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2006/05/25

読書拾遺…樹の花にて

 あと一時間ほどで仕事も終わろうという、今朝の未明、「日本一遅く咲く桜として有名」だという「千島桜」の話題がラジオから聴こえて来た。
 小生には(多分)初耳の桜。桜の好きな人、旅の好きな人なら知っているのだろうけど。
 ネットで検索してみると、「根室見所情報室 千島桜 18年5月22日の状況」という頁が浮上。画像ではほぼ満開となっているが、ラジオの話は今朝だから、今日など転記も良さそうだし、目一杯に咲き誇っているのだろう。
根室見所情報室 千島桜 開花状況! 平成18年5月12日~」を覗くと、つぼみの状態から徐々に芽吹く様子が画像を通して愉しむことができる。
「千島桜」は、「高さ1~5m、直径5~10cmぐらいになる落葉低木」とのことで、画像を見ても、本土の桜並木とは明らかに雰囲気が違う。気候風土が違いを齎したのだろうか。
 目に付く違いは花びらにもあるようで、「花の径は2~4cmで花びらの先はわずかに凹んでいる」のだとか(太字は小生の手になる)。

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→ 樹の花の香り漂う銀座かな

 東京では、昨日は午前中から午後にかけては晴れていて暑いくらいだったが、午後の四時前から一気に天候が急変。雷雨となった。そのため、普段はタクシーを利用されない方も乗られるということで、やたらと忙しい一日となった。さすがに本は読めない。
 それも、夜半を二時間ほど回ると、雨も峠を越し、仕事も落ち着いてきた(暇になってきた)。

 開くのは本。水曜日に持ち込んだ本は、菊地信義氏著の『樹の花にて』(白水Uブックス―エッセイの小径)というちょっと変わった題名の本。

「樹の花について」ではない。「樹の花のこと」でもない。しっくり来ない題名で、その題名で敬遠して、俄かには手を出しかねるかもしれない本。
 それでも手に取ったのは、著者が菊地信義氏だからに他ならない。

 内容は、出版社の案内によると、「一冊の書物への出会いのために、読者を誘惑してやまない装幀の第一人者が、多彩な表現に通底する透明な官能性と、求心的感性の交差を造形の余白に綴った、本好きに贈る書物の周辺」とある。
 他のレビューでも、「一冊の書物をめぐる装幀と読者との関係は「不安を渡る舟」に似ており、装幀家の使命は、その不安の表出としてのズレを読者に訴えることである。書物へと人を誘惑してやまない気鋭の装幀家が、多彩な表現に通底する透明な官能性と求心的感性の交差を造形の余白に綴った、本好きに贈る書物の周辺。」とある。
 が、まだ、冒頭の数十頁を読み齧っただけなのだが、本書を読んでの印象はまるで上記とは違う。
 実際、小生は、著者が菊地信義氏ということで、書物を巡っての随想、どのような装幀に仕立てるかの試行錯誤など、本のアーティストの話を聞けるものと勝手に思っていた。 
 が、中身は、思いっ切り砕いてしまうと、ある銀座界隈に仕事場を持つ男の銀座日記といった趣(おもむき)なのである。銀座風物詩とでも言うべきか(但し、この先、何が書いてあるかは、これからの楽しみである)。

「樹の花にて」の「樹の花」とは、仕事で来客と待ち合わせをする喫茶店の名前なのである。筆者によると、ジョン・レノン夫妻も飛び込みで来たこともあったとか。
 本書の内容は十年以上を遡るものが多いので、この「樹の花」なる店が今もあるのだろうかと、ネット検索してみたら、健在だった! 疑った小生が不謹慎だった:
東京カフェマニア:Flor de Cafe 樹の花(フロールドカフェ・きのはな)
 小生には敷居がとても高くて、店に行くことはないだろうけど、まあ、雰囲気だけネットで味わっておこう。

 筆者の菊地信義氏が銀座界隈を知悉し愛惜していることがしみじみ伝わってくる。
 小生など、銀座と聴くだけで敷居が高く、敬遠してしまう(仕事でも銀座へはお客さんを求めるためでも行かない!)のだが、銀座を仕事場とはいえ、地元としている人には、我が町なのだ、と改めて痛感した次第。
 読了したら、本書の周辺を巡って改めて雑文を書くかもしれない(源助橋のことなど)。
 残念ながら、菊地 信義氏が手がけた装幀本の画像を紹介することはできないが、菊地 信義著のその名も『装幀=菊地信義の本』(講談社)を繙けば、その仕事が見渡せるのかも(小生は未読)。

 自宅では、メルヴィルの『ピエール』(坂下 昇訳、国書刊行会)やジェイムズ・モートン著の『わが名はヴィドック』(栗山 節子訳、東洋書林)を交互に読んでいるが、これらのことは後日、改めて触れるとして(既に若干、書いている)、ここで先週末から火曜日に掛けて読了した本をメモしておく。
 一冊は、アーネスト・ゼブロウスキー著『円の歴史―数と自然の不思議な関係 Kawade new science 』(松浦 俊輔訳、河出書房新社)である。
 昨年の初夏にも読んでいたのだが(「数のこと」参照)、マーカス・デュ・ソートイ著の『素数の音楽』(冨永 星訳、新潮クレスト・ブックス)を読んで「数」のことに改めて関心を呼び覚まされ、再読と相成ったのだった。
 数学の世界(数学的考察で示される世界)と物理の世界との思いも寄らない時空での邂逅の物語は、いつもながら興奮を呼ぶ。数学の世界で証明された公式は、物理的自然の場での解明に予想外の形で使われることがある。あるいは数百年の後になってやっと<実用化>されることもある。
 つまりは、自然なる世界がそれだけ奥が深いということの裏返しでもある。

 宇宙論において、一番問題になっている課題の一つは、「ダークマター」である。「暗黒物質」というおどろおどろしいような、故・埴谷雄高氏なら飛びついただろう(実際に妄想を逞しくされたに違いない)名称で指し示されている話題である。
暗黒物質 - Wikipedia」を参照させてもらうと、「暗黒物質(あんこくぶっしつ、Dark matter)とは、宇宙にある星間物質のうち自力で光っていないか光を反射しないために光学的には観測できない物質のことである」。
(本書の末尾でこの話題が出てくるのだが、本書を読了した翌朝、朝食をとりながら漫然とテレビを見ていたら、放送大学でまさにこの話題が出てきて、その偶然に驚いた。)
 本書では、「光を出さずに質量のみを持つ未知の物質」である「暗黒物質」は、われわれの知りうる、また知りえてきた数学や物理の世界とは馴染みえるようなものかどうかが分からないとも書いてあった(従前とは全く違う数学体系や物理学の発想の可能性)が、「宇宙の謎「暗黒物質」、具体的計測の段階へ」という心躍る話題も漏れ聞こえてくる。
 つまり、「宇宙に最も多く存在する物質の一部とされながら、その詳細がほとんど知られていないに等しい「暗黒物質」(ダークマター)。国際的な天文学者のグループが、これまでで最も直接的な形でこの物質を測定することに成功した」というのである。

Subaru Telescope, NAOJ 暗黒物質の巣で育つ銀河の雛たち」なる頁を開くと、「約120億光年彼方の宇宙において、「暗黒物質の塊」の中で育まれる銀河の想像図」や「米国宇宙望遠鏡科学研究所、国立天文台、東京大学などからなる研究チームは、すばる望遠鏡を用いて、約120億光年彼方の生まれて間もない銀河が「暗黒物質の塊」の中にある証拠を得ました。さらに、その「暗黒物質の塊」の中には銀河が1個とは限らず、時には複数の銀河が育まれていることが分かりました。この研究により、宇宙初期の時代において、現在の主流である冷たい暗黒物質による銀河形成理論の予言通りに、若い銀河が暗黒物質に包まれていることを、初めて明確に裏付けました」という興味深い話を読める。
 宇宙論も物理も数学も知られているより、これから探求される世界のほうが遥かに遥かに豊かなのだという胸躍る予感。

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→ 「暗黒物質の3次元分布」(国立天文台のすばる望遠鏡と米ハッブル宇宙望遠鏡による観測で明らかにされた暗黒物質(ダークマター)の3次元分布。右奥に行くほど遠い宇宙となる(谷口義明愛媛大教授らの研究チーム提供)(時事通信社)

[ 「暗黒物質を初観測、ナゾの質量分布特定…日米欧チーム」というニュースが飛び込んできた:
「宇宙の成り立ちを説明するのに欠かせない「暗黒物質」(ダークマター)という目には見えない物質の姿を、日米欧の国際チームがハワイのすばる望遠鏡などを使って、世界で初めて立体的にとらえることに成功した。」という。
「暗黒物質は天文学の長年の謎で、今回の観測は宇宙誕生にかかわる仮説を裏付ける決定的な証拠となる。成果は、8日の英科学誌「ネイチャー」(電子版)で発表する」とか。
 掲げた画像参照。 (07/01/08 追記)]

 ダニエル・C・デネット著の『自由は進化する』(山形 浩生訳、NTT出版)も先週末、一気に読了。
 ダニエル・C・デネットというと、『ダーウィンの危険な思想―生命の意味と進化 』(青土社)が抜群に面白かった。本書『自由は進化する』は、やや哲学的議論に終始している。好きな人はたまらない、いかにもデネット風な議論が展開されているのだが。
 小生は、哲学でも何らかの具体的事象に絡みつつ議論が展開されてるのが好み。

 尚、手元には、今橋 映子編著の『展覧会カタログの愉しみ』(東京大学出版会)が置かれている。
 季語随筆「詩人の眼 大岡信コレクション展」の末尾で、本展覧会のカタログを買ってしまい、「本・雑誌は買っていないという習いを破ったようでもあるが、ま、カタログは本じゃないということにして、依然、その習いは厳守されているのであり、これからも当分、買わないつもりである。」と書いている。

 実は図書館で『展覧会カタログの愉しみ』をパラパラ捲っていて、「日本の展覧会カタログは、厳密には「書籍」には該当しない。著作権法第47条の規定によると、展覧会カタログは「観覧者への展示作品の解説・紹介を目的とする<小冊子>である」とされており、その販売は原則として会場内のミュージアムショップだけに限られる。ごく少数の例外を除けば、一般書店で購入することも図書館で閲覧することもできない」云々といった記述があって(太字は小生の手になる。「第一章 展覧会カタログとは何か」)、小生の勝手な屁理屈が屁理屈ではなく、ある意味、日本の文化行政にも関わる小さからぬ問題と相関していることを知ったのだった(5月24日付け朝日新聞朝刊には、美術館のキュレーターの方だったろうか、お二人の対談記事が載っていた。日本における美術館の役割がテーマだったような)。
『展覧会カタログの愉しみ』は、まだ、全く手付かずである。後日、手に取った際には、カタログのこと、さらには他の問題など、触れてみたい。

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「暗黒物質を初観測、ナゾの質量分布特定…日米欧チーム」:
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070108-00000401-yom-soci
上記のニュース情報を文中にて追記した。

投稿: やいっち | 2007/01/08 11:49

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