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2006/05/28

サポー…サッフォー…シャボン…チャポン

 中沢 弘基著の『生命の起源 地球が書いたシナリオ』(新日本出版社)を過日、読了した(その感想文は既に書いている)。
 ところで、この本を読んでいたら、話の本筋に直接は関係ないのだが、「サポー(sapo)が、ソープ(soap)の語源になった」(「石けんの起源 ビバ ☆ eco生活 ☆」から転記)といった記述があって、何故か興味が湧いた。
 小生は、今もって、花王の牛乳石鹸を愛用している!
 我が餅肌は(体型が餅だから、色白だから、その肌は餅肌と呼称されるのだが)花王の牛乳石鹸をガキの頃から一貫して愛用した賜物なのである。
 但し、肌のことを考えて、体を洗うのには石鹸は使わない。髪を洗うのにもシャンプーは使わない。専ら、お湯でのシャワーに頼っている。石鹸を使うのは必要最小限(要所)にと心がけている。
 なんたって、皮膚の不要な部分だけじゃなく、新鮮な(なけなしの)皮膚も傷める可能性があるし、ばい菌だけならともかく、常在菌までやっつけてしまう恐れがあるからだ。

Sionbouquet

→ お馴染み、紫苑さんに戴いた花束の画像です。いつも明るく活動的で前向きの紫苑さんです。過日も、「2006年5月25日木曜会・ユネスコ懇親会」にて「環境問題について1時間半」お話されたとか。

元祖発見!」なるサイトの「68.石けんの元祖は臭かった?! 植物由来の原料に変えることでニオイを克服~「石けん」 」が詳しい説明を与えてくれる。
「今回は4(よい)月26(ふろ)日「よい風呂の日」にちなみ、入浴の友「石けん」について、その歴史を尋ねてみましょう。」とのことだが、小生も、もう一月早く本書『生命の起源 地球が書いたシナリオ』を読んでいたら、この話題に飛びついていたはずだが、でも、上掲のサイトをネット検索で発見したら、付け足すことなど何も無い、ということになっていただろうから、遅きに失していてもメモだけしておく。

石けんの最古の記録は、紀元前2500年頃のメソポタミアまでさかのぼることができます」以下の記述は、当該の頁を覗いてみて欲しい。メソポタミア文明、そしてシュメール人は凄い、と思う。
 尤も、彼らは石版(粘土板)に記録を残したわけで、実際にはある種の石鹸には薬効のあることは、あるいは彼らの記録の以前より、経験的に知られていた事実なのかもしれない。
「紀元前2500年頃の」とあるが、サイトによっては、「紀元前3000年代のシュメール(現在のイラク)の記録粘土板に、すでに薬用としての石けんが登場しており」云々と記述している(石鹸については、「JSDA暮らし・歴史1.2.3」が全般的に詳しい)。

「SOAP(石けん)の語源となった伝説をご紹介します」以下の記述が興味深い。
「古代ローマ時代、“サポーの丘”周辺にある土を洗い物に使うと、不思議なほど汚れが落ちると言い伝えられてきました。なぜでしょう? ここでは、いけにえの羊を焼いて神に捧げる儀式がおこなわれていましたが、滴り落ちた脂が、燃やした木のアルカリ性灰と混じり合い、そこに水分が加わって、天然の石けん成分が生み出されていたのでした。サポー(SAPO)が、SOAPに転じたという訳です。」というのだ。
 尤も、『生命の起源 地球が書いたシナリオ』にはサポー(SAPO)はギリシャ語とあったはずだが(既に本書は返却したのですぐには確認できない。記憶違いか。あるいはラテン語はその通りだが、そのラテン語のサポー(SAPO)自体、ギリシャ語に淵源するのか)。

 ついでながら、語源に拘っておくと、日本語の石鹸はともかく、「シャボンは、ポルトガル語のシャボー(sabao=英語のsoap)からきたといわれる」ことは、結構、知られているのではなかろうか。
 但し、「68.石けんの元祖は臭かった?! 」によると、「日本語の「シャボン」は、石けん製造で隆盛を誇ったイタリアの都市サボナを語源としています」とあるのだが。
 あるいは、「イタリアの都市サボナを語源」とする石鹸を意味する「サボナ」が「ポルトガル語のシャボー(sabao)」という形で日本に伝わったということか(要確認)。

秋晴れは洗濯日和1 シャボンと石鹸は別のもの?」によると、石鹸とシャボンは別物だろうという。
 つまり、「石鹸と呼ばれたものは本来別にあったの」であり、「それは、草の灰を浸出した水でうどん粉を練って固めたもので、我々が知るいわゆる石鹸とはずいぶん違うものであった」とか。
 駄洒落好きな小生、何とかシャボンから石鹸へと繋げようと無い知恵を振り絞っていたのに、がっかりである。
(ex. シャボン → チャポン → 砂泡(しゃほう) → 石鹸 …さすがにジャパンに繋げるのは躊躇われた…)


 語源もどきの話に転ずると、サポー(SAPO)という言葉を目に(耳に)した時、何事も中途半端な知識が売り物の小生、かのサッフォーを連想してしまった。
 言うまでも無く、「紀元前600年頃のギリシャの女流詩人」のサッフォーである。ご丁寧にも、「ギリシャ語ではサーッポーとも呼ばれ」る存在。西欧では古くから折々にその存在(不在)が意識されてきた。
例えば、「岩の上のサッフォー ギュスターヴ・モロー (1872年)」などを参照。
 実は、このサッフォーとサポー(SAPO)とが何処かで繋がるのではないかと、中沢 弘基著の『生命の起源 地球が書いたシナリオ』の中で「サポー(sapo)が、ソープ(soap)の語源になった」という記述を見つけた際に、まずは着想したのだったが、生憎、これは妄想に過ぎず、構想は呆気なく頓挫したのだった。

 話は元に戻るが、上記したように、「シャボンが日本に初めてもたらされたのは、1543(天文12)年、種子島にポルトガル船が漂着した際といわれます」という。
「種子島 1543年」というと、誰しも、「種子島に鉄砲伝来」を連想するだろう。「京都っくす 種子島に鉄砲伝来。-天文12(1543)年
「1543年、台風に遭い種子島に大きな中国船が漂着しました。乗組員の中には南蛮人も含まれていました。彼らは島主の種子島時堯に「鉄砲」を披露しました」というのだ。
 この鉄砲が日本の戦(いくさ)の在り方を変え、さらには歴史の展開を早めたことは言うまでも無い。鉄砲がというより、当時の世界の先端文化が日本を揺るがしたわけだ。
 この辺りのことは、「種子島に来た鉄砲をみる:歴史のかたち:文化 伝統 関西発 YOMIURI ONLINE(読売新聞)」が詳しいし、読んで面白い。「漂着」ではなく、計画的な渡航だったかもしれない。
種子島で語り継がれる「若狭悲話」」は必読かも。
 中国の船が種子島に<漂着>した際に、鉄砲のほか、シャボンが、波にチャポンと揺られて伝来したわけだ(小生の駄洒落も伊達じゃないかもしれない?!)。

 石鹸というと、洗濯と洗顔となる。洗濯のほうは後日、改めてということで、ここでは洗顔。
 というか、その前に洗剤でどうして汚れが落ちるのか、科学にも滅法弱い小生、不思議でならない。「JSDA もっとよく知ってほしい石けん・洗剤・界面活性剤4」を覗いても、ただ、口をポッカリ開けているだけである。
 頼みの「石鹸 - Wikipedia」も、今のところ、さほど詳しい情報が集まっていない。ただ、環境問題との絡めての情報やリンクが助かる。

石けん百科」というサイトがある。今回はこのサイト内を見渡す余裕が無かった。
 シャボン玉のことにも話を持っていきたかったが、稿を改めたほうがよさそう。
 石鹸も、奥が深いと思うだけである。

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