱く理由については、既に書いたことがあるし、今回は改めて書くつもりもないので、気になる方は、「匂いを哲学する…序」や特に「「匂い」のこと…原始への渇望」を参照のこと)。

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 本書は出版社によると、「自然臭を排除し、香料や芳香剤に満たされた現代の生活空間──。しかし古来匂いは生きて匂い死して匂う、存在の証だった。悪霊を調伏する護摩の香りから死や病の匂い、悪臭公害までの「匂い史」をすくいあげ、ダイナミズムを検証する。」と謳われている。
 まだ、読み始めたばかりなので(寝床に入っての睡眠導入剤代わりに楽しみつつ読ませてもらっている)、本書に付いての感想は後日にさせてもらうとして、今日は気になる記述に焦点を合わせる。

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2006/06/23

藤原作弥…香月泰男…蜘蛛の糸

 今、何かと話題の日銀総裁・福井俊彦氏と対比する意味もあるのだろうか、昨夜、NHKラジオから日銀の副総裁を勤められたこともある藤原作弥氏の話が聴こえて来た。
(余談だが、ネット検索で関連情報を探すのに、藤原作弥氏の名前をすぐに思い出せなくて、最初、「藤原咲平」で検索していた。何か、変?! 当然だ。別人だもの!  06/06/25記)
 車中にあって、聞くともなしに聞いていた(まあ、一応は仕事中なので、一心に聞き入っていたとは言いづらい)。
 同氏の父は、民俗学分野の比較言語学研究者で、主にウラル・アルタイ語関係に関心を持ち、フィールド・ワークを常とされていたとか。祖父はジャーナリスト。
縄文東北人の「放浪型」DNA」が、ご自身の自己紹介として面白い。

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← 紫苑さんに戴いたエスカイヤ花束の加工画像です。「ディモルフォセカ」を覗いてみてね。

私の昭和史体験』など参照。
 やがて研究の場は大陸となり満州へ。藤原作弥氏らも父に付き従って満州へ。
 話の内容は、今日は扱うつもりはないが(覚えていないし)、戦争が終わっての帰国の際の辛酸が語られていた。軍やその関係者はさすがに情報が早く、ソ連が日ソ中立条約を破って日本側に宣戦を布告、「9日午前零時を持って戦闘を開始、樺太・千島列島及び、事実上日本の植民地であった満州国等へ侵攻した」ことを知っており、大陸からの撤退を逸早く敢行したが、一般民間人は置き去りになってしまった。
 要するに民間人を遺棄したままに自分たちだけがさっさと逃げ出したわけだ。
 この日本軍の体たらくは沖縄戦と同様のようだ。

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2006/06/22

高島野十郎の周辺

没後30年 高島野十郎展」を見ての感激は、まだ言葉に出来ないでいる。
 ここでは、例によって、表題にあるごとく「高島野十郎の周辺」を辿ってみたい。

 多田茂治著『野十郎の炎』(葦書房)から、いかにも高島野十郎を髣髴とさせる記述を抜書きしてみる:

 落魄した高島野十郎は昭和十年、郷里の久留米へ帰る。生家は次兄(野十郎の弟)健太のものとなっていた。 屋敷の庭の片隅に小さなアトリエを建てる許しを乞い、器用な彼はほとんど自力でバラックのアトリエを造り、「椿柑竹(ちんかんちく)工房」と名づけた。広い庭のあちこちに繁る椿、蜜柑、竹林をそのまま採り入れたものだが、トンチンカン(頓珍漢)にも似た呼称には、四十にして未だ立たずの己れへの、いささかの自嘲も込められていただろう。
 この頃、朝倉郡出身で、中学の図画教師をしていた大内田茂志(しげし。のち芸術院会員)が、友人の姉が重松喜六の嫁という縁があって、椿柑竹工房を訪ねてきた。そのときに見た光景を、大内田はこう語っている。(昭和六十一年秋、福岡県立美術館で初の高島野十郎展カタログ)

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→ 「魚の骨の観察図」(福岡県立美術館蔵)
   細部に渡る緻密な観察と描写。学術名と和名とが付されている。優れた水産学者にも成れた…。

 

 そのアトリエで変わった光景を目にしました。絵の具を伸ばし、キャンバスを二つ折りにして切りとった一方を、壁のところに何枚も張ってあったのです。これはなんだろうと思ってアトリエの内に入ってみると、同じ絵の具を塗られたもう片一方の切断されたキャンバスがありました。「これはどういうことなのでしょう」と尋ねてみました。すると「一枚は室内に、もう一枚は野外で天日にさらして、絵の具の変色の具合を調べているのだ」と言うんです。
 ……こうして油や絵具に対して随分と研究されたからでしょう。この人の絵は今でもちっともひび割れてないし、傷が少ない。先日、有名な修復所にクリーニングに出したところ、そお修復の人が「この人はとても絵具や油のことに精通している」と驚いていました。

 東京帝大水産学科を主席で卒業して、すぐれた生物学者にも成り得た頭脳の持ち主である。それに、とことん物事を突きとめる緻密さもあり、ねばり強い持続力もあった。
                            (引用終わり)

 野十郎は大正と改元された年から帝大生となった。絵に専念できず、恋の葛藤もあったようだが、勉学に励むことも忘れなかった。

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2006/06/21

蝋燭の周辺

 三鷹市美術ギャラリーにて開催されている「没後30年 高島野十郎展」へ火曜日の午後、行ってきた。
 月曜日の営業を二時過ぎにて切り上げ、三時前には帰宅。少々ネット巡りなどをしたあと、寝入り、朝方、「豪戦での審判のこと」を書き上げた(こんな記事を書くつもりじゃなかったのだが、つい)。
 ちょっと睡眠時間が不足しているので、ロッキングチェアーで居眠り。目覚めたら十時過ぎ。最近、マイブームになっているタコヤキで食事。集に二度はタコヤキだ(ホントは三度以上かも)。
 十一時過ぎ、ようやく重たい腰を上げる。このために早退したんだものと、自らを叱咤して。
 バスで大森駅前へ。あちこちのおカネのやりくりを済ませ、電車で東京駅を経由して一路、三鷹駅へ。
 三鷹市美術ギャラリーは駅の真ん前のショッピングセンター内にあるのだ。先月、観に行った「詩人の眼 大岡信コレクション展」も同じ会場だったので、周知の場所。
 但し、その時はバイクで行ったのだが、民間駐車管理制度が始まったこともあり、三鷹駅周辺の管理事情が分からないので、用心の意味もあって、バス・電車の利用と相成ったのである。

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 さて、肝心の「没後30年 高島野十郎展」だが、実に素晴らしかった。
 書籍(多田茂治著『野十郎の炎』(葦書房)←新装版が会場で売られていたので、既に図書館で借り出して読了しているのだが、買ってしまった。本を文庫文も含め買わないという自制が2年と3ヶ月にして、ついに破られた格好に。でも、これは例外だ!)やネット、パンフレットなどで高島野十郎の画の数々を観てきただけで、実物を観るのはまさに初めてなのだが、やはり実物は凄い。溜め息の連続。口をあんぐり開けて見入るばかり。
 会場での感激は、実物に会えるということもあるが、書籍などで紹介されていた以外に、想像以上の数の小生には未知だった傑作たちと出会えたことも大きい。

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2006/06/20

豪戦での審判のこと

 クロアチア戦での引き分け。負けなくてよかったのか、勝てるチャンスを逸してしまったのか。
 いずれにしても、ブラジル戦が楽しみになった。

 サッカーにおいてある選手の行為がファウルかどうかは、審判が決める。
 そしてその判定は基本的に覆ることはない。
 また、一旦、下された判定が覆ってもらっては困る。有利、不利の如何を問わず。
 同時に、正式な審議の場以外では、あの判定は誤りだったとか、間違って不利な判定をしてしまった相手チームの誰彼に試合の後でだろうと、安易に謝るのも余計なことだろう。内心、どれほど忸怩たる思いがあって、謝罪したいと思っていても。

 どの誤審のことを念頭においての話か、言うまでもないだろう。
 ドイツW杯で日本代表が残念ながら1-3と敗れた12日のオーストラリア戦での前半の中村俊輔選手の得点のことだ。中村俊輔選手が彼らしい鋭い軌道を描くセンタリングをオーストラリアのゴール前に放り込み、そのボールを目掛け、相手GKシュワルツァー選手がパンチング(あるいはキャッチングか)を試みようとした…が、日本の選手(柳沢敦選手)らと交錯(実際には結果的か意図的かは別にして、柳沢選手の体の入れ方の)した結果、中村選手のセンタリングがそのままゴールインし先制点となった。

 本当かどうかは分からないが、「GKシュウォーツァーによれば、この試合の審判を務めたエジプト人のエッサム・アブデルファタ主審が、中村俊輔のゴールは誤審だったと謝罪したという」。
 彼に拠ると「この審判は試合後、主将のビドゥカと言葉を交わした際、「最終的にオーストラリアが勝ったので、神は自分の側についている。(自分の審判は)最終的に結果に悪い影響を与えなかった」と話したという」のである。

 日本人のサポーターは、試合会場の人も、テレビなどで観戦している人も先取点となった得点を(素直に?)喜んでいた。が、あの得点シーンをビデオで見る限り、あれれと思った人もいたのではないか。

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2006/06/19

手塚治虫作「雨降り小僧」

 日本対クロアチア戦、惜しかったね。負けなくてよかったけど、勝つチャンスもあった!

 坪内 稔典氏著『季語集』(岩波新書 新赤版)を読んでいたら、懐かしい漫画に出会った。
 再会というと大袈裟かもしれない。内容を読んで、ああ、そんな話もあったっけ、という程度なのだし。
『季語集』の「雨ふり小僧」なる項の冒頭には、「雨が続いてなんとなく憂鬱な日には、手塚治虫の漫画『雨ふり小僧』を読むとよい。心が晴れる」とある。

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→ 手塚治虫『雨ふり小僧』(1975/09 「月刊少年ジャンプ」(集英社)読切) (画像は「Tezuka Osamu @World -雨ふり小僧-」より。ホームページ:「TEZUKA OSAMU @ WORLD FOOTER」) 手塚治虫さん(について)のホームページ:「Tezuka Osamu @World -トップページ-

 内容は、「雨降り小僧 - Wikipedia」によると:
 

戦後のある時期の日本。 おばけの雨降り小僧は、いじめられっ子の少年と仲良くなり、その願いを聞き入れてやる。その見返りに、雨降り小僧は少年と同じ長靴を要求するが、少年は突然の引越しで約束を果たせなくなる。それから数十年たって、かつての少年は大人になり、急に約束を思い出した。あわてて雨降り小僧の下に駆けつけると、小僧はボロボロになりながらも少年を信じて待っていた。そして……。

 おばけの雨降り小僧がいじめられっ子のモウ太に聞いてやった願いがどんなものか分からないと、興味が半減する。

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2006/06/18

「連句しましょ(梅雨編)」巻いた!

連句しましょ(梅雨編)」をアップしました。
 梅雨の雨の降り続く中、吉兆順兆凶兆の三人で数時間を要して編んだ連句(?!)です。歌仙(「三吟歌仙」)の真似事を試みてみたものです。
 一読の価値はあるかどうか分からないけど、今日の日本対クロアチア戦、見る人も見ない人も、御笑覧あれ、です。 

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ヴォルス…彷徨う線刻の美

 今、こうして今日のブログに何を書き綴ろうかと考えるけれど、頭の中は雲をつかむようで、漫然たるばかりである。ふと、脇に置いてある「詩人の眼 大岡信コレクション展」の図録をパラパラと捲る。
 コレクションされている作品の数々を眺めていると、その大半の作家の作品を展覧会で、あるいは少なくともその会場で買い求めた図録を通して馴染みになっていることに改めて意味もなく驚いてしまう。
 それは何も小生が知る作家の数が多いということではなく、逆に小生の関心を抱く程度の作家など、大岡氏の関心の領域のごく一部に留まることを意味しているに過ぎないと承知しつつも、ついつい勝手ながら、自分の好きな作家の作品を怠惰で腰の重い小生の代わりに集めてくれていると、思ってしまったり。
 まあ、ファン心理という奴なのだろう。
 で、当然ながら図録の中にあるはずだと思っていた、フォートリエ、そしてヴォルスの作品を探した。
 フォートリエはある。フォートリエが来日した際に、大岡氏に与えた女性のヌードを描いたというデッサン。
 が、ヴォルスはない。
 あれ? という感じ。
 考えてみたら、そうだった。基本的には大岡氏が交流の輪の中でコレクションしてきた作品で、大岡氏はヴォルスとは直接の関わりを持ったことはないのだろうし。

 小生が好きな画家の名を一人、挙げるとなると、オディロン・ルドンパウル・クレーハンス・ベルメールジャン=ミシェル・バスキア、それともジャン・デュビュッフェアントニ・タピエスかなと思いつつも、やはりヴォルスである。
 彼らに共通するのはある種の音楽性でありメロディだろう。ジャン・デュビュッフェはちと違うが。

 それにしても、ヴォルス…。その過激で野蛮なまでの繊細な詩情は鮮烈過ぎる。

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2006/06/17

1000万円がお小遣い!

 小生は政治向きの話を書くのは気が進まない。気が重くなってしまう。
 でも、たまには一言。

 福井俊彦日銀総裁のファンド投資がいよいよキナ臭くなってきた
 村上ファンドの設立と経営に大きく関与していたのがオリックスの宮内義彦オーナーで、村上ファンドのアドバイザー(03年3月の総裁就任時にアドバイザーは辞任)になっていたのが日本銀行の福井俊彦総裁という図式。

 その村上ファンドがかのライブドアをも食い物にして莫大な利益を手中にしていたのは周知の事実(正確には、村上世彰容疑者(46)は、証券取引法違反(インサイダー取引)容疑で逮捕されている最中であくまで容疑者である)。
 村上ファンドの設立に当って、福井俊彦日銀総裁はポケットマネー(!)として1000万円を投資し、少ない年で数十万円(!)多い年は数百万円の運用益を上げていたという。
(「福井総裁が13日の参院財政金融委員会で行った説明によると、村上前代表と知り合ったのは、98年に富士通総研理事長に就任した直後。同総研が、通産省(現・経済産業省)にいた村上前代表からアドバイスを受けていた経緯があったという。
 福井総裁は、役所をやめ、ファンド設立に動いた当時の村上前代表を「日本のコーポレートガバナンス(企業統治)の改革のために先頭を切り開こうとしている」と評価。「激励のため」として、総研の有志が1000万円ずつ運用資金として拠出したと語った
」という。)

 一方、「証券取引法違反(インサイダー取引)容疑で逮捕された村上世彰容疑者(46)と、通産省(現経済産業省)に同期入省した官僚ら10人弱が「同期ファンド」として、村上容疑者率いる投資ファンド(村上ファンド)に計約1000万円を投資し、3年間で1-2割の運用益を上げていたことが、16日関係者の話で分かった。」という。

 小泉純一郎首相や安倍晋三官房長官らが福井総裁を擁護する発言をしており、政府・与党は問題視しない姿勢で臨んでいるように、現行の法律や日銀などの内規(「日本銀行員の心得」)からして問題はない。
 なんたって現役の経済産業省の役人も村上ファンドに堂々と投資していたくらいだし。
(小泉純一郎首相が教育基本法などの重要法案を抱えている中で、国会の会期を延長しないのは、福井総裁と村上ファンドとの不透明な関係、このことが齎す日銀の政策決定の上での支障などを国会で追及され、結果、重要法案は通りそうもない、通らないだけではなく痛くもない腹を探られるのが嫌だったからではないかと邪推したくなる。)

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2006/06/16

「灯ともし頃」と「逢魔が時」の間

 水曜日の営業中、仕事も峠を越えた頃合、そう夜半をとっくに回った頃、昔風な言い方をすると丑三つ時だろうか、何処かの公園の脇に車を止めて、坪内 稔典氏著『季語集』(岩波新書 新赤版)を読んでいたら、懐かしい言葉に出会った。
「灯ともし頃」である。最近、使っていないし、文章の中でも目にしていない。
 その刻限というのは、読んで字の如しで、紙燭(しそく )などで灯を灯してまわった、そんな灯ともし頃なのだろう。正確に決まった時間というより、そろそろ薄暗くなり灯りが必要な時間帯を示すのだと思われる。
 昔は、灯りというと貴重だから、実際に灯りを灯すのは一部の裕福な人に限られていたようだし、その場合でも相当程度に暗くならないと灯りなど使うはずもなかった。
 まあ、周りが暗かったようだから(きっと想像を絶して闇が深かったのだろう)、蝋燭一本でもあったら、その周辺はパッと明るくなったのに違いない。

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→ 某社の広告を見ていたら…。

 実際には、お寺さんじゃないのだから、何かの台か皿の上の蝋燭をそのまま部屋の片隅に置いたりするより、和紙か何かで蝋燭を覆い、風で吹き消されるのを防いでいたようだ。
 それでも風を巻き込んでしまうかもしれないし、もっと懸念されるのは、何かの拍子に倒れる灯りが倒れること、そして灯が周りに燃え移ることだったろう。
 とにかく、火の扱いには注意を払ったのだろう。

 ところで、「灯ともし頃」の正確な意味合いを調べようとネット検索していたら、「薄暮 ・灯ともし頃 ・黄昏 ・逢魔が時」は同類語だという記述を見つけた。
 小生はちょっと驚いた。「薄暮 ・灯ともし頃 ・黄昏」までは、なんとなく類語だってのは理解ができなくもない。「黄昏」を「たそがれ」と読み、「誰そ彼」という意味合いが含意されている、なんて学生時代に習ったような、もやっとした記憶がある。
 が、「逢魔が時」も黄昏や灯ともし頃と類語とは、小生、全く理解が及ばない。学生時代…高校時代に斯く習ったのかもしれないが、きれいさっぱり忘れてしまっている。

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2006/06/15

火曜日朝はセンターの講話

 「蝋燭…ランプ…電球…蛍光灯」の冒頭で書いたように、「日本のワールドカップ初戦対オーストラリア戦を見たいばかりに、(本来、月曜日の予定の)営業を日曜日に振り替えた」のだった。
 が、実は営業の日程を変えたのは、他にも狙いがあったからだった。
 一つは、火曜日の朝に会社で東京タクシーセンター(正式名称は「財団法人 東京タクシーセンター」で、われわれは日常、失礼ながらセンターと略称する)による巡回指導というか講話があるからだったのである。
 月曜日に営業があり、それが終わるのは火曜日の朝。つまり明けの日に、会社主宰による研修(講話)ではなく、今度はセンターによる講話があるというわけだ。
「読書拾遺:装幀家・菊地信義氏」(2006/05/29)の中でも愚痴めいたことを書いているが、明けの日の朝に仕事が終わった後、さらに必要なのは分かるとしても一時間から二時間の研修(講話)があるというのは、生活のリズムが狂うという意味で、実に辛いのだ。
 そこで、営業の日を月曜から日曜に変更し、火曜日は前夜、寝ておいて、朝、そこそこの睡眠時間を摂った上でわざわざそのためのみの出勤になるが、明けの講話(講習)を拝聴するため会社へ向うという形を採ったのである。

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→ 壁面に描かれるは悪戯なのか、はたまた芸術か?! 結構、お気に入り。

 センターによる講話は、本来は年に一回、センターのある江東区南砂までドライバーがそれぞれに拝聴しに赴かなければならないのだが、我が社は人数が多く、各営業所単位でも数十人という人数が揃うので(多分、そういう理由だろうと思う)、センターから担当官がわざわざ来てくれるわけである。
 そもそも東京タクシーセンターは本来、どんな業務を行っているかについては、「お客様のページ 業務紹介」「お客様のページ」などを参照のこと。

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2006/06/14

連句って和歌らない

 立花隆氏著の『天皇と東大 下 日本帝国の生と死』(文芸春秋)がすこぶる面白く、先週末、一気に読了した。
 本書を返却したら所定の書架に『天皇と東大 上   大日本帝国の生と死』があったので、迷うことなく借り出してきた。
 読了し返却した『天皇と東大 下』については、「今年も…ハッピーバースデー・ツーユー!」の中で若干、感想を書いているが、あまりに大部すぎて(上下巻合計で1450頁以上)、まとまった形での感想は書けないだろう。
 とにかく今は、『天皇と東大 上』だ。

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 実は、『天皇と東大 下』を読了したあとは、これまた大部(900頁)の小熊 英二著『〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性』(新曜社)を読み始めていたのだが、150頁ほど読んで中断し、『天皇と東大 上』に取り掛かってしまったのだ。
(『〈民主〉と〈愛国〉』については大部なので、是非、読んで欲しいとは勧めきれないが、せめて図書館などで冒頭の第一部 第一章「モラルの焦土」だけは目を通してもらいたい。30頁あまりなのだ。恐らく、その30頁ほどを読むと、本書が手放せなくなるに違いない…。)

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 ドラマが多く興味深い史実もたっぷり書き込まれ、小説を読む楽しさで読み進められる。小生は、戦前の日本の異常なナショナリズムとアジア各国で日本軍が犯した蛮行の愚かしさを高校から大学の頃の読書体験などで思い知らされた。
 図書館などで数知れない戦争当時の回想や記録の本を読んで、ひたすら泥沼のような空漠たる思いに陥っていった。
 そこにいる人の良さそうな小父さんであっても、いざ戦争となると人間の弱さというものなのか、卑屈さと野蛮さを剥きだしにして信じられない素行に走ってしまう。人間不信というわけではないが、その弱さが自分の中にも断固巣食っていることを感じ、哲学するにしても、その暗部に向き合わない皮相な言辞だけは避けたいと思った。
 軍国主義に狂奔してしまった日本。その元凶は何処にあるのか、何処で道を間違えたのか。再び愚を繰り返す恐れはないのか。教育基本法や憲法改正論議を仄聞すると、あるいは既に戻れない坂道を転がり始めているのではないかと懸念されてならない。

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 さて、寝床では大岡 信著の『おもひ草』(世界文化社)をちびりちびりと読み進めている。小生は彼の著作のファンなのである。

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2006/06/13

ロナウジーニョ…サンバ…リベルダージ!

蝋燭…ランプ…電球…蛍光灯」の冒頭で書いたように、「日本のワールドカップ初戦対オーストラリア戦を見たいばかりに、(本来、月曜日の予定の)営業を日曜日に振り替えた」…。
 にもかかわらず、負けちゃった。
 小生、目出度いときに、そう例えば敬愛する方の誕生日を一人で勝手に祝う時などに、好物の宅配ピザを注文し、Mサイズのそれをコカコーラと共に一気に食する。
 今日も、初戦の勝利を信じて前祝いとばかりに食べていた。食べている真っ最中に中村選手が先取点をゲット。思わず口に入っているピザを忘れて歓声を上げそうになった。手にはピザを持っていたので、拍手も出来ず。

 ああ、それなのに負けちゃった。それも後半終了間際に一気に3点、立て続けに入れられてしまうという悪い形で。
 ピザも勝利の前祝いのはずが、ただの自棄食いになっちまったい!

 ま、選手らには気持ちを切り替えてもらって、次の試合での勝利を目指してもらうしかない。

 日曜日には営業はめったにない。なので、ラジオの番組も何処へ入れたらいいか、決まっておらず、次々にチャンネルを変え、FMとAMを切り替え、局や番組を彷徨っていた。
 何処の局(番組)で聴いたのか忘れたが、たまたま、「ロンドンのコヴェント・ガーデンにある王立歌劇場を本拠地とするロイヤルバレエ団」に籍のある(籍を置いたことがある)、バレリーナの「吉田都 - Wikipedia」さんの、日本でのバレー公演環境の厳しさといった話(「吉田都 公式Webサイト」)なども聴けた。

 そんな中、日曜日の夕方を車中で迎えたなら必ず聞こうと思っている番組がある。
 それは、「J-WAVE WEBSITE NOEVIR SAUDE! SAUDADE...」である。

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2006/06/12

蝋燭…ランプ…電球…蛍光灯

 小生、本来は月曜日、つまり今日が営業の日なのだが、日本のワールドカップ初戦対オーストラリア戦を見たいばかりに、営業を日曜日に振り替えた。問題はまともに映るテレビ(モニター)を所有していないこと。何処かへ観戦に出かけるしかないか。
 それにしても、昨日の雨の日曜日はこれでもかというほど、日中は忙しかった。息つく暇がないほど。トイレにしても食事にしても、隙を見て人影のない場所を見つけて隠れるようにして逃げ込まなければならない。
 よし、このお客さんを下ろしたら、トイレだ、食事だと思っていても、下ろして数十メートルも行くと、次のお客さんが手を上げている。あああ、やっぱり回送表示に切り替えておけばよかった…。

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→ 蓮華草さんに戴いた紫陽花の画像です。「水無月の手紙」を読んでね。

 降る雨は我が心からと紫陽花の

 でも、嬉しい悲鳴である。めったにない繁忙の状態なのだ。食事も、コンビニで買ったおにぎり2個を路肩に車を止めて5分ほどで済ませ、前日、スーパーで買っておいた草もち3個パックで空腹を誤魔化す…。
 日曜日に45回の営業回数。プロなら分かるだろうが、結構な回数なのである(今年最高は50回)。

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← 会場の前を二度三度…。

 これでも、夜中などにしっかり寝込んだからこの回数に留まっているわけで、体力があったら、楽に50回以上の営業回数を記録できていたろう。
(俵萌子さんのがん患者会「1,2の3で温泉に入る会」で披露される劇団「温泉座」の本番があるという「女性と仕事の未来館」の前を二度か三度ほど通ったが、ああ、ここにネット上の知り合いの方がいるんだなと思うのみ。)

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2006/06/11

「没後30年 高島野十郎展」始まった!

没後30年 高島野十郎展」が三鷹市美術ギャラリーにて始まった。
 首を長くしてこの日を待っておられた方も、小生のブログを覗かれる方の中に結構、いるのではと(アクセス解析などのデータからも)推察される。
 小生はこれまで高島野十郎関連の記事を二つほど書いてきた(末尾を参照)。
 さらに、高島野十郎というより、蝋燭の焔に焦点を合わせるというやや変則的な形ながら、「バシュラール…物質的想像力の魔」(2006/06/07)の中でも扱っている。同時にこの記事では、高島野十郎の伝記本である多田茂治著の『野十郎の炎』(葦書房)を読了した、ひいては近日、本書の感想文を書くと予告(?)している。

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 こうまでしている小生のことだから、きっと「没後30年 高島野十郎展」の開幕の日に展覧会に足を運んだろうと思う人がいるやもしれない。
 さにあらず。小生の腰の重さは、並大抵のものではないのだ。体調が思わしくないこともあって(前日の金曜日はサッカーを見ながらロッキングチェアーで夜明かししてしまった。そのせいもあるのかどうか)、動く気になれない。
 まあ、実のところ、立花隆氏著の『天皇と東大 (下)』(文芸春秋)が面白くて手放せず、金曜日から土曜日の夕方近くにかけて残りの三百頁ほどを一気に読みきったのである(本書については、あまりに中身が濃く情報も膨大なので、逆に「今年も…ハッピーバースデー・ツーユー!」でメモ書きするに留めざるを得なかった。とにかく面白く、小説を読むように読み進められるので、一読を、と思う)。
 その余勢を駆って、小熊英二氏著の『〈民主〉と〈愛国〉 ――戦後日本のナショナリズムと公共性』(新曜社)を読み始めた(『天皇と東大 (上)』がいつ借りられるか見通しが立たないこともあるし)。これがまたすこぶる面白い!
 
 幸い、土曜日の夜半近く、「美術散歩-ルネサンスから抽象絵画まで」のとらさんから、コメントとTBを賜った。
 そのコメントが凄い。「この展覧会の初日に行ってきました。そこで偶然に「野十郎の炎」の著者多田茂治氏にお会いしました」というのだ!
 展覧会のレポートはとらさんのブログ「Art & Bell by Tora 没後30年 高島野十郎展」や、ホームページである「美術散歩」の中の「美術館散歩06-2 没後30年 高島野十郎展:三鷹市美術ギャラリー」などにて読める。
 いつ行くか分からない、行っても碌なレポートの書けない小生より余程、紹介し甲斐がある!
 また、『野十郎の炎』の新装版が展覧会の場で売られていたとか。

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2006/06/10

一喜会…患者を生きる

天にいたる波も一滴の露より成れリ:「一喜会」安岡佑莉子さんのこと。」を読んでいて、その流れで「天にいたる波も一滴の露より成れリ:温泉座のお稽古であった。」を読んでいったら、朝日新聞に高知のがん患者会「一喜会」のことが連載中とあり、「高知がん患者会「一喜会」へようこそ」へのリンクアドレスが示されていた。
 早速、飛んであちこち読むと、「一喜会」なるブログがあり、その中の「一喜会_ 患者を生きる①」から「一喜会_ 患者を生きる⑤」が当該の記事。
 予定では、朝日新聞で連載されている「患者を生きる 母娘で闘う」は6回だとのことだから、「患者を生きる⑥」も早晩、載るはず。
 小生、余儀ない事情で新聞は取っていないので、こうしてブログを読むことで遅まきながら気づいた次第だ。

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今年も…ハッピーバースデー・ツーユー!

 大急ぎで説明しておくが、「ハッピーバースデー・ツーユー!」は、日本語で言うと、「梅雨入り宣言!」です。今年も梅雨(ツーユー)に入った(ハッピーバースデー)日を迎えた(東京など関東は9日)という意味に過ぎません。
 昨年、「ハッピーバースデー・ツーユー!」なる記事を書いたとき、「弥一さん、お誕生日でしょうか?それならおめでとうございます」なんてメッセージを戴いてしまい、恐縮してしまったので、敢えて断り書きを冒頭に書いておく次第である。
 とはいっても、昨年の記事にしても、冒頭のっけに「とうとう梅雨入りである。今年も景気良く、ハッピーバースデー・ツーユー(梅雨=つゆ)と叫んでおく(声に出さないで)」と明記してあったのだけど。
 ま、梅雨入り宣言が出たら、ハッピーバースデー・ツーユー!って歌うのが小生のここ数年の習いだと思ってくれたらそれでいい…。

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 とはいっても、気象にも弱い小生の勝手な印象からしたら、先月のうちに既に梅雨入りしていたのじゃないかという気がする。それほど、先月は雨降りの日、曇天の日が多かったのだ。
 なんてことを思うのは、梅雨入り宣言した翌日の今日の天気が晴れ! だからなのか。

 雨(梅雨)を巡っては、過去、結構、駄文を綴ってきた:
雨の目蛇の目/梅雨入りに傘のことなど
梅雨のあれこれ(睡蓮編)
「雨音はショパンの調べ」あれこれ(付:訂正と追記)」(但し、これは秋の長雨の時季を迎えてのもの)

掌 編 作 品 集」の目次を眺めてもらえば分かるが、題名に「雨」の文字が使われている掌編が相当数ある。使われていなくても、「銀箭(ぎんぜん)」など、もろ、雨が狂言回しの役割を担っている。
 ちなみに、ネタバラシになってしまうが、「銀箭(ぎんぜん)」とは、激しい雨脚の夕立のことを意味する…。

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「石原裕次郎と啄木と」追記など

 別記の形で示す小文「石原裕次郎と啄木と」(公表当時のまま)は、小生が五年前に書いた記事である。
 その中で、故・石原裕次郎氏が歌ってヒットした『錆びたナイフ』(萩原四朗 作詞/上原賢六 作曲)の歌詞が石川啄木のある歌の一節に似ているとだけ指摘して終わっている。これでは、下手すると、故・萩原四朗氏が盗作・盗用したかのような印象を読まれる方に与えてしまう。
 その歌も、小生、表記が正確ではない形で引用している。正しくは、「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」である。
 この短歌と萩原四朗氏作詩の『錆びたナイフ』の歌詞とが似ている…。

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→ 路上で美女発見! 目の保養?!
 
 この記事は、ラジオで裕次郎特集を聴く機会があり、その際、「ヒット曲の『錆びたナイフ』が啄木の…云々」という説明を聞いているのだが、その肝心の部分を仕事中ということもあり、聞き逃しているのだ。
 ネット検索で情報を求めたが、当時(五年前)は、うまく必要な情報源を発見することができなかった。この追記を書くに当っても検索してみたが、萩原四朗氏自身を扱ったサイトも頁もない(見つからない)。生没年さえ(あるいは今も健在なのかすら)分からないのだ!

 すると、その間違い乃至は不十分な記述は早く訂正しておけとばかりに(?)、昨夜、車中でラジオより、関連の話をラジオのアンカーの方から聴くことができた。
 要点を纏めると、主に以下の数点:
 萩原四朗氏は若い頃より石川啄木に傾倒しており、この『錆びたナイフ』も、啄木に影響されての作詞なのは、意図的なものだった。
 また、啄木の短歌では「いたく錆びしピストル出でぬ砂山の砂を指もて掘りてありしに」が、「砂山の砂を 指で掘ってたらまっ赤に錆びたジャックナイフが 出て来たよ」となっているのも、ピストルでは歌詞になりにくいということで、ジャックナイフに変更した。
 啄木から本歌取りしたことを明白にするため、小島の磯などの言葉をそのまま使っている。

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2006/06/09

世界を見る「めがね」

何日君再来…おおたか静流」の末尾に坪内 稔典著『季語集』(岩波新書 新赤版)からの知見として、「日本は嘗ては二季の国だった。それが中国文化の流入の中のひとつとして四季がやってきて、それ以来、四季を自覚するようになった」云々と書いてあったとメモっている。
 当該箇所は長くもないので(前後の脈絡が途切れるが)本書から転記しておく:

 ところで、日本には四季がある、という言い方がしばしばされる。それはその通りなのだが、でも、日本の自然に初めから四季があったわけではない。民俗学的な考え方では、四季の前に二季があったとされている。正月から盆、盆から正月までの二季であり、農業はこの二季を骨格としてきた。四季は大陸から入ってきた新しい区切りであり、『万葉集』などにその区切りが現れるが、広く普及するのは『古今和歌集』や『源氏物語』などを通してである。特に一〇世紀の当初に成立した『古今和歌集』は歌を四季に分けており、その四季観は現代に至るまで、もっとも基礎的なものとして存在する。俳句の歳時記を開くと、たとえば、時鳥(ほととぎす)が夏を告げる鳥になっているが、それはまさに『古今和歌集』以来の伝統なのだ。
 要するに、四季という区切りが登場したことで、日本列島に春夏秋冬という四季が現れたのだ。四季とは一つのめがねのようなものだ。このめがねをかけると自然界が四季に区切られるのである。

 本書『季語集』でも『枕草子』が参照されている。その冒頭に「春は曙。やうやう白くなりゆく。山際(やまぎわ)少しあかりて紫だちたる。雲の細く棚引きたる」とある。
 ネットでは、「たのしい万葉集」という小生が折々覗かせてもらっているサイトが、「万葉の四季 」というテーマを(も)設けてくれている。

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2006/06/08

何日君再来…おおたか静流

 体調が思わしくないので、ネット上をぶらぶら。
 まず、「徒然なるままに:南国風味」でオヤッ。
 素敵な画像と気の利いた短い文章との絶妙のバランスがいい。来訪者が多いのも納得。
 見られるように、奇妙な画像が載っている。ブラシのような。
 本文には「たわし」とある。コメントを読むと、どうやら「ブラシの木」のようだ。
 解説を読むと、「蒲桃(ふともも)科」とあって、また、愉快。
「オーストラリア原産」のこの樹木は、まさに、「花が、ビン洗いのブラシにそっくり♪」
 だから、ブラシの木。そのまんまだ!

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 そういえば、以前、紹介したことのある「エノコロ」や「キンエノコロ」も、見るとホッとする植物だ。
 ちょっと、「野原のことなど」なる頁を覗いてみて(絵の説明などが載っています)。ある人の手になるキンエノコロの素敵な画が載っている!

 そうそう、拙稿の「桑の実を小籠に摘んだはまぼろしか」に寄せてくれたコメントの中に、「苗代苺も畦道や雑木林の下に生えているのを見つけてはよく食べました。同じような木苺類で、明るいオレンジ色のものもありましたっけ。名前は良く知りませんが、オレンジのの方が甘かったことは良く覚えています」というものがあった(太字は小生の手になる)。
 オレンジ色…。
 当初、「桑の実を小籠に摘んだはまぼろしか」の中で参照した、「武蔵野だより 桑苺(桑の実)」なる頁に載っている「桑苺(桑の実)」の中の各種ある色の実を勘違いしているのかと思ったが、文意からしてちょっと無理がある。
 分からないのだが、ネット検索してみたところ、「カジイチゴ」なのかなと思ったり:
カジイチゴ写真-1
カジイチゴ
 後者には、「花は3月から5月にかけて咲き、果実は5月から6月にかけて橙色に熟す。昔はよく食べたものであるが、最近は少なくなった。」といった説明が載っている。

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2006/06/07

バシュラール…物質的想像力の魔

 このところ、高島野十郎について、それもその周辺についてあれこれ書く機会を持ってきた。その切っ掛けに付いては「土屋輝雄・久世光彦・高島野十郎…」に書いている。
 要は、上掲の記事を書いた何日か前に久世光彦氏逝去されたこともあり、同氏の『怖い絵』(文藝春秋刊。文春文庫所収)を借り出してきたのが最初の契機だった。その本の中の一章で高島野十郎の蝋燭画を巡る形で久世氏の思い出が綴られており、さらに『怖い絵』の表紙にも当該の高島野十郎の蝋燭画が使われていたのだった。

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 ついで、「もうすぐ「没後30年 高島野十郎展」」の中で若干のことを書いた。この記事は、同名のタイトルの展覧会が六月に開催されるという記事が朝日新聞に載っていたことが引き金になって書いたもの。
 そうはいっても、図録はともかく、また、実物も見ていないのは仕方がないとして、高島野十郎の伝記本である多田茂治著の『野十郎の炎』(葦書房)さえ、読んでいなかった。
 幸い、図書館で借り出すことができ、既に読み終えた。いろいろな発見があった(例えば、当然ながら他にも傑作があるとか、多くの交友関係の事実など。蝋燭画の野十郎というのは、ある面からはその決め付けてきなキャッチコピーも妥当じゃないとは言えないとしても、野十郎の多彩な世界を狭くしてしまっているという感想を抱いたことが最大の収穫)。
 本書『野十郎の炎』については、後日、新ためて触れる機会を設ける。
 ここでは、ちょっとだけ、バシュラールの周辺を巡っておく。高島野十郎の蝋燭画ということで、小生、自身が書き綴ってきた、「蝋燭の焔」を着想と想像の発火点とした、一連の「蝋燭の焔」文シリーズ(?)を書いてきた。そしてそれらの文からの断片集である「蝋燭の焔に浮かぶもの」を季語随筆でも書いている。

 言うまでもなく、これらの「蝋燭の焔」文シリーズ(?)の遠い原点には、学生時代に読んだガストン・バシュラール著の『蝋燭の焔』(渋沢 孝輔訳、現代思潮新社)がある。
 ただし、脳裏の中に印象として残ったバシュラール(の蝋燭の焔)であり、一方において、昨年、ジョルジュ・ド・ラトゥール展も催されたラトゥール「ふたつの炎のあるマグダラのマリア」や「蚤をとる女」、あるいは「書物のあるマグダラのマリア」や「聖ヨセフの夢(聖ヨセフの前に現われる天使)」などの画が想像力の源泉でもあった。
 但し、後者のラトゥールの一連の蝋燭画も、あくまで小生の脳裏に反響してやまないイメージと印象としての源泉なのだが。

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2006/06/06

桑の実を小籠に摘んだはまぼろしか

 過日、あるサイトを覗いたら「苺」の画像と句が載っていた。
 そんな時期なのか…。
 ふと、もう十数年も昔、それとももっと前のことを思い出した。
 居間でゴロンとしていたら、お袋が台所の戸を開け、居間を覗いた。見ると、お袋の手には小さな苺が。
 聞くと、家の畑で採れたものだという。朝食や昼食の際、食卓を賑わすのが畑で取れたばかりの野菜たち。ジャガイモ、ナス、キュウリ、タマネギ、ネギ…。そういえばトウモロコシも。
 でも、小生にとって苺は初めてだった。
 そして意外でもあった。
 なんとなく、苺は農家がちゃんと育てないと生らないものという思い込みがあったのだ。
 小生は18で田舎を出た。
 といっても、別に家出をしたわけじゃなく、大学が郷里の家とはずっと遠い地にあり、冬休みや夏休み、春休みに帰るだけ。
 苺が生る五月末や六月は、高校生以来、過ごしたことがなかったのだ。
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 が、社会人になって、順番に交代で休みを取ることもあって、何かの折、六月に入ったばかりの頃に帰省していたのだった。
 我が家で苺が採れる!
 小生にとっては、大袈裟かもしれないが、カルチャーショックのような感動があった。
 まあ、それだけ、田舎の風物を普段は見過ごしてきたということ、田舎の手伝いの類いはサボってきたということなのだが。
 自宅の庭で採れた苺。小さな苺だった。でも、食べることができる!
 甘酸っぱいというより、酸っぱかった。でも、美味しかった。
 が、その時から、今まで六月には帰省していない。なので、その後も苺が採れているのか、実は知らない。採れた苺を食べた際に、昔から我が家で苺が採れていたのか、などといった少しは気の利いた質問をしたかどうかも覚えていない。

 今、こうして書いていて、おぼろげながら、少し思い出してきた。
 そうだ、苺を田舎の家で見たのは、ある手術をするため、東京にある会社から長期での有休を貰い、入院の準備のため、一時的に帰宅していたのだ。
 というのも、実際の入院や手術は京都にある病院で行うことに決まっていたのだ。
 多分、一日か二日のちょっとした帰省の時に苺を見たのだ。それが93年の六月のことだったのである。

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2006/06/05

はじまりはダ・ヴィンチから

 布施 英利著の『はじまりはダ・ヴィンチから―50人の美術家を解剖する』(エクスナレッジ)を読了した。
 車中で読むに相応しい本ということで、選んだ本。著者が解剖学者だということもあるし、今、何かと話題になっているダ・ヴィンチという名前が題名に入っていることもあって、気になり、手に取ってしまった。
 内容は、「美術へのアプローチは、人から。50人の美術家がつくった世界を鑑賞しよう。絵画から、建築、ファッション、アニメ、フィギュア、消しゴム版画まで、美術を解剖する方法、おしえます。『エクスナレッジ・ホーム』等掲載」といったもの。
 布施 英利氏は、東大医学部助手(解剖学)をしていたこともあり、養老孟司氏に、さらには小生の読み浸った三木成夫氏に直接学んだこともあるという、小生の羨望の的となっている人でもある。

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 来年で没後二十年となり、ますます声名のあがっている三木成夫氏について、そして小生の敬愛する養老孟司については、以前、あれこれ書いたことがある:
無精庵万葉記 西原克成著『内臓が生みだす心』
無精庵万葉記 養老孟司著『毒にも薬にもなる話』余談
 養老孟司氏の著書では、小生が読んだ限りでは、『身体の文学史』(新潮文庫)が秀逸。
 三木成夫氏の著書では、『胎児の世界』(中公新書)が(一定の留保はありつつも)秀逸。

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 迂闊だったのは、布施 英利氏は、東京藝術大学の大学院(美術解剖学)を修了された経歴も持っていることはともかく、レオナルド・ダ・ヴィンチの研究をしていたことを知らなかったこと。
 布施 英利氏の著書の題名、あるいは目次の中に(当然、本文にも)やけにダ・ヴィンチが登場するな…と漠然と思っていたのだが、ダ・ヴィンチというと手記に人体の解剖図があるし、解剖学と無縁じゃないからかなと思う程度だった。
 そうした面もあるのだろうが(美術解剖学!)、彫刻に自ら手を染めていたなど、美術そのモノへの傾倒もあってのことだと、今更ながらに再認識している。
 美術研究と解剖学と。西欧は古くから美術(絵画や彫刻)というと、人物画の場合は特に人体の解剖や骨格の研究が前提であり常識でもあった。ルネサンス期のイタリア…、その前にギリシャ!

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2006/06/04

kiss me, girl, and your old one

 ネット上の記事をたまにでも読まれる方は、既にご存知だろう。こんなニュースが載っていた:
Yahoo!ニュース - 産経新聞 - 「君が代」替え歌流布 ネット上「慰安婦」主題?
 ニュースソースは、「(産経新聞) - 5月29日3時16分更新」である。
 ということは、産経新聞を採っている方は、読まれ話題になっていたのかも。

 あるいは読み逃した産経新聞購読者のためにも、あるいは他の新聞を読まれる方のためにも、さらには「君が代」の周辺で起きている事象に関心のある方のためにも、一部、転記させてもらう。
 冒頭に、「卒業式、入学式での国歌斉唱が浸透するなか、「君が代」の替え歌がインターネット上などで流布されている。「従軍慰安婦」や「戦後補償裁判」などをモチーフにした内容だが、本来の歌詞とそっくり同じ発音に聞こえる英語の歌詞になっているのが特徴で、はた目には正しく歌っているかどうか見分けがつきにくい。既に国旗掲揚や国歌斉唱に反対するグループの間で、新手のサボタージュの手段として広がっているようだ。」とある(太字は小生の手になる)。
「卒業式、入学式での国歌斉唱が浸透するなか」と、さも確定した論じるまでもない事実であるかのように、断定調で始めるところが、さすが、産経新聞だ。

 浸透している?! 少なくとも東京に関しては立っての斉唱が強制されているってのが現実ではないか。
 歴史を遡ると、国旗にも今の国歌にも、血塗られた悲惨な過去がダブって見える、というのが小生の正直な感覚だ。せめて深甚な反省があったらと思うが、自国では正面からの反省はなく、 極東国際軍事裁判(東京裁判)で裁かれ、サンフランシスコ講和条約で決着させる形という中途半端なものに留まっている。
 極東国際軍事裁判に異議があるというのなら(小生もある。アメリカ軍による原爆投下など、徹底して指弾すべきだし、東京大空襲などに見られるように、民間人を無差別に虐殺した行為は日本へどころか、人類への犯罪ではなかろうか)、自分たちの手で15年戦争の歴史を掘り返し見直すかというと、そんなことは素知らぬ顔の人が多い。国会の権限を以て、過去の資料を国などから提出させ、徹底した討議を行ってみたらどうだろう。
 新聞社など、そういったキャンペーンを張ってみたらどうなのか。

 話を元に戻す。

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2006/06/03

車中では音楽三昧?!

 車中では、布施 英利著の『はじまりはダ・ヴィンチから―50人の美術家を解剖する』(エクスナレッジ)を読んでいる。さすが、解剖学者だったこともあっての知見も散見されるが、小生のような弩素人が読んでも見当違いじゃないの、ちょっと無理があるんじゃないの、という見解も目立つ。
 ま、後日、機会を設けて感想を書く(かも)。
 車中に持ち込んで読み始めたが、寝床で就寝前に愉しみつつ読みたいということで、自宅(寝床やロッキングチェアー)で、そうワイン好きな人がワインを傾けるように、ちびりちびりと読んでいるのが、多田 茂治著の『野十郎の炎』(葦書房)である。これは、発見の連続。なので、必ず感想文と同時に高島野十郎の周辺を再度、探っておきたい。
 とにかく、本書の中で白黒の写真という形で野十郎の作品を見たが、凄い! の連続なのである。

 自宅では、ハーマン・メルヴィルの『ピエール』を折々に、そして今週からは立花隆氏著の『天皇と東大 下』(文芸春秋)に夢中になっている。
 少々、体調が思わしくないのだけれど(仕事中もかなり休憩を取っている)、自宅でもロッキングチェアーやベッドに頼りっきり。
 だから、その分、就寝のための友ということで、本を読む機会(時間)が増えているわけでもある。頭に入るわけじゃないけれど、楽しめればいいんだ。
 立花隆氏著の『天皇と東大 下』は、ひたすら面白い。戦前の世相、特に日本が軍国主義に狂奔していく辺りの叙述が、小生には初見が多く、ちょっとした小説を読むように読めてしまう。
 後日、改めて採り上げるつもりだが、日本の一級の法学者、しかも昭和天皇が傾聴していた法学者・政治学者をどうして押し黙らせていったのか、その張本人たちの狂気を知る。彼らは一級の法学者への嫉妬心がエネルギーになっている面もあるみたい。すこぶる人間的なドラマがあったりするのだ。

 さて、車中では自宅では聞けない音楽に愉しみと喜びを貰っている。昨日は、マリンバ奏者の三村奈々恵さんの話と演奏をラジオ(J-WAVE)で伺い、あるいは聴くことができた。

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2006/06/02

模写と独創

展覧会カタログの愉しみ…」の中で、「Yahoo!ニュース - 産経新聞 - 芸術選奨画家、盗作か 洋画の和田氏 文化庁調査」なる話題を採り上げている。
 これはいまや、「Yahoo!ニュース - 共同通信 - 和田氏の賞取り消しも 絵画酷似問題で文科相」といった段階にまでエスカレート(?)している。
 このニュースは新聞も含めラジオやテレビで報じられているから、今更紹介するまでも無いだろう。

 ちょっと変則的だけれど、ここでは、盗作ということではなく、広く模写ということで小生なりにあれこれメモしておきたい。

 ピカソファンならずとも、ピカソが特に若い頃、徹底して模写(古典の勉強)をして絵画技術の土台を養ったことは知られている。
 絵の教師だった父と喧嘩、王立サン・フェルナンド芸術協会を脱会したころ、「ピカソはプラド美術館にある絵を何枚も模写しています。特にエル・グレコに傾倒していたようです。しかしプラドでピカソが一番影響を受けたのはベラスケスのラス・メニーナスです。色々な技法と構図を使って何枚も何枚もこの絵を元に描いています」という。
 あるいは、その後、バルセロナに戻り、「当時パリで活躍していたルノワール、ロートレック、ゴッホやセザンヌにピカソは大きく影響されます。全ての画家のタッチを模写していますが特にセザンヌへの思い入れが強かったようです」という。
 その前に、ピカソは「俺は子供の頃、まるでラファエロのように絵を書いたもんだ」と嘯(うそぶ)いていたとか。
(これらの転記は、「えすぱにょれあんど SPAIN-JAPAN」の中の「PICASSO 1」より。)
初聖体拝領 La Primera Comunion 1896年(14歳)」なる画像をどうぞ。

 いつだったか、菱田春草や横山大観ら日本の有名画家の幼少年時代の作品を集めた展覧会が催されたことがあった。有名な画家・彫刻家らによる、「春季特別展「子供の情景」」という性格のものではない。
 あくまで、高名な画家の、それも若い頃ではなく幼年から少年期の頃に描いた作品を集めた展覧会だった。残念ながら展覧会へは行けなかったが、後日、その図録を見る機会があった。
 ひたすら溜め息だった。断り書きがなかったら、それなりの年代の画家の絵だと言われても違和感は覚えなかったはずだ。その見事さといったら。
 ピカソもそうだったのだろう。

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2006/06/01

2005年06月の索引

 恒例となった月初めに提供する昨年同月の索引・目次である。
 つまり、昨年の六月の分。念を押すが今年の六月の目次ではない。今月、これから何を書いていくか、神様はともかく小生には皆目、見当も付かない。
 例によって、「表題」(主なテーマ 日付)である。

 過日、図書館へ行ったら、立花隆氏著の『天皇と東大』(文芸春秋)を発見。開架の書架で見つかるとは思っていなかったので、思わず慌てて手を伸ばしてしまった。まるで急がないと他の誰かに借りられてしまうかのように。
 尤も、あったのは下巻だけだったが、でも、現物をすぐに手にできるのだからと、他に何冊も借り出して読んでいる最中なのに、小脇に抱えてしまった。

Tetota


「東京は坂の町でもある」(ゼームス坂のこと、光太郎と智恵子 2005/06/01
「エンコントロ(3)…サンバ写真」(2005/06/02
「遺伝子という蛍?」(ジェームス D.ワトソン/アンドリュー・ベリー 著『DNA』 2005/06/03
「センス・オブ・ワンダー…驚き」(レイチェル・L. カーソン著『センス・オブ・ワンダー』 2005/06/04
「黴の宿」(美は乱調にあり 2005/06/05
「KAZEMACHI CAFE…歌謡曲」(松本隆対談集 2005/06/06
「天の川…光害」(光害(ひかりがい)のこと 2005/06/07
「日記拾遺…いちこつ」(駅での列車の発車の際に「いちこつ」の音が流される 2005/06/08
「螢籠」(野口 雨情「螢のゐない螢籠」 2005/06/09
「蛍の光…惑う光」(西山松之助の小説「くるわ」 2005/06/10
「エンコントロ(4)」(サンバでのダンスに感じること 2005/06/10

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