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2006/05/23

紫と言えば醤油!

紫陽花の花言葉は…移り気」なる記事に興味深いコメントを戴いた。内容はコメント欄をどうぞ。
 小生は、戴いたコメントに以下のようにレスしておいた:
 そう、紫陽花はまさに淡い中途半端な色合いですね。固執執着しないが故に移り気なのか、それとも(花びらの色合いは、土壌の酸性度に敏感に反応してのものだという事実を鑑みると)目の前の現実(土壌、相手)に固執するが故に次々と目前の相手に惚れ賛美するから、(その浮気っぽいかのような行動が他人には)移り気に見えるということかもしれないですね。

 濃い紫は、特に日本においては尋常な色とは看做されていない。古代だと高貴な色であり、神秘の色、一般人には使いこなすのが難しい色でもあったような。
 現代だと、紫色のボディの車に乗っているのは、高貴な人じゃなくて、大概、暴走族まがいのチンピラだしね。
今、映画で話題(?)の「イエス・キリストはその死に際して、紫の衣をまとわされていた」とか(古代ローマでは王が死の時は紫の衣を纏う)。
 色の事は、人の気持ちを昂ぶらせるものですね。

 あ、そうそう、今朝、バイクでの会社からの帰り道、路肩に今の時期にしては珍しく鮮やかな色合いの紫陽花を発見。あまりに意外で、思わずハンドルが取られそうになった!

 このレスを書いていて、ふと、そういえば、なるほど、紫陽花という花の名前の中にも含まれる「紫」について調べてみるのも面白いかとネット検索しようと思った。
 けれど、「紫 - Wikipedia」にて話は尽きているような気がする。
 あるいはここから話を膨らませるのも楽しからずや、だが、「江戸紫」という言葉や、それ以上に「筑波山の別名は「紫峰」である。これは、紫に霞む山裾に因んでいる。又、昔は醤油が「紫」と綽名されたが、これは筑波山に因んで「紫」というブランドを付けた事が始まりらしい。」という記述にビビビと来た(太字は小生の手になる)。

 というのは、つい先日、車中にある時、ラジオから醤油の話が聞こえてきたのである。といっても、仕事中だったので、断片的にさえも聞き取ることができなかった。
 ただ、「醤油 野田 湯浅」など、幾つかの単語だけ、脳裏にこびりついていたようである。

 醤油と言えば、野田、ヤマサ、キッコーマン…。小生の知識を洗いざらい拾い上げても、これだけ!
 まずい。日本の文化なのだし、最近は日本が世界に誇る健康食品としても見直されている醤油
 たまには日頃お世話になっている醤油を調べてみるか。

野田の醤油発祥地」なる頁を覗いてみる。
「野田で醤油作りが始まったのは、伝承によれば永禄年間(1558~70)に飯田市郎兵衛の先祖が甲斐武田氏に溜(豆油)醤油を納め、川中島御用溜醤油と称したとされていることから、野田市において最も古い醤油醸造は飯田家と言われております。」以下、興味深い記述が続く。
 途中は割愛させていただく。
「大正期は、第一次世界大戦による大戦景気を生み、醤油業界もまた好況に恵まれ、大正6年(1917)には、茂木一族と髙梨一族の八家合同による野田醤油株式会社(キッコーマン株式会社の前身)が誕生しました。」という記述が気になる。
先駆者たちの大地-キッコーマン 茂木啓三郎」なる頁に飛んでみる。
 その冒頭には、「醤油の渡来は諸説あるが、8世紀に唐の僧・鑑真が「醤」の一種である「味醤(なめ味噌の一種)」を日本に伝えたのが最初ともいわれる。鎌倉時代には紀州(和歌山)湯浅で「たまり醤油」状のものが生産され、社寺の境内などで売られたという。織豊時代にはかなり日常的に使用されていたようだ」とある。
 が、小生は、「1904年にはビタミンB1発見者である鈴木梅太郎博士の指導のもと、野田醤油醸造試験所(研究所)を設置した」という記述に惹かれつつも、「-- 「亀甲萬」を統一商標にする --」という項目に反応してしまった。
 1914年に第一次世界大戦中の加熱する景気による「無用な競争を避けるため、1917年に梨、茂木一族8家が合同して、野田醤油(株)を設立した。初代社長には、六代茂木七郎右衛門が就任した。当時、一族の商標は200種以上もあったが、この合同にあたって、茂木佐平次家の「亀甲萬」が統一商標になった。」という。
 
 前々からキッコーマンという名称の由来が気になっていたのだが、醤油の瓶に説明が書かれているのかもしれないが、改めて調べてこなかった。
 そうか、「亀甲萬」なのか。


 醤油の発祥地 初代濱口儀兵衛(ヤマサの歴史【ヤマサ醤油】)」を覗いてみる(ホームページは、「ヤマサ醤油株式会社」)。
 この頁の冒頭には、「醤油の元となるものを作ったのは、鎌倉時代、紀州由良(現在の和歌山県日高郡)の興国寺の僧であった覚心だといわれています。覚心が中国で覚えた径山寺味噌の製法を紀州湯浅の村民に教えている時に、仕込みを間違えて偶然出来上がったものが、今の「たまり醤油」に似たものだったのです。 」とある。
 ん? 上で引用した説明と違う…と思ったら、問題は、「鎌倉時代には紀州(和歌山)湯浅で「たまり醤油」状のものが生産」された、その前に「醤油の渡来は諸説あるが、8世紀に唐の僧・鑑真が「醤」の一種である「味醤(なめ味噌の一種)」を日本に伝えたのが最初ともいわれる」をどう位置づけるか、だろう。
 違う系統の醤油会社も鎌倉時代の「紀州(和歌山)湯浅」での「たまり醤油」の件は触れざるを得ないのだから、この辺りから歴史となるということか。

 紀州から銚子へという経緯(いきさつ)も面白いが、ここでは醤油のルーツを辿ってみたい。
(先に進む前に、余談だが、7代濱口儀兵衛を名乗った梧陵こそが、かの「稲むらの火」の話題の主だったのだ。ヤマサに関係する人物とは、露、知らないままに「草萌(くさもえ)」の中でも扱っていたのだった。)

ヤマサしょうゆ博士【ヤマサ醤油】」へ進む。
 その「ヤマサしょうゆ博士【ヤマサ醤油】 しょう油のルーツは醤(ひしお)」という最初の頁が興味深い。
 冒頭に、「しょうゆは、当て字で「正油」などと書かれたりしますが、本来は「醤油」と書きます。ここでいう「油」は、“トロリとした液体”を意味しているとか。それでは「醤」はなんでしょうか?ひとことで言えば「塩漬け発酵食品」のことで、ヒシオと読み、これがまさしくしょうゆのルーツです。」とある。
「醤(ひしお)らしきものは、日本でも製塩が始まった弥生時代には、すでに作られていた」とかで、その「醤(ひしお)」にも様々な種類があり、「その中でも米・小麦・大豆などを原料とした「穀醤(こくびしお)」が、しょうゆやみその原型と考えられてい」るとのこと。
 また、「当時の中心的な醤は、魚介類を主な原料とした「魚醤(うおびしお)」と考えられており、現在も秋田に残っている「しょっつる」や、香川県の「いかなごしょうゆ」、能登地方の「魚汁(いしる)」なども魚醤が原型になっていると言われています。ベトナムにある「ニョクマム」もその一種と考えられてい」るのだとか。

 しょうゆの裏話も、ちょっと面白い。ヤマサマークの由来が書いてあるのだ。
「ヤマサ印Ωの由来については、観音様が夢枕に立たれて授けられたという説、は山を、サは沙門(聖僧)を意味し、清いことを象徴しているという説など、いくつかあります。しかし、最も有力なのは、創業者の浜口儀兵衛が自分の「儀」をとってにしたかったものを、出身地の紀州徳川家の船印と同じ形になるのを遠慮して、「キ」を横に倒しΩにしたというものです。」というが、肝心のヤマサマーク(文中はΩで代用)を転記することが出来ないので、どうぞ、当該の頁を覗いてみてほしい。誰もが知る有名なマークである。
 ただ、「幕府から「最上しょうゆ」の名が与えられた際、その「最上」を意味するものとして、右肩に「上」の字をつけるようになりました。」という、その「上」の字には、小生は気が付いていなかった。

 過日、ラジオで醤油の話を断片的ながら聞くことができたと上で書いている。ほとんど聞き逃すか右の耳から左の耳へと風のように吹き抜けていったが、ただ、印象に残った話があった。
 それは、今では世界的なものになっている醤油で、日本の大手の醤油会社が海外へも飛躍しているのは周知の事実(ヤマサはバイオ医薬にも進出しているとか)。
 だけれど、数社いる大手の醤油会社が日本においての醤油市場をほぼ占有しているかというと、さにあらずで、せいぜい6割ほどだという(数字は曖昧)。
 語り手によると、醤油は微妙な食感、味に関わるものなので、地元の関係者が作る醤油が地元では強く、全国的に有名な醤油だからといって、地元の業者が作る醤油やその市場にはなかなか参入も侭ならないのだとか。
 大手に頑張って欲しいと思いつつも、なるほど、地元の方にもエールを送りたい気分にもなってしまったのだった。日本の何処かしらへ旅する機会があったら、地元の酒に拘るように地元の産物、地元の味噌や醤油を賞味するのも楽しからずや、なのではなかろうか。
醤油と味噌の秋幸物語

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コメント

鈴木梅太郎と野田醤油が関係があるとは驚きです。鈴木梅太郎は私の住んでいる静岡県の地頭方村堀野新田という所の生まれです。ここは、現在の牧之原市堀野新田(旧相良町)で、御前崎のすぐ近くです。実は、私の現在の勤務先で一緒に机を並べて仕事をしている女性のお姉さんの嫁ぎ先が、鈴木梅太郎の実家なのです(笑)。醤油のこと、私も勉強してみます。私の地元では、昔から塩・砂糖・醤油が造られているのです。

投稿: magnoria | 2006/05/24 18:19

ネットの輪の中に、多少なりとも記事で扱った人物(鈴木梅太郎)と縁故を持つ方がいらっしゃるとは、ネットの世界の凄さ、面白さですね。
醤油のこと、大豆のこと、味噌のこと、塩や砂糖のこと、どれも奥が深そうです。身近に関係者がいると、調べ甲斐がありそうですね。

投稿: やいっち | 2006/05/25 07:32

わが町の造り醤油屋さんの栄醤油さんのHPです。
http://www12.plala.or.jp/sakae-s/
江戸時代から7代続く造り醤油屋さんで、とろりとした濃い口の醤油で、わが家も使っています。醤油ができる部屋には昔からずっと住み着いている酵母菌があって、それによって独特の味ができるのだそうです。

投稿: magnoria | 2006/05/25 21:14

情報、ありがとう。サイト、覗いてみました。まず、表紙に載っている店の佇まいが昔ながらを感じさせるものですね(仕事で某所にて見かける民家に似ている。営業はしていないようだけど):
 http://www12.plala.or.jp/sakae-s/
 伝統的な店の特徴は、まさに「昔からずっと住み着いている酵母菌」に秘密があるということでしょうか。

 ところで、皮肉にも醤油もポン酢も昨日で切らしてしまって、今日、夕方の買い物で買い揃えるはずが、店内の綺麗な女性に見惚れて、すっかり忘れてしまって、帰宅して、しまった! でした。


投稿: やいっち | 2006/05/25 22:29

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