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2006/05/17

胡蝶の蝶はアゲハチョウ?!

深山霧島…坊がつる賛歌」の中で、都心の路側帯や街路を彩るツツジは厳しい環境の中で健気に咲いていて素晴らしい…云々という話をし、ところで、都心の植物を眺めていて気づくある特徴のことに話が及んでいる。
 つまり…、
 住宅地は、場所によっては違うかもしれないが、その特色とは、花というと付き物のはずの蝶や蜂などの昆虫類の姿を見ることが極めて稀だということ。
 都心の植物にだって花もあれば蜜もあるだろうに、蝶が舞うとか、蜂がブンブン飛んでいるとか、天道虫がサンバを踊っている、なんて姿は一向に観られないのである。
 花粉は風任せなのだろうか。受粉はどうやっているのだろう。

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→ 15日、たまたま通りかかった歌舞伎座。タクシー稼業を始めて一年にもならない新人の頃、タクシーから降りてくる杉村春子氏を見かけたっけ。それから一年あまりほどして女史は惜しくも亡くなられたのだった。歌舞伎座の前を通ると、何故か、あの日、タクシーを降りる女史の姿が思い出されてしまう。

 この頁では、「そんなことを、「ミヤマキリシマ(深山霧島)大群落/霧島」なる頁の一番冒頭の写真に写っているアゲハチョウ(アオスジアゲハ?)の雄姿を見ながら、なんとなく思った」としているが、実のところ、都心を車で流していて、しばしば思うことでもあった。
 今、受粉のメカニズム云々の話題にここで入ろうとは思わない。
 たまたまお気に入りのサイトで「濡縁に揚羽蝶来ぬ忍び足」なる句を見つけた。
 無論、季語は「揚羽蝶」で、夏(三夏)の季語である。
 何かの縁と、せっかくなので遠い昔、昆虫採集に打ち興じた懐かしい思い出もないわけではないし、ツツジの話から蝶々の話へと美しく舞うように話が展開することでもあるし、少し、調べてみたいと思った。

 それに…、そう、東京の都心では、めったに蝶々の雄姿には出会えないし。

 ところで、「あげはちょう」とパソコンに打ち込むと、ちゃんと「揚羽蝶」と仮名漢字返還してくれる。ありがたいことである。漢字を知らない人間だとは、誰も気づかないだろう、って、早速、「変換」とすべきところが「返還」になっている。沖縄の基地問題が気になっている??!
 そこまではいいが、『十七季』(東 明雅、丹下博之、佛渕健悟 編著、三省堂)で季語は季語でもどんな季語と調べてみようとしたら、いきなりびっくりする事実に出会った。
 それは、「夏の蝶」の隣に「鳳蝶」と記されてあって、「あげはちょう」とルビが振ってある。
 えっ? 「あげはちょう」って、「鳳蝶」と表記するの? 「揚羽蝶」じゃないの?
「揚羽蝶」って、俗世間で通用する表記に過ぎなくて、俳句の世界じゃ、「鳳蝶」と書かないと恥を掻くことになるの?
 あまりに初歩的な疑問で、ここでもう恥を掻いているのだが、分からないものは分からないし、知らないのだから仕方がない。
(余談だが、「ゴキブリ」が「御器噛」と漢字表記することも、たまたま知ったものだった。「御器噛(ごきかぶり)」の転だなんて。言われてみたら、そうなのかって思ってしまうが。ちなみに「蜚Ω」という難しい表記もある。)

 調べてみると、「夏の蝶(なつのちょう)」というやはり夏(動物=三夏)の季語があり、その別名として、「夏蝶(なつちょう)、梅雨の蝶(つゆのちょう:梅雨時に飛ぶ蝶)、揚羽蝶(あげはちょう:緑黄地に黒条、黒斑点のあるものなど、かなり大型の蝶)、鳳蝶(あげはちょう)、黒揚羽(くろあげは)、烏揚羽(からすあげは)、麝香揚羽(じゃこうあげは)」とあるようだ(「YS2001のホームページ」)。
 念のために断っておくと、「蝶」とだけあると、春の季語である。だから、他の季節だと、「夏の蝶(なつのちょう)、秋の蝶(あきのちょう)、冬の蝶(ふゆのちょう)」などと季節を蝶に冠するわけである。

 アゲハチョウ全般のことを知りたい。となると、「アゲハチョウ - Wikipedia」を覗くのが手っ取り早い。
「成虫はほぼ全ての種類が花に飛来するが、地面の水たまりや海岸などで水分を吸う習性がある種類も多い。大きな翅をはばたかせて飛び、吸水・吸蜜や産卵もはばたきながらおこなう。」とか、「アゲハチョウ類の幼虫は頭部と胸部の間に「臭角(しゅうかく)」という1対の角をもち、これが他のチョウ目幼虫と異なる大きな特徴である。この角は二股に分かれた半透明のゴムの袋のような構造で、種類によって赤から黄色といった派手な色彩をしている。ふだんは体内に靴下を裏返したように収納しているが、強い衝撃を受けると頭部と胸部を反らせ、しまっていた角を体液の圧力で反転し、突き出す。この角の表面にはテルペノイドを主成分とした強い臭い物質が分泌されており、外敵を撃退する。」など、興味深い記述を読むことが出来る。

「自然にとって人間は無視出来ない存在となっている。自然の暗号をどこまで解読できるか。幽艷な鳳蝶の姿を通して自然の言葉を理解するヒントを与える写真集」という、その名もズバリ、藤岡 知夫著の『鳳蝶―日本蝶類生態写真集』(小桧山 賢二撮影? 講談社)なる本があるのも、熱帯を中心にだが、広く分布している鳳蝶ゆえのことなのだろうか。

 ネット検索を繰り返していたら、「松岡正剛の千夜千冊『世界大博物図鑑』荒俣宏」という興味深い頁に出会った。さすがに松岡正剛氏、さすがに荒俣宏氏である。
 この頁の中途に、「たとえば、アゲハチョウの項目をあけてみると、この世のものとはおもえぬ美しい図版にいくつもお目にかかれる。また、この蝶を各民族がどのように見ていたかがわかる。ローマ人はパピリオとみなし、イギリ人はツバメの尾をそこに見て、中国人は鳳凰の変形を感じて鳳蝶と名付けた。それが日本では翅を上げているほうに特徴を見て、揚羽蝶と和称した。そもそも荘子の「胡蝶の夢」からして、あれはアゲハチョウなのである(第726夜)。」という記述があり(太字は小生の手になる)、図版の数々が載っていて嬉しい。

 荘子の「胡蝶の夢」の「胡蝶」とは、「異国の蝶」だという。「蝶」と直に表現することが憚られていたのだ。
 何故か。蝶は中国においては(中国においてだけではないが)長くタブーの存在だったからだという。
 この辺りのことは、「羽化登仙」の語義も含め、「言葉の景色」に実に興味深く書かれている(ホームページは、以前も紹介したが、「ISIS」)。

 蝶々のことは、ざっと眺めただけでも奥が深いと感じる。ヨーロッパや中国の古代からの蝶や虫に絡む人の思い入れを探っていく必要がある。
 他にも、蝶や蛾の異同や鱗粉のことなど、調べてみたいことが際限なく思い浮かぶ(例えば、「鱗粉の役割」などなど→「鱗粉のページ」)。ま、追々、調べる機会を設けて探ってみることにしよう。
(昆虫採集の思い出話も後日、改めて書きたい。それにしても、よくぞここまで揚羽蝶をもじって、アネハチョウと言わずにこれたものだ!)

 アゲハチョウの織り込まれた句は、ネットでも散見する。
 ここでは、「すさまじいまでの揚羽蝶への執着」を示した永田耕衣の句の数々を:
「うつうつと最高を行く揚羽蝶」や「揚羽出て下界の上を進みたり」「或る高さ以下を自由に黒揚羽」「黒くして天に隠るる揚羽蝶」「揚羽蝶困ず吾在り妻と在り」「天の原降り来て揚羽汚れをり」「母や碧揚羽を避くるまでに老い」が載っている「日刊:この一句 バックナンバー 2004年6月23日」はさすがである(いずれも永田耕衣の句)。

ひらひらと舞うは夢ぞと揚羽蝶
サナギとも羽衣とも観る鳳蝶
ふらふらと羽根に釣られし我ならん
鱗粉の色にも香にもめろめろさ
色香とはかくのごとしと揚羽蝶
吹く風に流れ流れて揚羽蝶
夢現(ゆめうつつ)翻すよな揚羽蝶
舞いし君追う我観しは揚羽蝶
戯れに追いつ追われつ揚羽蝶

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コメント

ネット検索していて、全く意表を突いた「揚羽蝶」画像を発見:
http://koro49.exblog.jp/2610975/
なるほど!
見事です。

投稿: やいっち | 2006/05/18 12:16

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